それから怒涛の時間が流れた。
休みを使って私は家の中を整理し、処分するものは処分し、引越し先に持っていくものを厳選し引っ越し業者の段ボールに詰め込む。
行政と売買契約を交わし、小田切さんと契約を交わす。
小切手なんて初めて見た……
あの家を購入する、という形で契約を交わすんだけど、国の売買契約はあのネックレスを私が受け取ることで成立するらしい。
「そのネックレスがフィアルクートの王である証になります。石がついているでしょう? その石の輝きが国民の満足度を表します。その石の輝きが全て失われた時、貴方は王である資格を失い、記憶も全て消えます。良き王となれば国民の心は満たされ、貴方を王として迎え入れるでしょう。そのネックレスがある限り、国民は貴方に従いますが、心まで支配はできませんので」
そう小田切さんに言われた。
このネックレス……そんな力を持っているのか。
「契約が成立いたしましたので、そのネックレスはもう外すことはできません。あちらの国に行くのに必要なカギでもありますから、誰にも奪われる心配はありませんよ?」
と笑顔で言われたんだけど、それって呪いのアイテムでは……?
そう思ったものの言葉にできなかった。
そして、三か月以上経った九月十四日土曜日。
私はその日から一週間の休みをいただいて、引越しを済ませることにした。
元の家の片づけといらない物の処分などでけっこう時間がかかってしまった。
家の売買契約もしたしお金も貰ったから新しい家具を買ったりするのが結構楽しかった。
早く異世界に行きたい、という思いをぐっとこらえ、私はとにかく家の片づけを最優先にした。
そして迎えた月曜日。
とうとう私はフィアルクートに行く。
持ち物、何が必要だろう、って考えて、私は腕時計を用意した。
アナログの、ソーラー時計だ。あちらにスマホを持っていっても電波はないし、そんな珍しいものを持っていったら危険だと思うのよね。
小田切さんの説明によると、こちらとあちらの世界の時間の流れは同じらしい。
つまり、フィアルクートで一日すごすと、こちらの世界も一日経過してしまうそうだ。
だけどフィアルクートからこちらに戻る時、一週間までなら日にちを戻せるらしい。でも時間指定はできないそうだ。
向こうで一週間過ごしても、こちらでは一日経過しただけで済むってことよね。
……そうなると私の老化現象ってどうなるんだろう……
という疑問は抱いたものの、わからないから考えないことにした。計算してみようとは思ったけれど面倒だしどう計算したらいいのかわからないんだもの。
こちらから持っていったものは持ち帰れるけれど、あちらにある物は持ち帰れない、と言っていたから、着替えは持っていこう。
そういえば気候はどうなんだろう?
貰った資料に周辺地図があったけど、よくわかんなかったしな……
山と、海がある。わかったのはそれだけだ。
この間行った時は少し暑いかな、くらいだった。こちらの夏よりはだいぶ涼しかったし過ごしやすかったから三十度前後位かなぁ。もう少し低かったかも知れない。
こちらは今秋だけど季節も同じようなものなのかな、雪は降るのかなぁ。
ここは滅多に降らないけど、山に行けば降るし……
こっちのどこと同じ感じだろう、イメージだけど軽井沢みたいな感じかなぁ。
そんな事を思いつつ、私は持ち物を準備した。とりあえず1週間、いることを考えて……
あれ、洗濯ってどうなってるんだろ? 向こうでできるのかな。家事はゴーレムがやってるって言ってたけど。
あと記録するためにノートと鉛筆と、消しゴムと、使い捨てのフィルムカメラ。
そんな感じで用意していたらスポーツバッグがいっぱいになってしまった。
ペットボトルとかもっていっても大丈夫なのかなあ。なるべく向こうにないものは持ち込まないようにして。
私はスポーツバッグを肩に下げ、ウォークインクローゼットの中に入った。
その前に、新聞紙を敷いて靴を脱げるようにしてある。
そこで靴を履き、私はネックレスに手を当てて、大きく息を吸って、
「よしっ」
と、気合を入れた。
行くぞ! フィアルクートに。
私はドアノブに手をかけて、ゆっくりとそれを開いた。
扉を開けると、そこは大きな広間みたいな場所だった。
この間は外だったけど、そういえば本来は城の一室に繋がっている、とか言っていたっけ。
そうなるとここはあのお城の中?
私は扉を閉じ、辺りを見回す。
誰もいない。ただただ広い広間に扉だけがある。
窓があって外が見える。
青空が広がっていて、外は天気がいいようだ。
天気って向こうと連動している、ってことはさすがにないよねぇ。
とりあえず、外に出ようか?
このお城、人、いるのかなぁ。見た感じ、掃除はされているみたいだけど……
その時、向こうに見える扉が開き、誰かが入ってきた。
それは鎚でできた人形――ゴーレムと、金髪の女性だった。女性は紺色のワンピースに白いエプロンをしている。
メイドっぽい。
「さあ、ハナちゃん、ここのお掃除よろしくね!」
女性が言うと、ゴーレムは持っているほうきで辺りを掃きだした。
女性の方は私に気が付かない。ゴーレムは……気が付くのかな。私、いきなりゴーレムに襲われたりしないよね?
このネックレスがあれば国民は従う、とは言っていたけど……ゴーレムにもきくのかなぁ……
とりあえず声、かけてみようか。
私はその場から、
「あのー」
と、絞り出すような声で言った。
するとふたりはばっとこちらを見て、何度も瞬きを繰り返す。
「……え?」
「すみません、あの……ここ、お城、ですよね?」
なんて言っていいのかわからず、自分でもまぬけな質問だなぁと思いつつ言うと、女性は私の方を指差してわなわなと震えだした。
「あ、あ、あ、あ……」
とりあえず、とても驚いている、という事だけはわかった。
女性は、ばっと振り返ると入ってきたドアを飛び出して、
「皆さん大変です! 王が、王が現れました!」
と叫びながらどこかへと消えてしまった。
後に残されたゴーレムは、私の方をしばらく見つめた後、掃除を再開した。