◇◇十三話◇◇
今日も今日とて。図書館の受付では、老人が一人居眠りをしている。
パトリッケスはもはや咎めすらせず、一目散に館内へと歩みを進める。
その視線の先には想い人の姿があった。
――ガタンッ!
「おっ、あわっ!?」
パトリッケスは奇声を発しながら。
直進するあまりに蹴倒してしまった椅子を慌てて立て直す。
「あら、騎士様。ご機嫌いかがですか?」
騒音に気づいたティータが、読書を中断して振り返った。
パトリックは気まずげにして姿勢を整え、挨拶を返す。
「失礼、お騒がせしました。機嫌は上々ですよ、ティータ」
「何か良いことでもありまして?」
ティータはそう言って、ふふと笑った。
すべてを見透かされているようだが。
自分の態度に表れているのだと思うと、気恥ずかしさが増す思いだ。
「……ええと。本日、討伐部隊を出発させました。あとは報告を待つのみです」
先日、兄と交戦した山賊団。その討伐隊が先程、派遣された。
現場はそう遠くなく。馬を飛ばして半日あれば往復できる距離だ。
とはいえ、襲撃された集落で情報を収集し、賊のアジトを特定するまでに。
どれほどの時間がかかるかは判らない。
即日の解決もあるが、数日を要することもありえるだろう。
敵の正確な規模は把握できていないが。
周辺被害の規模、活動の頻度から鑑みて、せいぜいが二、三十人程度。
こちらは過度と思える戦力と武装を用意した。
加えて、部隊の指揮官は信頼の厚いヤズムート兵士長に任せてある。
例え賊がアジトを引き払っていたとしても。
必ずや足取りを掴んで殲滅して戻るはずだ。
「ひと段落ですね、お疲れ様です」
あとは報告を待つのみになったパトリックを、ティータは労った。
「その際に、あなたと賊のルーツについて調べましたね。
部隊編成の会議において、おおいに参考にさせていただきました。
本日は、そのお礼をと思い参上したのですが。
何か、僕にできることはありますか?」
兄の訃報を受けた当日、人員の確保までの猶予を得た彼は。
カリンが持ち帰った少ない情報から、賊の特定を目的に図書館を訪れた。
その際、ティータの献身的な手伝いにより。
敵が旧王国の残党であることを突き止めることが出来たのだった。
「それには及びません。
ここで歴史を調べたのは、わたしにとっては趣味の一環ですし。
とても、有意義な時間でした」
ティータは殊勝にも報奨を辞退した。
しかしそれは、何かにつけて贈り物をしたかったパトリックにとって。
むしろ都合が悪い。
感謝を形として受け取って貰いたかったし。
それで、彼女に喜んでほしかった。
自分の手で喜ぶ彼女を見たいというエゴがあった。
「いいえ、無償という訳にはいきません。
困りごとはありませんか、欲しい物は?
自身になければ、御家族への贈り物でもかまわない――」
「では」
「では、なんでしょう?」
この時点で、彼はよほどの無茶にも応える覚悟が出来ている。
しかし、ティータの要求は想像とは違うものだった。
「騎士様がいま、そうやって浮足立っている理由を正直にお答えください」
言葉の意味を理解するまでしばしの沈黙。
「……えっ? 僕が、その、浮かれているように見えますか」
「はい、これまでで一番」
パトリックは「まいったな……」と、頭をかいて視線を地面へと落とした。
彼にとってそれは、宝石のついたアクセサリーや豪邸を贈ることよりも、はるかに難しい。
しかし、潔く観念する。
どの道、隠してはおけないことなのだ。
「――うちの愚兄が生きていたのです」
それを聴いたティータが満面の笑みを浮かべる。
「それが、嬉しいのですね!」
金銭や物品による報酬よりも、得にもならない言質を喜んでいる。
パトリッケスにとって、それは不思議でならなかった。
そして、どうしようもなく嬉しかった。
嬉しかったから、羞恥などはすぐに払拭されてしまう。
「認めますよ。でも、これは僕たちだけの秘密です。
けして口外はしないでください、死ぬまで笑いの種にされますからね」
しかし、無神経な兄が調子に乗っても。
これまでほど腹が立つことはないだろう。
「騎士様は、お優しいですね」
「僕が? そんなことを言われたのは初めてです」
謙遜ではない。実際、初めてのことだった。
今日まで、上手くいっていることは褒められず。
失敗すれば激しく糾弾され。
正しい選択をしても、冷血と罵られてきた。
『優しい』などという評価は新鮮だ。
いやがおうにも思い知ってしまう。
これまで、至上だったはずの『成果という価値』に対する執着を。
『共感に対する喜び』が上回るのを。
だから、とうとう観念することに決めた。
「ティータ。あなたに言っておきたいことがあります」
「はい、なんでしょう」
パトリックの態度が神妙になったので、ティータもまっすぐに向き直る。
「最近、父の容態が芳しくないのです。
本人も死期を察しているのか、突然、兄弟の中から後継者を選出すると言い出しました。
その条件が、とても馬鹿げたものでして。
父の気に入った伴侶を得た者を当主にすると……」
彼女は一々言葉を遮ったりせずに、聞こえていることを瞳で訴える。
だから、彼も安心して話を続けられる。
「僕たちは自惚れではなく、特別な立場の人間です。
結婚は慎重でなくてはならないし、もっとも優先すべきは相手の家柄であることは言うまでもありません。
財力、名声、影響略。何にしても、それがそのまま我が家の力となり。
それが、ティータ。あなたがた、民衆を護る力になるからです。
まあ、兄弟たちはその辺をまったく気にしてはいないようですがね……」
この会話の目的にティータは想像を巡らせる。
結果、これは『別れ話』なのではないかと思い至った。
親の不調により時間が迫っている為。
もう、これまでのように過ごすわけにはいかないし。
平民の彼女にはかまってはいられなくなったと――。
「このようなことは本来、それなりの準備をしてからにするべきなのでしょうが。
いまがタイミングだと判断して、発言します。ティータ――」
結論への前振りを始めたパトリック。
ティータは、覚悟して次の言葉を待ち構えた。
「どうか、僕の妻になってください」
「はい……。はっ、へっ?」
それは、ストレートなプロポーズだった。
想像と真逆の展開に、ティータは混乱を起こしていた。
「ええと……、騎士様の相手にわたしは相応しくない。
という、お話の流れでしたよね?」
「ちがっ、誤解です! 熟考した結果、あなたが適切だと決断したという話です!」
「勝負を焦っているのですか?」
「焦っていたなら、僕はあなたと会う時間を設けず。
思い当たる有力者の娘たちを面談でもしていたことでしょうね。
あなたのせいで、僕はそのような合理的な時間を過ごすことができなかった。
それが全ての答えだと思っています」
ティータと結ばれて、物質的な権力の増強は見込めない。
しかし、二人で過ごす時間は得がたいものをもたらしてくれる。
今回、兄に対する確執を溶かしてくれたように。
それはきっと、心の安寧や生活面のサポートにとどまらず。
パトリックの見識を広げ、仕事にもより良い成果をもたらすに違いない。
だから、この結婚を成功とするも、失敗とするも。
自分次第だと彼は覚悟を決めたのだ。
「ま、まったく、想定していなかったので。――いま、返答が必要ですか!?」
「僕を相手に、それを想定していないということがすでに興味深い」
自惚れではなく。
彼の背景にある財産や地位を意識せず、付き合うことは珍しい。
「即答しろなんて無理は言いません。よく考えてください。
ただ、父への報告が間に合うと有難いです」
それで例え、後継者に選ばれなかったとしても。
きっと後悔はしないだろうとパトリッケスは思った。
そういう価値観の息吹を彼女が、彼に吹き込んだのだから。
◇十四話、嫁比べ②