3
風優と禅渡は、足立区にある騨里と燈華が済むマンションの前まで来た。
時間は、午前1時である。
風優はチュッパチャプスを咥えながら、首を折って上を眺めた。
「さて、殺るかと思ったけど。このマンション、知ってるわ」
「あ? 来たことあるのか?」
「違うねー。禅渡、家に居てもテレビは野球かなんかで、ビールばっか飲んでる汚部屋にすんでるでしょー?」
「決めつけてんじゃねぇよ。今はドック・レースだ」
風優が一瞬冷たい目を、禅渡に向ける。
腕をまくったコートを羽織っているのが、一層、彼を不気味に見せていた。
「どうでもいいけど、ここ、未解決事件が多発するマンションとして、有名だよ」
「へぇ~。噂だろう、そんなもん」
「調べればすぐにヒットするよ? 殺人鬼大好き風優さんを舐めるなよー」
チュッパチャプスを、口の中で転がす。
「めんどくせぇ」
言いつつ禅渡は浮遊ディスプレイを開いた。
マンション・添の樹。築九年。空室は半分。そのうちのさらに半分が、何らかの事件の舞台として、上がるが警察は迷宮入りと捜査本部を解散、捜査一課二係に全権譲渡している。
噂どこか、事実らしい。
「俺等みたいな、街道因子の巣だからな。警察は手が出せないじゃないのか?」
「警察と街道因子は敵対関係だよ。中にはドブにはまったのもいるだろうけども、一人二人が味方したって、事件をもみ消せるような組織じゃないでしょ、警察は」
自らのN・アークが今回の襲撃に警察が目をつぶっていることなど、お構いなしに嫌悪感を醸し出して言う。
「まぁたしかになぁ」
どうでもいいと、禅渡は適当に返事をした。
そこに足音が近づいてきた。
ブーツのものだったが、軽快そうな歩調で少女のものとわかる。
音は街灯三つ分の距離で止まった。
夕飯だろう、コンビニの袋を持った、揃えないで切った髪の毛をした少女が明かりに照らされていた。
「あー、もしかして、あたしに用? てか、目的があたし?」
燈華はすっとぼけると言うよりも、挑発するような口調だった。
「よくわかったねー。部屋まで行かなくて良かったわー」
風優は笑ったが、同じ笑いでも禅渡のものは、より不気味で凄みがあった。
だらりと手を下げて猫背の男は、一つの街灯の下までのっそりと歩いて行った。
「ああ、待ってよ、殺すのは、あたしだよ!」
影を背後で三枚広げながら、ぐるりと禅渡を避けて大きく曲がり、風優は駆けだした。
燈華が街灯に照らされて伸びていた影からもう一枚の影をスライドさせて出現させる。
風が鋭く鳴った。
影から現れた少年が、一瞬で風優が放った空気の刃を斬り崩し、燈華に夏の生暖かい風を浴びせた。
「後ろにゃ、俺がいるんだぜ?」
せせら笑うように禅渡が影から這い上がるように、光子砲の三連四基を持った少女が現れる。
燈華は、反射的に建物のほうに、避けた。
構わず、一基を燈華に、三基を影の少年に向けて発射する。
光条がマンションの壁に穴を開ける。
そこは非常階段になっていた。根元が無くなった螺旋状の独立した塔は、禅渡に覆い被さるように倒れてくる。
「何だよ、めんどくせぇな……」
光子砲を階段に乱射して細切れにすると、禅渡はその場からのそりと移動した。
風圧を感じた。
とっさに左腕で頭と首をかばったが、影の少年は横薙ぎの一閃で、腕を斬り飛ばす。
「ぅおおおおおおおおっ!?」
禅渡はまだ来ない痛みより、腕が無くなった衝撃に呻くような悲鳴を上げる。
痛みは後からやってくる程に鮮やかな切り口だった。
「……てめぇ……」
禅渡は、スキットルを取り出して切り口にウィスキーをぶちまけるように垂らすと、コートの袖を伸ばして肩口を縛る。
「風優……このくそガキのアマは八つ裂きにするぞ!」
「まーかせて!」
風優は風を吹き上がらせる。
「うるせぇ! 俺がやるんだよ、てめぇは黙ってすっこんでろ!」
禅渡は完全に頭に血が上ったらしい。真っ直ぐに燈華に向かって走り出す。
光子砲が折りたたまれて、巨大な四本の剣に形を変えた。
一撃は、燈華がギリギリのところでよける。
足下のアスファルトが砕けて、中の砂利が飛び散る。
次の剣が振り下ろされる寸前、少年の影は戻って来て、剣を支えていたアーム状の部分をすくうようにしたから斬り放す。
二本の剣が飛び、遙か後方で道に刺ささり、オブジェのように立った。
「クソがきが、てめぇは何なんだよ!?」
燈華の影にまで怒りをぶちまけ、残った剣を叩き付けようとする。
少年は、切断したアームのほうに身体を半身になって避け、剣が中を振り抜いた瞬間に、上から刀を振るう。
禅渡の剣は全て斬り放されて、中央の操作している少女だけになった。
その時、乾いた散発的な銃声が鳴った。
風優の影に弾丸が数発当たり、弾かれて跳んで行く。
燈華を抜かした二人が見上げると、マンションの所々から、拳銃、サブマシンガンやロケット砲まで抱えた男達が、窓から姿を現していた。
「何だ、あいつら……」
禅渡は舌打ちした。
「ローフ・ファミリーの連中だわ。いったん引き上げるよ、禅渡!」
風優は禅渡が動かないで有ろうと思い、駆けながらすれ違いざま軽く肩を押して促した。
「畜生が! 次だ、次に会ったときに決着をつけてやる!」
禅渡は苦々しそうに、風優に従った。
足立署は密かに、厳戒態勢を敷いていた。
形だけとはいえ、どんな組織よりも悪名高い街道因子が拘束されるのだ。
騨里はフードを目深く被り、マフラーで顔を隠している。
マスコミはヘリまでだし、護送車はごった返す人々の中を、強引に署まで進む。
野次馬の後ろで、維璃緒は初めての煙草をむせながら吸いっていた。
目の前を、護送車が通り過ぎて行く。
彼女は吸い殻を捨てると、ゆっくり足立署の横に回った。
影を一つ、スライドさせて増やす。
「ア=リワン、準備は良い?」
『ようやく、僕の出番が近いんだね』
影とは思えないはっきりとした姿だった。
自動車椅子に白い服装の、眼鏡を掛けた少年は、警察署の塀の前に進んで行く。
ア=リワンには影があった。
影を持つ影。通常であるプラットホーム用の影とは全く異なる存在だという証である。
影が伸びてその手が触れると、鋼鉄製の壁が一部、砂を吹き散らす華のように霧散した。
敷地内に入る二人だが、署内では警報も鳴らなかった。
背後では、すでに壁が復旧している。無くなったのは、一瞬のことだ。
再び、ア=リワンは、警察署の建物に穴を開ける。
長い廊下の隅にでると、しばらく頭の中の地図を頼りに進む。
「ミサ? ここで大丈夫?」
部屋は巨大なマジックミラーが張り付き、取り調べ室がのぞけた。
『丁度いい』
影の一つから、小柄なボブカットの少女が沸くように現れた。
『あたしがやるのは、あくまでサポートだから、本番はあなたがやるのよ、イリオ」
ウエストポーチからリヴォルバーを抜いた維璃緒は、輪胴から特殊仕様の徹甲弾を確認して頷いた。
人々の往来とあちらこちらからの声が大きくなり、護送車から警察と騨里が降りてきたのがわかる。
しばらくして、二人の警官に間を挟まれた騨里が先に取り調べ室に入り、私服の刑事二人が付いてドアを閉めた。
調書を取る為に座った警官と、ドア口で起立不動になった二人を背後に、
刑事は一つしかない机へと、騨里を促した。
維璃緒から見ると、皆、和気藹々として居るように見えた。
さすがに、あの中に飛び込む勇気は維璃緒にはない。
ア=リワンなら、もしかしたら一瞬で始末できてしまうかも知れない。
だが、そんな賭けをする気など、全くなかった。
だからこそ、隣の部屋で待っていたのだ。
維璃緒はリヴォルバーをマジックミラー越しに騨里を狙って構えた。
「いいよ、ミサ」
ボブカットの少女は頷いた。
次の一瞬、警察署全体が閃光に包まれた。
高圧電流によって署の電気系統は全て破壊され、闇が全てを包んだ。
同時に維璃緒はトリガーを一息づつ、三回引いていた。
銃声が瞬き、マジックミラーを発射光に乱反射させながら粉々に砕く。
だが、次の瞬間信じられないことが起こった。
薄暗いなか、机の椅子に座っているのは、維璃緒自身であり、刑事が一人厳しい目で机の向こうに立っていた。もう一人は、様子を見るように彼の横にいる。
そして、砕けたマジックミラーの奥にいたのは、目を細め、薄く笑っている騨里だった。
「さて、お嬢さん、何か言いたいことは?」
明らかに不機嫌丸出しの刑事が、テーブルに片手を突いた。
そこには、見覚えのない、親子らしい写真が一人づつ、三枚並んでいた。
イマジロイドの、至って普通の家族と言った印象で、両親は四十がらみ、娘はまだ十代と言った様子だ。
「え……?」
維璃緒が戸惑っている隙に、騨里は姿を消した。
「この三人に見覚えが無いかと訊いている!」
刑事が大声を張り上げた。
維璃緒は反射的に写真に視線を落とした。
不思議に親近感がわいた。
気づく。これは見覚えがあるなんてものではない。
自分の写真とその両親ではないか。
「これは……?」
維璃緒は上目遣いで、二人の刑事を見比べた。
歳のいった刑事がため息を吐く。
「……昨日、午前七時。南青山で、一家の自宅に侵入者が現れ、三人が殺害されると言う、事件が起こった。目撃者は、君一人だ。通報してきたのも君。我々は事件の全てを君から訊くしかないのだよ」
自分の影が自然本来の物しかない。
ミサ、ア=リワン、どこにいった?
「ほら、言うんだ! 君は第一の犯人候補だってわかっているのか!? このままなら、一家殺人の罪は重いんだぞ!」
若い刑事が怒鳴る。
「まぁ、いい。今回は事件の説明だけしたところで切り上げようか。考えることもあるだろう」
年配の刑事は首をさすりながら、維璃緒の両手に手錠を掛けた。
彼女はそのまま、留置所に戻される。
扉が閉まる前に手錠を外されたが、維緒璃にはまだ何が何だが理解ができないでいた。
中のベットの上で、記憶をだどる。
騨里に銃弾を撃った。
マジックミラーが砕けた。
そこまでははっきりと覚えている。
自分が自分の家族ごと皆殺しにした?
理屈が合わないなんてものじゃない。しかも自分の写真まであった。
維璃緒は留置担当官に昨日と今日の分の新聞を見せてくれるように頼んだ。
東京新聞が朝刊と夕刊、二冊づつ渡されて、維璃緒は隅々までむさぼるように読んだ。
騨里逮捕のニュースはある。確かだった。
同時に八王子で一家殺害事件の報も書かれていた。
だが、取り調べ室で見せられた写真は明らかに維璃緒のすでに亡くなっている両親と自分だったが、ここでは全くの別人が被害者だった。
目撃者、通報者の情報はない。
維璃緒は確かに八王子出身だった。
おかしい。記憶と被る。
影の影響?
ミサは元より、ア=リワンも姿の気配もない。
新聞に映る被害者の顔が、ゆっくりと頭の中に現れてくる。
汗が吹き出て、手が震える。
笑みが沸いてくる。
そうだ、確かに自分だ。
私が殺したのだ。
大量殺人による封印。
解き放たれた自由。
最初の殺人。
「あー、クソ、訳わかんねぇ」
騨里はすぐ密かに、足立署から新宿の歓楽街近くまで連れて行かれていた。
維璃緒という、街道因子が彼を狙ったことは確かだった。
局長の伊舞樹亜瑠衣からの連絡は、あれ以来無い。
どうして、自分が街道因子達から狙われて、逃げなければならないか、全く手がかりも無く、理解できない。
チカゲの事務所の一室。ほぼリフォームしたての住居といった中で、燈華と再会すると彼女は嬉しそうに抱きついてきた。
彼女も何かあったようで、詳細はそれからリビングで二人飲みながら、お互いの事情を話した。
自分だけならわかるが、燈華まで狙らわれたのが、ふに落ちない。
ただ巻き込まれただけではなさそうな内容だったからだ。
一度、問い詰めようか。
騨里がそう思ったところだった。
チカゲがTシャツにハーフパンツという、相変わらずの眠そうな様子で彼等の部屋を訪ねてきた。
「二人とも~、お~きてるか~?」
護衛も無く珍しく一人だった。
「あんたは寝ぼけてる寸前じゃないのか?」
「おい、酷いなぁ~」
「チカゲちゃーん!」
燈華が泣きそうになりつつ、彼女に飛びつく。頭半分小さなチカゲは、よろけて倒れそうになるが、なんとか燈華を受け止めて、抱きしめた。
「よしよし、トーカ。今日も可愛いな。あの中で良く生き残って来れたね、凄いぞ!」
「チカゲちゃーん!」
今度の言葉には再会の喜びが溢れていた。といっても、昨日も会ったが。
「あー、相変わらず、テレビも付けてないのか」
「くだらんのばかりだからなぁ」
「新聞も読まないとかな。まぁ、最近のニュースは面白いぞ」
チカゲは燈華から離れると、タッチパネルで、リビングの壁に立てかけてあるペーパーヴィジョンのテレビの電源をつけて、ニュースチャンネルを映した。
三人は無意識で、ソファに並んで座った。
テレビでは、性別不明な二十代のニュースキャスターが開いた五つほどのウィンドウディスプレイに映像を流しながら喋っていた。
『……このように、先日設立されたN・アークですが、代表はおらずに合議制により運営されていくことになります』
「あー、例の新企業が起こされた話ね。前言ってたな、チカゲさん」
騨里の声には表面、興味が惹かれている響がない。
「前身がF・Eなのは面白いけど、社長がエージェンシー・フロントの
「……なんだと? あのウィズ・エンジン社の実力部隊か」
騨里が険しい眉をさせて、一気に食いついてきた。
「ウィズ・エンジンの鹿詩とは、袂を別れたらしいよ」
ふふんと鼻を鳴らしたチカゲは、言葉を続けた。
「ちょっと探らせたが今度のこれ、あー、N・アーク? でな、リスト・ファイルとは関係の無い連中を集めて、新しいグローバルな企業を造りを支援するらしいぞ」
「それって、あたしも店出せる奴かなぁ?」
燈華のズレに、チカゲは笑った。
「いいねぇ、それ。トーカは天才だね」
「うわ、なんか馬鹿にされた気分!」
チカゲは楽しそうに燈華の額を指で弾いた。
「で、ウィズ・エンジンも成徳も、危機感を募らせている訳だ。街道因子も係わっているしな」
「あー、な。襲われたわ」
「なぁ、騨里、街道因子はどういうつもりなの?」
「俺が訊きたいもんだわ」
チカゲは呆れたように、騨里にもデコピンする。
「そこ訊いてよ、ちゃんとさぁ」
「へーへー」
鬱陶しそうにしながら、騨里は頷いた。
禅渡は風優に運ばれて、足立区の街にあるセーフハウフにいた。
照明を点けていないので、薄暗い四階にあるマンションの部屋だ。
麻酔を自分で腕に打つと、禅渡はベットに座り、うつむいていた。
力なく、上から摘まむようにビール缶を持ち、煙草を咥えた風優は虚ろに天井を眺めていた。
「……圧倒的戦力で惨敗だぜ、風優」
椅子を傾けて、テーブルに脚を載せている風優は、それを訊いて大きく笑った。
「ほーんと、見事にやられたよねー」
紫煙の中、自虐的で虚ろな笑いだった。
「街道因子としては、余りに情けない結果だな」
「途壱はどう思ってるかなぁ?」
「ああ、報告なんて良いだろう。俺たちが次回、上手くやれれば良いだけの話だ」
「上手くねぇ……」
燈華の影の強力さをまざまざと見せられた風優は、正直いって自信を無くしていた。
察している禅渡だが、励ましの言葉はない。
もう一つ、気づいていることがある。
このセーフハウスは、情報収集能力に秀でているローフ・ファミリーにすでにバレていた。
二人を挟んだところで、急に浮遊ディスプレイが開いた。
スーツを着て、髪を後ろになでつけた男が映り込んでくる。
ウィズ・エンジン社社長、鹿詩真琴だ。
『二人とも、調子はどうだ?』
低い声で、薄笑いを浮かべている。
「見ての通り、絶好調だよ?」
風優は相手をせせら笑うかのような表情になった。
『それは良かった。ところで、聞きたいことがある。なに、大したものじゃない』
二人が返事をしなかったので、真琴はそのまま続けた。
『ウチを裏切っての気分を聞きたくてね?』
「気分? 晴れ晴れとしてるなぁ」
風優はどこかすっとぼけて、即答した。
『なかなか肝の据わったもんだな』
「で、裏切られた恨み節でもしようとしてきたの?」
『そんな訳じゃない。ただ、注意を喚起させてやろうかと思ってね』
「へぇ」
興味の乗らない雰囲気を丸出しにして、風優はビール缶を一度、煽った。
『リスト・ファイルが手に入らない以上、私も考えざるを得なかった。そこで、人間達に接触してみたのだよ。今は使役されることの無い完全な電子の存在となった影の彼等に』 禅渡は大人しく聞いている。
『どうやら、彼等にも裏切りものが出ててね。世間はこんなに信用できなくなってしまったのかねぇ』
「ゴタクはいいから、早くいってもらえるかな?」
『つまりだ、君たちの誰かが人間で、影の世界に対して反抗しようとしている輩がいるのだよ』
風優は鼻で笑った。だんだん、イライラとしてきている。
「知らない知らない、それに知ったことじゃない。何が人間だよ、あたし達は、今忙しいんだ」
『そうか。伝えたいことは、それだけだ。まぁ、せいぜい気を付けるんだな』
浮遊ディスプレイは、それだけで、消えた。
風優は相変わらず、キッチンでビールを口にしている。
禅渡は不気味だった沈黙を破った。
「今の話、結構いい物だと思うがな」
「んー、関係無くない? あたし達はN・アークでその他の街道因子を始末できれば、それでいいんだよ」
これまで禅渡は他の隊長達を始末してきた。
残るは、局長の吉河颯を覗けば、三人と隠し球の一人しかいない。
彼はのっそりと立ち上がった。
「俺もビール貰おうか」
「どうぞ」
冷蔵庫から缶を取りだそうと、風優は背後を見せる。
そこに背後から近づいた禅渡は、彼女の影に手を伸ばした。
風優が気がつく間もなく、影を掴んで無理矢理剥がす。
「っ!? 何を!?」
振り向いた風優の顔面に、禅渡の影から出現していた少女が拳を叩き込んだ。
風優は狭いキッチンで、一瞬海老反りになって、ずるずると腰を落としてうなだれたまま動かなくなった。
「おまえの影は貰ってくぜ……。ガキはせいぜいここでのんびりと酒で憂さでも晴らしてな」
禅渡はかすれた声で言うと、猫背の身体のゆっくりとした歩調でセーフハウスから出て行った。
ウィズ・エンジン社の社長である鹿詩真琴は、社長室の奥にある部屋の扉を開いた。
照明が一つ、天井の中心に付けられているだけの、空間だった。
高級素材を使った三つ揃えのスーツに腰から懐古時計を垂らし、真琴は部屋の中心に立った。
部屋には人間の気配どころか、虫一匹居そうに無い。
「……おいでですかな、皆さん」
静かで重い口調だ。
次の瞬間、部屋の片隅や、中央から離れた場所などから、黒い影が出現し、頭を誠に向けて、円を造った。
影は十二体を数え、真琴を中心に、立った姿でピタリと止まる。
『ご苦労だ、真琴。今度の報告は何だね? 金の無心か? 新たな力が必要なデバイスの材料か?』
影の一つが直接、真琴の電脳部に語りかけてくる。
「あなた方へ反乱を起こし、その座を奪い去ろうと言う集団が特定できました」
『ほう、集団か。確かならいいが、適当な思いつきならば許されないぞ』
この連中は、ふざけているどころか、真琴を見下して茶化しながら相手をしている。
真琴は余裕ぶった態度の内心で、怒りを抑えていた。
自分は今まで、人間に盾突いたことも無ければ、言うことも聞いてきた。だというのに、まだ、信頼するにたらない所詮、イマジロイドという態度を崩さない。
「確かですよ。これをご覧ください」
片手をゆっくりと広げると、その跡に浮遊ディスプレイが開く。
そこには、複雑に山と谷が乱高下するグラフが描かれていた。
「その相手が活動している時の、あなた方人間への支配率と影響です。見ての通り、活動時には、あなた方人間の意思を操る程です」
『なるほど……』
影のいくつかが唸る。
『で、どこの連中だ?』
「N・アークです」
『あいつらか。たしか、会長は元おまえの部下だったろう』
鬱陶しさと、嘲笑に満ちたつぶやきが返ってきた。
「ご安心を。わたしが、彼等をどうにかして見せましょう」
『何が望みだね、真琴よ』
ウィズ・エンジン社の社長は、思わず笑みが漏れそうになった。
「いま、我々ある程度の会社や組織を持つ者が危機に立っていることをご存じでしょう?」
『聞いてはいるが、それはN・アークと無関係なのか? どっちにしろ、たかだかおまえ等が作った組織が、壊れかねない程度だろう』
「その程度のとのご認識であらば、話は早い」
傲慢な人間どもめ。真琴は言葉のあやを取るかのように言う。
「わたしどもが危機に瀕しているのは、街道因子という存在です。コレをそちらでどうにか処理して頂けないでしょうか」
『あの程度の存在に手を焼いているのか、真琴よ。おまえもまだまだ甘いな。まぁ良いだろう。街道因子は我々でどうにかしよう。その代わり、N・アークは貴様が撲滅させろ』
「わかりました」
真琴は物腰柔らかに、深々と頭を下げた。
せいぜいこれぐらいの礼儀で、どうにかなるのだ。
事情をよく知らない、人間共を利用するなどたやすいことだ。
真琴は笑いながら、適当にでっち上げたグラフが描かれている浮遊ウィンドウを閉じて、部屋から出た。
ここ数日、維璃緒の頭の中にある世界はうねるように回転していた。
資料を持った刑事に、取り調べ室に呼ばれるのが、日常茶飯事になっていた。
それも、一件や二件ではない。
捜査一課の二係から一係へ、そして深咲のところに、次々と過去の事件を洗い直しつつ運ぶ作業が行われていたのだった。
維璃緒をいちいち呼ばれるのも煩わしく、刑事達が書類を持って自ら独房に尋ねてくる。
「あー、この事件ですか。覚えがあります……」
維璃緒の意識は疲れなのか何なのか混濁があった。
代わりに、ア=リワンがほぼ維璃緒の身体を動かして、彼女のフリをしながら答えて行く。
「おい、大変なことになったぞ」
足立署の刑事達は熱心に噂をしては、毎度、新事実が出てくるたびに忙しげに現場に急行する。
「へぇ、あの小娘がねぇ。それは凄い。というか凄まじい」
様子を見に来た蘭は、話を聞くと彼女なりの驚愕した感想を漏らした。
聴けば、過去十数年までに起きた未解決事件に、維璃緒が全て関係しているという。
蘭の驚きの理由は少し、彼等とは違った。
騨里の使う影の特徴として、相手を罪に墜とすというものがあった。
文字通り、起こったか起こってないか関係無く、対象者は罪人として警察庁に自動的に記録されるのだ。
彼があまり影を使いたがらないのは、事件と化した以上、ほぼ死刑並の扱いを与えることになり、場合によっては騨里本人にまで関係が浮上しかねないという、強力なものだからだった。
「それって、私たち警察がいなければ意味が無い能力なのでは?」
以前、蘭は素朴に騨里に尋ねてみたが、軽く首を振られた。
彼は珍しく珈琲を苦そうに飲みつつ、答える。
「事件に係わった連中、被害者の関係者たちにも一気にインプットされるから、一度俺のが、まぁジョーカだが、罪を負わせると報復その他社会的制裁などで、袋だたきにされるようなことが起こるんだよ」
警察に捕まるのなんてまだ安全なほうだ。
騨里は付け加えて、自分で淹れた珈琲の失敗作を飲むのをやめていた。
だが、ここまで事が大きくなるとは蘭は思っても居なかった。
すでに維璃緒の容疑は、二十件に届く勢いだ。
中には、ウィズ・エンジン社の輸送トラックを成徳が襲った件まで、黒幕として彼女の名前が掘り出されている。
ア=リワンは、まるで大盤振る舞いをするかのように、事件に関して関与を認め、はまらなかったピースや決定的証拠を上げて行き、刑事達を喜ばせていった。
蘭はむしろ、心配になる。
コレで騨里が無関係のままでいられるはずが無い。
彼女は騨里のいるマンションまで出向いた。
「あははははははは! とろーー! あまーい! あますぎる!」
騨里は、窓の横にあるペーパーヴィジョンの前でクッションに座って、ゴーグルをかけたまま、優越感に両手を掲げてゆらゆらと揺らしていた。
「うっさいうっさい! ちょっとまってな、すぐにでも反撃するから!」
燈華は同じゴーグルを付けて、あぐらの前に置いた両手に力を入れている。
二人がしているのは、SFのシミュレーションゲームで、それぞれが持つ艦隊を操って、相手と戦うというものだった。
普段は騨里一人で楽しんでいたゲームだが、たまたま暇を持て余した燈華がやろうと言いだたのだ。
騨里は普段やり慣れている分、全く大人げない程に本気で燈華の艦隊をあっという間に中央突破して包囲の形を取るところだ。
背後に鍵を開けっぱなしだったドアから入って、腕を組んで呆れ気味に立つ蘭の気配にも気づいていなかった。
「ちょっと呑気過ぎないか?」
彼女のつぶやきに近い小声にようやく気づいた騨里が、ゴーグルのまま振り返る。
当然、ゲームの画面以外見えない。
この隙に燈華は分断された一方を翼進させて包囲を阻止した。もう一方で穴を塞いで、中央突破部隊台の後方を塞ぐ。
「やりーのー! 騨里の艦隊、主力を無力化ーーーー!」
燈華は、勝利の叫びを吐き出して、万歳する。
「あー、話したいのだけど、いまいいかな?」
蘭が二人に今度ははっきりとした言葉を吐いた。
「ハイ無しと」
ゴーグルを外して騨里は一方的に宣言する。
指揮官を無くした艦隊は燈華のやられるままに撃滅された。
「うぇーぃ、勝利だぜー! 今夜は騨里のボルシチだぜー!」
燈華の万歳した手はガツポーズになる。
「で、わざわざ来て貰って、なにかあった?」
騨里は蘭に顔を向けながら、燈華のゴーグルを強引に取る。
「あわ、あわわわ!? あれ、ボルシチ? ボルシチ!?」
唐突に視界が代わり、燈華は軽い目眩を起こす。
「あなたの能力の話よ、騨里」
蘭は座っている燈華の頭を、ぽんぽんと軽く叩く。
「あ、蘭じゃん! こんち!」
見上げて笑顔を作る燈華に、蘭はうなづいた。
「俺のがどうしたって?」
「ニュースみてないの?」
蘭はチラリと、ゲームに使われていたペーパーヴィジョンに視線をやる。
「まぁ、見ての通りな一日だったからねぇ」
騨里は鼻の横を指で掻く。
勝手に蘭がコンソールを弄り、ペーパーヴィジョンに報道番組を映しだす。
今世紀最大の殺人鬼というテロップに
「あなたの能力は無制限なの、騨里? 維璃緒に被さっている容疑は二十件を余裕で超えている」
「ヘンだな……ジョーカ?」
『何だよ?』
ジョーカは不機嫌に返事をする。
『こっちはこっちで大変なんだよ』
「あーそうかい。ちょっと話しきけよ」
『暇ねぇよ。あとでな』
「凄まじいね、コレはさすがに」
横から記事を覗いてきた燈華がつぶやく。
「騨里、あなたの影の能力は他には?」
蘭が通常極秘の事柄を自然に尋ねてくる。
騨里は頭を軽く掻いた。
蘭には隠しておくより、正直に言っておいた方が良いと判断する。
「ないよ。これだけ。相手を重罪に被せて社会から抹殺する」
蘭はうなずいた。
この少年は武闘派の影を持つ街道因子でも隠し球の存在だが、意外に活動しているために、警察は世の中にかなりの量のえん罪事件を作っていることになる。
本来、蘭の知ったことでは無い。彼女は事件などにわずらわされるとこなくキャリアとして昇進してゆくだけなはずった。
だが、すでに係わってしまっている。
これが吉とでるか凶とでるかは、騨里次第だった。
「維璃緒は確実に死刑になるとおもうよ」
「あ、ただジョーカがこれほどやるとは思えないんだよ。今までここまで極悪人にでっち上げた例がない」
「どういうこと?」
騨里は、眉を寄せて考え込む風だったが、結局首をかしげた。
「わからないなぁ」
「そうか。で、これからどうする? 一件はもう終わり?」
「まだ街道因子は存在してるし、まだだね」
「やれやれ、ならこちらの仕事がさらに忙しくなるということね」
蘭はうんざりというより、苦笑を見せた。
騨里はたちあがる。
「さて、ちょっと事態の処理を一個かたづけてくるよ」
当然のように燈華も続く。
「わかった。気を付けて」
蘭は言って、騨里のマンションから出た。
N・アークの本部は渋谷にあった。
騨里は燈華を連れて、会長の途壱に面会を申し込む。
自分の名を名乗ると、あっさりと承諾されて、近くのレストランで会うことになった。
「わざわざ俺のところに出向いてくるとは思わなかったな。おまえが十一番目の街道因子か」
途壱は興味深げに騨里を眺めた。
彼は護衛らしき男を一人つれただけて、ボックス席で一緒になっていた。
「かわいいお嬢さんもつれているんだな」
燈華は頭を掻いて笑い、照れを隠しす。
四人の内、燈華だけが食べ物を注文する。他は珈琲すら頼まない。
「で、なんの話かね?」
燈華のところに鶏肉とトマトにチーズをいれた半熟オムレツが運ばれてきて、彼女は遠慮すること無く、早速食べ始める。
それまで沈黙を守っていた騨里が、やっと口を開いた。
「ウチ等が争うのは、あまり得策では無いと思いましてねぇ」
「ほう、それで?」
途壱は、燈華の食べっぷりに優しげな目を送る。
「おれは、巻き込まれたくないんです。N・アークがウィズ・エンジン社に対立するなら、例のファイルリストを渡してもいいです」
「……へぇ、ファイルをねぇ」
途壱は視線を騨里にもどした。
「俺自身が持ってても、意味が無いものですからね」
「何か要求などないのかね?」
「N・アークの理事にしてください」
騨里は何でも無いことのような口調だった。
「理事か。デカく出た者だ」
途壱は思わず笑った。
「ファイルリストと一緒に出向きますよ」
「なるほど」
少し考えた風な途壱は、一つ頷いた。
「わかった、良いだろう。明日にでも決定させておくよ」
「よろしくお願いします」
もう用はないとばかりに、騨里は立ち上がる。
燈華はまだ食べている最中で、口の中に料理を詰め込んだまま、小さく非難のうなりを上げる。
「我々が先に行こう。きみたちは好きなものを頼んでゆっくりとしていけばいい。わたしの奢りだ」
途壱に燈華は激しくうなづきつつ、頭をさげる。
N・アークの二人がさると燈華は、やっと食べるペースを落とした。
「……どういうこと、あっさりファイル渡すとか言っちゃって。局長の考えとちょっと違うんじゃない?」
直に託された身としては、心配もあるのだろう。
「責任を全てN・アークに負わせるんだよ。街道因子だって手出しができなくなるだろう?」
「安易だねぇ、言っとくけど、披露はするけどそのものは渡す気ないよー」
「コピーはとってあるんだろう?」
「もちろん」
「まぁ、N・アークが暴走しないようにするために、小出しにするのもいいか」
騨里は新たにステーキを頼んで、燈華の食べるスピードよりも速く食べ出した。
「相変わらす、肉好きだね。うんうん」
騨里は食べるごとにでは無く、最初に一口分づつにきりわけた。
無言で燈華が肉切れの一枚にフォークを刺した。
瞬間、騨里のナイフが、フォークの隙間にガツリと差し入れられた。 「俺んだ、ふざけんな」
上目遣いで容赦無く騨里の目は、燈華を睨んだ。
「なんだと? ケチくさい。ケチというのにも程があるよ!」
燈華は騨里の腕を軽く振り払おうとするが、彼も本気だった。
真剣さに呆れた燈華は、笑い出して、フォークを自分の皿に戻す。
「そこまでマジとか。信じられないよー」
「おれは、常に真面目だからな」
「はいはい、そーですねー」
しばらく無言で食事を再開した二人は、三十分程かけて食べ終わった。
会計を素通りして、店からでると外は夕方の光が照っていた。
取り合えずマンションに戻ろうとして裏通りの、モンキーを停めていた空いている駐車場まで歩いた。
だが、思わず二人の足はとまった。
小型バイクはバラバラに破壊されて、無残なすがたになっていた。
近くには小さな子供達が三人、血を流して倒れていた。
「……よう、久しぶり。待ってたぜ?」
返り血をにじませたコートを着た、猫背の男が手をだらりと下げた姿で立っていた。