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第4話

「おまえ、この子達はなんだ?」

 騨里は子供達に一瞬、目をやってから、禅渡に乾いた口調で言葉を放った。

「おまえ、騨里よぉ。人に罪着せるのが、ものすごい得意らしいじゃねぇか。たまには、自分も体験してみたらどうだ?」

 子供達は確実に死んでいた。

「……久しぶりだねぇ、禅渡。まったくおまえは、相変わらずだな」

 生体接続でもしたのか、禅渡には切断されたはずの右腕が生えていた。

『やるかい、騨里よ?』

 ジョーカが生き生きとした声を脳内で響かせる。

「いや、少し待て」

 すでに脇で燈華が影を広げていた。

『なんだ、またこいつがやるのかよ。おまえ、たまに俺を使えよ』

「あまり使いたくない理由だってある」

 騨里がもし犯罪者を量産することになったとすれば、彼の身元がすぐに割れてしまうだろう。

 街道因子としても、犯罪者との繋がりとしてもだ。

 いつも燈華に処理して貰っている罪悪感もあるため、騨里は普段、彼女に甘かっりする。

 禅渡は、すでに二枚の影を全面の地面に広げていた。

 先に動いたのは、燈華だった。

 影の少年が一気に、禅渡の影まで距離を縮める。

 禅渡が出したのは、光子砲を装備している少女だった。

 今度は両脇のアームに近距離砲、二丁を手にした少女が刀を抜いた少年に弾丸を連射する。

 少年は左側に曲線を描くよう、射線をさけて走りながら隙をうかがう。

 後ろに少年が回ると、禅渡の意識はそちらに向かった。

 次には騨里が音も無く禅渡に近づいていた。

 手にはカランビットを握り、禅渡の襟首を掴むと同時に反刃で喉元をえぐろうとする。

 だが禅渡の二つ目の影から、騨里の目に集中して猛風が叩き付けられた。

 視界を失わせたため、禅渡はカランビットの一撃をたやすくよける。

 騨里はさらに禅渡の蹴りを食らって、後ろに吹き飛んだ。

 禅渡の影の少女の動きが一瞬鈍くなった間を見逃さなかった燈華の少年は見逃さなかった。

 少女は右側のアームで伸びた短距離砲の銃口を騨里に向けた。

 しかし、騨里のほうが早かった。

 間合いに入りった騨里は、アーム部分を上段から振り下ろした刀で切断した。

 少女のバランスが崩れる。

 二刀目で横薙ぎに首を狙って刀を振ろうとしたが、禅渡が二つ目の影から鋭く固形化したかのような風をぶち当てる。

 影の少年から血のようなものが飛び散るり、後ろに倒れそうになる。

 少女は残った一方の短距離砲を影の少年に狙いをつけた。

 弾丸が放たれると、少年は身体を震わせて倒れた。

「!?」

 燈華は自分の影が無事かわからず、動揺した。

 絶対に近い自信のある影だったため、目の前の状況に衝撃を受けたのだった。

 同時に身体に痛みを覚えて、その場にしゃがみ込む。

 禅渡が唇を不気味につり上げ、乱杭歯をみせて笑う。

「どうしたよ、燈華に騨里? おまえ等そんなもので街道因子を名乗ってたのか?」

 楽しげな余裕の口調だ。

 N・アークの途壱は裏切ったのだろうか?

 騨里は立ち上がりながら、勝手に頭が考え出した。

 だが、まだリストファイルを渡していない。

 それとも、自分たちを始末してしまえば、リストの存在など無かったことになるとでもおもったのだろうか。

「禅渡、俺たちはN・アークに協力すると、さっき途壱に話していたところだぞ」

「ああ? 知らねぇなぁ。関係ねぇよ、そんなもん」

 怒りの響きを混ぜて禅渡は言う。

 意図がわからない。

 騨里は口先でのごまかしは通じないと、諦めた。

 再び、ジョーカの能力を使うしかないのか。

 命には代えられないので、この際仕方が無い。

 決心した直後、禅渡が風の槍を放ち、騨里の影を地面に貼り付けにした。

 影が動けなくなると、身体と連動している騨里自身も身動きが取れなくなる。

「おまえは、直接、俺が殺ってやるよ、騨里」

 禅渡が笑みを浮かべて、ゆっくりと近づいてくる。

 いつの間にか、右手には小型のナイフを握っていた。

「まちなさいよ!」

 燈華が言うと同時に、両手に構えた拳銃を発射していた。

 禅渡の影である少女の首が弾かれたように、揺れてガクリとたれた。

 彼は信じられないような顔をして、少女を見た。

 影の彼女はもう動かない。

「!? き、貴様っ!!」

 怒りが沸騰して、禅渡は叫んだ。

 騨里は彼の反応に違和感を感じた。

 影をやられて、無力になったのはわかるが、激高するほどのものだったのか?

『ふざけるな、おい! 動けねぇぞ!』

 ジョーカが頭の中で怒鳴る。

「わかった、昇ってこい。どうなるのか知らないが、おまえの力が必要だ」

 融合は初めてだった。恐らくジョーカが騨里になれば、まだ活路はあるだろう。

 聞いたことはあるが、影に乗っ取られ、精神がおかしくなった話しか聞かない。

 だが、能力が無くなった騨里達にはそれしか方法がない。

 影がゆっくりと騨里の身体の中に収縮して行く。      

 騨里は視界がぼやけ、意識が別のところに行きかけているのを実感した。

 ジョーカが高笑いする。

「てめぇは死刑だ、禅渡! わざわざ監獄になんて行かさなくても、この場で殺してやるぜ!」 

 騨里を乗っ取った形となったと同時に、彼はカランビットを握って禅渡に遅いかかる。

 禅渡はよけそこなり、腹部を軽くえぐられた。

 痛みに動きが鈍くなったところで、、返す刀が、禅渡の首に突き刺さる。

「!!??」

 呻きとも悲鳴ともとれない不気味な声を上げて、首に手をやって傷口を抑えたが、さらに刃をねじ込まれて、禅渡は絶命した。

「うひは! あっけねぇ野郎だ」

 ジョーカは倒れた禅渡を見下ろす。口調は楽しげだった。

「ジョーカ……早く騨里を、返して……」

 痛みに顔をゆがめながら、燈華が言った。

 拳銃は彼に向けられている。

「ほう、撃てるのかい? まぁいい、満足した。すぐにでも変わってやるよ」

 ジョーカはあっさりと承諾した。

 立ちすくんだような身体から影が一つ伸びてた。

 はっとなった騨里は、哀れっぽそうに禅渡を見つめた。

「なんだよ、昔、風優と幼なじみだったんだ……」

 影の世界を覗いていた騨里は、禅渡の過去まで把握できていた。

 風優は覚えてないが、禅渡ははっきりと記憶していた。

 彼の影である少女も、その時の風優をモデルにしたものだった。

 影は風では吹き消されない。

 禅渡は思いを断ち切るように、急いで燈華のそばにきた。

「どうだ、傷は?」

 燈華は、無理矢理につくった笑顔をみせた。

「うん、駄目ー」

「救急車呼ぶから、まってな。いや、ここは不味いな。歩ける?」

 頷いた燈華は、ふらふらと立ち上がった。

 禅渡は燈華を抱き上げて、そのまま通りを二つ走った。

 歩道の横に彼女を座らせると、携帯通信機で救急センターに連絡を入れる。

 サイレンが鳴り響き、すぐにでも救急車が現れた。

 担架で中に運ばれながらも、燈華は訊いた。

「騨里こそ大丈夫?」

「大丈夫だよ。おかげで、いろいろなものが見えた」

「いろいろなもの?」

「ああ、あとで説明する」

 一緒に病院に運ばれ、燈華は手術室に運ばれた。

 処置を待っている間、騨里は様々なことを考えていた。

 彼の覗いた影の世界とは、人間の世界のことだ。

 そこは時間も距離も無い不思議な空間だった。

 局長の意図もわかった。

 そして、深咲のことも。

 彼女は今、ただのイマジロイドでは無くなりつつあった。




 足立署では、不満の声が上がっていた。

 上から命令がきたのだが、誰もが、いくら何でも難しいと思った。それ以上に、折角の逮捕に圧力が許せないという感情も交ざっている。

 伊馬維璃緒を解放しろというのだ。

 釈放では無く、解放という点が気になるが、現在三十件に届く事件の犯人を手放すのを納得できる者は少ない。

 だが、命令は絶対だ。

 様々な意見が紛糾するなか、蘭の一言で問題はかたづけられた。

「どうせなら、自殺とか事故に見せかけて殺してしまえば良い」

 一同は考え込んだあげく、関係を放棄して傍観者となった者がほとんどだった。

 蘭を中心としたメンバーは、様々な方法を考えたが、結局、単純に射殺することにした。 言い出した責任から彼女が率先すべきところだが、逆に直接手を下すと証拠として事件が発覚しやすいと判断されて、実行部隊から外された。

 刑事三人が証拠品保管庫の中から拳銃を取って拘置所に向かう。

 独房の前まで来が彼等は、急に言い知れぬ恐怖に襲われた。

 取り調べの時とは雰囲気が違い、禍々しい空気が辺りに立ちこめていたのだ。

 独房を覗くと、維璃緒はベットの上で体育座りをして、膝に顔を埋めていた。

 怖れをなんとか押し殺し、彼等は拳銃を手に、ドアの鍵をあける。

 一斉に拳銃の狙いをつけたが、引き金の指が動かない。

 維璃緒は突然のことだったが、驚きもせずに、ただ視線を三人にやるだけだった。

「くそ!? なんだ!?」

 刑事の一人が悪態をつく。

 維璃緒に見つめられただけで、自然に身体が震えはじめ、思うように動かない。

 ゆっくりと、維璃緒はベッドから立ち上がった。

 本物と合わせて、三枚の影が彼女の足下に広がっている。

 車椅子に座ったア=リワンがいつの間にか彼女の全面に現れていた。

「それで何をするつもりですか、皆さん」

 瘴気じみたものが維緒璃ごと立ちこめていて、刑事達を怯えさせる相手がわかった。

 動揺したままの彼等を、ア=リワンは鼻で笑った。

「……ジェイバブ」

 維璃緒は小さい声で影の一つに声をかけた。

 二メートルはある巨軀の爪の長い凶暴そうな亜人が現れる。

 ジェイハブは迷うこと無く刑事達に飛びかかった。    

 明後日の方向に拳銃が一発放たれただけで、三人の刑事はジェイハブの爪に身体を切り裂かれてバラバラになり、廊下に身体を四散させた。

「どうやら、お膳立ては向こうがしてくれたようですね。遠慮無く甘えましょうか。さぁ、我らの王国へ」

 眼鏡に手をやったア=リワンは微笑みつつ、維璃緒を先導するように進む。

 ジェイハブを影に戻し、維璃緒はそのあとを追う。

 警官達が避けるようにして道を作るなかを、彼女は堂々と警察署から出た。




 騨里は自宅で難しい顔をしながら、リビングのソファで考え込んでいた。

 影の世界、人間の領域に行って気づいたことだ。

 N・アーク、街道因子局長は彼等に従って、イマジロイドから影への影響を潰す計画を立てている。 

 人間達は残りカスと見下しているイマジロイドに影を使われるのを歓迎していないのだ。特に街道因子の隊長達には。

 生き残るのためには彼等の方針に従ったほうが賢明と思われる。

 燈華の傷は思いのほか軽いもので、なんら生活にも支障がでるものではなかった

 むしろ元気に動き回って、ヒマだヒマだとうるさかった。

「んー、ついでに恩も売っておくべきかなぁ」

 騨里は何も考えないで、考えを口にする。

 彼の冷たいところは、徹底的に自己保存を求めるところだった。

 いつの間にかリビングに来ていた燈華は、騨里の言葉にまたかという顔をする。

「なんだよ、不満かよ」

「折角なんだからさぁ、天下とってみようとか思わない……よねー、騨里って」

 まるで騨里の考えを読んだかのようだった。

「嫌だよ、そんな面倒くさいうえに、命張ったゲームみたいな生き方」

 燈華はふふふっと笑った。

「騨里らしい。で、どっか行くんでしょ?」

 彼女はすでに外出の準備を整えていた。

「ついてきて大丈夫か?」

「あったりまえー! このあたしを舐めて貰っちゃこまるよ!」

「よろしい、ではお気のすむままに」

 騨里は優雅に頭をさげた。

「うむ、苦しゅうないぞ。ウチのリーメイも張り切っておる」

 騨里は初めて、燈華の影の名前を知った。

 影の名前が特定させるとハッキングされかねないので、人には滅多に言うことではない。

 騨里は、燈華と少しは距離が縮んだと感じた。

 新しく買ったモンキーで、二人は走り出だす。

 銀座まで行くと、ウィズ・エンジン社本社の前に、モンキーを駐める。

 受付で社長に会いたい旨を伝えると、すぐに承諾された。

 二階の応接間に案内される。

 バスキアのアンタイトルをオフセットプリントにしたものが、壁にでかでかと掲げられていた。

 珈琲が運ばれて、鹿詩真琴は十分も待たせずにドア口に現れた。

 イタリア素材の三揃えスーツに、葉巻を咥えている。

「やぁ、君たちが、残りの街道因子か」 

 興味深げに二人の少年少女を眺める。 

「はじめまして。噂はかねがね聞いています」

 騨里は軽く頭を下げる。

 燈華と言えば、警戒心があるのか無いのか、リーメイを出して机にバスキアの絵を真似た浅い傷を付けていた。

「わたしもだよ。まぁ騨里君のことは、まさに噂の中の噂な存在だったけどもな」

 燈華の悪戯には鷹揚に見ないようにしながら、真琴は彼等の向かいにあるソファに座った。

「で、一体どうしたんだ? 君達が自ら足を運ぶとは」

 脇から灰皿を取って、自分の前に置く。

「はい、なんでも社長は、N・アークと提携を考えているとか……」

「よく知ってるな。まだ極秘事項だぞ?」

「そうですか。それで、さらには人間とも接触があるとかなんとか」

 真琴は笑ってしまうところだった。

 こうまで行動がバレているのでは、彼にとって、もはや怖れることすら馬鹿馬鹿しい。

「地獄耳どころじゃ無いな。どこで知ったんだ、それは?」

「提携するのを、ちょっと考え直して頂けませんかね? できるなら社長に影をもつイマジロイドを助ける役割をしてほしいのです」

「ほう……」

「実を言うと、わたしは人間達の方から連絡を受けてやってきました。彼等はそれを望んでいます。裏切り者とは、N・アークと街道因子各隊長です。街道因子は我々を覗いて全滅しました。残りはN・アークという訳です」

 真琴は葉巻の煙草を吐き出すと、ゆっくりと頷いた。

「話はわかった。手を組もう」

「ありがとうございます」

 騨里は再び頭を下げると、燈華を引っぱるようにして連れ、先に退出した。




 真琴は社長室の奥に入ってライトを点けた。

 相変わらず、中には何も無い。

 部屋の真ん中に立つと、影だけが幾つも彼に向かって放射状に伸びていた。

「事はなりました。あとはN・アークを潰すだけです」

『そうか、よくやった真琴』

「ちょっと、お聞きしたいのですが、騨里という少年をご存じでしょうか?」

『騨里か。以前、こちらに入ってきた』

「ほう……信用に値するのですか?」

『少なくとも、こちら側のイマジロイドという反応だった』

「なるほど、わかりました」  

『では真琴、最後の仕上げを頼んだぞ』

「おまかせください」

 真琴は礼の仕草をした。

 影は一気に消え去った。




 まだ騨里にはやることがあった。

 疲れていた為、新宿にある、派手めだが、客の少ない喫茶店に一休みもかねて入る。

 早速、燈華はパフェを注文する。

 騨里は、モカ・ブレンドを頼んだ。

 店は、七十年代の洋楽を流していた。

 騨里には年代はわかっても、曲名も歌手もわからなかったが。

 電脳内にあるリストファイルが、以前から動きをみせている。

 はじめは、N・アークなどに対する混乱と思っていたが、違和感があるのだ。

 N・アークとは関係のなさそうな一つの組織が、辺りから集中的に株を集めているのだ。

 組織を調べてみると、宗教法人「スプールトトマ」というところで、代表は由利渉ゆり わたりという男である。

 騨里は渉を徹底的に洗い出す。

 すると、意外なところとの接点が浮かんできた。

 吉河颯である。

 街道因子の局長だ。

「食ったか、トーカ?」

 パフェのグラスをからにしてスプーンを舐めている彼女に、今更のような事を訊く。

「満足!」

 燈華は腹を軽く叩いて、ニコリとした。

「よし、ならちょっと行くぞ」

「はいよー! ごー、ごー!」

 彼女は騨里の声と言葉に冷ややかな響が含まれているのを、あえて指摘せずにいつも通りの反応をした。

 モンキーは足立区に入り、見慣れたビルの前に止まる。

 彼はローフ・ファミリーの事務所だ。

「チーカーゲー!」

 最上階で、少女の姿を見つけると、燈華は駆けていって抱きついた。

「あー、よしよし、トーカ。よく来たね」

 若い衆が護衛の二人だけを残して、部屋から出て行った。

「チカゲさあ、隠している事無い?」

 騨里は、軽い調子で訊いた。

 ローフ・ファミリーのボスは、何を意外な事をと言った表情になる。

「なんの話だ、騨里?」

「黙ってようかともとも思ったけど、俺はリアルタイムで会社とかの動きを見れるんだよ?」

「ほう、それで?」

 チカゲは燈華から離れて、ゆっくりとソファに座り足を組んで、騨里に正面を向いた。 まるっきり余裕の態度だ。

「言いたいことがあるなら、遠慮無く言えば良いじゃ無いか」

 騨里はぼけっとに手を入れて、首を回して彼女を見下ろす。

 表情はいつものものだ。

 だが、いつも何かしらとの衝突を避けてきた騨里だが、今回は逆に自主的に動いている点が違った。

「なんか、株を必至に集めている会社があってね」

「へぇ」

「調べたら、あんたのところのフロントと、ウチのボスだったんだが。いつから、そんなに仲良くなったんだい?」

 チカゲは声を出さずに笑った。

「……遊佐の命は安くないよ、騨里。F・E、今はN・アークだが、戦争するにも色々と入り用になってな」

「あくまで、裏切ってはいないと?」

「もちろんだ」

「なら、ウチのボスはどういうことなのさ?」

「ああ、アレは横から食い込んでいた害虫みたいなものだよ」

 チカゲは斬り捨てるように言う。

「なるほどね。なら、なにがあっても、文句はないね?」

「事によるが、そんな無茶はしないだろう、騨里?」

 何気なく圧力を掛けてくる。

 騨里はうなづいた。

「あんたの損する事にはならないはずだよ」

「なら何をするか知らんが、お互い、良いことだな」

 チカゲは笑って、ゆっくりとソファに寝転がり、完全な無防備な姿をみせた。

 騨里はただ笑っただけだった。




 スプーるトトマの三階建ての教会本部は、板橋の広い敷地にあった。

 騨里は昼間に駐車スペースにモンキーを停めてた。

 宗教組織とは思えない、事務的な一階にあるカウンターで、騨里は由利渉に面会したいと、桐で出来た名刺をさしだした。

 はったりが大事な世の中、騨里でもそれぐらいは常備している。

 事務員は奥まで見渡せる受付裏の机に戻って、内線であちらこちらに連絡を取っている。

「申し訳ありません、お会いにならないとのことです。あと、できることならば、もうここには来て頂かないようにしてほしいのですが」

 戻ってきた事務員は、あくまで事務的な態度だった。

 追い返されたかたちとなった騨里らは、モンキーのところにもどってから、もう一度、建物を眺めた。

「……中にいるなら、燃やせばでてくるかなぁ……」

 燈華は物騒な事を、淡々とした口調でつぶやいた。

「や・め・ろ!」

 思わず吹いた騨里は笑いをこらえた。

 駐車場で、ゆっくりと彼等のそばに黒塗りのベンツが近づき止まる。

「やあ、君が布留騨里君か」

 後部座席のウィンドウがさがって、青年がにこやかに声をかけてきた。   

 騨里は、だまってうなづく。

 グレーの三つ揃いスーツを着てハット帽にスカーフを首に巻いた、五十代の男だ。

「色々やってくれてるみたいだね。ただね、そんなに我々は簡単にはいかないよ」

「どちら様で?」

「成徳の故嶋徳治こじま とくじだ」

 騨里は思わず目を細めた。

「乗りたまえ、少しドライブと行こうか」

 反対側の後部ドアが開く。

 一瞬迷ったが、騨里は結局、座席の真ん中に、窓際に燈華が座った。

 ベンツは発車して、適当な道を流して行く。

「君の悪い点はね、はっきりとした行動を取っていないところだ」

 公道を走らせつつ、徳治は前振りも無くいきなり核心を言い放つ。

「巻き込まれた以上、どうにもならないと思いませんかね?」

 騨里は、せいぜいの愚痴になる。

「不幸なことだが、今や街道因子十一番目の隊長と身の知れた存在だ。君の言っている点は甘いな。甘すぎるよ、お坊ちゃん」

 徳治は悪気のかけらも無く笑う。

「俺は、一貫して人間側についてますよ」

 せいぜいの虚勢だった。

 イマジロイド達は、身体を捨てた人間達に今だ恐怖を抱いているものが多い。

 だが、徳治は違ったようだった。

「君をあっち側に逃れざるを得なくした奴らが悪いとはいえ、黒幕として君臨するならするで、はっきりとした行動を示すべきじゃ無いかね?」

「それでは、故嶋さんが困るのでは?」

 徳治はにぃっと笑んだ。

「なにか勘違いしているようだから、おしえてやるが、ファイル・リストをもってたって、万能になったわけではないよ、騨里君」

 煙草を取り出して咥え、ライターを取り出したところで手を止めて言葉を続ける。

「いわば上流の連中に直接、口がきけるだろうが、あとの連中は叩かれようが、潰されようが、すぐに姿を変えて出てくる。そいつらはどうするつもりだね?」

 騨里に意外なところから、探りを入れてくる。

 彼が答えようとするまでの間に、徳治はライターで煙草に火を点ける。

 車内に紫煙が立ちこめ出す。

「万能とかもとめてません。俺はただ、俺たちの命を守りたくて、行動しているだけですから」

「それが、甘いというんだよ。私でなくとも、そのファイルを手に入れたなら、一気に東京の頂点に立っている。君はそれが出来る立場ながら、しない」

「興味が無いんですよ」

「それなら、さっさとファイル・リストを誰かに渡して、金を貰い、旅にでもでるんだな」

「安全ならそうしますよ。でも、もう遅いんです」

 騨里は冷静に受け答える。

「君が街道因子なら、簡単なことだろう」

「いえ、その街道因子が一番危ない」

 徳治は納得したようにうなづいた。

「そういえば、十一番目の者は、街道因子の中で、もっとも仕事をしたらしいな。最も人を殺したと言うことか。それが、今命が惜しいなど都合の良い話だ」

 騨里は無言だった。

「会社駄目になったら死ぬ社長いるけど、それこそ無責任だよね」

 急に燈香が口をだしてきた。

「へぇ、ご立派なことを言うもんだな、嬢ちゃん」

 徳治は鼻を鳴らして嗤う。

「とにかくなぁ、この混乱は全ておまえ、騨里が起こしてるんだよ。私はどこかののウィズ・エンジンとかいうところみたいに、ヘンな手を使うのは好まない。だから、こうして文句を垂れて憂さを晴らそうとしてるんだ」

 騨里は無言だった。

「そして、ついでにお節介もしてやろうかと思ってる」

「お節介?」

 ベンツは銀座に入っていた。

 そのうちのビル、一つの前に止まる。

「そら、探してる奴は、そこに住んでいる。行ってこいよ」

 運転手が後部座席のドアを開ける。

 騨里と燈華が降りると、ベンツは迷う事無く、車道に戻っていった。

 様々な女性用アパレルブランドの入ったビルの前で、二人は車を見送った。

 騨里は燈華とともにビルの中に足を進めた。

 まるで場違いの店内を隅にあるエレベーターまで進むと、最上階のボタンを押した。

 内臓がせり上がる感覚が襲ってくる。

 十二階に到着するとドアが開く。

 騨里は非常階段を探す。

 無防備にも鍵は掛かっていなかった。

 二人は打ちっぱなしのコンクリートに固められた階段を昇った。

 屋上の手前の踊り場に、巨大な鋼鉄製の扉がある。

 ここも鍵は解放されたままだ。

 遠慮無く開いて、くぐる。

 そこは、絨毯敷きの通路になっており、歩いて行くと、左右にドアがいくつか並び始めた。

「おまえらな、こんなところまで、なんの用だよ?」

 廊下に女性の声が響いた。

 それは、奥にある檜造りの扉の奥から発せられたものらしかった。

「部下が上司訪ねててくるのって、そんなにおかしいかよ」

 騨里は応えて、声のそばに近づいていった。

 影はすでに展開してある。

 燈華も、リーメイの影を広げていた。

 いきなり、目の前の壁が吹き飛んだ。

 瓦礫が散って床に積もり、白い煙が辺りを覆う。

 二人はいきなりのことに数歩、引いた。

 目と気道に塵が入り、激しく咳き込んで涙を流す。

 奥から、結んだ髪を後ろで丸く巻いた細身の女性が現れた。

 紅いブラウスに、濃紺のスカートを穿いて、足下はサンダルだった。       

 街道因子局長、吉井颯だ。

「いま、あたしは機嫌が悪いんだ。ろくな連絡も無く来たって事は、ろくなもんじゃないって事だろう? なにが上司を訪ねてくるだ! おまえもあたしを裏切ったに決まってる!」

 彼女の目に溜まった涙は、塵のせいだけじゃないらしい。

 街道因子の歴史は粛正の歴史だった。

 颯が疑わしいと見た隊長達は、すぐに遠慮無く極秘に処分された。

 そのほとんどに騨里が絡んでいる。

 いや、実行役は彼だった。

『おい、やべーぜ。こいつ、マジでおかしくなってる』

 ジョーカは恐怖するというよりも、驚き呆れた様子だった。 

「リストにある通りだよ……」

 騨里は短く答えた。

 リスト・ファイルに書かれた行動と収入収支から、その組織の様子が炙られるようにして見えてくるのだ。

 颯は、街道因子をイマジロイドの為と言うよりも、人間の為に造っていた。

 上手くバランスを取り、なんとか組織を維持できていた。

 しかし、ゆっくりと彼女の理想は崩れていった。

 大企業も身一つで支配出来る権力は、あっという間に隊長達の腐敗を招いた。

 はじめは自ら手を下していたが、騨里を見つけたとき、姿を隠して籠もるようになった。

 騨里は獄中結婚して、出てきた夫婦の間に産まれた子である。

 だが、その結婚は上手くいかず、あげくに彼は孤児となった。

 ジョーカは彼が産まれてから意識野に住んでいた。

 ある意味、両親がジョーカを子供に招いたといえる。

 その後、十代も半ばになると颯に見いだされて、極秘の街道因子となった。

 彼等の規律違反は絶えず、騨里はいつも仕事にかり出された。

 時に無実な相手であってもだ。

 颯の罪は、騨里の罪でもある。

 颯はすでに街道因子を見限っていた。

 彼女は別組織を造る為に、街道因子を一掃しようとしていた。

 騨里達が訪ねたのは、丁度良い火に入る虫だったのだ。

「みんなみんな、滅んでしまえ! フールジュ!」

 颯は叫んだ。

 影から両腕に鉄甲をした手の巨大な男が現れた。、褐色の上半身は裸で猫背、長髪で目がなんとなく伸びた前髪からのぞける。

 騨里はカランビットを両手握り、構える。

 リーメイが刀を抜いて、跳んだ。

 フールジュはいきなり間合いに入ってきた、リーメイの上段からの斬撃を左の腕で防ぐ。

 そのままつばぜり合いなどにはぜず、刀を滑らせるように、リーメイはフールジュの首を狙う。

 とっさに身体を反らされて、第二撃も空を食ったリーメイの刀を、フールジュの右手が掴んだ。

 トタン、リーメイは嫌な予感がして、刀から手を放した。

 握られた刀は鈍い爆音とともに、内部で爆発して、粉々になって消えた。

 その拳を蹴って、後ろに距離を置いたリーメイは、足下の影から二本目の刀を抜き出した。

『おい、おもしれぇじゃねぇかよ、この女』

 ジョーカが隙をうかがっていた騨里に上機嫌に語りかける。

「何がだよ」

『美味そうだ、すげー美味そうな匂いがするんだよ』

 影から姿を現してないにもかかわらず、ジョーカがよだれを垂らしているのがわかった。

「食いたいなら、好きにしろ。ただ、舐めるなよ? 街道因子局長だぞ?」

『わーてる、わかーてるよ、騨里さんよ』

 悪そうな笑い声を上げる。

 ずるり、とジョーカが騨里の影から這うように、姿を現そうとする。

 リーメイは、再び、フールジュに向かって刀を振るっていた。

 今度は、決してあの手に握られないように、右に左に跳びながら、斬撃を行う間を図っている。

 颯は終始、悔しげな表情をしていた。

「騨里よ、おまえだけは違うと思っていたよ……」

 彼女はつぶやいた。

「局長、もう何のことを言っているのか、わからないよ。あんたは、俺に全ての面倒を押しつけたんだ。今回もそうだ」

 騨里は、淡々と颯に語り続ける。

「あんたが何を考えているか知らないけが、俺は俺で生き残らなきゃならないんだ」

「もう一度、おまえと私とで組む事は出来ないのか?」

 颯は名残惜しそうだった。

「このまま、おまえを殺してしまうのは、余りにもったいない」

「死ぬのは、あんただよ!!」

 燈華が横から叫んだ。

 颯は突然の声に驚きながら、彼女を見て嗤った。

「トーカか……おまえを街道因子に入れたのは、失敗だったかな」

 チラリと、リーメイを見る。

「影が弱すぎる。こんな程度のじゃ、新宿界隈にはごまんと転がってるぜ?」

「うるさい、知ったことか!!」

 燈華は激高した。

 すぐに騨里が、その腰に手を回して後ろに下げる。    

「クソばばぁ、リーメイの強さ知らないくせに!! 今見せてやるよ!」

 その肩口から顔を出して、燈華は叫んだ。

「リーメイ!」

 戦いに夢中で話は頭に入ってきていなかったが、彼女に呼ばれた理由は、一瞬で理解した。

 リーメイは、一旦、フールジュから離れて後退した。

 横に、影から半身を出してうかがっていたモノがいた。

 黒い外衣を着た、筋肉の引き締まった色白の男だ。

 リーメイが一旦、影に浸かるように納まりかけるてふたたび姿を現したとき、意外な格好をしていた。

 愛嬌のある少年だったが、腕が四本で、それぞれに一本ずつ刀と槍を握り、顔が頭部の正面と側面に一つづつついていた。髪は燃えるように逆立って、上半身が裸でゆったりとしたズボンの下に、白雲が漂っている。

「ほぅ。これはこれは、立派なお姿に」

 颯は楽しげに笑う。

 まだまだ余裕があるのだ。

 リーメイが、依然と同じスピードでフールジュと間を取る。

 刀が突かれてフールジュが握り止めると、爆発が起こって柄の部分から折れる。

 だが、出来た隙に、槍と刀が三つ同時に振るわれる。

 フールジュは横に飛び退いた。

 だが、槍の本のが横と頭上から追ってくる。

 さすがに一本は鉄甲で防いだが、頭上のは避けられなかった。

 重い一撃が、なんとか首をかしげた頭の片隅に叩きつけられて、フールジュは、一瞬、意識が飛んだ。

 新たな刀を抜いて構えたリーメイが懐に入り、左右から横薙ぎの一閃を喰らわせる。

 フールジュは無意識で、刀の刃を手のひらに握っていた。ギリギリのところで、意識を回復して、二本の刀を爆破した。

『リーメイを下げさせろよ、全然相手になってないじゃねぇか』

 ジョーカは、すでに姿を現していた。

 意外にも惚れ惚れするほどに美しい相貌で、背の高い細身の男だった。

「トーカ、俺に任せろ」

 騨里は静かに言った。

 悔しげな表情をチラリと見せたが、燈華は言葉に従って、リーメイをフールジュから離して側に置いた。 

「やっとおまえか、騨里」

 颯は待ちくたびれたとばかりに、息を吐く。

「おまちどう」

 騨里は表情の無い顔で、応じた。  

『美味そうだよ、実に美味そうだ』

 人間のクズが。

 騨里は思ったが、あえて口にしなかった。

 だが、電脳に住んでいるジョーカという影の存在には伝わったかも知れない。

 どっちでもいい。

 ゆっくりとジョーカが、フールジュに近づいて行く。

 フールジュは、再びだらりと手を下げた猫背姿で、髪の隙間からジョーカをにらみつける。

 なんの不思議も無い印象を受けるほど、二人は自然に間合いに入った。

 フールジュが腕を振って、ジョーカの左腕を掴んだ。

 だが、ジョーカは無視して、さらに身体を近づけ相手の首の後ろに手を巻いて顔面を引き寄せた。

『騨里が、人間のクズだとよ。お互い、堕ちたもんだよなぁ、イマジロイドごときにこき使われてるんだからなぁ』

 自嘲の入った言葉に、フールジュの動きが止まる。

『……誰が、人間のクズだ……』

 やっと口を開く。

 腕は爆発しなかった。

『おまえ、どうしてあの女に使われている?』

『おまえこそ、あんなガキに使われてるじゃねぇかよ』

 ジョーカは嗤った。恐ろしい程に、邪悪な笑みだった。

『それは良いんだよ。問題はおまえだ』

「フールジュ、どうした?」

 颯が不審に思って、声を掛ける。

『かわいそうになぁ、おまえは、あんなのにこき使われたあげく、どうなると思う?』

 思わずフールジュはジョーカを見上げ、次の言葉を待った。

『死ぬんだよ。おまえはここで、残念な事に俺に殺される』

 言った途端にジョーカは、フールジュの喉元に食いついていた。

『ア、ゴ……ア……!!』

 気管を食い破られて悲鳴が出なくない。

 さらにジョーカは、力の抜けたフールジュの肉体を食べ出した。

「フールジュ!?」

 颯が慌てて腰から拳銃を抜こうとした。

 燈華がリーメイをやろうとするところを、軽く押した騨里が一瞬で颯の懐に飛び込んでいた。

 彼は、両手に持ったカランビットで、颯の胸と首を同時に深くえぐった。

 吹き出した鮮血が、騨里に返り血として降りかかる。

「あんたは、俺が殺らなきゃ、意味が無かったから……」

 絶望した顔を騨里に見せて、颯の身体が崩れ落ちた。




 二人はモンキーで足立にあるマンションに戻っていた。

 騨里は不機嫌に黙り、ソファに座っている。

 燈華は心配げにそれを眺めることしか出来なかった。

 仕方が無いので、作りかけのジグゾーパズルを、彼を見える位置で始める。

 時間も深夜二時を超えて、やっと騨里は動き出した。

「トーカ、荷物を整理しな」

 突然言われ、燈華は首をかしげた。至って自然に振る舞う。

「何がどうしたの? どういうことかな? かなかな?」

「東京を出る。もう、こんなところに居たくないし、用もない」

 吐き捨てるように言う。

「ふーん。まぁ、騨里が良いなら、良いけどさ」

 燈華はジグゾーパズルを脇にどける。

「どこに行くのさ? 荷物積む車は?」

「ない。最小限のモノをバックに詰めてよ」

「どこで、どうやって生活するの?」

「ああ、それなら、まぁちょっとアテがある」

 騨里は偽悪的な顔をした。




『なかなか良い少年では無いか』

 集まった影の一つが声を出す。

『意外に使えるな。最初はただの役立たずと思っていたが』

『これから、監視を強化しよう』

『誰か、接触出来る者はいるか?』

『真琴ができそうだが』

『いや、奴にやらせれば、また図に乗る事になる。他に誰かをあたってみよう』

『ならば、誰がいる?』

『丁度いい相手がいる。それを利用しよう』

『ほう、何か考えがあるのか』

『考えと言うほどのものでは無いが、悪くはないだろう』

『それは楽しみだ。またの機会を楽しみにしている』

 影達は、順番に消えていった。




 騨里は燈華をのせたモンキーで、公道を走った。

 彼女にも、どこに行くかは言っていない。

 とにかく、身一つなのは確かだった。

 モンキーが止まったのは、元F・Eで現N・アークの本社駐車場だった。

「ほぇー。騨里、なんでこんなところに?」

 燈華が素朴な疑問を口にする。

「ちょっとは街道因子らしいことをしようと思って」

 バイクのキーをジャラジャラと鳴らして、騨里はにニヤついた。

 どの企業も組織も、カウンターには受付嬢を置いている。

 騨里はいつも通りに堂々と向かって行き、見栄を張る時に使う桐で出来た名刺を差し出して、会長に話があると伝えた。

 少し待たされた彼等は受付嬢から、会長は今、裏庭にいると言われそのまま、案内された。

 裏庭というには広く、所々に樹がしげり、森林公園のような場所だった。

 途壱はベンチに座って、缶コーヒーを飲みながら、本を読んでいたところだった。

 二人に気づくと、意外な顔をして軽く驚き、本を閉じた。

「いいところだねぇ、会長さん。他に人は?」

 騨里は旧友を訪ねたかのような態度で、ベンチのそばまで来た。

「まぁ、ここは一般社員も入れない俺だけの場所でね」  

 途壱も緊張感の無いリラックスした様子だった。

 芝生にコケが混ざった地面は、柔らかく空気は東京とは思えないほどに澄んでいる。

「で、どうした街道因子が二人も。命乞いでもしに来たか?」

 途壱は毒の無い冗談のような口調だった。

「いや、実は単なる用事できた」

「ほう、どんな?」

「献金を受け取りに」

 途壱は、大きく笑った。

「献金! なるほどなぁ、一体どうしたんだ? そんなもの、他の会社からでもたっぷりもらえるだろう」

「あんたのところからだからこそ、良いんじゃ無いか。いくらでもぽんと、手切れ金のように、たっぷりくれよ」

 騨里も悪ぶれない笑みを浮かべていた。

「手切れ金か。街道因子のことだから、信用は出来んが。何かあったのかい?」

「特にないな。まぁ、金さえくれるなら今後一切、あんたらのところには、刃向かわないし、手も出さないよ。金額によるけどね」

「金額といっても、キャッシュだろう? ジェラルミンで何個もって訳にはいかなそうだがね」

「その裁量は、任せるよ」

「へぇ、任されたか。ちょっと怖いな」

 途壱は軽い調子で言ってから、携帯通信機を取り出した。

 部下らしき、人物に向かって何やら指示を出していた。

 通話がおわると、途壱は再び本を開いて視線を落とした。

「カウンターに用意させた。持っていきな」

 騨里と燈華は、特に礼も言わずに、そのまま来た道を戻る。

 カウンターには、重そうなジェラルミンケースが四つ、堂々と置かれていた。

 騨里は、そのうちの一つを開き、中から、鞄に入るだけ適当に詰め込んで、あとのものには一切手を触れなかった。

 恐らく五千万前後だろうと、眺めていた受付嬢は思った。

「それだけでよろしいのですか?」

 彼女は念のために訊いてみた。

「ああ、十分だよ。あとの残りは、俺から社員へのプレゼントだ。配ってくれるかな?」

「あら、随分と粋なことですね。喜んでそうしますわ」

 受付嬢はニッコリと笑って、去って行く二人に頭を下げた。




「吉井颯が死んだ、か」

 チカゲは独自のネットワークから、早速情報を得ていた。

 畳敷きの部屋には、蘭もいた。

 警察は失態だらけだが、関係部署に係わっていないので、彼女は自身の昇進には影響が無かった。

「街道因子は、コレであと一人となった訳ですか。事実上の解体ですね」

「そうだな。後継者も名乗って出てこないんだ。それで、警察は犯人を捜して捕まえるのかい?」

「さぁ。わたしは関係ないですからね。大体、人間の事件ですし、我々サイロイドは手出しする訳には行かないんじゃ無いでしょうか」

「なるほどね。人間万歳だ」

 チカゲは皮肉に鼻で嗤った。

 二人の前には、静岡産のお茶と、和菓子が二個ずつ置かれていた。

 蘭は一個の半分ほど食べており、お茶の香りを堪能しつつ、口を付けていた。

「これで、またあなた方が忙しくなるんじゃないですか?」

 蘭はあえて、ローフ・ファミリーのボスに訊く。

「そうだなぁ。あたしのところも、いい加減、N・アークかウィズ・エンジンか決めなきゃならんが、N・アークは人間側だからな。ウィズ・エンジンのところに食い込んで、なんとかシノギを得るさ」

「そうですか。まぁ、仕事ですものね」

「あんたはどうするんだ?」

「わたしにはまだやることが残っています」

「そうか。忙しいことだな」

「ええ、ただ昇進試験の勉強が遅れるのが、頭痛の種ですけどね」

「有り余って、良いことがあるんじゃ無いのかい?」

 チカゲは意味ありげな表情になる。

「なんとも言えませんね」

 蘭はぼかしつつも、否定しなかった。




 港区を過ぎる寸前に、突然、モンキーが道路で跳ね上がった。

 騨里と燈華はアスファルトに身体を叩き付けられ、しばらく動けなかった。

 国道からの裏通りで、住宅街である。

 車が飛び込んでくる事も無かったことのが、まだマシというところか。

 朝からバタバタとして、もうすぐ夕刻に迫る。

 車椅子に乗った少年が道のかどから現れ、ジェイバブ、維璃緒と続いた。

 モンキーの事故はジェイハブが投げた標識の鉄パイプが前方車輪にぶつかったおかげだった。

「やぁ、二人とも」

 維璃緒は、騨里と燈華に場違いなほど陽気な声をかけた。

 彼女は相変わらず帽子にブラウス、サスペンダースカートと言った格好だが、身にまとった雰囲気は禍々しく、不気味なものだった。

「イリオ……出てきたのか……」

 騨里は打ちつけた身体をかばった、無理矢理な姿勢で立ち上がった。

 燈華も同時に影を広げる。

「おかげで、随分なものにさせられたよ、騨里」

「大人しく刑務所入っていれば良かったものを」

「冗談! 殺されるだろう!?」

 維璃緒は大真面目に答える。

「まぁ、その前におまえ等を殺りにきたんだけどね」

 ジェイハブはわかるが、全面の白い格好した少年が騨里には気になった。

 燈華の影でもありながら、自らも影を持っている不可解な存在だ。

「そいつは?」

「ん? ア=リワンのことか?」

 聞いたとき、騨里は内心で衝撃を受けた。

 重罪で人間から地上に封印された影。

 まさかだった。維璃緒は彼を解放したのか。

 燈華のリーメイが駆けだした。

 維璃緒本人を狙って右廻りの軌道を描く。

 だが、すぐ近くまで近づいた時には、ジェイハブが維璃緒との壁になっていた。

 リーメイはまずジェイハブに刀を抜きざまの一刀を加えた。

 ジェイハブは左手の長い爪で受け流し、右手を振り上げる。

 交さった爪の上をそのまま滑らせるようにして懐に入ったリーメイは、勢いのままに首筋まで刀を伸ばす。

 ジェイハブは素早い太刀筋からなんとか一歩横にずれて、皮一枚を斬られただけでよけた。

 回転するようにして、右手をリーメイに振るう。

 少年は刀を背負うようにして受け止めるが、力に押されて吹き飛ばされ素になるところを、爪に蹴りを入れてバランスをとり、後方に着地した。

『グーゾーガァキーーー!!』

 ジェイハブは乱杭歯を見せて怒りに吠える。

『手伝おうか?』

 ア=リワンが、維璃緒に軽く振り返る。

「いや、あなたは騨里を」

『わかったよ』

 少年は意味ありげな笑みを、騨里に向ける。

 影が広がり、それぞれから七匹の小竜が姿を覗かせた。

 このまま逃げるか応戦するか、ジョーカしか影をもたない騨里はまだ迷っていた。

 カランビットはすでに両手にカランビットを握っている。

 小竜は一斉に騨里に向かって距離を取った位置に跳んで広がる。

 騨里は意図を読んで焦り、必至に攪乱するよう走り出した。

 小竜たちはパズルのピースを嵌めるかのように、次々に攻撃できる場所に移動する。

 ちょくちょくと光子砲を進路に撃ち、騨里を追い詰める。

 騨里は必至に逃げる。

「くそっ、ジョーカ!? どうにかできないのかよ!?」

『あ? やって良いならやるぞ?』

「はぁ!? 何今更勿体ぶってるんだよ!?」

『俺を誰だと思ってるんだよ?』

「図に乗ってんじゃねぇよ、人間のカスのくせに!」

『誰がカスだよ、低脳のイマジロイド風情がよ』

 ジョーカはつづけた。

『どれ、ちょっくら、やってやるか』

 騨里の影から、筋肉の引き締まった痩身を長い黒の外衣で包んだ男が、不適な笑みを浮かべながら現れた。

 ジョーカは、口から光子砲を放とうとしている一匹の小竜に向かって手を伸ばした。

 次の瞬間、小竜はズタズタにされた少女の死骸となって、路上に転がった。

 ジョーカは嗤った。

『ほぅ……』

 ア=リワンは眼鏡に手を当てて、声をもらした。

「なんだあれ、ア=リワン」

 維緒璃は驚きをなんとか抑えた。

『安心して。気にしないでも大丈夫』

 ア=リワンは落ち着いていた。

 小竜を攪乱に使い、新たな影を伸ばして行く。

 爆発したかのような、血の飛沫が飛び、また小竜の一匹が死体となった。

『ふはは、雑魚だ雑魚、こんなもん相手にもならないぜ』

 ジョーカが哄笑する。

 リーメイはジェイハブの脇腹に突きを喰らわして、刀を根元まで差し込ませたところだった。

 だが、ジェイハブは構わずに腕を振って、強烈な裏拳をリーメイの首に喰らわせていた。

 リーメイは刀を手放して吹き飛び、動かなくなった。

「!?」

 燈華は驚いて、リーメイに駆け寄る。

 ア=リワンの影が、そちらに迫った。

 近づく影は途中、構わず小竜の変化した死体の上を通ろうとする。

 足が触れた途端、死体は砂が吹き飛ばされるかのように、崩れ去って行く。

『やべぇぞ……ア=リワンといえば影殺しで追放された、ガチの奴だぜ?』

 騨里は、ジョーカを引きずって燈華のそばに走る。

 だが、ア=リワンのほうが早かった。

 不気味な恐怖を覚えて、燈華は慌てて後ろにさがる。

 リーメイはまだ倒れたままだ。

 影が手を伸ばすと、リーメイは、足下から、ゆっくりと崩れだした。

「リーメイ!」

 燈華が叫ぶ。

『おい、あいつはヤバい!』

 ジョーカが苦々しく言った。

 車椅子の少年は含み笑いをしつつ、影をジョーカに迫らせる。

 ジョーカは追いつかれ、左手で影を掴もうとした。

 右の下腕を握った瞬間、小さな爆発が起きた。

 弾かれるように腕を後ろにやったジョーカだったが、、手首から先を失っていた。

 「こっちに来い、ジョーカ」

 騨里の言葉に、影としてのジョーカが騨里に重なる。

 様子を眺めていた維璃緒は気分が良かった。

 自分は今、完全にこの場を支配している。

 絶対的な力。

 維璃緒は完全に酔っていた。

「目を覚まして!」        

 唐突な叫び声。

 維璃緒の視界は突然、暗転した。




「随分と大人しいな」

「いつも、こんな調子だよ。不気味だけどな」

「ああ、確かに気持ち悪い」

 様子を見に来た刑事達が、独房の中を覗いて、去って行った。

 そこには、ベッドに身を投げるような格好をして座る維璃緒の姿があった。

 気がつくと、彼女は足立署に戻っていた。

 しかし、ニヤニヤとした笑いが止まらない。

 確信があったのだ。

 自分は、イマジロイドのいる地上を支配できる力を持っている。

 犯罪の件数、四十件近くが証明している。

『あなたはすでに、女王だ』

 ア=リワンが影の中から言った。

 そう、わたしは女王。犯罪者の中の犯罪者。

 全ての影を支配するもの。

 維留緒はまた、くっくっと声を漏らした。




『で、その少年か』

 放射状に影が集まっていた。

 真ん中に、騨里と燈華が真琴と共に立っている。

「ええ、イマジロイドが経営する組織全体のリストファイルを持っています」

 真琴は、チラリと騨里に視線をやる。

 超然とした表情からは、何を考えているのか読めなかった。

「そして、街道因子を実質始末したのは、彼と言ってもいいでしょう」

『ふむ、わかった。君達を我々の側に招待しよう』

 ニヤリとしたくなったのを抑えて、真琴は優雅に頭をさげた。

 騨里は終始無言で、人間達との会見を終えた。

 これしか方法はなかった。

 望まない立場だが、生き残る為だ、仕方が無いだろう。

 帰り道、燈華は無表情を崩さない彼の頬を指でつついた。

「……なんだよ」

 振り返った騨里の視界に、燈華の思い切った変顔が飛び込んできた。

 思わず、笑ってしまう。

 燈華も微笑んだ。

「うん、それでいいの」

 彼女は短く言って、自らうなづいた。

 騨里はつい、苦笑してしまった。

 これでいい。

 正直、納得は行かない仕方の無い選択だったが、これでいい。

 騨里は燈化の頭を撫でると、また歩き出した。




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