夢であって欲しい。どうか、どうか、私の目に映る全てが悪い夢で、目が醒めたら朝を迎えていて何事もなかったかの様に、ふかふかのベッドから
「どう…して…」
「リーリエお嬢様!危険ですのでおさがり下さい!」
「嫌!放して!お父様!お母様!」
激しい音を立てて昇る炎と煙。距離があるにも関わらず、頬や鼻先が熱いと感じる程に燃え上がっている目前の建物は、私の生まれ育った家。両親との様々な思い出が詰まった場所。夜まで剣術の稽古をして帰宅した時にはもうすっかり火の海に吞まれていた。
確か、お父様やお母様はご在宅だったはず。それだけじゃあない、家が抱えている多くの使用人だっていつもと同じように働いていたに違いない。それなのに、一体どうしてこんな事に…。
信じ難い光景に取り乱している私の身体を必死に制するのは、この家に長く仕え、私にさっきまで剣術の稽古をつけてくれていた執事のアーノルドだった。膝から身体が崩れ落ちてヒンヤリと冷たい感触だけがワンピース越しに伝う。
嗚呼、現実なのね。その冷たさに私はこの惨状が夢でない事を悟った。
私にとって、その日は人生で一番恐ろしくて長い夜だった。まだ冬の冷たさが後を引いていたけれど、薄着しか纏っていない身体が寒いと感じるのを忘れるまでに、絶望の中に突き落とされていた。
結果から話すと、お父様もお母様も遺体で発見された。それも丸焦げになっており、身元の確認が難航するまでに酷い状態だった。他にも多くの使用人がこの火災で息を引き取った。それも、放火が原因だった。タールベルク家に起きたこの事件は、瞬く間に世間に知れ渡った。タールベルク家の損失額を面白可笑しく記事にする記者や、タールベルク家に関する黒い噂を捏造してはそれが放火された原因だと好き勝手に書く記者のせいで、私には両親も家も失った哀れな令嬢というレッテルが貼られた。
「可哀想ですわ」
「リーリエ様はさぞ辛いでしょうね」
「ご結婚だって控えていらっしゃるのに」
様々な言葉を好き勝手に投げられた。タールベルク侯爵令嬢という立場もあるせいなのだろう、周囲から向けられる眼は好気的な物ばかりで居心地が非常に悪かった。犯人は捕まるどころか、犯人に繋がる証拠すら見つからず、事件の真相は暗礁に乗り上げる事が火を見るよりも明らかであった。
どうして、どうしてこうなったの?お父様もお母様も多くの人から慕われる程に、優しくて温かな方だった。確かに、タールベルク家は少々特殊な部分もあったけれど、それを知るのはごく一部の数少ない人間だけ。だからこそ、お父様やお母様が殺害された理由が分からない。
「リーリエ、体調はどう?」
慣れない部屋の慣れないベッドの上、ノックの音とよく知る声によって降下していた視線を持ち上げた。視線が伸びる先にいるのは、部屋の扉に背を預けて佇んでいるヴァイセ・ハウス・シェルマン伯爵だった。私を幼少期から知る
扉から背を浮かせ、ゆっくりと傍にまで歩み寄って来た相手に私は小さく頷いた。タールベルク家の火災から一週間。お父様とお母様の身元が判明したのが四日前。住んでいた屋敷を失った私は、代々貿易商社を営んでいるシェルマン家の御好意に甘えシェルマンのお屋敷でここ数日を過ごしていた。
「体調は平気よ」
「嘘をつくな。ここ一週間、碌に食事も摂っていないだろう?食欲が出ないのも無理はないだろうけど、頼むから少しは食べてくれ」
「ヴァイセ…心配を掛けてごめんなさい。シェルマン家にも迷惑ばかり…「迷惑な訳がないだろ」」
すっかり弱々しくなってしまった私の声を凛とした声で遮ったヴァイセの手が、ポンっと自らの頭に乗せられた。その手が余りにも優しくて、枯れるまで泣いたつもりだったのに再び涙が溢れて視界が滲む。堪え切れず頬に落ちて流れる雫を、彼の指がそっと掬ってくれた。
「ずっとリーリエにここに居て欲しいくらいなんだから、遠慮はするな」
「ありがとう、本当に優しいのね」
「リーリエにだけだ」
「ふふっ、ヴァイセは誰にでも優しいでしょう?気持ちは嬉しいけれど、いつまでもヴァイセに甘えている訳にはいかないわ」
本当ならまだもう少しだけ、この悲しみに向き合っていたい。両親を失った苦しみのせいで心は濃霧が掛かった様に暗いし、身体も鉛の様に重くて仕方がない。昨日まではショックが大きくて熱まであった。けれど、呑気に休息を取っている時間なんて私にはない。胸中で湧き上がる様々な感情を抑える様に、ギュッとシーツを強く握る。その拍子に複雑に皺が寄ったシーツはまるで、ぐしゃぐしゃな私の心情を写しているみたいだった。
「ねぇ、ヴァイセ」
借り暮らしの部屋としてシェルマン家から提供された広い部屋に、芯のある私の声が響いた。
「私、犯人を見つけ出す」
「は?」
「お父様とお母様を殺した犯人を、タールベルク家に火を放った犯人を、沢山の使用人を巻き込んだ犯人を、絶対に探して罪を償わせる」
許せるわけがない。これで泣き寝入りなんてできるはずがない。警察も捜査をしてくれてはいるけれど、とても犯人に辿りつけるとは思わない。現に、既に何の証拠もないと嘆いているのだ。それなら私は私なりのルートで犯人を追いかけてやろうじゃないか。
ただ黙って絶望の底で泣き続けるのは私の柄じゃあない。どんな手を使ってでも、犯人を炙り出して裁きを受けて貰う。
これは、私、リーリエ・フィーネ・タールベルクなりの
第1話【完】