ヴィクトルとアルフレッドに異世界のことを聞きながら、ゆっくり食後の紅茶を楽しんでる時間はちょっと優雅すぎるようにも感じた。
わたしは何も変わってない。わたしが変わったわけじゃない。
そう自分に言い聞かせないと、ヴィクトルとアルフレッドに認められていることで、自分もポジションが上がったように勘違いしちゃいそうでちょっと怖いなと思った。
アルフレッドと打ち合わせた手配を終えたバトラーさんに見送られて屋敷を出ると、正面玄関前の車寄せに用意されていたのは、ファンタジーでは定番の馬車ではなく自動車だった。
ミュージアムに展示されていそうな自動車で、屋根は幌だったりするけど、黒光りするアンティークな車体は隅々まで磨き上げられていた。それはもうピカピカに。目立つシンボルなんかは金色だったりするけど、下品には見えないのがちょっと不思議。
ステータスシンボルとしての自動車って意味なら、元の世界でわたしでも知ってるような高級なスポーツカーよりも、権威を主張した乗り物のように感じる。
わたしの中でファンタジーの乗り物といえば馬車というイメージが少し残ってたけど、この異世界は地球の西暦一九一二年に酷似した世界なんだと、あらためて認識できた。やっぱり実物を見て触れることで得るものは多い。
元の世界で聞き慣れている自動車の排気音とは違って、キーが高くて乾いたエンジンの音。どこか愛嬌があるように感じる音を聞きながら、ヴィクトルに手を引かれて、わたしは後部座席に乗車した。
「まずは、ポルティエ通りの婦人服店からだ」
助手席に乗り込んだアルフレッドが運転手に目的地を告げる。
若い運転手もヴィクトルやアルフレッドと同じ軍服を着ていた。明るい栗色の髪と琥珀色の瞳がやわらかな印象を与える青年で、軍服を着てなければ学生にしか見えない。
文系な感じ。あっ、文学青年っぽいかも。
「了解しました。しかし、驚きました。東方の賢者様が女性だったとは」
アルフレッドに答える声がちょっと高めで、失礼とは思いつつも、かわいいと思ってしまう。
「ノエミです。よろしくお願いします」
わたしが声をかけると、青年は分かりやすく緊張してた。肩ガッチガチ……運転する前にリラックスしてもらわないと……。
「ア、アンリ・ナヴァル大尉であります!」
アンリの様子が微笑ましい男の子の権化みたいに感じてしまい、わたしはつい笑いを漏らしてしまった。
それに気付いたアルフレッドが、アンリの紹介をしてくれた。
「アンリは優秀な魔道士でね。二十一歳にして俺の右腕を務める大尉なんだが、女性にはからっきしなんだ」
うん。そうあって欲しい。女性に慣れているアンリ……ちょっと見たくない。
「そんなことは、ありません。僕だって軍人として女性をエスコートする
うん。反論もちゃんとかわいい。
「そうか。なら安心だ。安全運転で頼む」
「了解しました!」
アンリは快活に返答すると、スムーズに自動車を発進させた。
アルフレッドの紹介はアンリの緊張をほぐすためでもあったらしい。まったく、どこまでもデキる男よな、アルフレッド。
リバージュ公国のポルティエ地区にあるとヴィクトルが言っていた屋敷から市街地に入るのに、ものの五分と掛からなかった。
自動車の乗り心地も思ったより悪くない。もっとガタガタした乗り心地だと覚悟してたので嬉しい誤算。
車窓から見える街並みがまた素晴らしかった。
軒並みな感想だと分かっていても「映画のセットのよう」だと思ってしまう。
モダンタイムスという言葉も浮かんだ。私が好きな映画、ゴッドファーザーやワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ、アンタッチャブル、そしてタイタニックを思い出した。そうだ、タイタニックが沈んだのも一九一二年。
地球とは異なる酷似していても異世界なのを加味しても、映画の舞台になった時代の中にいるって感覚は消えなかった。
「どうかな? リバージュの街は?」
ヴィクトルに訊かれて、わたしは素直に感想を伝えようと思った。
「とっても素敵。海と山が近くて、建物のデザインが調和していて、どこか空気も軽やかで」
うーん……どうしても、ちょっと猫をかぶった感じになってしまう……。
「気に入ってもらえたようで、私も嬉しいよ」
この国の公世子と一緒に街並みとか眺めちゃってるんだよな、わたし……しかも、これから一緒にショッピング。
あれ? いまさら緊張してきた……遅すぎる。
緩やかな曲線を描く道路に沿ってブティックが建ち並ぶ通りで、アンリが自動車を停車させた。
「到着しました。いってらっしゃいませ」
運転席から動こうとしないアンリに、わたしは深く考えずに声をかけた。
「アンリさんは一緒じゃないんですか?」
わたしに声をかけられるのが意外だったのか、ちょっと驚いた表情を浮かべたアンリは、少し視線を落として微かに頬を赤らめた。
え……ちょっとかわいすぎるんですけど、この反応。
「は、はい。僕は車で待機しております」
もう少しからかい……もとい、話したい気もしたけど、職務の邪魔をしちゃいけないと思い止まった。
「そうですか。では、いってきますね」
「はい。ショッピングをお楽しみください」
かわいいなあ……なんかおみやげとか買って反応見たいかも。
通りを往来する人々の注目はヴィクトルに集まった。それはもう露骨に。老若男女問わず。反応のしかたは様々で、立ち止まって黙礼する老紳士もいれば、黄色い声を上げる若い女性もいる。
婦人服店の店先には、ピンと背筋を伸ばした姿勢で微動だにしない、長身の女性が立っていた。
長身の女性は、わたしたちに気付くと深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました。店主のカプシーヌと申します」
すでに連絡が済んでいることに気付いた。電話が普及している時代の異世界にいるんだよね、わたし。
「こちらは私が招聘した東国の要人です。リバージュに滞在していただく間に、必要なものを
ヴィクトルが店主にわたしを紹介する。わたしは店主に向って頭を下げた。
「ノエミと申します。よろしくお願いします」
店主はほんのわずかだけ眉を上げて、驚きを敢えて表わしたように見えた。
身長が百七十三センチあるわたしとほぼ目線の高さが一緒で、スリムな体型にピシッと貼り合わせたようなスーツを着こなしてる店主を見て、わたしの理想かもしれないと思った。歳を重ねることで格好良さを増す女性。
店主はわたしの視線など気にならないようで、最低限の表情筋だけを動かして微笑を浮かべた。かっこいい……。
「かしこまりました。ではノエミ様、どうぞ、こちらです」
「はい……!」
店主に従って店に入ろうとしたとき、ヴィクトルとアルフレッドは店先で待機するんだと気付いた。
婦人服店に男性が入るのは
店主に案内される婦人服店は、三階建ての大きな店舗だった。
採寸から始まった時には、けっこう緊張してしまったんだけど……わたしがアンティークだと思っていたドレスが、もうスゴくて。緊張はすぐに興奮に変わった。
わたしが知ってるドレスより断然きらびやかなプレタポルテや、素晴らしい肌触りのシルクで仕立てられた寝間着や下着を選ぶ段階になると、店主と談笑する余裕すら出てきた。
店主の勧めを信じて決めた、白を基調としたアフタヌーン・スーツを着て、
「あの……本当に似合ってますか?」
「ええ、とても」店主が微笑む。「あとは、背筋を伸ばせば完成です」
「背筋、ですか?」
「はい。女性を美しく見せるのは自信です。それは姿勢に現れます」
理想だと思ってしまうほど格好いい店主の言葉には、すごい説得力がある。
ここは信じるしかないでしょ。背の高さがコンプレックスなせいで猫背なわたしは、グッと力を入れて背筋を伸ばしてみた。
それを見た店主が、笑みを深くする。
「完成です。紅蓮の公世子の隣に立つに相応しいレディですよ」
店主が口にした「紅蓮」という言葉が、わたしの中で強く響いた。
「紅蓮の公世子、ですか?」
「はい。ヴィクトル殿下の異名ですが、御存知ありませんか?」
店主の様子からヴィクトルの異名は広く使われているんだと思った。
「はい……初めて聞きました」
わたしと店主の会話を聞いていた若い女性のスタッフが、「少々お待ちください」と言ってバックヤードに駆け込むと、新聞の切り抜きを持って戻ってきた。
その新聞の切り抜きには、白黒でも端麗さが伝わるヴィクトルの写真と「焔の公世子が凱旋」という見出しが載っていた。
「公世子にして火属性の魔道士として最も有名な軍人であられるヴィクトル殿下は、私どもリバージュ公国の国民にとって誇りです」
何度も口にした常套句のように、すらすらとヴィクトルの事を語ってくれた女性スタッフは目を輝かせていた。
記事にざっと目を通す。「アルジャザーイルの英雄」「天賦の才」といった賛辞が並んでいる。
ガリア共和国外人部隊のエースとして、地球で言えば北アフリカに位置するアルジャザーイルというガリア共和国の植民地で功績をあげたことが記されていた。
戦場という言葉を口にした時の、ヴィクトルの憂いを帯びた瞳を思い出した。