ヴィクトルとアルフレッドというタイプが異なる美形の二人が、顔を寄せ合って見つめ合う様子はそれだけで鑑賞に堪える。眼福、眼福。
わたしがBL変換アイズで二人を一幅の絵画として賞でることができたのは五秒ほど。善き哉。ナマモノは刹那であるべきというのがわたしの持論だ。
わたしに刹那の鑑賞を与えてくれた五秒ほどの無言から、先に口を開いたのはヴィクトルだった。
「東方の賢者とは、別の世界の賢者という意味だったのか?」
ヴィクトルの問いにアルフレッドが即答した。
「今回行使した召喚術式の原典は古代語で記されている。解読した博士は東方と訳したが、本来は別の世界、ノエミ様の言葉を借りれば異世界という意味だったのかもしれない。いや、そうなのだろう。ノエミ様の見解は整然としているし、ここで俺たちを
アルフレッドは普段から打てば響くタイプなんだろうと思った。すらすらと答えるアルフレッドの言葉をヴィクトルは自然に受け入れてるし。
「そうだな……」
首肯したヴィクトルはわたしのほうに視線を戻すと、まっすぐにわたしを見つめた。
人と目を合わせるのが得意じゃないわたしが吸い寄せられる瞳の持ち主、それがヴィクトル。
「ノエミ様。突然の召喚という無礼を重ねてお詫び致します。この地が異世界ともなれば、さぞご不安でしょう。これは私どもの落ち度。すぐに帰還術式の用意をさせていただきますが、
帰還術式? え……帰れるのわたし?
「帰還術式、ということは、わたしは元の世界に戻れるんですか?」
オウム返しみたいな確認になっちゃったなと少し恥ずかしくなった。
そんなわたしを察したのか、ヴィクトルはやわらかく微笑んでからうなずいた。
「はい。もちろんです」
異世界に召喚されるなんてファンタジーっぽい展開の中で、最大の不安になるはずの「元の世界に戻れるのか問題」があっさり解決しちゃった。
これが物語なら、ちょっとあっさりしすぎだと思う。
わたしってこんな展開に巻き込まれても主人公にはなれない感じなんだ……待って。思考が斜め上にズレちゃってる。
もうすでにヴィクトルの言葉をまるっきり信用しちゃっている自分の単純さにも呆れるけど、今はとにかく現状を把握するべき。
「その帰還術式の用意には、どのくらいの時間が必要なのでしょうか?」
わたしの質問を聞いたヴィクトルが表情を曇らせる。
この表情もなかなか……いい。ヴィクトルってちょっと困らせたくなっちゃうキャラなのかも……。
「急いでも七日ほどは掛かるかと……申し訳ありません」
一週間か……まあ、思ったよりは長いけど……。
「分かりました。もう謝らないでください。わたしなら大丈夫です。ちょうど年末年始の連休中でもありますし」
少し前に退職した後輩の社員が労働基準監督署に駆け込んだ結果、貯まっていた有休をまとめて消化することになったわたしは、年末年始を選んで十二月二十三日から一月八日までの大型連休を得ていた。
それが、こんな形で役に立ってしまうとは……。
「ノエミ様の寛大なお言葉に救われる思いです。感謝いたします」
「いえいえ、今日がクリスマスの前で良かったです」
頭を下げるヴィクトルに頭を上げてもらおうと、わたしが何気なく口にしたクリスマスという言葉にヴィクトルが反応した。
「クリスマスの前、ですか?」
「え、はい。十二月二十三日なので……」
咄嗟に日付を答えている途中でわたしが気付いた、元の世界とこの異世界との違い。
「どうやら、ノエミ様がおられた世界とこの世界では、
夜の井の頭公園から射し込む陽の角度からいって朝だと思う白い部屋に転移した時点で、時間のズレに驚いてたのに暦の違いについて考えないとか……ファンタジー展開に全然追い付いてないよ、わたしの思考……。
まずは落ち着こう。
ここへ来て室内の家具とか調度品なんかがやけにアンティークなデザインなのも気付いたし、ここまでファンタジーな展開なら時代も……まあ、ここはさっさと確認しちゃおう。
「わたしがいた世界は十二月二十三日の夜でしたが、こちらは朝のようですね」
ちょっと回りくどいけど、まずは日付から。
「はい。一月六日の朝です。東方の賢者を召喚するに当たって公顕節が相応しいと考えました」
公顕節があるってことは、暦の背景になる宗教は近いってことで確定。さてさて、本題はここから。
「西暦で言えば、今は何年ですか?」
「
良かったあ……中世とか、わたしの感覚と離れすぎてる時代じゃなくて助かった。
ヴィクトルとアルフレッドが着ている軍服のデザインが現代の軍服とあんまり変わらないから近代かも、とは予想したけど一九一二年か。たしか、大正が始まった年。
「一九一二年ですか。わたしがいた世界は二〇二三年です」
「二〇二三……!」
ヴィクトルは驚きを隠さなかったけど、それは一瞬だけで、すぐに次の行動を決めた顔つきになった。
「まずは、この世界とノエミ様がおられた世界の暦の紀元が同じであるかを確認したく思うのですが、よろしいでしょうか?」
驚くような事実に直面しても、判断が鈍ることも慎みを失うこともない。このヴィクトルという王子様は信用しても大丈夫そう。
意外な事実のおかげで、逆にちょっと落ち着けたし安心もできた。
「わたしも確認したいです。お二人と意思を疎通する意味でも必要かと思いますので」
わたしの返答に満足……というより純粋に嬉しそうな表情を浮かべるヴィクトル。
この異世界の王子様ってば、かわいい面まで見せてきた……ある意味、恐ろしい。
「ありがとうございます。書斎へご案内しましょう。歴史や地理といった必要と思われる書籍も揃っています」
ヴィクトルの提案には何の異論もない。あるとすれば一つの懸念。
「わたしがこの世界の文字を読めればいいのですが……」
わたしの懸念を聞いても、ヴィクトルが心配する様子はなかった。
「どういった作用かは分かりませんが、こうして会話は問題なく成立しています。試してみる価値はあるかと存じます」
ヴィクトルに言われると何だか読めるような気がしてしまう。
「そうですね。試してみましょう」
ヴィクトルに案内されて、わたしは白い部屋を出た。
一緒に部屋を出たアルフレッドは、わたしの背後を守るように少し後ろを歩く。
日の射し込みに配慮した設計なのか、とても明るいと感じる廊下を進みながら、この建物が大きな洋館だということだけは分かった。
ヴィクトルが繊細な浮き彫りの施されたドアを開けて、わたしを書斎に招き入れる。
予想した倍は広い書斎に入ると、わたしが中学へ進学する時期に新しく建て替えられてしまった地元の図書館を思い出した。小学生のわたしが好きだった古い図書館と同じ薫りがする書斎。
書籍の保存を考慮したせいか窓は小さいけど、ヴィクトルが照明をつけたので充分に明るい。
電気の照明がある時代で良かったとあらためて思う。
壁一面が書棚になっていて、ずらっと並んだ書籍の中からヴィクトルが一冊を選んでわたしに手渡した。
ちょっとドキドキしながら表紙をめくった。
文字がアルファベットで安心したけど、正直ちょっとだけ肩透かし感もあった。
文法はフランス語に近いものだと認識できるのに、日本語で書かれた文章を読む感覚ですらすら読めてしまう。
歴史や地理、宗教に関する本を何冊か走り読みで確認して、わたしは一つの仮説に至った。
「この世界、テルスという星の上に存在する世界は、わたしがいた世界、地球という星の上に存在する世界と酷似しているようです。固有名詞は異なりますが、その歴史や地理は非常に似てるので、わたしの知識でもたどることができました。そして暦なんですが、聖なる歴という表記は違っても紀元はほぼ合致しているようです。最大の違いは、魔法が実在するかしないか、なんですけど……魔法なんてあらゆる面に影響があって当然なのに、なぜかテルスと地球の歴史が似てるのは気になります」
わたしの仮説を聞いたヴィクトルは、その見解を予見していたように落ち着いていた。
「ノエミ様は異世界、しかもテルスと酷似した世界の未来から来られたのですね」
「はい。そうなります」
わたしが肯定しながらうなずくと、ヴィクトルが床に片膝をつけて
え……!?
いきなり跪いたヴィクトルに驚いちゃったけど、王子様が跪くってよっぽどよね……。
「……どうされました?」
「厚かましいことは重々承知の上で、ノエミ様にお願いしたき儀がございます」
言葉は仰々しいけど、わたしに本気で頼みたいことがあるのは分かった。
さて、どう応じればいいのか……なんて考えてたら、アルフレッドまで片膝を床につけて跪いてしまった。
これはもう、話を聞くしかない。
「その、お願いというのは、なんでしょうか?」
わたしの言葉を待っていたヴィクトルが口を開く。
「この不肖の身にどうか、ご助言ください。私にはこの小国を守り抜く責務がございます。しかし、ノエミ様はご承知の通り、世界は激動の時代を迎えております。どうか、私に進むべき道をご教授ください」
激動の時代……ヴィクトルの言葉は、残念だけど正しい。
もしも地球と酷似した歴史を持つこの異世界が、地球と同じ道をたどるなら、二年後には第一次世界大戦が勃発する。
でも、その歴史を知ってるだけのわたしに何かできるとは思えない。
けど、わたしの目の前に跪いて、わたしに言葉を求めているヴィクトルの不幸は見たくないし、考えたくもない。
「分かりました。お役に立てるかは不安ですが、わたしで良ければ何でも訊いてください」
私の返答を聞いたヴィクトルが、パッと輝く笑みを浮かべて立ち上がった。
「ありがとうございます!」
ヴィクトルの笑顔につい見惚れてしまった……気付けば鼓動まで速いし。
こんな感覚は久し振り……いや、初めてかも。正直言って戸惑うけど、妙に気分がいいのも否定できない。
王子様に召喚されて異世界に来てしまうなんてファンタジーな異常事態を、もう受け入れちゃって頼みまで聞き入れちゃってる自分の肝の太さに呆れる。わたしって意外と自分のこと分かってないのかも。