人生何が起こるか分からないとは言い得て妙だとつくづく思う。
「こんな物しかなくて申し訳ない」
「泊めて頂けるだけでもありがたいというのにお食事まで頂いてしまうなんて…」
「気にしないでくれ。これも何かの縁だと思うし」
「ありがとうございます、レーヴェンさん」
「レーヴェンで良いよ。それに、敬語もやめてくれると嬉しいな」
「……それじゃあ、ありがとうレーヴェン」
温かみのあるテーブルに湯気が揺蕩うスープとパンを置いてくれたレーヴェンの優しさに笑顔を添えて礼を言えば、目を微かに見開いた相手の顔が瞬く間に紅潮した。
一時間前、彷徨っていた私に声を掛けてくれたレーヴェンに宿がないので近くに眠れる場所はないかと尋ねたところ、何もないけど家で良ければ泊まって行きなよと提案してくれて今に至る。
この街出身のレーヴェンは、エーデル・クランツ王国の兵士として都で勤務しているらしく、偶々休暇を取って帰省している最中なのだそう。
まさかその日に知り合ったそれも男性の家に宿泊する事になるだなんて、過保護なお父様が天国で卒倒なさるかもしれないわ。すんなりとレーヴェンの提案に甘えたのは、寝る場所に困っていたという事も勿論あるけれど、色々な事があり過ぎてしまって見知らぬ国の見知らぬ男性の家で眠るという事に恐怖や不安を覚える余裕がなかっただけだった。
「リーリエはライヒ・トゥーム王国の出身なんだね」
「ええ、他の国も見てみたいと思って出て来たばかりなの」
「どおりでこの時間に一人でこの地域を歩けた訳だよ」
「声をかけてくれて助かったわ。レーヴェンがいなければ、未だに夜道を歩いていたかもしれないもの」
「危険過ぎるよ。美しい君なら、人攫いに狙われる可能性だって十分にあるんだから」
「ふふっ、お世辞でも嬉しいわありがとう」
スプーンで掬ったスープを口に含めば、優しい味が口腔内に広がって溶ける。私の向かいに腰を下ろしたレーヴェンは困った様に顔を手で覆い隠して「無自覚なのか」と呟いている。
無自覚?一体何の事に対して言っているのかしら。レーヴェンの漏らした言葉の意味を考えてみても、答えが見つかる気配はない。
「入国審査をしてくれた人にも忠告されたけれど、そんなに反皇帝派は過激なの?」
「まぁね、一方的に侵攻されて支配下に置かれたという意識が強いせいだと思うよ。それに、バウムガルテン皇帝陛下が即位してからというもの急激にエーデル・クランツ王国は多くの国と戦を始めて領土を拡大しているから、そのやり方に不満を覚える人間も多いんだろうね」
「その噂なら私の国でも聞いた事があるわ。エーデル・クランツ王国の皇帝陛下は死神だって」
「うん、冷酷で富と名声の為ならば人の命も蟻の様に扱うって…よく聞く話だよ」
「誇張された噂話だと思っていたけれど、そんな風に言われているのは本当だったのね」
「実際の所はどうなのかなんて、一兵士の俺には知る由もないけれどきっとエーデル・クランツ王国の支配下に置かれている殆どの地域の人間は、皇帝陛下に良い印象は抱いていなんじゃないかな。その一方で強い支持を集めているのも事実だけどね」
手を組んで目を細めるレーヴェンの口調や表情からは、バウムガルテン皇帝支持派なのか反対派なのかは読み取れない。
「皇帝陛下はとりわけ、女性人気が高いんだよ」
「どうして?」
「大変に端麗な容姿をなさっているからだよ。この世の者とは思えない…まるで、偉大な芸術家によって創造されたみたいだって謳われている程なんだ。それなのに、バウムガルテン皇帝陛下には許嫁がいなくて、適齢にも関わらずお妃を探す様子もないみたいで、この国の、特に貴族階級以上の女性は皇帝陛下のお相手になる事を夢見ているみたい」
「ふーん」
「あはは、リーリエは興味がなさそうだね」
「だって、まるで別次元のお話を聞いているみたいなんだもの。庶民の、それも隣国から来たばかりの私には無縁の話に思えて仕方がないし、人は見た目ではなくて中身が大切だと思うわ」
そう、ゲラーニエ殿下という人物を知っていて彼の元婚約者だったからこそ余計にそう思う。ゲラーニエ殿下だって、それはそれは美しい容姿をしていた。けれど内面はどうだろうか、少なくとも私の目には彼はいつだって横暴で幼稚で未熟に映っていた。
「リーリエは面白い子だね」
「私は至って平凡な人よ?それよりもレーヴェン、このスープもパンもとっても美味しいわ」
「お口に合って良かったよ」
「本当に何とお礼を言えば良いのか…「気にしないでよ、俺が好きでしている事なんだから」」
私からすると、レーヴェンの方がよっぽど面白い人だと思う。見ず知らずの家もない人間を快く受け入れて泊めてくれるなんて、誰もができる事ではない。
「リーリエは明日以降の予定は決まっているの?」
「それが、お恥ずかしい話本当に未定で、とりあえず働き口を探さなくちゃ」
「それなら、落ち着くまでここに……「襲撃だー!!!!今すぐ避難しろ!!!!」」
木に囲まれた穏やかな空間に流れていた優しい空気は、レーヴェンの言葉を妨げる様に聞こえた外からの叫び声によって一変した。
残り数口のパンを皿に戻して正面の彼を見れば、さっきまでのにこやかさを封印させたレーヴェンが神妙な顔つきで勢いよく立ち上がった。
「反皇帝派による襲撃だ。リーリエ、君はこの家を出て大通りにある教会に避難するんだ」
「レーヴェンは?」
「俺は休暇中とはいえ、軍人の身。街の人を反皇帝派から守らなければ」
「ちょっと待ってレーヴェン」
「疲れているだろうけれど命が危ないんだ。リーリエ、教会まで送るから一緒に行こう」
私の方へと回って来たレーヴェンに腕を引かれ、腰を上げる。疲弊が限界を迎えている脳味噌は立て続けに起こる急展開に理解が追い付いていない。
事態を呑み込めないままレーヴェンに強く引かれ、家の扉を開け放って外に出た私を待ち受けていたのは…―。
「なに…これ…」
凄惨極まりない光景だった。
第6話【完】