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 帰り道。家が近づくにつれて、足どりが重くなる。

「大丈夫、正直に伝えれば……。それに、私もついてるから」

 桃華はそう言ってくれるが、憂鬱なことに変わりはない。道中はほぼ無言だった。

 家のチャイムを鳴らすと、母親が出てきた。

「あら、桃華ちゃんも一緒? とりあえずあがって」

 これからのことを考えると、平静を装っていられなかった。家の中に入るだけで、涙が止まらない。

「私はお茶を淹れるから、居間で待っててくれる?」

「わかりました」

 口を開けば嗚咽が漏れる俺の代わりに、桃華が返事をしてくれた。深呼吸しても収まることのない酸欠は、どう対処したら良いのだろう。桃華が背中をさすってくれる。しかし、それだけでは酸欠は収まってくれない。

「お茶よ……って信!? どうしたの!?」

 茶碗を床にぶちまけた母が寄ってくる。実の息子が大泣きしていたら、それもそうかと何処か俯瞰して考える俺も居た。

「ごめ、なさっ」

 言葉が思うように出てこない。何度も深呼吸をして、ようやく少しマシになったところで話し始める。

「俺、が、ちゃんと見てなかったから、オスワサマの封印が解けて」

「それって本当なの!? あの箱は、どうなっているの?」

 母親は冷静に、箱の在り処を訊ねた。

「俺の、部屋」

「大丈夫よ、大丈夫だからね。信が悪い訳じゃないのよ」

 母親は、俺の頭を撫でながらそう言った。まるで小さい頃に戻ったみたいだ。

 俺の部屋の箱を見ると、母親は「確かに、破られてるわね……」と呟いた。

「俺、どうしたら」

「とりあえず、オスワサマを探しましょう。オスワサマの神話にはS湖が出てくるから、きっとそこに居ると思うわ。急ぐわよ」

 母親は、車の鍵を玄関からとり出て行った。

「桃華は先に帰っててくれ」

「ううん、私も行く。いくらおばさんが一緒とはいえ、心細いでしょ?」

 確かにそれはそうだ。

「……そうだな。じゃあ、隣に居てくれ」

「うん」

 重ね合わせた手は、お互いに震えていた。車に乗り込み、S湖に向かう。俺のわずかな霊感が、作用すると良いのだが。オスワサマの気配を感じようと、目を瞑り集中してみる。すると、微かに気配を感じる。この世のものではない何かが這っている気配。

「……母さん、右だ」

「わかってるわよ。伊達に信を産んでないわ」

 車を右に曲がらせ、しばらくし停車させた。

「オスワサマは、この辺りに居るはずだ。皆、集中して探すぞ」

 三人で頷き合い、三方向に散った。聴覚でしかわからないが、かなり近い。赤い瞳に白い身体の蛇神。

急に、ザッと足音がした。慌てて振り返ると、そこに居たのは白い髪に赤い瞳の青年だった。いや、この表現は半分間違いだ。何故なら彼こそが

「オスワサマ……」

 その存在だからだ。彼は俺の横に腰を下ろすと、「強力な封印だった。外の空気を浴びるのは、もう何千年ぶりだろうか。ところで、それは何だ」

 彼は、俺のスマホに興味があるらしい。たった今、『オスワサマを見つけた』というメッセージを二人に送ったところだった。

「これは……伝書鳩みたいなものです」

 カメラだの何だのと言っても、伝えられる自信がない。伝書鳩が通じたかは怪しいが、「そうか」と相槌を打ってくれた。意外にも、話が通じる存在の様だ。

「……オスワサマ、訊きたいことがあるのですが」

「何だ」

「どうやって、封印から抜け出したんです?」

 途端に黙ってしまったオスワサマ。それと同時に、母親と桃華がやって来た。

「ねえ、隣の人は誰?」

 状況が把握できていない桃華に、「オスワサマ」と教える。彼女はびっくりしすぎて、言葉を発せなくなっていた。母親はと言うと、目星はついてたようで

「いくつか訊きたいことがあるんだけど、良いでしょうか」

 と、かしこまった口調でオスワサマに語りかけた。

「構わん」

「今朝の変死体事件は、オスワサマの仕業でしょうか?」

「違う。あれは、俺の封印を解いた大巫女様のなさったことだ」

 大巫女様。初めて聞く言葉だ。神様の世界も色々あるらしい。

「大巫女様?」

「貴様らに話す必要はない。どうせ俺から情報を聞くだけ聞いて、また封印するのだろう。御免だ」

 当たり前だが、俺たちは好かれていない様だ。それにしても、大巫女の存在は気になる。

「そもそも蛇神だったのに何故、人の形を?」

「大巫女様に合わせるため、だな。彼女は人型だから」

大巫女は、やはりただの巫女ではないらしい。オスワサマを心酔させる様な何かを持っている、強大な敵と捉えて間違いないだろう。

「もしかして、箱の封印を解いたのも」

「大巫女様だ。それにしても、真田も何代目かはわからないが随分と霊能力の質が落ちたな。こちらに攻撃も出来ないなんて」

 大巫女がどうやって部屋に入ったのかはこの際置いてくとして、オスワサマはこの場で何とかしなければならない。

「オスワサマ、再び封印されてはくれませんか。これは貴方の身を守ることにも繋がります」

「俺を自分の監視下に入れたいだけだろう。物は言い様だな」

 その言葉を聞き、母親は用意していたらしいお札を貼る。途端、オスワサマは伝承通りの蛇になってしまった。

『無礼者が!』

 俺の頭に、直接声が響いた。これが神の力なのか……と変なところで納得していると、『今この場で、全員殺すことも出来るのだぞ』と圧力をかけられた。確かに、オスワサマなら出来るだろう。しかし、お札を貼られた状態でどこまで出来るかは未知数だ。あの札は遅効性の毒みたいに、オスワサマから素早さを吸い取っている。衰弱化させる効果があるのかもしれない。だとしたら、俺たちにも勝ち目があるかもしれない———その時だった。

「こんなところで、何をしているの?」

 長い黒髪を一本に結い、巫女服を着た女性が現れたのは。

「あなた、は……」

 彼女が大巫女なのだろうか。見た目だけで言えば、確実にそうだ。やけに若々しい見た目に反して、威厳に満ちた雰囲気。ただ者でないことは明らかだ。

「あら、こんな姿にされて……可哀想に」

 彼女は、お札をビリビリと破いてしまった。オスワサマは、光ったかと思うとまた人の形に戻っている。

「有難うございます」

「構わないわ。ところで、貴方たちが蛇神を封印していたの? 大した力を持っている訳ではなさそうだけれど」

 彼女の持つ雰囲気に圧倒されながらも、何とか口を開く。

「そうだ。俺たちの一族が、代々封印してきた。お前は何者だ、オスワサマの封印まで解いて何がしたい?」

 彼女は「そうね……」と一拍置いてから

「私は、太古に封印された巫女、だった。最近復活できたから、今は仲間を集めているところ。蛇神の封印を解くのは簡単だったわ。あんなに弱まった封印で、神を縛りつけられると思わないことね」

 絶妙に会話が嚙み合わない。

「……何がしたい」

「人間への復讐かしら。というか、それしかないでしょう。蛇神を解放したのも、そのためだし」

「そんな身勝手な……!」

 俺よりも、桃華の方が怒りを露わにしている。

「身勝手なのはそっちよ。自分たちの脅威になると思えば、すぐ封印して。神様にでもなったつもり? ……と、長話をしている時間はないわね。ここ一帯の住民を一斉に殺す呪いが、そろそろ発動するはずだから」

 これには絶句するしかなかった。何で俺たちが。ここの住民に罪などないのに。

「待ってくれ、何でそんなこと———」

「言ったでしょう。これは私の復讐。私の、というか私たちの、が正しいわね」

 オスワサマが頷く。その目には、大巫女しか見えていない様だ。

「ああ、でも安心して。蛇神に封印を施した一族は生き残る様にしてあるから。消えない傷を悔やむことね」

 つまり、俺は生き残って桃華は死ぬ。そんなの、耐えられない。俺が、代わりに死ねたなら。

「……提案がある」

「何かしら」

「ここの住民の代わりに、俺が全ての罪を背負って死ぬ。だから、呪いは解いてくれないか」

 大巫女は目を見開いた。そのまましばし考える素振りを見せて

「蛇神さえ良ければ、私はそれでも構わないわ」

「真田の末裔が死ぬのであれば、俺はそれで構わない。大巫女様、よろしくお願い致します」

 オスワサマが頭を下げた。嗚呼、俺は死ぬんだ。でも、それで母親や桃華が助かるなら安いくらいだ。

 大巫女は、何やら呪文らしきものを詠唱し始めた。

「約束は果たすわ。ここの住民への呪いは今解いた。だから、次はあなたの番」

「待って! 信が死ぬなら私も」

 泣きじゃくる桃華を制止し、俺は大巫女に身体を捧げた。母親は、その場で崩れ落ちていて表情まではよく見えない。

「では。勇気ある真田の末裔よ。永遠に」

 内臓を引きちぎられたのかと思うほどの痛み。これが、「死ぬ」ということなのか——そう思いながら、意識が遠のいていった。

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