◆◆十三話◆◆
ナージア王子を倒し、イウがその場に転がっていると。
地面の振動から、接近してくる気配を察知した。
「くそっ……」
すぐそこまで迫っている。敵か、味方か。
王子の所在を知っている者であるならば、前者の可能性が高い。
この場で何があったかは一目瞭然だ。
「ナージア王子ッ!!」
男の悲鳴が耳に届く。敵に違いなかった。
王子の死体を目の当たりにした敵兵は怒り狂い。
満身創痍の彼女を八つ裂きにするだろう。
「しんっど……!」
イウはこの場を離れようと、疲労に軋む上体を持ち上げる。
なんとかして追っ手を撒いて、身を隠さなければ。
「ひゃ!?」
しかし、駆け出そうと力を込めても膝が立たない。
派手に転倒してしまう。
――道化師イウは死を覚悟した。
「逃げるな。俺だ」
「へっ?」
どうしたことだろう。
死を覚悟して振り返ってみれば、そこにいたのは見慣れた顔だった。
「オッサン!?」
ヴィレオン将軍が一人。悠々と近づいてきていた。
他に人影は見当たらない。
悲鳴をあげたのも彼で間違いなさそうだ。
「いまの何っ?! なんで敵兵の真似なんかしたんだよ!!」
イウは抗議した。
どれほど肝を冷やし。何年、寿命を縮めたことか。
「ああ、おまえが打ち漏らした時のために待機していた」
「質問に答えろぉぉぉっ!!」
なぜ悲鳴をあげたのかと問われれば。
その答えは単に、面白かったから。なのだが。
それは重要ではないので割愛した。
「おまえは死んでもかまわんが。主犯を逃がす訳にはいかないからな」
「はあ……。ボクの行動なんか、お見通しか」
介入して即座に決着させることも可能だった。
その上で自由にやらせてくれていたという訳だ。
どの道、王子は助からなかったのだろう。
「指揮官が離れてても大丈夫なの?」
「お前のように出来の悪い弟子とは違う。すぐに鎮圧を完了するだろう」
左遷続きとはいえ、英雄である彼には優秀な崇拝者がたくさんいる。
憧れ、腕を磨き、辺境までついてきた連中は猛者ばかりだ。
城主と息子たちの状況などは、まだ未確認だが。
戦況は一方的であり、既に後始末に入りつつあった。
「王様たちは無事?」
イウの質問に対して。将軍は険しい表情を浮かべる。
「そのことだが――。
賊の襲撃にかこつけて始末してしまうという手を考えている」
「はっ?」
将軍の提案はイウを驚かせた。
マルコライスの懐柔に失敗した場合。
彼が騎士団長の側について女王に仇なす可能性もある。
そうなる前に殺してしまおう。という意味だ。
現領主と後継者候補は、旧王国残党の報復に遭い戦死。
その後、国境警備軍により領土を奪還。
ここまでの筋書きはできている。
あとは女王に働きかけ、マルコライスの不在を将軍が補う形にすれば。
騎士団長に対抗する地盤も固めやすくなる。
より、確実に――。
「ダメダメっ、そんなの!?
おそろしい男だな!! おまえはッ!!」
イウは慌てて将軍の案を否定した。
「言ってみただけだ」
「冗談に聴こえないんだよっ!!」
しかし、ここが大きな分岐点であり。
そうした方が良かったと思える未来が来ないとは限らない。
ヴィレオンが実行しないことを吐露したのは。
そんな憂慮の現れだった。
「それだけ元気なら、身体の心配はいらないな」
さんざんな言われように、彼女は苦い表情を浮かべた。
言いたいことは沢山あるが、庇護されている自覚から強くは出れない。
「……ボク、皆の無事を確認してくる!」
張り合っても無駄だと。
そう言い残して、イウはその場を離れた。
道化師は速歩で戦場を駆け抜ける。
敵兵の死体がそこかしこに転がっていて、自軍の兵士は外周に散らばって行く。
残った敵兵の逃亡を防ぐ体制だ。
「勇者イリーナ、お急ぎですか?」
「あっ、お、お疲れ様ですっ……!」
まったくの他人より、自分を知っている人物の方が。
タイツ姿を見られて恥ずかしい。
声を掛けてきた味方を、気恥しさからやり過ごし。
イウは人目の多い正面を避け、調理室側の通用口から城内へと侵入した。
謁見の間を通るよりも、こちらがマルコライスの寝室に近い。
「王様ちゃん、元気? イウちゃんが来たよ――」
とっくに避難して居ないだろうとも考えたが。
一応、声を掛けて室内に入った。
開け放たれた窓から、月明かりと街灯が射し込むんでいる。
今でこそ収まりつつあるが、喧騒も届いていたに違いない。
「……王様?」
逃げ出すでも、息子たちに護られるでもなく。
先程まで、紛争のただ中だったというのに。
何事も無かったこのように、マルコライスは一人ベッドに横たわっていた。
「王様、寝てるの?」
「……イウか」
彼女が隣で呼び掛けて、マルコライスはようやく反応して見せた。
緩慢な反応だ。
調子が良くないのは知っていた。
数日前から、ロイに剣の稽古をつけるのも辞めてしまったと聴いている。
「病気、重いの?」
イウは枕元に腰掛け、優しく語りかけた。
傍若無人なくらいだったマルコライス。
それが、緊急時に動けないほど、衰えてしまったのかと思うと。
なんとも言えず、物悲しい気持ちになってしまう。
「おお、我が娘よ……」
上体を起こすと、マルコライスはイウに掴みかかった。
「娘じゃないよ。て、ちょちょ、どうしたのさ!?
ああっ! 踊り子さんには手を触れないでくださーい!!」
ガタイの良さ故に驚いたが、半ば倒れかかる形で力もない。
イウはか弱い老人を受け止め、背中を撫でた。
「親不孝な娘でごめんね。お父さん」
いつもの様に、フリに乗っかてやる。
体調の急速な衰えに、気が弱くなっているのかもしれない。
そう考え、慰めていると。
マルコライスの口から、不可解な言葉が吐き出された。
「――殺される。私は、殺される」
「ええっ?」
動かなかったのではなく、恐怖に身がすくんでいたのか。
しかし、この怯えようは尋常ではない。
もしかすると、自分のしてきた非道に対する自覚から。
報復を過度に恐れているのかもしれないとイウは考えた。
「大丈夫、もう心配いらないよ。怖い人達はみんな、追い払ったからね」
そう言った直後。廊下から激しい衝突音が聴こえた。
暴れる様な、何かを叩きつけるような騒音だ。
「……ちょっと、ごめん」
イウはマルコライスを引き離して、立ち上がる。
こちらへと向かってくる足音を察知し、入口を警戒した。
誰だ――。
父を保護しに来た息子の誰かか。
賊の生き残りを捜している味方兵士か。
あるいは、追い詰められた敵兵か。
乱暴な音だ。必死の思いで走っているのだろう。
その人物はドアを突き破る勢いで部屋へと突入。
入り口で転倒。文字通り、転がり込んで来た。
立ち上がった人物を見て、イウは呟く。
「ヤズムート、兵士長……」
緊張が走る――。
彼が敵側であることは承知の上。
そして、手に負えない強敵であることも。
「ゲホッ、ゴホッ! ふっ……フゥーッ」
ヤズムートは呼吸を整え、血走った眼で室内を確認する。
自軍の敗北を察し、起死回生をと。
単身、マルコライスを狙ってきたのだと判断できた。
まさに、死にものぐるい。といった風体。
何人を斬ってきたのだろう。
抜き身の剣身には血液がベッタリと付着し。
返り血が顔や衣服を紅く染めていた。
「道化師殿、そこを退いて頂きたい……!」
鬼気迫る形相だ。
落ち着き払い。表情や感情の表現に乏しかった相手だけに。
まるで別人のように感じられた。
呼吸、立ち姿から。
本人も深刻なダメージを受けているのが伺える。
「ヤズムート兵士長!
ナージア王子は倒れた、終戦だ!」
イウはナージア戦死の証として。『王の剣』を掲げて見せた。
ヤズムートは即座に敗戦を理解すると、その瞳に悔恨の念を宿す。
「無念……ッ!」
彼らにとって、長い。途方もなく永い戦いだった。
生き延び。屈辱に耐え忍び。ついに勝利は目前。
まさか、部外者によって阻止されようとは思いもしなかった。
実際、イリーナが騎士団長の謀反を察知しなければ。
ヴィレオン・ジェスター将軍が国境警備軍に配属されていなければ。
その将軍がマルコライスに拘らなければ。
旧王国軍は復讐を果たせていたのだから。
「投降しなよ。そしたら、できる限り減刑してもらえるよう。
ボクも努力するから」
イウの脳裏をヤズムートとの思い出が過ぎる。
思えば、随分と世話になった相手だ。
亡国の復興。その心情を理解もできる。
敵とはいえ、手に掛けるのは重い相手になっている。
「お心遣い感謝いたします。
しかし、我が身の明日に興味はございません。
今日、この日の為に私は生き。人生の全てを捧げてきたのです。
結果は残念です。無念で仕方がありません。
それでも、我が命。ここで使い切る所存でございますれば。
どうが、御理解いただきたい」
気づけば、彼の足下には血溜まりが出来ている。
傷は深く。どの道、助かりはしない。
「命を賭した使命。障害となるならば、排除するのみでございます」
言葉をいくら積み上げたところで、もはや止まるはずもない。
「それ以上は、進ませない」
イウは『王の剣』を構え、ヤズムートと対峙する。
マルコライスが殺されるのを、黙って見過ごす訳にはいかなかった。
「兵士長。色々、めんどうを見てくれて、ありがとうございました」
決別を前に、イウは感謝の言葉を伝え。
もはや返事をする余力も無いヤズムートは。
口角を少しだけ上げ、それに答えた。
「いざ!」と、消えかけた最後の灯火を煽るように。
イウが開始の合図を告げた。
ヤズムートが踏み出す。
力なく振り下ろされる一撃と交差させて。
イウが介錯の一撃を放った。
王の剣の威力はすさまじく。
突き出した魔法の刃は甲冑ごと、肋骨を砕き。
ヤズムートの胴体を穿つ。
民族の誇りに殉じ、全てを捧げた男を葬る一撃だ。
そのあまりの手応えの無さが、なんとも言えず。
哀しかった――。
◆十四話、失敗