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紅蓮の公世子と結婚した私は歴史を動かしちゃいます
青砥尭杜
異世界恋愛ロマファン
2024年09月10日
公開日
19,732文字
連載中
 西暦二〇二三年十二月二十三日。クリスマスの空気に浮き立つ街を独りで歩いていた麻生乃笑は、突如異世界に召喚される。
 乃笑を召喚したのはリバージュ公国の公世子ヴィクトルと、その副官で親友でもあるアルフレッドだった。
 ヴィクトルとアルフレッドはともに乃笑と同い年の二十八歳で、聡明にして眉目秀麗かつ長身で引き締まった体形という絵に描いたような美丈夫だった。二人は乃笑を丁重に迎える。
 西暦一九一二年だという異世界テルスは、乃笑がいた地球の西暦一九一二年と酷似していた。地球との最大の違いは、異世界には魔法が実在すること。
 ヴィクトルは公世子でありながら優秀な魔道士でもあり、天賦の才を持つ軍人として「紅蓮の公世子」と呼ばれていた――

第1話 最悪のクリスマスと異世界の王子様

「なんで間違えちゃったかな……わたし」


 思わず心の声が口からそのまま出てしまった。

 しかもけっこう素に近いボリュームで。

 恥ずかしさしか含んでない独り言をごまかすように腕時計に視線を落とすと、精巧で瑠璃るり色の短針が午後八時に届いていた。

 ハイブランドには興味がなかった。

 ピアス以外のアクセサリーは着けないし、バッグや財布も身の丈に合わない高級品である必要を感じなかった。

 そんなわたしが、何か自分へのご褒美が欲しいと唐突に思った。去年の冬、ちょうど今と同じクリスマスの頃に。

 たまには衝動のまま動いちゃうのもアリかもしれない。

 いつものわたしならセーブできるぐらいの衝動に、わざと身を委ねてハイブランドの腕時計がずらりと並ぶブティックに足を踏み入れたときの緊張は悪くなかった。

 瑠璃色の針とリューズのサファイアが調和してる腕時計に惹かれ、初めて奮発らしい奮発を決行したときの興奮も悪くなかった……のに、気に入っていたはずの瑠璃色の針が、今の自分には不相応な色に見えた。

 いっそ売っちゃおうかな……そんな考えが浮かんでしまった自分に気が滅入る。

 容赦なく冷たい乾ききった北風が、伸ばしっぱなしの黒髪を無神経に掻き分けて首筋を撫でた。

 泣きっ面を刺しにきた風なんかで声を出しちゃったら負けな気がして、ムッと口を閉じてトレンチコートの襟を立てる。

 東京都武蔵野市吉祥寺南町一丁目の七井橋なないばし通り。

 いま歩いてる通りの住所は、上京した際に入居して未だに住み続けているマンションの次に覚えた。この街に住みたいと思った十年前からお気に入りの場所。

 吉祥寺マルイの脇から井の頭公園の入り口までの二百メートルぐらいの通りは、それほど長いわけでも道幅が広いわけでもないのが吉祥寺らしい。

 分かりやすくオシャレで映えメニューも万全なカフェや、ファッションを楽しむ層の自尊心をちょうどいい感じに満たすショップが揃っている七井橋通りは、クリスマス直前の土曜日なんだから当然といった顔で次々に訪れるカップルたちを受け入れている。

 新型ウイルスのせいで無邪気には楽しめなかった数年分の鬱憤うっぷんを晴らすように、クリスマスの空気を満喫しようとするカップルたちの表情は、みんながみんなして明るい笑顔。

 ほんとにみんな楽しそう。


「これじゃ、逆効果ね……」


 また、つぶやいてしまった。

 この孤独感はマズイと思って独り暮らしの部屋を出たのは、どうやら間違いだったらしい……いつも自分を温かく迎えてくれる七井橋通りが、今夜に限って冷たく素っ気ない。

 最悪のクリスマス。

 マメで口だけは上手い男に引っかかった上に、クリスマスの十日前にフラれるとか本当にありえない。

 短いとは言えなくなった二十八年の人生の中で最悪の土曜日。

 二〇二三年十二月二十三日をわたしはずっと忘れない気がする。

 あの男がきっかけになった最悪が、わたしの記憶にずっと残るってこと? 冗談じゃない。腹が立った次の瞬間には自分が情けなくなって……なんかもう疲れた。


「何やってんだろ、わたし……」


 井の頭公園の入り口にある大きな階段まで来て、わたしの足は完全に止まってしまった。

 これは、ダメだ。

 このまま立ち尽くしてたら、わたしは泣いちゃう。

 それだけは絶対にダメ。

 何を耐えればいいのかさえよく分からないまま、ただ奥歯を噛み締めた――その刹那、視界が真っ暗になった。

 それは、瞬きの一瞬だった。

 パッと映像が切り替わるように、視界が明るくなる。

 街灯が灯るだけの夜を吸い込んだ井の頭公園が、眩しいほどに陽が射し込む白い部屋に変わってしまった。

 目の前にいるのは金髪碧眼の男性。

 きらめく金髪に白い肌、整った鼻梁と碧玉のように輝く大きな瞳。現実離れした容姿はまんま幼い頃に読んだ少女漫画の王子様キャラそのもの。


「えっ……?」


 思わず漏れてしまった声で、自分が消えたわけじゃないんだと妙な安心を覚えた。

 思考が状況の変化に追いつくはずもない。

 それでも一瞬、現実から逃避した自分が白日夢で美形すぎるキャラを召喚しちゃったのかな? とは思った。


「美しい……」


 男性の柔らかいテノールボイスが、わたしの耳に心地好く届いた。

 声まで美形なんだ……やっぱり願望を空想しちゃって夢の中?

 白日夢を疑うわたしを、男性はまっすぐに見つめて静かに語りかけた。


「これは失礼を。あなた様を召喚したのは私です。ヴィクトル・オノレ・シャルル・アントワーヌ・ゴワイヨンと申します」


 長い。王族か貴族の設定? オノレとシャルルが続くってことはフランス語圏なのね?

 いやいや、そろそろ現実を見ろわたし。

 ヴィクトルと名乗った男性は、確かにわたしを見つめてる。魅力が溢れちゃってる微笑を浮かべて……。

 見蕩れてる場合じゃない。

 問題はヴィクトルが口にした言葉。ヴィクトルは確かに「召喚」と言った。わたしが白日夢にヴィクトルを召喚したんじゃなく、ヴィクトルがわたしを召喚したってこと?


「わたしは召喚されたんですか? それはその魔法的な何かで違う世界にとかそういう感じのことですか?」


 つい早口になるだけじゃなく言葉の体裁も崩れてしまったわたしとは対照的に、ヴィクトルは落ち着いていた。


「左様です。東方の賢者を召喚する術式を、私の魔力で行使しました。ようこそお越しくださいました。賢者様」


 困惑するわたしの足下で、淡いオレンジ色の光を発していた直径二メートルほどの丸い魔法陣が光を失って消え失せる。


「賢者様、御尊名をお聞かせ願えますか」


 名前ですか。状況が掴めてないけど、まあ、名前ぐらいは問題ないか……。


乃笑のえみ麻生あそうです」


 わたしがファーストネームを先にして名乗ると、ヴィクトルは笑顔を輝かせた。ほんとに眩しいと感じる笑顔を見たのは初めてで、ちょっと驚いた。


「ありがとうございます。ノエミ様。アソーというのは御家名ですか?」


 言われてみればアソウってルソーと響きが似てるかも……ってことはやっぱり、ここはフランス語圏?


「はい。名字がアソウです。あの……ここは、どこなのでしょうか?」


 まず自分がどこに召喚されたのか知らないと。


「リバージュ公国のポルティエ地区にある私の私邸です」


 異世界的なニュアンスを期待したら、具体的な地名が返ってきた。リバージュ公国という国名は聞いたことがない。


「リバージュ公国、ですか?」


 ちょっと失礼な聞き返しになってしまったように思ったけど、演じている感じがしない微笑のままなヴィクトルを見て安心した。


「ご存知ないでしょうか。ガリア共和国に囲まれた小国なのですが」


 ヴィクトルの口から出たのは、また知らない国名。

 ガリアってガリア人のガリア? でも共和国って、初めて聞く……いや地球には実在しない国名だよね。

 好きなものといえば歴史ぐらいで、大学でも革命史を専攻しちゃったわたしの知らない国名がぽんぽん出てくるってことは、やっぱりここは異世界?

 でも、ヴィクトルの名前とか地名がフランス語圏のものなのは偶然?

 ちょっと考える間を取ったわたしは、ヴィクトルの隣に立つ男性と目が合ってしまった。


「リバージュ公世子こうせいしヴィクトル殿下の副官を務めるアルフレッド・ジロドゥと申します。ノエミ様」


 ジロドゥ……ジャン・ジロドゥのジロドゥ? やっぱりフランスの名前。

 アルフレッドと名乗った男性はヴィクトルと同じ二十代に見えた。短めの黒髪で肩幅のある長身、意志の強さを黒い瞳の奥に秘める理知的な顔立ち……とまあ、こちらも文句なしの美丈夫。

 わたしが召喚されたという白を基調とした部屋にいたのは、ヴィクトルとアルフレッドの二人だった。

 二人は同じ詰襟の軍服を着ていた。

 漆黒の軍服がよく似合うなあ……ぐらいに感じていたけど、アルフレッドが口にした「副官」という言葉で二人は軍人なんだと認識できた。


「乃笑、麻生です……」


 わたしは咄嗟に名前を返すことしかできなかったけど、思考のほうは少しずつ回り始めた。

 公世子ということは平たく言えば王子様。敬称も殿下だし。でも副官ということは、ヴィクトルという王子様は軍人でもある。

 ノブレス・オブリージュを例に挙げるまでもなく、王族が軍人として国防を担う立場に就くのは地球じゃ通例。この異世界もそこは同様らしい。


「困惑しておられるでしょう。いきなりの召喚という無礼を心よりお詫び致します。重ねて、誠に勝手ながらヴィクトル殿下と私も驚いているのです。東方の賢者がこのように美しい女性だと私たちは想像できませんでした」


 アルフレッドが「美しい」と口にしたとき、おべっかを使った様子がないことに驚いてしまった。

 赤面してないか気になってしまう自分の余裕にも気付いた。

 信じがたい状況なのは間違いないし、事態が好転したわけでもないけど、紳士的なヴィクトルとアルフレッドに対して身の危険を感じなかったのが大きいんだと思う。

 無言のわたしを安心させるように、アルフレッドはやわらかい微笑を浮かべた。


「どうか、ご安心ください。ヴィクトル殿下と私は東方の賢者に助言を求める者。決してノエミ様に危害を加えるようなことは致しません」


 東方の賢者という言葉も気になるけど、今はまず……。


「あのですね。わたしは、この世界から見ると異世界の住人だと思います」


 アルフレッドはわたしの言葉を聞いて、少しだけ驚きを表情に含ませた。


「異世界、ですか? それは東方の国という意味ではなく、異なる世界というそのままの意味でしょうか?」

「はい。全く別の世界という意味です」


 わたしがすかさず即答すると、アルフレッドは私の言葉を考察する表情を浮かべた。


「よろしければ、ノエミ様がそう思われた理由を教えていただけますでしょうか?」


 わたしはゆっくり深呼吸してから、頭の中で用意できてる返答を間違えないようにだけ気を付けた。


「わたしはいま自然に母国語でお二人と会話しています。でもわたしがいた世界では、わたしが用いる母国語は日本という国の外ではほぼ通じません。そして、私は歴史や地理に関する学問を少しばかり修めていますが、リバージュ公国やガリア共和国という国名を見聞きしたことはありません。さらに決定的なのが、私のいた世界では人間を召喚できるような魔法は実在しません」


 わたしの返答を聞いて驚きの表情を隠さなかったヴィクトルとアルフレッドが、息の合ったシンクロで顔を見合わせる。

 二人が演技をしてる様子もない。

 まあ、これで驚かないときは別の角度で二人を怪しまないとだから、ちょっとホッとした。

 意外と図太いな、わたし。

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