◇◇十一話◇◇
マルコライスが予定より早く床についたので。
解放されたロイは、いつもより余裕のある日程を過ごせていた。
――次はいつ会えるだろう。
先日以来、ロイはリアンナのことを頻繁に考えている。
彼女の顔が頭を過ぎっては、反省と後悔に身悶えを繰り返していた。
何故、あんなことになってしまったのか――。
あれ以来、ロイの中でリアンナの存在は大きくなる一方だ。
会いたいけれど、とても気まずくもある。
ただでさえ。その存在をヤズムート兵士長に看破され。
彼女の望まない状況に追い込まれてしまったというのに。
後継者選抜の条件が『嫁選び』だという、このタイミングが悪かった。
本来ならば、大騒ぎするほどのことでもないはずが。
独り身の兄二人がムキになって、追及してきたため。
黙秘を貫くことができなかったのだから。
しかし、恐るべきは兵士長だ。
何故、知っているのかと訊ねたら。「態度から察した」と言い。
憶測だと否定もしたが。「間違いない」と断言されてしまったのだ。
現場を押さえた訳でもないのに、彼の言葉は絶大な説得力を持ち。
いくら言い逃れをしようと、兄たちを説き伏せることは叶わなかった。
ヤズムートの言葉でさえなければ『誤解』の一言で、逃れられていただろう。
あの様子では、二人とも女性の攻略が難航しているに違いない。
リアンナとの密会に押し掛けて来るのも時間の問題だろう。
今後、敷地内で会うことは危険だ。
自分のミスで彼女に迷惑をかけることになってしまう。
それに、あの兄たちを会わせるのは。なんだか、恥ずかしい。
ロイはそう思っていた。
「三男様、こちらにおいででしたか!」
ロイが物思いにふけっていると、ヤズムート兵士長が駆け寄ってきた。
「兵士長。どうかした?」
彼にしては珍しく慌てた様子に、ロイは身構えた。
「火急の報告がございます」と、前置きし。
「とても重要な内容ですので、どうか心を落ち着かせて、お耳をお貸しください」
そう念押しまでしてくる。
兵士長の深刻な声色に、いやがおうにも気が引き締まる。
旧国に勝利して以来。平和続きの土地だ。
緊急事態など縁遠く。
どのような報告がされるか、予想もつかない。
ロイは不安に駆られながら、待ち構える。
「任務に同行していたカリンという女性の報告から。
ドウィングリス様が賊との衝突の末、戦死されたとのことです」
「……えっ?」
――長兄ドゥイングリスの死去。
その言葉の意味をすぐには飲み込めない。
つい今朝も、誰よりも血色の良い顔色で、ふんぞり返っては高笑いを上げていた。
誰よりも長生きしそうだった、強靭な兄が。
言葉に詰まるロイをおいて、ヤズムートは続ける。
「単独調査へと方針を変更した矢先の不幸です。
提案者として重く責任を受け止め、いかなる処分も受ける所存です」
「そんな、信じられない……。
そうだ、パトリック兄さんは?」
ロイは縋るような気持ちで訊ねた。
この事実をいったい、次兄はどのように受け止めたのだろうか。
「討伐部隊の編成を急ぐようにとの指示を受けました。
現在は、図書館へと向かわれたようです」
仕事を兵士長に丸投げして、自分は図書館へ――。
ロイは愕然とする。
「現場へは?」
「事実確認の為、調査隊を派遣中です」
討伐部隊の編成には時間がかかる。
その間を無駄にしないため、ヤズムートは現場の状況確認を急がせたのだ。
「その、カリンさんはどこにいるの?」
目撃者の証言を直接きくのが筋だろう。
しかし、ロイの要望は叶わない。
「報告を受けた兵士が目を離した隙に、いずこかへと。
ですが、長男様の馬を駆って戻ったことから信憑性は高いかと」
「……そうか、調査隊の報告を待つしかないのか」
遅い時間だ。報告は早くとも朝か、数日かかる可能性があるかもしれない。
「無念の至りです……」
反省と後悔を滲ませるヤズムートを慰める。
「兵士長に落ち度は無いよ。
禁止していた賊との交戦を行ったのなら、それはドウィン兄さんの気質の問題だ」
方針変更の条件として、交戦は禁止していた。
詳しい状況はまだわからないが、兄の事だから我を通した結果だろう。
兵士長を責めるのは筋違いというものだ。
「父さんへの報告は、調査隊の帰還を待って、俺からするよ。
兵士長は、パトリック兄さんの指示に従ってくれ」
「了解いたしました」
ヤズムート兵士長は、敬礼をしてその場を後にした。
パトリック兄さんは、また図書館か――。
次兄の行動に対して、ロイは疑心に駆られていた。
こんな時だというのに、暢気に趣味の読書もないだろうに。
毛嫌いしていた長男がいなくなって、清々したといったところか。
それにしても、こんな遅い時間に行くのは珍しい。
もしかすると、ティータという女性と会っているのかもしれない。
長兄の脱落で、後継が確実になり浮かれてでもいるのか――。
『よろこんでください、ティータ! 僕こそが、この地域の支配者です!』
『やったわ、パトリック! これで地位も名声もお金も、すべて私たちのものね!』
二人のやり取りを思い浮かべ。
きっと、そうに違いない。と、怒りに震えた。
「くそっ! ティータとかいう女、なんて性根の腐った奴なんだ!」
ロイは見たこともない相手の醜態を想像し、罵倒した。
いっそ図書館に行って、二人が祝杯を挙げるさまを見届けてやろうか。
財産狙いで兄に付きまとう汚い淫売の正体を暴いてやろうか。
怒りにまかせて突入し、祝宴をめちゃくちゃにしてやろうかと。
「……いや、やめておこう」
しかし、ロイは思いとどまる。
そんなことをしても嫌な気分になるだけに違いない。
これまでは、自分が権力を得ることにさしたる興味も無かった。
どちらかと言えば、現実味が無かったのだ。
だけれど、願望として。
もし、そうなれたならば。
帝国民も旧王国民も、平等に暮らせる環境を作りたいと考えてはいた。
不可能だと諦める傍らで、強く願っていたのだ。
――だけれど、状況は変わった。
権力欲に取りつかれた冷血な次男と。
財産狙いの薄汚い強欲女に明け渡したくはない。
そんな奴らに遠慮して、諦めていいような夢ではない。
『遅くないよ。未来は変えられるよ。
その気になれば、どんな風にだって変われる。間に合うよ』
リアンナが言ってくれたのを思い返した。
もし、彼女が結婚を了承してくれたなら。
自分でも、この城の城主になれるだろうか――。
ふと、そんなことを考える。
世話役を任されているロイは、マルコライスの体調の悪化に気づいていた。
体力の衰えから、剣の稽古を終了してしまったし。
思考力の低下などは著しく、会話が成立しないことも増えた。
もう、長くはないのかもしれない――。
もし老衰や病死などが原因で亡くなり、遺言がなかった場合。
長兄亡き後、次男がその役目を引き継ぐのが自然だろう。
そうなれば、自分が実権を握る機会は失われる。
この時、この条件下でならば。
次兄を出し抜くことも可能ではないだろうか。
父がをそれを許すとは限らない。
しかし、父が亡くなった時。
条件を満たしているのが自分だけだったとしたら。
それを口実に、権利を主張できるのではないだろうか――。
『頑張ってる人、かな。気高く胸を張って、困難に立ち向かえる人』
それが、リアンナの好みのタイプ。
マルコライスの体調不良にしても。
リアンナとの密会にしても。
期限は迫っている。結論を出す時だ。
次に彼女と会う時、それがどちらに転ぼうと決着をつける。
リアンナに正体を白状させ、自分がそれに納得でき。
彼女が去らずにいてくれたなら。
後継者選抜の条件を打ち明けた上で、彼女にプロポーズをする。
それで、理想の世界を目指す。
悪女ティータに篭絡された次兄パトリックに、勝つ。
ロイは覚悟を決めたのだった。
◇十二話、カリン③