「固い話をする前に、食事など一緒にいかがでしょうか。少し早めではありますが昼食の準備を整えてあります」
ヴィクトルが食事の誘いを口にした。
本題に入る前の会食を発想するあたり、社交界での立ち回りが重要な仕事である王族らしい。
王子様とお食事かあ……いよいよファンタジーっぽい展開だなあ……。
まあ、わたしに用意された役は、シンデレラじゃなくて参謀なんだけど。
ちょうどおなかもぺこぺこだし、真面目な話の最中におなかが鳴るのは避けたいし。
「ありがとうございます。ちょうど空腹を感じていたところです」
あ……王子様を相手に、空腹とか言わないほうがいいのかな?
言ってから社交界での会話にふさわしいワードのチョイスとかできない自分に気付いた。
「それは良かった。シェフも腕を振るう甲斐があるというものです。では、食堂にご案内いたします」
ヴィクトルがやわらかな笑みを浮かべる。
わたしが言葉を選んで慎重に会話しようなんて、ヴィクトルに対しては考える必要がないように感じた。
いくら考えたところで付け焼き刃にすらならないなら、ここはヴィクトルの懐の深さに甘えちゃおう。
それにしても、ヴィクトルがわたしに向ける笑顔が素敵すぎてちょっと困る。
作っていると感じない笑顔に触れるのって、いつぶりだろう……思い出せないや。
思い出せるのは、下心や
「ノエミ様。こちらが食堂です」
ヴィクトルの声で、元の世界での記憶を彷徨っていたわたしの意識は異世界に戻った。
白を基調とした天井が高い食堂の中央には重厚な造りの大きなテーブル。食堂って感じじゃない……。
ヴィクトルは当然のように椅子を引いてくれたりするし、エスコートされることに慣れてないんでドキドキし……いや、待った。わたしって一緒に食事をする男性にエスコートされたことあったっけ……やめよう、思い出すだけ哀しくなる。
ヴィクトルとアルフレッドも席に着いて、三人での昼食は乾杯で始まった。
「美味しい……!」
ほんのり赤みを帯びたビールを一口飲んで、わたしは素直に感想を漏らした。
マナーとかいまさら気にしても、身に付いてないものはどうせボロが出る。ならばいっそ食事を楽しんでしまえ。腹をくくった今のわたしにビールはピッタリ。これがキンキンに冷えてたら最高なんだけど……まあ、そこは望むまい。
リバージュ公国の特産だとヴィクトルが紹介してくれたビールは、ほんのり甘いのに後味は残らない。冷やさなくても美味しいように作られてるんだろうな……意外と冷えてない飲み物も悪くない。
そういえば食通としても有名な大御所司会者が「常温で美味しくない酒は大したことない」みたいなこと言ってたっけ。
「お口に合ったようですね。安心しました」
ヴィクトルに微笑みを向けられて、赤面しちゃってないか今さら気になってしまう自分を受け入れる準備も、腹をくくったことで整った。
正真正銘の王子様であるヴィクトルは女性をもてなす
ただ、このままヴィクトルのペースに呑まれるだけってのも面白みに欠ける。
よし、自分から話を振ってみよう。
「あの……ヴィクトル殿下」
意を決したはずのわたしの声は微妙にか細かった……。
「ヴィクトルで構いませんよ」
うう……この完璧な美男子にも弱点とかあるんだろうか……。
「いえ、そういう訳には……」
「では、こうしましょう。ノエミ様とフレッド、三人で一緒にいるときだけ敬称はなしで、というのはいかがですか?」
意外な提案だった。フレッドって副官だといっていたアルフレッドのことよね?
「私は確かに公世子という立場にありますが、アルフレッドとは立場を越えた無二の親友です。なあ、フレッド」
ヴィクトルが親しみのこもった視線をアルフレッドに向けた。
わたしのBL変換センサーがピクリと反応する。いかんいかん。自重自重。
アルフレッドはわずかにほぐれた微笑を浮かべて首肯すると、わたしに穏やかな視線を向けてから口を開いた。
「ノエミ様がよろしければ、敬称抜きの会話にお付き合いいただけると嬉しいのですが」
断わる理由がない提案って気持ちいい。この感覚も久し振りだな。
「はい。わたしは構いませんが……本当によろしいんでしょうか?」
アルフレッドが微笑のまま左眉を少し上げてみせた。
「私……いえ、俺は庶民の出なんです。正直に言ってしまうと、堅苦しい会話は苦手なんですよ」
アルフレッドは口調を変えるのに合わせて、くだけた笑みを浮かべた。
わたしの中でアルフレッドの株が急上昇する。ここで本領を発揮してくるとは……この二人は本当にあなどれない……。
「わたしも庶民です。そういうことでしたら、わたしのことはノエミと呼んでください。敬語も必要ありません」
わたしの提案を聞いたアルフレッドが嬉しそうに歯を見せて笑った。なんたる破壊力……。
「それはありがたい。じゃあ、そうさせてもらうよ。もちろんヴィクトルと俺にも敬語は必要ない。俺のことは、フレッドと呼んでくれると嬉しい」
ここはもう乗っかってしまおう。
「分かった。よろしくね、フレッド」
「ノエミは聡明で判断力に長けているだけじゃなく実に順応が早い。感心するよ」
褒められてしまった……。
「そうかな……内心はまだすっごいドキドキしてるけど」
わたしが素直に打ち明けると、アルフレッドも気さくな性格を明かすように笑ってくれる。
生粋の天然人たらしなんだろうけど、ここまでハイスペックだと警戒する気さえ起きない。
「連休と言っていたけど、元の世界では、どんな仕事を?」
「事務職。面白い仕事じゃない」
なんだか自分のことを隠す気もなくなってきた……。
ここは異世界で、話している相手は出会ったばかり。信用するのが早過ぎって分かってるけど、今は気持ちがラクなほうに流されちゃいたい。
「それはもったいないな。聡明で美しいノエミに見合った、相応しい仕事があるように思うけど」
「……お上手ね」
わたしが社交辞令を受け流すように返すと、アルフレッドはわずかに首を横に振った。
「いや、俺は本心から言ってる。なあ、ヴィクトル」
わたしとアルフレッドのやりとりを微笑を浮かべて聞いていたヴィクトルは、すぐさまうなずいた。
「ああ、ノエミは本当に美しく、聡明で凜とした魅力に溢れている」
またも褒められてしまった……しかも、まっすぐに見つめられて。
そろそろ赤面しそうだ……この流れが続くと、耐性がないわたしは保たない。
「わたしなんか背だけひょろりと高くて体型も真っ平らでおまけに三白眼で声もすっごい低くて……」
恥ずかしさをごまかそうとしたら早口になって余計に恥ずかしいという負のスパイラル。
盛大にやらかした……。
耐えられずうつむいちゃったけど、このままはマズイ。挽回は早いほうがいい。
おそるおそる顔を上げたわたしが見たのは、不思議そうな表情を浮かべて首を傾げるヴィクトルだった。
「ノエミが挙げたそれらの特徴は全てノエミの魅力だと思う……すらりと伸びた手足も、慎みを感じさせる体型も、知性と意志を発する瞳も、心地の良い声も、私には全てが魅力としか思えない。そのように否定する理由がどうにも分からない」
そう言って考え込むヴィクトルは、本心から不思議そうだった。
ヴィクトルの意外な反応にどう返せばいいのか分からないわたしに、思慮を顔に浮かべたアルフレッドが質問を向ける。
「不躾な質問になってしまうが……ノエミのいた世界では、それらの特徴は否定的に捉えられるのかな?」
わたしは素直に答えることにした。
「少なくとも、私の特徴を魅力だと言ってくれた人は、これまでいなかった、かな……」
わたしの返答を聞いたヴィクトルとアルフレッドは、驚きの表情を隠さなかった。
「ノエミ……」
ヴィクトルにまっすぐ見つめられながら名前を呼ばれて、わたしの鼓動がダイレクトに反応して高鳴る。ああ、自分の鼓動がうるさい。
「な、なに?」
「ノエミは、この世界に留まるべきだ……!」
言い切ったヴィクトルの表情は真剣だった。
「へっ……?」
突然すぎるヴィクトルの言葉に、意識しない声が漏れた。