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第17話【エドワード(中)】

 ◆


 イザベラが異変に気付いた時は、何もかもが遅きに失していた。


 彼女に何も用意をさせないようにエドワードが手配をしたのだから、当然と言えるのだが。


 それに、そもそも災いとはそういうものなのだ。


 人間という卑小な存在は、大いなる災いの前では無力に等しい。


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 その日の朝早く、フェルナン公爵邸に王家の憲兵隊が訪れた。


「訪れた」という表現は生ぬるいかもしれない。


 敢えて言うならば「強襲」だろうか。


 公爵家の者たちは皆、まだ眠っている時間帯だ。


 公爵もその家族も、これから起き出して各々朝の執務を開始したり学園に通ったり、あるいは社交に励んだりする。


 つまり、この時間帯ならば皆公爵家に滞在しているということだ。


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 憲兵隊は物々しい武装で身を固め、厳しい表情で邸内に足を踏み入れていった。


 公爵邸には多数の警備兵がいたが、いずれも力ずくで制圧されるか、自ら投降していく。


 警備兵はフェルナン公爵家に仕える者たちである以前にホラズム王国に属する者なのだ──王国の象徴たる王家の威光を掲げられては抗する術を持たなかった。


 憲兵たちはイザベラを含めた公爵家の者たちを次々と拘束していく。


「公爵家に配慮する必要はない。老若男女、すべての者を拘束せよ。抵抗する者に対しては武力の行使も許可するが、決して殺害してはならない」


 憲兵たちを指揮するのはアルパイン・キスティス憲兵隊長である。


 背は高いが痩せぎすの男で、圧はない。


 しかし、両の目に漲る精気はアルパインに異様な凄みを与えていた。


「何をする! おい貴様! 一体何の権限でこんなことを!」


 激昂したフェルナン公爵がアルパインに怒声を浴びせるが、浴びせられた方は全く動じない。


 アルパインの視線を受けたフェルナン公爵は、それ以上居丈高に詰め寄ることができなくなってしまう。


 フェルナン公爵はアルパインの姿に錆びた槍を幻視したのだ。


 一見鈍らに見えるその槍先は、突き刺されば傷口から冷たい死の風を吹き入れる。


 そうなれば風はたちまちに全身をこわばらせ、やがて息も出来なくなり死に至るだろう──そんな不穏さが、このアルパインという男にはあった。


「フェルナン公爵家にはリオン殿下殺害、及び、エドワード殿下に対する叛逆容疑がかけられております。どうぞご抵抗なさらぬように。たとえフェルナン公爵といえども、抵抗すれば容赦はするなとエドワード殿下より言いつかっております」


 フェルナン公爵はアルパインの言葉に表情を硬くした。


 これには二つの理由がある。


 一つ、リオン殺害など考えもしていなかったため。公爵家はリオンを利用するつもりはあったが、殺すつもりはさらさらなかった。死んでしまっては神輿として担げないではないか。


 二つ、リオン殺害こそ考えてはいなかったが、エドワードはいずれ排除しようとしていたため。第一王子エドワードの存在がある限り、リオンが王位に就くことはない。そう考えている貴族たちはそれなりにおり、フェルナン公爵家はその筆頭だった。


 ◆


 公爵邸の二階の一角にイザベラの私室がある。


 彼女の私室は公爵邸二階の一角に位置し、王都の流行の最先端を行くデザインの家具が並び、床には分厚い絨毯が敷かれていた。


 朝早くということもあり、室内には夜の残り香が多分に漂っている。


 イザベラはそんな眠りを誘う夜気に包まれ、気持ちよさそうに眠っていた。


 悪華を思わせる彼女も、寝ている時はまるで花の精霊のように麗しい。


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 それから少し時間が経つと、夜の終わりを告げるようにかすかな物音が階下から響いてくる。


 音は次第に大きくなり、そればかりか暴力的な圧を伴い始めた。


 イザベラを包んでいた夜気のヴェールは野卑な音の前に切り裂かれ、彼女は寝台の上でゆっくりと体を起こした。


 ──騒がしいわね


 まだ半分夢の中にいるようなぼんやりとした意識の中で、イザベラは呟いた。


 彼女は手元にある鈴を鳴らし、メイドを呼びつけようとする。


 しかし、返事はない。


 階下の音はさらに大きくなり、人の叫び声が混じる様になっていた。


 イザベラの胸中に不安の黒雲が広がっていく。


 外で何か異変が起きているのは明らかだった。


「何なのよ……」


 不安を誤魔化すように呟くイザベラ。


 しかし、複数の足音が部屋に近づいていることに気付くと、次第に彼女の呼吸は浅く、そして吸気は深くなっていった。


 足音は部屋の前で立ち止まり、乱暴なノックが数度響く。


「憲兵隊だ! イザベラ・セレ・フェルナン! リオン殿下殺害の咎で貴様を拘束する!」


 扉の外から聞こえてくる声に、イザベラは目を白黒させた。


 ──どういうこと!? 


 本心からの驚愕だ。


 雌猫を駆除した覚えはあったが、飼い犬をそうした覚えはない──それがイザベラの偽らざる思いである。


 ともかくイザベラにはリオンを殺した覚えも動機もないのだから、彼女はその心のままに扉の向こうの相手にそう伝えた。


「私は殿下を殺害なんてしていないわ! どういう事なの!? 何がどうなっているのか事情を説明して頂戴!」


 その問いに対しての返答はなく、代わりに扉が何かによって激しく叩きつけられる音が何度も何度も響いた。


 イザベラは咄嗟に背後の窓を見た──逃走の二文字が彼女の脳裏をよぎる。


 素直に投降して果たして無事で済むものかどうか。


 憲兵たちが公爵邸に仮借なく踏み込んできているところを見ると、真偽はともかくある程度の証拠は握っているということになる。


 彼女が優れている点の一つに、取捨選択の判断が早いことが挙げられた。


 二階から飛び降りて怪我をしないかどうかなどという些末な問題は考えもしない。


 飛び降りてどうするのか──身を隠せる場所に向かう。


 身を隠せる場所とは──例えばホドリック、あるいはその他の男の誰かの元。


 身を隠してどうするのか──息のかかっている貴族の力を借りて、弁明の機会を得る。


 ──二階だけど仕方ないわね


 ◆


 この間の決断に数秒もかからなかった。


 イザベラは窓に向けて走り出すが、すぐに顔色を変える。


 地上──中庭にはすでに憲兵と思しき人影がいくつもあったのだ。


「本ッ当……なんなのよ……」


 イザベラの声には、怒りと焦燥が多分に滲んでいた。


 ◆


 拘束されたイザベラをはじめ、フェルナン公爵家の面々は護送用の馬車にそれぞれ放り込まれた。


 馬車は黒く、いかにも不穏な気配を漂わせている。


 王城へと向かう最中、フェルナン公爵家の者たちは誰かと何かを話すことすらできなかった。


 自由に身動きできないように両手は束縛され、馬車の中には憲兵が一人だけいて一挙手一投足を監視している。


 この憲兵は、何を話しかけられても一切何も答えない。


 しかし、馬車の扉に手をかけたりでもしようものなら、まるで雷のように素早く、激しくその手を打ち据えてくる。


 フェルナン公爵は無礼を働かれているという怒りよりも、今自分たちがこのような扱いを受けているという事実に震えた。


 ──ま、まさかエドワード……。なぜだ、私はまだ何もしていない。確かに反エドワードという色がにじんでいたかもしれぬ。しかし、まだ何もしていないのだ。リオンを殺した? ふざけるな! そんな事はしていない……いや、まさか……


 フェルナン公爵の脳裏に、娘であるイザベラの姿が思い浮かぶ。


 しかし、すぐにその想像を打ち消した。


 ──イザベラは賢い子だ……。セレネなどとは比べ物にならない程に。利用価値があるリオンを殺すような事はしないはず


 セレネとは、イザベラの姉であり、エドワードの婚約者でもある。


 大人しく、そして美しい。しかし愚かな娘──そうフェルナン公爵は思っている。


 ──セレネは馬鹿ではない。しかし肝心なモノに欠けている。その点、イザベラにはそれが備わっている。だからこそ、リオンを始末したりはしない。奴に利用価値が残っている限りは


 それとはつまり、野心である。


 大人しく美しく、そして賢いセレネは、フェルナン公爵家に相応しくないというのが彼の見立てであった。


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 確かにセレネ・セレ・フェルナンには野心はない。


 エドワードやリオンをどうにかしようという気などは毛頭なく、自分に求められている役割を自分なりにこなそうと考えているだけの女ではある。


 しかし、それでも貴族なのだ。


 ◆


「セレネ、話がある」


 フェルナン公爵家を強襲させる前に、エドワードは婚約者であるセレネを呼び出して話をしていた。


 どんな話かといえば、詰まるところ自分が考えていることのそのほとんどである。


「異存はありませんわ」


 セレナが返した反応はひどく淡白なものだった。


「陳情があれば聞く。イザベラ以外のものに限るが」


「では、お母さまには温情を。あの人は私に似ております」


 エドワードはそれを聞いて短く頷く。


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 ただこれだけのやり取りで、フェルナン公爵家の取り潰しが決まった。


 エドワードは捕らえた男たち──下手人たちからすでにイザベラの策謀を聞いている。


 男たちはリオンを殺した直接的な原因ではないものの、そんな事はエドワードには関係なかった。


 結果的にリオンが死んでしまったという事実が重要だった。


 フェルナン公爵やその家族については、ついでのようなものだった。


 単純に反エドワードという意思を抱いている時点でいずれ処分するつもりだったが、公爵家には大きな利用価値があることを考慮してそれまで泳がせていただけだ。


 フェルナン公爵は確かに何も実行に移してはいなかったものの、反エドワードひいては反王家の二心を抱き、それを他の者と共有することは十分対象となる。


 エドワードの感覚としては、一つの大きなゴミを捨てるついでに他のゴミも捨てておこうくらいのものである。


 単純に公爵家の力が強いといった障害はなくもなかったが、エドワードは周囲から次々と切り崩し、公爵家強襲の時にはすでにかの家を擁護する貴族家は一つもないといった状況だった。


 本来ならば非常に時間がかかるこの工程を、エドワードは電撃的な速度でやってみせた。


 はっきり言って、非現実的な効率の良さだ。


 心でも読めなければ、そんなことはできないと言えるほどに。


 だが、セレネという女にとってはどうでもよい話であった。


 今の自分はエドワードの妻であり、それ以上でもなくそれ以下でもない──そう彼女は考えている。


 生家に対する想いが何もないわけではないが、それも優先順位の問題である。


 エドワードの意思がならば、彼女の意思も


 貴族の女としての冷たい割り切りが彼女にはあった。


 フェルナン公爵が知らない彼女の側面である。



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