腕時計を見ると、時刻は二時半だった。
まだ町外れなせいか人通りがない。
学校があるのかな。茶色のバッグを背負った子供たちが、談笑しながら歩いてくるのが見える。
「マルセルさん」
「なんだ」
「学校ってあるんですか?」
「あぁ。十五歳までは義務教育だからな。学校は国の中にいくつかある」
「あの子たちは学校帰りでしょうか」
「あぁ、時間的にはそうだろうな。ほら、親が迎えに来ている」
マルセルさんのいう通り、女性たちが子供たちに手を振っている。子供たちは嬉しそうに手を振り返して足早に母親へと近づいていく。
「ただいま!」
「お帰り、帰っておやつ食べようか」
「うん! ねえねえそのあと遊びに行っていい? 公園で約束したんだ!」
なんていう会話が聞こえてくる。
私にもそんなことあったっけ。
家は平屋や二階建ての家もあって、どの家も白い壁にオレンジ色の屋根をしている。
石畳の道路に葉が色を変えた街路樹たち。
風が吹くとわずかに磯の匂いがする、ということは海が近い、ということだ。
町の周りは壁が囲い、要所要所に塔が建っていて見張りと思われる兵の姿が見える。
「ここから海までは遠いですか?」
「海? あぁ、歩くと三十分以上はかかるが……お前、海になんて興味があるのか?」
怪訝そうな顔をしてマルセルさんは私を見つめる。
「はい、あの、うちから海ってすごく遠いし、気軽に行ける距離にはないのでわくわくするんです」
私の家から海なんて車で何時間かかるか。そう思うと海ってちょっと特別な存在なのよね。
私が住んでいる町は内陸の地方都市で、山に囲まれている。だから海なんて何年かに一度しか見ない。
私の答えにまったく共感していないのだろう、マルセルさんはなおさら不思議そうな顔になる。
「どこに行っても海が見えるのが当たり前だと思ったいたが、そうじゃない所なんてあるのか」
「ありますよ。内陸部にある山に囲まれた町にすんでいたら、そうそう海を見られることなんてないですからね」
ここは山も海もあるから、山しかない町で暮らすのって想像つかないのかな。
テレビもネットもないし、自分の周りにある世界だけがすべてになるのかなぁ。うーん、情報の少ない世界が私には想像しにくい。
城下町、というわりにはなんだろう……人が少ない。
「あの、この町にはどれくらいの人が住んでいるんですか?」
「二万人だが、壁の内側に住んでいるのは六千人ほどだ。多くは壁の外にいて、農業や畜産などに従事している」
「壁の中と外で地位の差とかあるんですか?」
そういう話ってよくあるよね。
私の問に、彼は首を振った。
「地位の差……壁の中と外で暮らしに差が出るわけではないからな。だから差はないと思うが。壁の中も外も、繁華街があるし学校も公共機関もある。上下水道は完備されているし、物の値段もそんなに差があるわけじゃないから、地位の差はないと思うが……それぞれがどう思っているかまではわからないな」
そうなんだ。こういうファンタジー世界って、あからさまな差別がある物だと思い込んでいたけれどそうでもないのかな。
小説によっては壁の外と中であからさまな差別が存在するものだけど違うのね。
人口が少ないからかな。
「そうなんですね、ありがとうございます」
礼を伝えると、マルセルさんはなんだか複雑な顔になってそっぽを向いてしまう。
「で、どこを見たいんだ」
と、ぶっきらぼうに言った。
どこを見たいとか、そういうのはないんだよなぁ。とりあえず、町と人々を見たかったから。
辺りをきょろきょろ見ながら歩いていて、私はふと、疑問を抱く。
人が少ない。
人口は六千人ほど、って言っていたけど……あまりにも人通り、少なくないかなぁ。なんていうか、活気がない。
まだ昼間だし、仕事をしている時間だからかなぁ。
さっき子供たちの姿を見たあと、歩いている人を見たのは片手で数えるほどだ。
「あの、人、少なくないですかね……」
「それはそうだろうな。王の不在が長く国に歪みが生まれている。その歪みから人々の精力が奪われ病気になるものが出てくる。その歪みに吸い込まれて消える者もいるから人が少ないのは当然だろ」
さらっとマルセルさんがとんでもない事を言いだす。
ちょっと待ってよどういうことよ?
……歪み……ひずみは人を吸いこむだけじゃなくって精力を奪い病気にもさせちゃうの?
それって国力の低下につながるんじゃぁ……
どうやらこの国、私が思う以上にやばい状況なのでは?
「そのまま歪みが増えたら……」
「確実にこの国は亡ぶだろう。そうして消えた国は存在すると聞く」
マルセルさんの言葉を聞いて、私の背中に冷たい汗が流れていく。
のんびりしている時間なんてないのかも。でもどうしたら私、この国をよくできる? 歪みをなくす方法って、国民の満足度を上げる事よね?
私への信頼度をあげるっていったいどうしたらいいんだろう……
「あ、騎士様だ! 騎士様がいる!」
そんな子供の叫びが聞こえて来たかと思うと、どこからともなくわらわらと現れた、十歳にも満たない子供たちが私たちを囲む。
人数は六人ほどで、彼らは目を輝かせてマルセルさんを見あげた。
「そのマント、騎士のものですよね!」
ひとりの男の子が言い、マルセルさんが頷く。
「あぁ」
「ほんとうだ! すごい、騎士様だ!」
「かっこいいー」
「お姉さんも騎士なの?」
べつの子に聞かれた私は、首を横に振る。
「ううん、違うよ」
私が騎士なわけがない。
すると子供たちは顔を見合わせた後不思議そうを通り越して不満げな声を上げた。
「えぇ? 違うの?」
なんでそんなに不満そうなんだろう。
「うん、違うんだよー」
言いながら私はその場にしゃがんで子供たちと視線を合わせる。
「じゃあなんで騎士様といっしょにいるの?」
「彼女は新しい王だからだ」
ぶっきらぼうに答えたのはマルセルさんだった。
子供たちに対してもこの態度なんだ。内心苦笑いしていると、子供たちは目を見開いてマルセルさんを見上げた後、私の方を見つめた。
「あー! ネックレスしてる!」
「ほんとだ! 陛下のネックレス!」
「王様女の人なの?」
テンション爆上がりの子供たちは、口々にそう声を上げて私に迫ってくる。
「え? あ、う、うん……実はそうなん……」
「ねえねえ、お名前教えてください!」
女の子が目をキラキラさせて私の前までやってきて言った。
「えーと……ささら。といいます」
「ささら様!」
「変な名前ー」
「えー? かっこいいじゃん! だってこの変じゃぁ聞かない名前だよ?」
子供たちは私たちのことなどお構いなしに口々に声を上げる。
そこに騒ぎを聞きつけた大人たちが集まってきて、私のネックレスを見つけるとざわめき始めた。