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第4話 夢じゃない

 「ノエミの美しさを理解できない世界など、ノエミがいるべき世界ではない」


 ヴィクトルの口調は本気だった。

 まったく思い付きもしなかったことを真剣に伝えようとするヴィクトルのおかげで、わたしは落ち着くことができた。

 それにしても……なんだか王子様にスゴいこと言ってもらっちゃってますね、わたし。


「ヴィクトル、突っ走りすぎだ。ノエミも驚いてる」


 アルフレッドが助け船を出すように口を挟んでくれた。

 ナイス、フレッド。君は間違いなく優秀な副官だ……!

 ヴィクトルは自分を落ち着かせるように大きく深呼吸すると、わたしに向かって頭を下げた。


「すまない……つい、本心が先走ってしまった。元の世界に大切な人もいるだろうに……軽率なことを言ってしまった」


 わたしの胸の内はなんだかもう嬉しいんだか困ればいいんだか分からなくなる忙しさだった。

 ここまで率直にわたしのことを想ってくれる言葉に触れたのは、いつぶりだろう……。

 ママがいなくなってから、こんなに認めてもらったことも、褒めてもらったことも、想ってもらったこともなかった。


「大丈夫。ちょっと驚いただけだから……それに、今のわたしには大切と想える人もいないし」


 あ……蛇足。余計なこと言っちゃった。わたしは同情を買いたいわけじゃない。

 ヴィクトルとアルフレッドはわずかに顔を傾けて目線を合わせると、息の合ったシンクロで同時に私を見つめた。


「私たちはノエミを最大限に歓迎する。どうか、この世界を楽しんでほしい」

「ああ、俺たちにできることなら何だってしよう。遠慮なく言ってくれると嬉しい」


 わたしの心配は杞憂だった。

 ヴィクトルとアルフレッドがわたしの事情を深掘りするようなことはない。

 心のちょっと深めな部分に残っていた、異世界の二人に対する壁が自然と消えちゃったように感じた。

 まいったなあ……ヴィクトルも、アルフレッドも、ちょっといい男過ぎやしませんかね……。

 そんなこと思っちゃった途端に、性格まで最高な絵に描いたような二人の美丈夫に見つめられてる今の状況って、やっぱりわたし白日夢見ちゃってるんじゃ……と、急に不安になった。

 二人に召喚される直前のわたしって、白日夢を見る条件が整いすぎてる。

 孤独で寂しくて情けなくって、ぶつけようのない怒りまであって、おまけに寒くておなかも空いてて……待って。

 もしもヴィクトルとアルフレッドが白日夢とか言われたら、わたしもう無理なんですけど……!

 気付くとわたしは、自分の頬をつねっていた。


「ノエミ? どうしたんだ……!?」


 わたしの突飛すぎる行動にヴィクトルが驚いてる……なんか嬉しい……。


「えーと、その……夢なんじゃないかと思っちゃって……」


 わたしが打ち明けるのと同時に、アルフレッドが吹き出した。


「意外と子供っぽいところもあるようだ。いい、いい。懸け離れてるからこその魅力ってやつだ」


 笑い続けるアルフレッドにつられて、わたしも笑ってしまう。


「二十八歳になっても子供っぽいところが抜けないのも、わたしの悩みなんだけどな」

「そうか、同い年なんだな。俺とヴィクトルも二十八歳だよ」


 打ち解けた会話の中で新事実。すいません、ちょっと年下だと思ってました……。二人とも見た目、若いし……。


「そうなんだ」

「ああ、仕事にかまけて未だに独り身な公世子と、それに付き合う副官」


 またも新事実。独身とな? んー、ここはひとつ訊いてみようかしらね。


「ひとつ、聞いてもいい?」

「ああ、なんでも聞いてくれていい」


 アルフレッドの言葉に甘えて、わたしは気になっていた疑問を訊くことにした。


「副官ってことは、二人は現役の軍人なんだよね?」


 アルフレッドはすぐに答えてくれた。


「ああ、そうだよ。この軍服は王侯貴族の箔付けじゃない。ガリア共和国の陸軍外人部隊に所属する少将と中佐。今は本国に帰還してるが、いざ戦争となれば戦場へ赴くことになる身だ」


 ガリア共和国という大国の中にぽつんと存在するリバージュ公国。

 書斎の書籍で確認したときに地理的な情報を少しチェックしただけで、締結されてるはずの条約なんかはまだ確認できてないけど、地球でいうフランスとモナコの関係に近い、っていうか似すぎてる。まるでトレースしたみたいにリバージュ公国はモナコ公国にそっくり。

 ネットに繋がらないスマホじゃ検索もできないし、バッテリーが切れたら何の役にも立たない。これから頼りになるのはオタク気質なわたしが貯め込んだ知識だけ。

 残念だけどモナコに関する知識はちょっと心許ない。でも革命史を専攻してたおかげで、フランスに関してはある程度の把握はできてる。

 これもママの本棚にあった漫画でフランス革命の嵐を生きた男装の麗人に一目惚れしたおかげ。少女のわたしグッジョブ。

 陸軍外人部隊か……フランス外人部隊と似てるんだろうけど。

 今はまだ、わたしの知識に働いてもらうタイミングじゃないよね……。


「そう……」


 いろいろと考えていたせいで言葉少なげな感じになってしまった。反省。


「軍人は嫌いかい?」


 わたしの反応に何かを感じた様子のアルフレッドに訊かれて、すぐ否定しなきゃと思った。


「ううん。それはないよ。ただ、二人から感じる雰囲気は軍人さんって感じじゃないなって、思っただけ」


 アルフレッドはわたしの答えを聞いてホッとした表情を浮かべた。


「そりゃあ嬉しい。なあ、ヴィクトル」


 話を振られたヴィクトルは、静かにうなずいた。


「ああ、染み付いてしまった戦場の匂いが、ノエミの前では漏れていないようで安心したよ」


 初めてヴィクトルが垣間見せた憂いを帯びた瞳を見て、大きなものを背負っている男性なんだと感じた。


 ヴィクトルとアルフレッドの思いやりを感じながらの食事は、とても楽しくてアッという間に過ぎちゃった。

 料理はどれも美味しくて、何より自然に会話も弾むのが嬉しい。

 ふと、こんなに楽しい食事はいつ以来だろうと思ってしまった。

 まあ、すぐに思い出せないのは分かってた。

 ママが生きてた頃、十四才になる前までは、さかのぼらないといけないような気がして、思い出すのをやめた。

 メインディッシュだというラムのパイ包み焼きを平らげると、この時間が終わってしまうことに未練を感じちゃう自分を否定できなかった。

 デザートのメレンゲ菓子とシャンパーニュがテーブルに運ばれると、ヴィクトルが提案を口にした。


「ノエミには、この屋敷を自由に使って欲しい。バトラーやメイドにはノエミを主人として職務に当たるよう伝えておくから」


 待って、わたしだけこの広い洋館に残るとか、無理。


「えっと……ヴィクトルとアルフレッドは?」


 考えろ、わたし。この二人と一緒にいる方法はきっとある。


「私とフレッドは、ホテルにでも滞在するつもりでいる。公邸は肩が凝るし、別荘は遠いからね」


 うーん……なんとも王族らしい発言。ヴィクトルってそこらへんの感覚はやっぱり公世子なのね。

 ここは食い下がれ。プライドなど公世子の前では何の役にも立たん。食い下がるんだ、わたし。


「それは不便なんじゃ……私なら一部屋あてがってもらえば充分だし、いきなり大きな屋敷の主人になるよりは、そのほうが落ち着くんだけどな……」


 二人と離れたくないなんてすでに思っちゃってる自分がにじみ出ちゃってるよね……これは、恥ずかしい。思ったよりだいぶ、恥ずかしい。

 それでも、わたしは食い下がる……!


「ノエミがそう言ってくれるなら、そうしよう」


 アルフレッドってば、軽い口調でわたしの希望を受け入れるとか……もう最高かよ……!


「うん。そうしてくれると嬉しい。私は庶民だからバトラーさんやメイドさんとどう接していいかも分からないし」


 つい早口になってしまうわたし……この癖は治したい……。

 ヴィクトルはわずかに思案する表情を浮かべてる。

 この間は、心臓に悪いっす。ああ、心の口調が乱れる。お願いヴィクトル……!


「……分かった。ここは、ノエミの意向に沿うとしよう」

「ありがとう」


 まったく間を置かずに「ありがとう」が口から出ちゃった……ちょっと恥ずかしい。まあ、いまさらだけど。

 とにかく良かった。安堵するってこの感じよね。

 安心しきったのが顔に出ちゃってたのか、やわらかく微笑むヴィクトルがわたしを見る目のやさしさが五割増したような……気のせいであって欲しい。


「お礼を言うのは私のほうだよ。ノエミと一緒にいられる時間を失うのは、一刻といえど惜しいからね」


 ドキッとさせる言葉を自然に言ってしまう王子様。ヴィクトルからは下心なんてこれっぽちも感じない。というより、下心なんて感じたらこっちが負けな気さえしてしまう……。


「さて、そうと決れば、次はショッピングだな」


 アルフレッドが区切りを付けるように次の予定を口にした。

 ショッピングとはまた心の弾む響きではないか……わたしも一緒に行けたり?


「何かの買い出し?」


 淡い期待を今度こそ出さないように、最低限の言葉でわたしが訊くとアルフレッドがうなずいた。


「ノエミの身の回り、外出着や寝間着や肌着、その他もろもろ必要なものは揃えないとな」


 さすがだよ、アルフレッド。もう感服しちゃうよ。


「寝間着や肌着は確かに必要かもしれないけど、外出着も?」


 この時代のファッションか……ヴィクトルとアルフレッドが着てる軍服とか、料理を配膳してくれたメイドさんの服装を見た感じだと、ファッションも地球の二十世紀初頭と酷似してるんだろうけど……。

 うん、気になる。どうせなら実物を見たい。


「この世界に召喚した張本人が言うのも何だけど、折角の別世界を屋敷だけで過ごすのはもったいない、だろ?」


 すごいよ、アルフレッド。もう異世界にいる間はずっとそばにいてよ、アルフレッド。


「それは、とっても魅力的な提案だし、わたしは嬉しいけど、本当にいいの? 公世子殿下とその副官である将校殿が、得体の知れない女を連れて歩いても、大丈夫……?」


 無邪気に喜ぶだけじゃ芸がなさ過ぎる。

 このタイミングで言うべき心配ぐらいは、わきまえていると示す必要は心得てます。

 わたしが挙げる心配に対する答えは、当然に用意しているアルフレッドが即答する。


「俺たちが招聘しょうへいした賓客ひんきゃく、東方の要人ということにしておけば、当面は問題ないだろう」


 よし。あとは喜んでよし。


「二人にとって問題が無いなら、わたしは嬉しい。ありがとう。楽しみ」

「よし、決まりだな」


 アルフレッドは満足げな笑みをわたしに向けてから、バトラーを呼び寄せて店の手配など実務的な相談を始めた。

 できる男を間近で見るのは眼福よね。

 ヴィクトルとアルフレッドのおかげで、なんかもう異世界を楽しみ始めちゃってるけど、何か見落としてないよね、わたし……。

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