◆◆九話◆◆
閉館も間近。
他に利用者のない静寂の落ちた図書館に、ティータがぼんやりと佇んでいた。
今朝、カリンとしてドゥイングリスと二人で遠征に出て。
先程、彼の馬で一人。帰ってきたばかりだった。
疲労が濃く、放心状態と言ったほうが適当だった。
カリンの姿で兄弟たちと遭遇するのは都合が悪く。
報告義務を果たした後、パトリッケスの動向を確認すべく図書館を訪れていた。
とても道化を演じる気力は湧かず。城への出入りは、はばかられたのだ。
司書の老人が、閉館を伝えに彼女のもとへとやって来た。
「お嬢さん。そろそろ、閉めたいのじゃが」
「……はい。ご迷惑をおかけしました」
『報告』が届いていれば、それどころではないだろう。
諦めて立ち去ろうとした直後。
パトリッケスが姿を現した。
「これはこれは、お坊ちゃま。たった今、閉館する所でした」
歩み寄る司書を振り返りもせずに、パトリックは椅子に腰をかけて項垂れた。
明らかに気が立っており、関わらないのが吉と判断できる。
「あとは僕がやっておきます。キミは帰ってくれてかまわない。
しばらくここを使わせて貰いますよ」
「そうですか。では、失礼致します。どうぞ、ごゆっくりと」
主の許可が出たので、老人は速やかに退散する。
パトリックは黙り。ティータは去っていく老人をただ見送った。
――重い沈黙が流れる。
「騎士様、どうかなさいましたか?」
「ティータ。どうか、ほっといてください――」
追い払おうとして、気付く。
「……泣いて、いたのですか?」
彼女の瞼は泣き腫らして紅くなっていた。
繕う余裕のなかった頬や手足には、擦り傷も残っている。
その様子を見て、パトリックは少しだけ冷静さを取り戻すことができた。
「気が回らずに、すみません。先程、兄の訃報を受けたもので……。
ところで、その傷はどうしたのです。
何かあったなら、相談に乗ります。遠慮なく言ってください」
その原因が、彼が抱えている問題と同じであるとは言えない。
「いいえ、お気になさらないでください。もう、終わったことですので――」
言いながら、ティータは胸が痛むのを自覚する。
「それよりも、騎士様の方こそ尋常ではない様子とお見受けいたします」
兄が死んだことで、彼はどのような心境でいるのだろう。
目の上のたんこぶが消えた心地だろうか。
これで労せず、権力を手中に収められると歓喜しただろうか。
沈痛な面持ちからは、とてもそうだとは思えない。
「気持ちの整理がつかずに。怒って良いものか、悲しんで良いものか……。
別れとは、こんなにも唐突に訪れるものなのですね」
喜ぶという選択がないことに、ティータは胸をなでおろした。
「お兄さんが憎かったのでは?」
「ええ、憎いですよ。でも、おかしいんです。
いざ、死なれると。想像を絶する喪失感に苛まれています。
兄を負かすためにしてきた全ての努力が、もはや虚しい。
父の後継者にさえ、興味がわかない……」
山賊の首領により、ドゥイングリスは倒された。
その時点のカリンに、その場をどうこうする力がある訳もなく。
賊達に笑われ、いたぶられ、追い立てられるようにしながら逃げ仰せた。
彼女にできたのは、それを伝えに一刻も早く帰ることだけだった。
報告を受けたパトリッケスは激昴し。
すぐさま大部隊による殲滅を決行せよと命じたが。
兵士の多くは遠征しており、数が足りず。
相応の準備時間を要するのだと、ヤズムート兵士長から却下された。
すでに数名が調査に派遣されており、それが死体の回収も兼ねるだろう。
「報告では、賊の首領は特殊な剣を使用したのだとか。
ここへは、その手がかりを求めて来たのです」
部隊編成まで、ただ待っているわけにはいかない。
何かしらの成果を得ようと、パトリックは行動を起こした。
「それはおそらく、旧王国の支配者の証と呼ばれる。
『王の剣』のことではないでしょうか?」
現場にいたことを悟られない範囲で、ティータは手助けをしたいと考えた。
「そんな話は初耳です。どこでそれを?」
パトリックはその存在を知らない。
マルコライスが旧王国を滅ぼした時。彼らはまだ幼く、戦争に関与しておらず。
実物も未回収ゆえに、目の当たりにした者のない剣の噂など。
数年の間に風化してしまっていたからだ。
「旧国民の間では有名な話です」
ティータは断言した。
ロイが知っていることなのだから、周知なのだろうとの判断だ。
しかし、事実は異なる。
王が持つ剣であるがゆえに、前線に現れることは稀であり。
その存在をはっきりと認識していたのは、持ち主と、周囲の人間に限られ。
儀式の存在を伝える泉の彫刻は、城壁内に存在し、これも人目には触れない。
『王の剣』は旧国民にとっても、もはや誰も振り返らない。
逸話めいた存在でしかなくなっている。
その情報は正確ではない。しかし、非常に有用ではある。
「だとすれば、敵は旧王国の残党である可能性が高いですね」
言うまでもなく。
野盗の類に身を落とす割合は、敗戦から境遇の劣悪な旧国民の方が高い。
問題は、手下が首領らしき人物を『殿下』と呼んだことだが。
ティータがその情報を持っているのは、どう考えても不自然だ。
『王の剣』を持っていたならば、賊の親玉は王族である。
その仮説を提示することは出来る。
しかし、盗品である可能性は皆無ではない。
それが『王の剣』である立証ができない以上。
結論づけるにはあまりに根拠が弱い。
ティータがそれを過剰に主張するのは、やはり不自然。
いっそのこと、『現場にいた』と言えば良いのかもしれないが。
カリンとティータが同一人物であることを知られるのは恐ろしかった。
「手伝います。手掛かりを見つけましょう」
それから二人は、旧王国の関連資料を片っ端から机の上に広げた。
王の剣とは実在するのか。
所在は本当に不明なのか。
持ち主は何者なのか。
より詳細に事実を明確化するために――。
夜半すぎ。二人は有力な情報へとたどり着く。
旧国の王族と、その側近を処刑した詳細な記録書が見つかったのだ。
王族十二名。騎士八名。その他、重役三十六名が処刑されていた。
「とても凄惨な終戦処理だったようです。
とくに王族には徹底した処断が下されています」
代表して国王の処刑が行われることはあるだろう。
しかし一族郎党、皆殺しとは。
パトリックは改めて父の苛烈さに驚愕した。
「騎士の割合が少ないのですね」
代表者だけが処刑されたのだろうかと、ティータが疑問を唱えた。
パトリックが答える。
「戦中に失われて、数も少なかったのでしょう。
何人かはこちらの記録書でも確認できます。
王族と騎士の全てが極刑に定められた折、彼らは決死の逃亡を敢行。
追撃の末に数名の逃亡を許したと。
家系図を探しましょう。
処刑された者と照らし合わせて生存者を特定したい」
「それなら――。
あ、ありました。処刑者のリストから溢れている人物の名前が」
必要になることを見越して用意しておいた家系図から。
ティータは一人の人物を抜き出した。
パトリックが読みあげる。
「王族で消息不明とされているのは一名のみ。ナージア第二王子。
当時、十歳か。僕と同じ歳だ」
カリンが対峙した人物と外見年齢も一致する。
確証はないが、根拠は十分だと思える。
「もう十年も前です。気にかけた事もなかった。
落伍者の集まり程度に考えていた賊のルーツは滅ぼされた旧王国の軍隊だった」
国が消滅し、多くの旧国民は侵略国に隷属した。
しかし処刑が定められた彼らは、膝を折ることすら叶わず。
隠遁生活を送る他になかった。
身を隠しながら食い扶持を得る手段が山賊行為だったのだろう。
どれほどの規模かは分からないが、処刑対象の生き残りならば少人数に違いない。
今日、ドゥイングリスが無事でさえいたならば。
彼らはさしたる驚異でもない。はるか格下の存在だった。
すでに隷属している市民たち。
懐に入り込み、圧倒的な数を有する彼らの方が警戒に値したくらいなのだ。
「生き残りの王子などを拠り所にして、奴らは何を考えているんだ――」
彼らにとっては、単に団結の手段なのかもしれない。
旧王国は完全なる敗北を経て、もはや復権が叶うはずもない。
しかし、それは勝者の視点でしかなかった。
ナージア王子の構想では、戦争はまだ継続しているのだから。
◆十話、ヴィレオン将軍②