翌日、私たちは海沿いに来ていた。日本海は今日も、少し波が荒い。
「じゃあ、私こっちから探すから」
春妃は東へ走っていってしまった。私も気を取り直して、西側で手がかりを探すことにした。
……とは言っても、何が手掛かりになるのかわからない。ヒスイサマの見た目は像でしか見たことがないし、他の特徴なんて知らない。完全に手詰まりだ。その時だった。
「翡翠姫、お身体にお変わりは?」
遠いながらも、ここには騒音がないのではっきりと聞こえた声。翡翠姫、なんて名前は恐らくヒスイサマのためのものだ。
「見ればわかるでしょう。相変わらず、全身翡翠よ」
少し近づいて、聞き耳を立ててみる。声の主がヒスイサマなのかを確かめるためには、必要なことだと己の良心を納得させながら。
「翡翠姫はそうでなくっちゃ。ところで、例の件考えてくれたかしら」
もう一人の声は、凛とした雰囲気がある。
「……私は、人を呪わない。大事にされてきたから」
「そう……残念ね。昔からあなたはそう。でも、そこがいいところだと思うわ」
話が見えないが、これってオカルト的な内容なのだろうか。だとしたら、危険な目に遭う前にヒスイサマを救い出さなくては。私は声のする方角へ走った。しばらくすると人影が見えてきて、それが声の主であると判別するのにそう時間はかからなかった。
「ちょっと……待ってください」
一人は、長い黒髪を一本に結っている巫女服姿の女性。もう一人は、服こそ着ているものの肌の色が透きとおった翡翠の色だ。彼女がヒスイサマであるのは、間違いないと言える。顔も噂通り、パーツが整っており美人だし。
二人は私の方を見ると、怪訝そうな顔をした。
「今、大事な話の途中なの。向こうへ行っていてくれる?」
巫女が言う。しかし、ここで引くわけにはいかない。
「私は、ヒスイサマを連れ戻しに来たんです! 向こうへは行けません」
今じゃなければ、いつやるというのか。
「知り合い?」
「いや……残念だけど。でも、もしかしたら地域の人かも」
ヒスイサマは、昔からこの土地に鎮座している神様だ。人間の一生なんて、一瞬で終わってしまうほどいには時間間隔のズレがあるだろう。だから私のことなんて、覚えているはずがない。そもそも、私からも関わりに行くのは初詣くらいだ。
「そうです、神社のすぐそばに住んでいる上杉桜子と言います」
自己紹介をすると、ヒスイサマは「上杉……懐かしい名前」と独り言をぽつりと漏らした。
「ヒスイサマ、神社に帰りましょう。ヒスイサマは地域の人からも愛されているんだし、不満なんて」
「戻らない訳じゃない。少しだけ、彼女の力になるか考えているだけ」
ヒスイサマはちらりと巫女を見た。彼女はヒスイサマの力を借りて、何をする予定なのだろうか。
「考える時間なら、いくらでもあげるわ。私とあなたの仲だもの」
巫女は微笑んだ。こうして見ると、ただの優しそうなお姉さんに見える。
「って、駄目です! 一緒に神社に帰りましょう、ヒスイサマ」
「……しつこい女は嫌われるわよ」
一瞬だった。状況を理解するために、しばし時間がかかった。こういった時は、自覚するまで痛みが来ないというのは本当だったのか。認識してようやく痛み始めた。私の片腕が、地面に落ちている。つまるところ、切り取られている。鮮血が断面から滴り落ちている。何も言えなくなって、この場に崩れ落ちた。この巫女に、関わったのが間違いだったかもしれない。私が、愚かだったのだ。とにかくこのことを春妃に伝えないと——私は逃げる様にこの場を離れた。