◆◆十二話◆◆
馬を殺された仕返しに、敵大将と一騎打ち――。
道化師イウは、ナージア王子との戦闘に入っていた。
腕力、瞬発力、技術。そして装備に関しては特筆する程。
全てにおいて、ナージアはイウを凌駕する。
彼の武器は、鉄をも切り裂く魔法の剣。
一方のイウは、片手剣グラディウス。
加えて手甲一体型盾という小振りな武装だ。
それが最適の装備。
長剣や大盾を、片手で振るう筋力が彼女にはないのだから。
戦況は一方的だった。
ナージアの攻撃が延々と続き。
イウは横へ後ろへと逃げ惑うばかり。
その姿がみっともなく映らないのは、所作の美しさに寄るものであり。
彼女の特異な能力の一つだった。
「先程までの威勢はどうしたっ!!」
「…………!」
平時ならば不要なくらいに口の回る彼女だが。
劣勢のあまり言い返す余裕は失われていた。
無言で、ひたすらに相手の剣筋に集中する。
騎士団でも指折りの実力者であるドゥイングリスが遅れをとった程だ。
たとえ騎士団の精鋭と言えど。
『王の剣』を操るナージアが相手では、分が悪いと言わざるを得ない。
――とくに、イリーナは弱い剣士だ。
非力で、気が小さくて、経験値が高くない。
一方で、身体操作能力は高く。
本番で練習通りに身体を動かすのは得意だ。
それによって、対策済みのドゥイングリスを手玉にも取れた。
しかし、実際の決闘になるとそうもいかない。
今みたいに、目の前の対応で許容量は限界に達してしまった。
かと言って、自殺しに来た訳では無い。
力の差は覚悟した上で、勝ちに来たのだから。
イリーナは弱い。
それでいて、『意外と勝つ剣士』でもある。
彼女と対峙した強者は、度々、敗北を喫した。
彼女の勝利は。実力、知略、どちらとも無関係であり。
それでいて、運や偶然による結果でもない。
彼女には他にはない。そして少なくないアドバンテージがある。
その幾つかが噛み合うことで。
理不尽にも相手は敗北へと追い込まれる。
勝利の方程式その一。『ミスマッチ』
前述した通り。
イリーナにとって、身体的に劣る戦闘は常である。
つまり、相手が強いことに慣れている。
それによって彼女が必要とされる動作は。
イリーナ以外との対戦では経験しない動きなのだ。
相手側だけが。
常に知らない武器、または流派との対戦を錯覚することになる。
勝利の方程式その二。『臆病の独占』
戦場において臆病は生存率を高めるが。
決闘においては敗北に直結する。
臆病とはハンデである。
一押しする覚悟に対する障害になるからだ。
反応を鈍らせ、刹那の機会を逃す。
何より、それ自体を人は軽蔑する為。本人も禁忌するものなのだ。
しかし、弱者が強者に怯えることを誰も咎めない。
男に立ち向かう彼女に誰も、正々堂々たたかえ。とは言わない。
性差、体格差から。
逃げ腰の闘いに罪悪感や羞恥を伴わなくて済むという理屈。
『臆病を恥じる必要が無い』という特典が、彼女の強みである。
これら二つが噛み合うと、どうなるか。
――結論、勝負が長引く。
本来、決闘は長引かないし。長引かせないものだ。
ポイントを稼ぐ競技とは異なり。人は容易く戦闘不能に陥る。
決闘は通常、一撃で決着する。
二秒から、長くても十秒程度の出来事だ。
集中が最高値のところで決する。だからこそ強い方が勝つのだ。
長引くとしたら、それは双方が手に負えない雑魚か。
その逆の場合に限られるだろう。
それ故、ナージアは勝手の違いに戸惑っていた。
殺し合いが長引くのはストレスである。
積極的に攻撃を当てようともしない。そのくせ逃げ出すでもない。
お互いの攻撃が致命になり得ない。それでいて、気を抜けない。
集中の持続を強いる不快な間合い。
「勝つ気があるのかッ?!!」
ナージアは苛立ちのあまり怒鳴りつけた。
攻撃が有効打にならない。
半分のリーチしかない道化師などは尚更だ。
「なにイラついてんの? 負けるのが怖いんだろ!」
イリーナは挑発で返す。
思い通りにならないから腹が立つ。
つまり、本来の調子が出せていないということ。
強い方が負けるとしたら。
それは、本領を発揮できなかった場合だ。
相手の集中力が低下するのを、イウは待っている。
ここまで、なんとか敵の猛攻を凌ぐことができた。
打ち据えられ、すっかり変形してしまったランタンシールドに。
イウは感謝する。
これがなければ、秒で殺されていたに違いない。
『王の剣』の威力は絶大だ。
魔法の刃が発する反発力が威力に加算される上に。
物体でない都合、破損しないという特性を備えている。
岩だろうと鉄だろうと、スパスパと斬ることができるのだ
どんな武器も受け勝てない。
物体と干渉する以上、押し返せる理屈だが。
魔法の刃に彼の力を加えた数値を、人間の腕力のみで上回るのは至難だった。
何より、鉄の強度では叶わない。
打ち合わせれば、ドゥイングリスの時と同様。
自らの武器だけが破壊されることになる。
打ち合ってはいけない。かと言って、躱し続けるのは得策ではない。
躱すという行為は、受け流すよりも動作が大きいからだ。
イウは必死に、その尖端を受けて流した。
避けても受け流しても。彼女にチャンスが来ないのは。
間合いを広く保っている自業自得。
次第にグラディウスの刃こぼれが目立ってくる。
短剣のチョイスは軽量化の狙いが主であるが。
短い方が折れにくい。という理由もあった。
特にグラディウスは広刃で頑丈。
ドゥインの場合、長剣を壊れない壁に叩きつけて。
自分の腕力で破壊した側面もあった。
「ちょこまかと!!」
「…………ッ!」
イウの細腕では、剣をぶつけ合ったところで折れるには至らない。
相手の攻撃を受け、弾かれ。距離を利用して体制を整える。
その繰り返しで凌ぐことができていた。
いつも通りだ。
『王の剣』の対処は普通の剣を相手するのと変わらない。
それは将軍に教示されたとおり。
そして、時間の経過とともに。
ナージア王子はかき乱される。
――『王の剣』は最強のはずだ。
どんな刃よりも遥かに斬れ味が良く。
どんな鋼よりも頑丈だ。
相手の剣を砕き。鎧の上から人体を切断できる。
なのに、相手が非力すぎて。打ち合いにすらならない。
これが決闘だろうか? 俺は、何をしているのだ――。
ナージア王子は指揮官として鍛えられ。
イリーナは女王の護衛という境遇にある。
戦場では、多数に迅速に対応することが肝要であり。
一事に縛られず、全体を見渡す切り替えの速さが求められる。
逆に、彼女は限定的な状況を想定して鍛えている。
つまり決闘に特化した彼女は、一体一に対する集中力が高い。
じっくりと闘うという点で。
イウはナージアよりも適性がある。
しかし、長期戦に強いかと言えば話は別だ。
イウの腕は断続的に痙攣に襲われていた。
彼女はスタミナには優れているし。
体重の軽さから燃費も良く稼働時間が長い。
しかし、運動を支える筋力には限界がある。
彼が千回振れる剣も、彼女は百回も振れば腕が上がらなくなる
その上、実体を持たないナージアの剣より。
イリーナの武具の方が重量があった。
「ハハッ、いったい、我々は何をしているのだ。
ダンスか?」
ナージア王子はついに、イラつきすらしなくなっていた。
戦闘への集中力は持って一、二分。
感情の持続など持って十五分。
戦闘に飽きたというより。
危機感を維持することに疲れ始めていた。
「もう一曲、お付き合い頂けますか、王子様……ッ!」
イウはもはや、息も絶えだえだ。
「勘弁しろ、そろそろ肩が上がらんよ 」
ナージアもそれなりに疲労している。
再び集中力を発揮するのにはインターバルと。
気分転換が必要だ。
双方、発言が増えてくる。
それでナージアは。ふと、思い出す。
――ああ、コイツ。女だったな。
それを認識できていなかった訳ではない。
秒ごとにすれ違い別れていく、そんな戦場で。
殺す相手の背景や実態など、意識する習慣が無かったのだ。
相手を個人として認識するのは珍しい。
危機感の維持に飽きた脳が。情報を、娯楽を求め始めた証拠だった。
ハイになっているとも言える。
「しかし、婦女子の誘いを断る訳にはいかない、なッ!」
一息ついてリラックスしたナージアの踏み込みは鋭い。
安定した精神状態から力強い一撃が放たれた。
精神的疲弊を乗り越えたナージア。
一方、イウの肉体的疲労はピークに達し、気分転換での回復は見込めない。
これまでのように、力みを抜く余力が残っていなかった。
対応したイリーナが呻く。
「――くあッ!?」
王の剣とランタンシールドが交差し、シールドが真っ二つになって弾け飛んだ。
左腕を痛みが駆け抜ける。
滑らすのが少し遅れただけで、鉄の盾が両断されたのだ。
「次は、腕が落ちるぞ!」
「落とすのは命じゃなくて良いのかよっ!」
イリーナは右手の短剣に左手を被せるようにして。
左半身、やや前傾に構えた。
もはや逃げ回るのも限界。
玉砕覚悟で攻勢に転じる。
「正気か? こちらは剣を振る必要もない。
押し込めば貫通する王の剣だと言うのに」
「ああ、そう。奇遇だね。
ボクのナマクラでも、突けば人は死ぬぜ」
威力、斬れ味は関係ない。
「……口の減らない奴だ」
イウの構えから、ナージアはその意図を汲み取る。
突きによる一点突破。
その勝負になれば、リーチ差の優位は歴然。
引き気味に対応すれば、ナージアの勝利は確実だ。
「さっさと来いよ。ビビってんの?」
イウはナージアに臨戦態勢を促す。
戦闘開始時なら、これが宣言と違う手を『後出し』する作戦にもなり得た。
しかし、イウの腕はすでに疲労のピークだ。
振り下ろしによる成果を期待できなくなってしまった。
フットワークが死んだことも。
直前の一撃で看破されたはずだ。
戦闘を長引かせ、集中力の低下に伴うミスを誘って勝とうとした。
しかし、イウの能力はそれを達成するには足りなかった。
あとは前のめりに倒れるだけで精一杯。
王子をただ倒すならば、将軍に委ねておけば良かった。
それでも、個人的な仕返しを優先したのだ。
自らの命を天秤に掛ける覚悟はできている。
イウは相手の出方を伺い、集中を高めた。
残された力で、最善の対応を。
「名も知らぬ道化師よ」
しかし、続くナージア王子の行動は。
イウの想像をはるかに裏切るものだった。
「――俺の妻になる気はないか?」
「…………へっ?」
最後の攻防に備えるイウ。
降りかかったのは、トドメではなく。
敵大将からのプロポーズ。
「えっ、はっ!? なんで、どうして?! あっ、ブラフだろっ!!」
それがイウの集中を解く作戦ならば、絶大な成果を上げたと言えた。
しかし、ナージア王子は本気だ。
「殺してしまうのが惜しくなった。
それに、オマエという女を、もっと知りたい」
――勝負が長引く。
すると、相手を見ている時間が長くなる。
決闘中ともなれば、これ以上ない。
集中して相手を観察している。
彼女は立ち姿、所作の美しい女性だ。
戦う姿は見応えがあった。
強敵相手に果敢に挑み。
あの手この手と技を繰り出す姿には、敬意もわいてくる。
その健気さ、凛々しさには誰もが魅了される。
闘技場にでも立たせれば、あっという間にスターになるに違いない。
殴り合った相手に、強い絆を感じることもある。
殺し合い。これ以上の『吊り橋効果』があるだろうか。
恋に落ちるのに十分な時間だったのだ。
「オマエのような女には会ったことがない。
きっと、この先もないだろう」
――だって、心は男だし。と、イウは恐縮する。
「こんなふざけた格好の相手に、物好きだよ……」
そして、敵が相手でも対等に接するコミュニケーションの姿勢。
こんな時だと言うのに、ナージアは会話が楽しかった。
「もう一度、言おう。俺の妻になれ」
「ナージア王子……」
勝ち目のない強敵、しかも総大将を。
好意を利用して闇討ちにできるかもしれない。
――生きて、帰れるかもしれない。
だけど、しない。できない。
「ごめん。ボク、もう心に決めた人がいるから」
せめて真摯な態度を侮辱するまいと、イウは誠実に断った。
「そうか、残念だ」
ナージアは再び臨戦態勢に入る。
軽い気持ちだった訳ではない。
たとえ愛する女性だろうと、その為に捧げられる命ではなかった。
彼の命は彼のものでは無い。
――最後の王子なのだから。
「俺が死なない限り、我が王国は不滅だ」
「怨みの連鎖。ここで絶たせて貰うよ」
道化師は、山賊の首領と対峙した。
決着は一瞬――。
間合いが詰まっていく。
そして、お互いに最後の一撃を繰り出した。
先に動いたのはイウだ。
自重を支えられなくなり、倒れるように剣を前方へと突き出した。
ナージアは余裕の態度でそれを迎え入れるだけ。
リーチに勝る『王の剣』が先に到達し。
魔法の刃は切っ先から根元まで、なんの抵抗もなく。
イウの顔面を後頭部まで貫通する。
「――なんで……?」
イウは動揺に声を震わせた。
ナージアの剣が頭部を穿いたはずが。
突き出された柄からは、刀身が消滅していた。
そして、届かなかったはずのイウのグラディウスが。
彼の腹部に埋め込まれている。
「……はっ! 燃料、切れだ」
情けをかけただとか。
殺すのを躊躇しただとか。
そんなことは一切、無かった。
ベストな一撃を放ったはずだった。
意図せず。『魔法の刃』を維持するエネルギーの供給が切れてしまっていた。
刃は無から生まれている訳では無い。
彼の生成するエネルギーからできている。
決着の遅延は魔力の枯渇を招いたのだ。
「もう! プロポーズなんかしなきゃ、間に合ったのに!」
あの会話がなければ、時間は短縮されたはずだ。
イリーナがナージアの失敗を咎めた。
「ははは……。おかしな事、を言うやつだ……」
ナージアにとっては不本意な結末だが。
それを対戦相手に同情されたのは、おかしかった。
不可抗力だとしても。
魔力切れまで粘ったのは彼女なのだから。
この敗北に異議などない。
「あれだけ、美しく舞われては、な……」
彼女と対峙した強者は、度々、敗北を喫した。
彼女の勝利は。実力、知略、どちらとも無関係だ。
それでいて、運や偶然による結果でもない。
その勝利は、彼女のもつ幾つかの要素。
『ドラマ』が噛み合った時、『物語』の成立によって完成する。
「おい、道化師……。王族を、楽しませた褒美だ。
ありが……たく。受け取る、がいい……」
そう言い残し、ナージアは力尽きた。
最後の王子は、道化師にその身を預けて息絶えたのだ。
旧王国軍の残党。その拠り所と野望は、完全に潰えた。
道化師イウは、王子と共にその場に崩れ落ちた。
そして呆然と呟く。
「また、眠れなくなっちゃうなぁ……」
◆十三話、戦のゆくえ