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第13話【月を想う太陽は】

 ◆


 リオンはクラウディアの頭を抱き、自分の胸に押し付けた。


 鼻を頭頂部に押し付けて匂いを嗅ぐ。


 ──レディに対する行為ではないな。


 こんな状況だというのに、リオンはそんな馬鹿みたいなことを考える。


 クラウディアからは、当たり前の話だがクラウディアの香りがした。


 死臭は、腐った肉の香りはしない。


 まだ。


 ・

 ・

 ・


 風が強い夜なのだろうか。


 ひゅう、ひゅう、という音が聞こえる。


 ──いや、これは僕の息か。


 リオンはその場に立ち止まって深く息を吸い込んだ。


 乱れた息を整えているのだ。


 彼はどちらかといえば線が細く、ホラズム王国の王立学園に通っていた頃は体を動かすことを苦手としていたが、サルーム王国に来てからは随分体力がついてきている。


 それでも、人一人を背負って整えられていない道を歩くのは骨だった。


 少し休んだことで、ひゅう、ひゅうという音が止まる。


 ──僕は冷静なようでいて冷静じゃないのかもしれない。もしかしたら今この瞬間にも目を見開き歯を食いしばり、暴れ出そうとしているのを抑えているのかもしれない。


 リオンは自分の状態がよくわからなくなっていた。


 現実感がまるでない。


 ──ふ、ふふ。風と自分の息を聞き間違えるなんて。兄上が知ったらきっと呆れるだろう。王族らしく振舞え、なんてお説教をされてしまうかもしれない。


 少し気を抜けば、自分のそんな状態がどうにもおかしくなってしまい、大声で笑ってしまいそうだった。


 つまるところ、リオンは狂いかけていたのだ。


 しかし、背に感じる冷たい感触が彼をかろうじて正気につなぎとめていた。


 クラウディアの冷たい体が、寒い、寒いとリオンに訴えているように思えてならない。


 リオンは少し足を早めて、一歩また一歩とあの丘へ向かって歩を進めていく。


 森のどこかで鳥が鳴いた。


 甲高い、女が叫ぶような……いや、歌うような特徴的な鳴き声だった。


 情感がたっぷり込められたとてもとても悲しい鳴き声は、まるでリオンがこれからしようとしていることを知り、憐れ悲しんでいるかのようだった。


 ◆


 丘の上。


 リオンはどこか夢見心地のままに穴を掘っている。


 地面はやはりとても硬く、リオンは難儀した。


 特に今回はクラウディアを背負う以上、穴を掘るための道具を持っていく余裕がなかったため、その辺に落ちていた木の枝や石などを使って掘らなければならなかったというのも困難に拍車をかけていた。


 しかし、それはそれでいいのだ、とリオンは思う。


 頭の中でジャハムの声がする。


 ──もう少しじゃ。なかなか大変な道のりじゃが、これもまた祈りの一つの形。祈りは言葉ではなく所作に宿る……。


 この困難さが、何がしかの保証になっているような気がした。


 なぜなら困難が大きいということは、それだけ強く祈ることができているということではないか──と、リオンは思う。


 ──僕は強く、深く祈ることができている。なぜならこんなに大変なのだから。そして時間も経っていない。クラウディアを見つけてすぐにここへ来たのだから。


 まるで精霊がクラウディアを正しく生き返らせるためにお膳立てを整えてくれているようで、リオンは笑みさえ浮かべながら地面を掘り続けていた。


 ぱきりと音がする。


 先ほどまで掘るために使っていた枝が折れた音だ。


 リオンは折れた枝をしばし眺めるが、代わりの枝なり石なりを拾いに行こうとはしない。


 代わりに、爪と指で地面を掘り始めた。


 ・

 ・

 ・


 どれほどの時間が経っただろう、穴を掘り終えた時、リオンの爪は全て剥がれ、何本かの指が折れていた。


 しかし、リオンは満足げな様子だ。


 クラウディアを抱きかかえ、穴の底に横たえる。


 そして土を戻していく。


 クラウディアの顔に土をかぶせる直前、リオンはクラウディアの唇に接吻を落とした。


 そこでふと思ったのだ。


 ──クラウディアをこんな風にしたのは誰だ?


 と。


 やるべきことを全てやり終えたからこそ、初めてそれが湧く余裕ができた。


 リオンという青年が生まれて初めて抱く感情。


 即ち、憎悪である。


 ◆


 時を同じくして、エドワードは手下の男たちから話を聞いていた。


 リオンの様子、そしてその成長ぶりを聞くと、自身の内にほの暖かい何かが湧いてくるのを感じる。


 周囲の者たちはエドワードのことを完璧だと思っている節があるが、彼は彼で苦労をしていた。


 確かに昔からエドワードはやろうと思ったことは何でも完璧にやってのけていたが、ただ一つ、やろうと思ってもなかなかできないこともあった。


 彼にはどうにも人の気持ちがわからないのだ。


 まあ、人の気持ちなど本当の意味で完全にわかるものなどいないが、それでも多くの者はある程度の推察ができる。


 自分ならこれをされたら嫌だから、他人もきっとこれをされたら嫌だろうというような。


 しかしエドワードの場合は、まず最初にメリットとデメリットがあり、これをされたら嫌かもしれないが、メリットの方が上回るから問題ないだろうという風に考えてしまう。


 リオンに対しての振る舞いもそうだった。


 リオンが周囲の者たちから無視され侮蔑されていることは知っていた。


 しかし、それはリオンが王族らしく振る舞えないことが原因だ。


 さらにリオンには王族らしく振る舞う義務もある。


 できないことなのだからできるように努力するのは当然で、できるようになったならば、それまでリオンが受けている侮辱の類も消えてなくなるだろう。


 また、王族らしく振舞うことができるようになるというのは、リオンにとって大きなメリットとなるだろう。


 だからいくらリオンが困っていようと、自分が手を出すというのは合理的ではない──と、エドワードは考えていた。


 それでも事あるごとにエドワードがリオンに小さな助け舟をよこしていたのは、家族だからだ。


 彼も彼なりにリオンの気持ちを理解しようとはしていた。


 うまくいっていたとはあまり言えないが。


 ともあれ、今はそれよりも大事な話がある。


「リオンの事はもうよい。それで、なぜリオンが出奔したのか分かったというのだな」


 エドワードに、男の一人が頷く。


「は。フェルナン公爵家で不穏な動きがありますれば」


「リオン殿下と関わりがあった者たちを洗いました。そうして分かったことは、フェルナン公爵家の次女イザベラが関係しているものかと」


「リオン殿下に直接策謀を仕掛けたわけではないようです。しかし、リオン殿下が懇意にされていた女子生徒を……」


 次々と並べ立てられる情報を聞いて、エドワードはわずかに眉を動かした。


 どれもこれもが、言ってしまえば大したことがなかったからだ。


「つまるところ、弟の婚約者が弟にまとわりつく平民の女を煩わしく思い、それを排除しようとした。そしてそれを知ったリオンは自分の意思でその女と国を出奔した、ということか」


 弟が国を去った原因は、なるほど確かにイザベラにあるのだろう。


 平民とはいえ命を盾に脅迫するような真似は貴族として好ましいかといえば、これは否だ。


「ならば私ができることはあまりないな」


 こんなことでイザベラを罰することはエドワードにもできない。


 するだけの理由がない。


「この話はここで終わりだ」


 エドワードはそう口にするが、言葉尻が震えていることに自分でも気づかない。


 男たちは目を見開く。


 エドワードから発される圧は、リオンから感じたそれよりも当然だがはるかに大きい。


 感じ取れるイメージは、怒りというには生ぬるいほどの何かである。


 ここで初めてエドワードは自身が抱いている感情に気づいた。


 そして、なぜ急にそんなものが自分の中から湧いてくるのか困惑した。


 ──これは、なんだ。私はなぜこんな感情を抱いている。これは、私のものではない。私が抱く道理がない。では誰のものだ?


 そう、昔からエドワードはやろうと思ったことは何でも完璧にやってのけていたが、ただ一つ、やろうと思ってもなかなかできないこともあった──しかしそれはなかなか出来ないだけで、全く出来ないというわけではない。


 一度できるようになってしまえば、常人より遥かに上手くやってのける。


 たとえ「人の気持ちという複雑なものをもう少しちゃんと理解したい」というようなものであっても。


「……いや、撤回する。まだ終わりにはできないな。物事には始点と終点がある。我々が手に入れた情報はいわば始点だ。終点次第では、この話はここでは終わらぬ。終わらせぬ。……もう一度洗え、弟とその平民の娘を。そしてイザベラ公爵令嬢も」

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