◇◇十二話◇◇
カリンによって、ドゥイングリスの訃報が伝えられてから翌々日。
客人である騎士長に貸し出された屋敷に、彼女の姿はあった。
髪を解き、下着同然のあられもない姿で。
リビングのソファーにだらしなく転がっている。
ドゥインのことが尾を引いているのもあるが。
いつまで経っても将軍が帰ってこないので、すっかり気が抜けてしまっているのだ。
あの日、カリンはドゥイングリスと集落の巡回を行っていた。
そして、山賊が略奪している現場に出くわした。
敵は武装した十人からの集団で、二人では分が悪かったが。
虐殺される人々を見て見ぬ振りはできずに、無謀な特攻をかけた。
それにより、ドゥイングリスは敵の刃に胸を貫かれ倒れてしまった。
持ちこたえられるはずもなく。カリンはその場から撤退。
なんとか、生き延び、報告まで漕ぎ着け。今に至る。
「あっ、戻ったか……」
帰還の気配を察し、立ち上がると。
玄関を通る足音を待ち構え、迎え入れる。
「どこに行ってたんだよ、オッ――!」
将軍の帰宅を想定していたが、そこに立っているのは別人だった。
それが、ありえない人物だったのでカリンは悲鳴をあげる。
「うわあぁぁぁぁぁ!!?」
客人は慌てて右手を衝立にして、半裸の彼女から視線を逸らした。
「失礼したっ!! まさか、婦女子がいッ……カリンか?」
「……ドゥイングリス殿?」
侵入してきたのは、死んだはずのドゥイングリスだったのだ。
「ちょっ、ちょっと、待って! なんでっ!」
カリンはドゥイングリスを置いて、大慌てでリビングから駆け出して行った。
別室へと着替えに向かったのだ。
ドゥインは後方の人物に声を掛ける。
「ジェスター将軍! これは、どういうことですかっ!」
「ああ、娘だ」
将軍は面倒くさげに答え、カリンのあとを追った。
残されたドゥイングリスは、その場で歓喜の声をあげる。
「おおっ、そうでしたか!!」
どこの馬の骨かもわからない。と、さんざん言われた恋人は。
尊敬する英雄の娘だと判明した。
これで、うるさい次男を黙らせることができる。
それどころか、図書館の平民女よりも断然優位と。
生意気な弟を攻め立てる材料を得たことに歓喜していた。
「なんで、そういうことするの!! こっちの都合も考えてよッ!!」
別室から、カリンの怒鳴り声が聞こえる。
将軍が同行しているということは、彼がドゥインを連れてきたのに他ならない。
心の準備もしていないところに不意打ちをうけて、怒っている様子だった。
格好といい。取り乱しっぷりといい。
いつもとは別人のようだと、ドゥインは少しばかり尻込みしていた。
「父親の前では、あんな感じなのか……」
「すまない。お待たせしたっ!
――じゃない。生きていたのかドゥイン殿!」
とりあえずで上着を羽織ってきたカリンは。
剣士の面影などない普通の娘みたいだった。
「カリン。おまえそれ、よそ行きのキャラだったんだな?」
「そうかな……ハハハ」
カリンは所在なさ気に苦笑いを浮かべる。
「まさか、将軍の御息女であるとは!」
仕事で来ているとは言っていたが、ジェスター将軍のお供だったのだな。
確かに、出会った時期も一致する。
普段のキッチリした態度も。偉大な将軍の娘として、その責務を意識してのことなのだろう。
などと、ドゥイングリスは勝手に得心した気になっていた。
「そんなことより、この状況の説明をしてくれないか?
あなたは死んだと、城に報告してしまったんだぞ」
「そうらしいな。それで、直接城に行くと大騒ぎになると思ってな。
こうやって一旦避難をさせて頂いたのだ。
まさか、カリンがいるとは思いもよらなかったが」
廊下から将軍が口を挟む。
「おまえも安心したいだろうと思い、連れてきたのだ」
「オッ、オトンはボロが出る前にどっか行ってよ! もうっ!」
稀代の英雄である彼を怒鳴りつけられるのは。
主君か、彼女くらいのものだろう。
「では、城に生存報告をしてくるとしよう。頃合いを見て帰るがいい」
「ご足労をお掛けします」
言い残して去っていく将軍に、ドゥインは恐縮して見せた。
「もう、めちゃくちゃじゃないか……」
カリンは乱れっぱなしだった髪を指ですいて整えながら、恨み言を呟く。
そんな姿にドゥイングリスは見蕩れていた。
「いい……」
「何がだ!?」
いつもは完璧な佇まいでいる女子。
その隙だらけの姿は、意図せず彼をときめかせる。
「屋内で見ると、あまり赤くないんだな。栗毛だ」
髪の色について指摘した。
太陽の下で会うのと、屋内ではまた印象がガラッと変わる。
「……ううっ。
そんなことより、質問に答えてくれないか?」
ルックスについて追及されるのは。
カリンにとってあまり都合の良いことではなかった。
身だしなみが不十分なところに押しかけたのだ。
マジマジと観ては失礼に当たる。
女性ならば当たり前のことだと、ドゥイングリスは納得した。
「俺も死んだと思ったんだが。間一髪、傷は肺の外側でな」
そう言って、大男は肩の付け根あたりを撫でた。
彼の上体は面積が広いため、カリンは胸を貫かれたと錯覚していた。
しかし、盾にした上腕で強引に外側へと刃を誘導し、急所を免れていたのだ。
並外れた剛力と、危機回避能力による賜物だった。
「そのおかげで、こっちはもう。
バランスをとるための重りくらいの役割しか果たせねぇが――」
敵の攻撃により。右上腕は貫通され、右肩の付け根は砕かれた。
もう二度と、剣を振ることはできないだろう。
「なんの為に、今日まで稽古してきたんだかなぁ?
カリンにも色々と教えてもらったのによ。申し訳ないぜ……」
特に、その強さを己の誇りとして生きてきた男だ。
鳥から羽を、馬から脚をもいだかのような心地だろう。
利き腕を見詰めるドゥインの心中は、察するに余りある。
「すまない、自分のせいだ。自分が足を引っ張ったから……」
「よせって! カリンはオレサマの無謀に付き合わされただけだ!
よくぞ、無事に逃げてくれたと思っている!」
「だけどっ! ……自分がもっと強ければ!」
それしか助かる道が無かったのだとしても。
一人で逃げ帰ったという事実は、彼女の心を苛んでいた。
ドゥイングリスへの懺悔を媒介に。
後悔と、屈辱と、自らへの失望が膨れ上がって、ボロボロになっていた。
それは悲しいことだが。
同時に、自分のために泣いてくれる相手がいる事実は。
大切なものを失ったドゥインの心をすこしだけ癒すことができた。
「それに、あの特攻はけして無駄ではなかった。
オレサマたちが賊を引き付けたおかげで。
我が愛する愚民どもが避難する時間を稼げたのだ!」
すでに手遅れだった者は仕方がない。
しかし、全滅していたかもしれない集落から、多くの者が逃走できた。
「愚民はやめろ。誤解を招く……」
今となれば、それが他者を見下した発言ではなく。
庇護対象を指す呼称であることを彼女も理解しているのだが。
「とにかくだ。カリンを逃がしたことで増援を警戒したのだろうな。
賊は早々に撤退したらしく、引き返してきた生存者たちによってオレサマは助けられたのだ!」
被害を最小限に食い止められたことは確かに嬉しかったが。
その発言の意図は、カリンを元気づけるのを目的としており。
ドゥイングリスの精神面の成長を表している。
それは目論見通り、彼女を安堵させることに成功したのだった。
「そうか、良かった――」
落ち着いたところで、カリンは新たな疑問を口にする。
「ところで、将軍とはいつ合流を?」
「ああ、どういう訳か。あの集落までオレサマを迎えに来てくれたんだよな」
それならばと、ありがたく同行したが。
城の者が寄こされずに、無関係の将軍が単身で迎えに来たことは不自然だった。
『死んだ』と報告された為、城側の初動が遅れただとか。
将軍も、仕事のついでに立ち寄っただけだとか。
不都合は何もなかったので、別段、追及もしなかった。
何はともあれ、訃報が誤報であったことは朗報だ。
「死なずに済んで良かったし! 片腕は残念だが、カリンがいるタイミングで良かった!
これが、一人の時だったら、思い詰めて自殺していたかもしれん!」
そう言って、ドゥインは元気を絞りだす。
結婚という明るい夢に向かっている今ならば、厳しい試練もなんのそのだと。
一方、カリンは。「あまり、期待されても……」と、いまいち乗り気ではなかった。
◇十三話、ティータ③