◆◆七話◆◆
深夜。イリーナは久しぶりに儀式の泉を訪れていた。
澄んだ空気を体内に取り入れ、心地よい外気に肌を晒しながら。
寄る辺もなく、想いを馳せては。ため息をこぼした。
頭の中にあるのは、いつでも『無二の親友』のことだ。
彼女、女王陛下は無事でいるだろうか。
苦難の渦中にあるだろうけれど。帝国の現状から、それは避けられないことだ。
恐ろしい目に遭っていないだろうか。
自分たちの行動が手遅れになってしまわないだろうか。
まだ幼い女王が窮地にさらされていると思うと。
気を揉まずには居られない。
――きっと、時間はそれほど残されてはいない。
膝に頭を乗せたまま呟く。
「必ず、助けに行くからね……」
直後、物音を察知して振り返る。
久々の再会を果たしたロイが、目を見開いてその場に立ち尽くしていた。
気を取り直し、イリーナはリアンナへと切り替えた。
「どうしたの? 死者にでも出くわしたみたいな顔をして」
思えば、彼は初対面の時にも、そんな表情をしていたような気がする。
ぼうっと、彼女を通して別の景色を見ているような。
「ロイくん?」
再度、呼びかけると。彼は気まずそうに返答する。
「もう、会えないかと思ってた……」
「ええっ、どうして?」
確かに、間をあけてはいたが。ロイの態度は随分と深刻な様子だ。
「リアンナと会っていることを、兄さんたちに追求されてたんだ。
仕方なく、何もかもを話したから。姿を見せなくなってしまったのかなって……」
それは全くの誤解だった。
しばらく姿を見せなかったのは、それが理由でもなければ。
ロリコン趣味にドン引きしたからでもない。
ひたすらに多忙であったし。
騎士団長に対する対抗馬として、ロイは優先度が低かったのがその理由。
「見限られたのかと……」
まさか、それほど思い詰めているとは。
自分は彼の好みのタイプではないからと、軽い気持ちで考えていた。
だけれど、ロイにとっての自分は、思いのほか重要なポジションにいたらしい。
「べつにさ。話したところで、正体がバレたことにはならないよ?」
ロイ自身が知りもしない正体だ。聞き出せるわけがない。
そうでなくとも、ヤズムート兵士長に密会を看破されたロイが。
兄たちから逃れようのない追求を受けている様子は、道化師イウとして見ていた。
なりふり構わぬ兄達の追求を、逃れられるはずがなかったのだ。
「でも、ゴメン。それが原因で、リアンナが追い出されるかも」
彼の態度を見ていると、イリーナの胸は締め付けられた。
今更ながらに、自分は酷いことをしているなと実感する。
「気にしてないよ。どうせ、いつまでもはいられないんだから」
彼の方からは近寄ってこないので、彼女から歩み寄った。
俯いて目を合わせないので、首を傾げて表情を覗き込む。
「んー、えいっ」
黙り込んでしまった少年を、リアンナは両手を広げると。
包み込むようにして抱きしめた。
「どうした? よしよし」と、励ますようにして背中をさする。
彼の抱える不安のようなものが、膨れ上がって破裂してしまう。
そんな気がして、それを押さえ込もうとした。
ロイは支配民と被支配民とのハーフだ。
帝国民からは見下され、旧王国民からは裏切り者との誹りを受けている。
孤独なこの少年が、いつかは良き道を歩めたら良いのに――。
そう思いながら、リアンナはロイの手を引いた。
「座って、話そう?」
この逢い引きが知られた以上、継続は難しい。
兄のどちらかが、ふらっとでも覗きに来れば。
正体がバレてしまう。
今日か、次かにはリアンナとしての別れを告げなくてはならないだろう。
お互いにとって、少しでも意味のある時間を過ごそうと、彼女は考えた。
「もし仮に領主になれるとしたら、ロイくんは何がしたい?」
その気がないのはのは知っている。というノリで訊ねた。
騎士について質問した時と同じで、大した期待もしていない。
ただ、夢だとか願望だとかを繰り返し話すことで。
欲が出たり、目標ができたら良いなとは思っている。
承知の上で、彼は願望を語った。
「できることなら、帝国民と旧王国民の格差を無くしたいかな」
思ったよりも具体的な目標を語られたので、驚いた。
「真面目だなぁ!」
弟に取られるとダサいから、とか。
兄貴が嫌いだから、とかよりは随分と真っ当だ。
だけれど、それは不可能に違いない。
帝国民は絶対に了承しないだろうし。
旧王国民も対等などでは満足しない。
彼が本当の王様でもない限りは、実現できないだろう。
「本当の意味で解決を望めるのは、ロイくんだけかもしれないね」
「ある程度は、救済措置もあるんだ。
組織の一割は旧国民を採用しなきゃいけないだとか」
それにしても。ほとんどの場合、待遇などは不公平だ。
同制度のおかげでのし上がったヤズムート兵士長は例外として。
出世も昇給も絶望的だと言われている。
「だから昔は、旧国民の使用人さんもいたんだけどね」
「今は?」
昔は。けどね。それらの口調に含みを感じて、問い質した。
「今はいない。その人が、不祥事を起こして以来、雇ってないんだ。
五年も前になるかな。顔も名前も覚えてないけど、使用人の女性がいて。
その人は子連れで働きに来ていた。
その娘は俺の一個下で、遊び相手をしてくれてたっけ」
そこで、リアンナはピンと来ていた。
五年前、一個下の女の子。
「その子のこと、好きだったんでしょ?
それで、もしかすると、あたしに似てた?」
自分を通して、別の誰かを見ているような。
ロイに感じたそんな違和感。
初めは、女の子との接し方が分からないせいだと思っていた。
「いや、どうかな! 全然子供だったから!」
ロイは恥ずかしさのあまり、つい否定していた。
「でも、二人でいつも、この泉で遊んでいたから。
リアンナと初めて会った時、驚いたんだ。
帰ってきたんじゃないかって。一瞬、錯覚はしたかも」
五年経って、大人になった姿なんじゃないかと――。
けれど、それはありえない。
「その子はいま、どこにいるの?」
それが、ロイにとって良いきっかけになるんじゃないかと。
リアンナは悪意もなく訊ねた。
ロイは素直に答える。
「ある日、使用人さん。その子の母親が。
金庫から金を抜いていることが発覚した。
冗談では済まない額だったと思う。
父さんは激怒して、その場で使用人を娘もろとも斬首刑にした」
「…………」
それがあまりにも衝撃的な結末で。
リアンナは「酷い……」の一言以外、言葉を失ってしまう。
特殊な生い立ちのロイにとって、多分たった一人の友人を。
父親が首を跳ねて殺してしまったのだ。
「あの親子が旧国民じゃなかったら。
父さんはあんなに怒り狂うことはなかったんじゃないか。
『下級人種のくせに』って、思ったんじゃないかって。
そう考えると、俺は父さんが恐ろしかったんだ」
兄たちのように凝った名前が与えられなかったのは何故か。
稽古のどさくさに、父は自分を殺そうとしているのではないか。
魔法の剣が二本あることを泉の彫像が表していたとして。
きっと、自分にだけは回ってくることはないのだろう。
そう思えては、怯えながら暮らしてきた。
「ロイくんは、きっとロリコンじゃないね」
「なんだよ、急に!」
押し黙っていたかと思えば、第一声がそれである。
しかし、彼女は真剣だった。
「その時の姿のまま、時を止めてしまった女の子のことを。
今もまだ好きなだけなんだよね」
子供が好きなんじゃない。好きな娘が大人にならないのだ。
一緒に成長していれば、今の姿を愛したのだろう。
リアンナは提案する。
「あ、あのさ……」
「な、なにさ?」
「オッパイもむ?」
――沈黙。
それは咄嗟に出た言葉だった。
二人はしばし、言葉の意味について考えた。
そして、そのままの意味以外の答えに辿り着くことはなかった。
「あたし、何言ってんの?」
「俺のセリフだよ!
てっ、なんで泣いてるの!?」
気付けば、リアンナは涙腺が決壊して。落涙していた。
もはや、パニックである。
「わかんないよ! わかんないけど、何かしてあげたいし!
おっぱい揉んだら、人生変わるかもしれないじゃん!」
彼女のロジックはこうだ――。
ロイは死者に囚われている。
このまま、過去にしがみついているのは良くない。
不幸だし。将来、幸せになって欲しい。
おっぱいの良さに気づけば、ロリコンを脱却できるかも。
おっぱいなら、ここにある!
揉まれたいわけじゃないけど。揉まれても困らない。
自分が少し我慢すれば、この子の人生変わるかも!
――からの、「オッパイもむ?」なのである。
「いいの?」
「う、うん……」
言い出したからには断らない。
「え、じゃあ。どうしたら良いかな……。このまま?」
「えっ、あっ、どうしよう。やりやすいようにやっていいよ……?」
二人はあたふたとしながら、ポジションを模索する。
「じゃ、じゃあ、後ろを向いてもらっても良い?」
「へっ、後ろ……? あ、ああ、なるほどね!」
リアンナは言われるままに背を向けると。
「ど、どうぞ……」と言って待ち構えた。
ロイは彼女の背中にすっと寄り添うと。
脇の下からすくい上げるようにして、両方の乳房を鷲掴みにする。
意外と欲張りだな……っ! と、リアンナは思った。
背中にロイの胸が隙間なく押し付けられて、息のかかる首筋がこそばゆい。
緊張に身体がこわばり、鼓動が怒涛の勢いで打っている。
「どどど、どう?」
ロリコン治りそう? と、訊ねる。
なんだろう、この感じ。リアンナは違和感のようなものを覚えるが。
頭蓋の中を熱が充満しているかのようにぼんやりとして、思考が働かない。
「大きい……」
「いや、普通じゃないかな。ごめんね、んっ」
「いい匂いがする」
「ハァ……。に、匂いのことはきいてない、けど……。ちょ、ちょっと何!?」
ロイがワンピースの裾に手をかけたので。慌てて、その手を押さえた。
「直接、触りたい」
「えっ? そうか……。まあ、そうなるよね。
でも、脱げないよ! これ一体型だし、下、裸だもん!」
誰でもそうだと、少年の願望を当然のものとして共感しつつ。
駄目なら初めからさせるな。ってことだよな。と、責任感がもたげる。
その理屈で言えば、もう行きつくところまで行くしかないのだが。
すでに冷静な判断力が働くはずもなく、思い至らない。
一枚むいたら、ほぼ全裸。という部分で、辛うじて踏みとどまる。
「あっ、ロイくん? ちょっと。考えるから、一旦、この手、止め……。止め、フッ、ひんっ」
ガン無視だ!?
少年は絶え間なく指を動かし。
少女は傷口をつつかれているかのようで、あらゆる思考、行動に制限がかかっていた。
彼の手が、いつに間にか袖口から中に差し込まれていて。
肌と肌が接触し、乳房を直接に揉みしだいていた。
接触部がじんわりと熱い。
衣服が肩に押し付けられて窮屈に感じるけれど。
脱ぐことが回避されたので、解決かな。
などと思った辺り、絶望的であった。
リアンナは、嵐が通り過ぎるのを待つようにして。
必死で、声を押し殺しながら。耐える。
「……んっ。……くっ」
大人しく、身をゆだねていて。ふと、気づいた。
――あれ、上手くね?
ロイの指が先端をひっかける度に、身体が弾かれる。
弄り方のバリエーションが、あまりに豊富すぎる。
疑問は、危機感に変わり。いっとき、彼女を正気に戻した。
「よしっ、この辺でおしま、んッ! おしま、はぁん!」
ガン無視だッ!?
甘く見ていた。
話せといえば語り、詮索するなと言えば黙った。
主体性のない、言いなりの、大人しい引きこもり少年。
――三男様は、一番の問題児です。
ヤズムート兵士長の言葉が頭を過ぎる。
「はい、ここまで!」って、言えば。止まると疑わなかったのに。
「――なのに。なぜ、こんなことにッ!?」
ここまで。と、振り返って引き離そうとしたはずが。
地面に組み伏せられている。
大腿部に押し付けられる固い感触。
「おまえ!! 勃起しているなっ!!」
いつの間にか事態はクライマックスに突入していたことに。
リアンナは戦慄した。
「いいよね?」
良くないよ! 良くないけど! リアンナはロイに向かっては叫んだ。
「なんで、そんなに顔が可愛い!!」
捨てられた仔犬のように瞳が湿っている。
他の男なら、なりふり構わず蹴り倒し、噛みつき、爪を立て脱出するところだ。
だけど、彼にそれをするのはなんか、可哀想!
そう思わせる。卑劣なルックスだ。
何より、実際に心を弄んできたという罪悪感がそれをさせない。
万事休す――。
「やだ、だって、怖い」
「怖くないよ。なんで?」
「だって。……あたし、初めてだから!」
その一言が。もはや爆発寸前のロイにいっとき、正気をとりもどさせた。
えっ、どういうこと?
リアンナは誰かが招き入れた娼婦か何か、それ以外には正体の見当がつかない。
そう考えていた彼には、その発言はあまりにも想定外だった。
ロイはリアンナをキツく抱きしめると、押し黙ってしまう。
「ロイくん……?」
返事はない。ただ、蹲るように固まっている。
「はっ!? おまえ、まさか!!」
リアンナは気付いた。
ロイは相手の事情を聞いたことで。
内から溢れ出した性欲を押さえ込もうとしているのだ。
セックスを我慢しようとしているのだ。
「なんたる紳士!!」
そんなにもガチガチになっているのに!!
優しい!! 良い奴!! と、すぐに相手を見直してしまうのが。
彼女の弱点であり、失敗の原因のひとつ。
「頑張れ! 頑張って、ロイくん!」
「ちょっ、さわらないで。揺すらないでってば!」
理性と性欲の戦いは。理性側にとって、圧倒的に不利な状況だ。
若い二人にとって、戦いはまだ始まったばかり。
「もう、駄目だぁぁぁぁぁぁ!!」
「駄目じゃない!! こらっ!! 負けるな、戦えぇぇぇぇ!!」
その日は、二人にとって特別長い夜になる。
激しくて、そして誰にも語れない激戦の苦い記憶だ――。
◆八話、ドゥイングリス②