◆◆十話◆◆
「ボク、オトコ好きなのかも……」
イリーナがため息混じりに呟いた。
一通りの調査を終えて、将軍との情報交換をしていた最中のことだった。
ヴィレオン・ジェスター将軍は返答する。
「親御さんを悲しませるような発言は控えろよ」
「いや、そんなアバがズレたような話じゃあないんだけど……」
相手のことを深く知ろうと、それぞれの良い所を探した結果。
なんだか、みんな良いやつに見えてきてしまったのだ。
欠点もあるが、美点もある。そのギャップだって、魅力の一つだ。
三人とも一緒にいて楽しいし、そんな奴らが困っているなら。
なんだってしてやりたい。
そりゃ、アバだって、ズレるって話だ。
「くっ!」
イリーナは頭を抱えて、重く吐露する。
「アバズレなのかなぁぁぁ……」
共感力が強いというのも考えものである。
ついつい、相手を思いやって深入りしてしまう。
彼女の人好きで情が深い部分も、スパイとしては致命的な弱点だ。
「稽古にならんな……」と、将軍は構えていた木剣を下ろした。
「で、誰の嫁になるかは決めたのか?」
「嫁がないよっ!」
道化師はめでたく花嫁になりました。
そんな結末を望んではいない。
「直接的に陛下を援護できるのだから、本末転倒ではないのだがな」
「本当、オッサンは使命の為には他の犠牲は厭わないよな」
彼の行動は全て主君への忠誠が優先される。
その為には他人はおろか自らの犠牲すら厭わない。
「幸せになれよ」
「うるさいわ! マジで、洗脳怖いよ……」
満更でもないってことになりかねないのが、尚更おそろしい。
イリーナは望まぬ展開に身震いした。
――ここで二人は一旦、状況を整理する。
いくつかの不可解な出来事について確認するためだ。
騎士団長の謀反から若輩の陛下を護るため。
帝国領土の三分の一を統括するマルコライスの助力を得ること。
それが今回の大前提だ。
目論見が敵に伝わるのを避けるため、慎重な判断、行動が不可欠。
現在マルコライスは体調の悪化から後継者の選抜を焦っている。
候補はそれぞれに資質を問題視された三人の息子達。
長男ドゥイングリス。
権力を鼻にかけた無頼漢かと思えば、立派な矜持の持ち主だった。
山賊との衝突により一時、訃報が伝えられたが。
重症を抱えながらも、奇跡的に生還を果たしている。
次男パトリッケス。
野心家で信頼の置けない人物であったが、兄の死という誤報を受け。
その本心に気づいた結果、確執が解けて現在は協力的である。
三男ロイ。
引きこもりであったが、心境の変化もあり復帰に対して前向きのようだ。
概ね好転を見せ。
当初、不可能と思われた交渉の席は整いつつあるように思える。
しかし協力を仰ぐ前に、領内の問題を解決することが先決だろう。
現在、マルコライスは山賊の討伐に兵力を大幅に割いており。
万全とは呼べない状態なのだから。
「そう言えば、オッサンはなんでドゥインを回収しに行ったの?」
イリーナは訊ねた。
ドゥイングリスの生存を確認したのは、城の調査隊ではなく将軍の手によってだった。
死亡報告をされた人物が、まさかの生還という状況に。
その時は流したのだが、不可解な出来事と言えた。
それはイリーナも知らされていなかった、将軍の単独行動によるものだったからだ。
将軍は答える。
「山賊団の活動が交渉の弊害になるならば、取り除いておくのも手かと考えていた。
国境の基地には俺の部隊があるからな」
ドゥイングリスの回収に向かったのではなく。
現場の下見が目的だった。
将軍の動機に不自然な点は無いが、不可解だったのはその部分ではない。
「ボクは真っ先に城に報告したし、パトリックも調査隊を出したと言っていた。
オッサンが出発するより調査隊が出た方が早かったはずだ」
なのに、ドゥインを回収したのは後発の将軍だった。
そこに疑問が生じる。
「――調査隊はどこに消えたの?」
将軍に回収されたドゥイングリスも。
調査隊は来ていない。と、証言していた。
「考えられるのは。道中、賊に襲われて壊滅したか。事故で中止を余儀なくされたか。
あるいは、別の場所へ向かったか。そもそも出発したというのが虚偽であったか」
将軍は可能性を列挙した。
初めの二つは納得出来る。
調査隊に情報を持ち帰られては困ると、賊が手を打つこともあるだろう。
しかし、後述の二つはまったく理解が及ばない。
「そんなことって、あり得るのかな……?」
イリーナは首を捻った。
調査隊を出発させないだとか。ましてや、別の場所に向かっただとか――。
あまりに意味不明ではないか。
「サボりなの?」
しかし、それを知るには改めて調査が必要だろう。
杞憂である可能性もある。
「不可解といえばもう二つ」
将軍が新たな議題を提示する。
「一つは、賊の包囲網からお前が無事に生還できたこと」
「そこは褒めるとこじゃないのかなッ?!」
ドゥイングリスが倒れた直後。
最善手として、カリンことイリーナはその場から逃走した。
援軍を呼ぶにしても、情報を活かすにしても。
それ以外の選択はなかった。
訃報を誤報したのは大失態だが。
将軍が指摘する問題はそこではない。
「わざと逃がした。と考える方が自然だ」
「上司からの信頼がゼロ!?」
死にものぐるいだった為、彼女にはよく見えていなかったが。
それはむしろ、正当な評価だった。
イリーナもそれは否定しない。
問題なのは、それが事実だった場合。
「なんの為にっ!?」という、新たな問題が浮上することだ。
「必然、情報を持ち帰らせるためと言うことになるな」
「それだと。調査隊が賊に襲われた説がなくなっちゃうじゃん……」
情報を持ち帰らせたらどうなるか。
勿論、報復のために部隊が送り込まれる。
「迎え撃つ気まんまんだってことかな?」
だとしたら。罠を仕掛けていると考えるのが道理だ。
「兵士長たち大丈夫かな……」
一人不安を吐露するイリーナを尻目に、将軍は思考をめぐらせていた。
「あと一つは?」
「ああ、マルコライスのことだ」
「王様ちゃんがどうかした?」
「当初、俺はそれなりの期待感を持って奴との対面に来た」
将軍とマルコライスは面識こそほとんどなかったが。
お互いにその功績を意識する存在ではあった。
しかし、いざ顔を合わせてみれば。
英雄の面影は無く、暗君といった佇まいだ。
それには大きく失望したものだった。
「あれは本当に、マルコライスなのか――?」
「なんだよ突然、ホラーな話をし始めてさ。
うーん。環境とか、年齢とか、病気とか色々あるんじゃないのかな……?」
張り付いて見ていた彼女からすると、別人だという判断はできない。
イリーナ自身に判断の指針がなくとも、家族の様子に不振な点などは無かった。
確かに、ほぼ同期と言える二人が。方や現役であり。
方や隠居の老人である。その落差は大きい。
比肩した英雄同士が、今や名将とボケ老人の様相なのだ。
だからと言って、マルコライス自身の正体を疑うのは荒唐無稽な話だろう。
「なんでマルコライスに拘るの?
心配なら、別の有力者を頼る手もあるんじゃないの?」
イリーナが訊ねる。
それはすでに何度か確認したことだが。
将軍は確たる理由を言うでもなく、首を縦にも振らなかった。
今更、時間もない話だ。
「賊が殲滅されれば憂いは断てるか……」
将軍はそう結論づける。
ナージア王子率いる旧王国軍残党。
その討伐が叶えば、不安の多くは解消されるだろう。
「ヤズムート兵士長の活躍に期待かな」
賊の動きは不気味ではある。
しかし、あの人に限って任務を失敗することはないだろう。
イリーナはそう思っていた。
――この時点では。
「息子たちの調査は一旦中断だ。
その前に緊急で片付けなくてはならない案件ができた」
将軍はイリーナに方針の変更を伝えた。
「わかった」
イリーナは疑問も訴えず。素直に指示に従うことにした。
彼がそう言うならば、それが最善なのだろう。
◆十一話、道化師イウ①