◇◇六話◇◇
「結果は度外視してさ。まず、お互いを理解する為の行動を起こすべきだよ」
長男の奇行をうけてはじまった暴露大会にて。
長男、次男に気になる女性がいることが明らかになった所。
道化師イウが三兄弟に向かって諭していた。
「どうやら皆、お互いのことを何も分かっていないみたいだしね。
もう一度会って、よく話して、自分のことをもっと知ってもらいなよ」
三兄弟はそれぞれに対象となる相手を思い浮かべた。
何年も外出していない末弟のロイ。
彼が同様の素振りをしているのは不可解だが。
その理由に気づいているのは、本人以外にイウだけだった。
「馬鹿らしい――」
フゥと息を吐いて。パトリッケスが突っぱねる。
「面白半分で煽られるのが一番、迷惑なんですよ。
恋愛を娯楽として消費したいのでしょうが、そんな手に乗るもんか」
道化師という立場上、多くの場合イウのアドバイスは力を持たない。
『悪ふざけ』と判断されがちだからだ。
「そんなつもり……あわあっ!?」
弁解しようとしたイウが悲鳴をあげた。
視界の端にとらえた人影。
そのぼんやりとした存在感に、霊的な存在を錯覚し驚いたからだ。
「――失礼して構いませんでしょうか?」
入口に突っ立っていたのは、ヤズムート兵士長だ。
イウが開けっ放した扉をノックし、律儀にも入室の許可を待っていたのだ。
「そうでした。こんな話をしている場合ではない」
本日の方針を伺いに参上したヤズムートを、パトリッケスは招き入れる。
「本日もご機嫌麗しく。坊っちゃま方にも春の息吹が訪れたようでなにより。
僭越ながら、私も道化殿と同じ見解でございますれば」
どこから聴いていたのか。兵士長も粗方の事情を察していたらしく。
身内の恥を晒した心地のパトリッケスは、コメカミを押さえて頭痛に耐えた。
「貴方までそのようなことを……」
「兵長。どう思う?」
パトリッケスがうずくまったタイミングを突いて。
それまで黙り込んでいた長男ドウィングリスが、神妙な面持ちで訊ねる。
「なにがでしょう?」
「やはり、オッパイはデカい方が良いと思うか?」
――沈黙。
パトリッケスが机を叩いて抗議する。
「馬鹿な質問はやめろッッ!!」
巨乳ではない女性を妃に迎えて良いものか――。
ドゥインはずっと考えていた。
社交場での婦女子は、そこが顔だと言わんばかりに。
大胆に胸元が開いたドレスで、たわわな乳房を見せびらかしている。
その渦中において、カリンは見劣りするのではないだろうか。
それは自らの見栄えを誇りとしてきたドゥインの案じる処だった。
――デカパイ・オア・ノットデカパイ。
今日までこれほど悩んだことはない。
生涯の伴侶だと思えばこそ、乳房の必要性が気になっていた。
「いざという時、物足りなく感じたりするのではないか?」
ヤズムートはドゥイングリスの真剣さを汲み取り。
こちらも神妙な態度で答えた。
「巨乳は三日で飽きるが、貧乳は三日で慣れる。
そんな格言がございます」
「真面目なトーンでなに言ってんの?」
渋い語り口と内容のギャップを、道化師イウは指摘せずにはいられなかった。
「たった一つの美点で他、全てをカバーすることは叶いませんが。
たった一点の欠点が原因で全てが破綻することはありえます」
他が伴っていなければ、乳房だけで満足することはない。
しかし、乳房に対する不満が原因で破局することはある。
ヤズムートの主張が真実であるかはともかく。
ドゥイングリスの懸念を的確に突いてはいた。
「オレサマが求めるのは、まさにそういう意見なんだ!
恋に落ちた時のテンションが、貧乳に損なわれたりしないか否か!」
ドゥイングリスの熱い叫び。
イウはいたたまれなさに腕を交差して胸を隠し。
パトリッケスは「勝手にしてくれ……」と呆れ。
ヤズムートはより詳細に語りだした。
「美醜を語るとき。大切なのはサイズではなく、境目にかけての曲線です。
鑑賞に限定した場合、どんなサイズの乳房にも趣きがあり。
無限の可能性を内包しているといって良いでしょう。
しかし実際、コトに及んだ時。
貧乳の対応力の乏しさに途方に暮れ、巨乳を羨むことになるのは否めない」
ヤズムートが巨乳の優位に言及する。
それに対し、たった一人反発する者がいた。
「――待って。俺はその意見には賛同できない」
静かに。それでいて断固たる口調で。
三男ロイが反論する。
「貧乳には、下品な巨乳にはない清楚美がある。
結局は兵士長も巨乳派ってだけでものを言ってるとしか思えない」
その態度は皆に衝撃を与える。
「お前が、そんなにも声を荒らげるだなんて……」
兄たちは驚いていた。
ロイの母親はマルコライスの愛人だった。
その葬儀が密葬であった時すら、物分りの良かった弟なのだ。
感情を荒らげる姿など、もう何年も見ていなかった。
道化師は思った。
――なんだコイツ。
「では、三男様。そこの壁の前に立ってください」
反発する三男に対し。ヤズムートは部屋の隅へと誘導する。
ロイは大人しく指示に従った。
壁の前に立ち。ヤズムートの言葉を待った。
「では、その壁を女性に見立て、愛撫してください」
ロイはギョッとする。
壁に向かい手を伸ばしかけたが、すぐに恥ずかしくなって引っ込めた。
「……本気で?」
振り返るロイをヤズムートが叱責する。
「するのです!!」
馬鹿げたことだとは思う。羞恥にどうにかなりそうな程だ。
しかし、ここで引き下がれば。
貧乳は巨乳より劣ると認めることになる。
ならなくとも。以後、『貧乳最高!』との主張が説得力を失うのは避けられない。
それだけはどうしても許すことが出来なかった。
ロイは覚悟の表情で壁に手を伸ばす。
護りたいんだ。貧乳の価値を――。
「……気は確か?」
イウの疑問は、男達の緊張感にかき消され、誰にも届かない。
――数秒経過。
「どうしたロイ!?」
壁に手を着いた姿勢のまま。動かなくなってしまった末弟に。
長兄が呼びかける。
「クッ……、分からない。どうしたら良いのか。
何が正解なのか、ちっとも分からないんだ……ッ!」
掴むでも、引っ掛けるでもない。平らな壁を数度さすった時点で。
ロイは万策尽きていた――。
慟哭し、その場に崩れ落ちる。
「いくらなんでも、そんな筈ッ!」
弟の窮地に長兄が駆けつける。
ロイが軽く撫でた壁にガッチリと手をつき。
ドゥインは鬼の形相で突破口を模索した。
しかし、すぐに音を上げてしまう。
「本当だ!! どうしてよいか分からんぞ!!」
残酷な現実を前に、次兄パトリッケスは冷や汗が滲むのを感じていた。
「……まだだ、まだ乳頭が――」
兄弟の窮地に、パトリックが助言を与えようとした。
しかし彼の反論に被せ、ヤズムートが語り出した。
「巨乳にだって乳首はある!
貧乳愛好家を名乗りながら、乳房をスルーするその姿勢。なんたる無様。
何が貧乳派か! 乳首好きに派閥などあるはずも無い!
挙句、プレイに広がりを見いだせずに早々に股間へと手を伸ばす!
笑止千万! それをニワカと言わずになんと言わんや!」
ヤズムートの暴論は完全に場を支配している。
本当にそうなのか――。
貧乳派ではない。貧乳派ではないが。
『乳房のサイズに貴賎なし』
パトリッケスはその浪漫を捨てきれない。
脳細胞を総動員し、活路を模索した。
しかし、無い。ヤズムートを論破するに足る材料が見当たらない。
それもその筈。
童貞である彼の経験値はゼロなのだから――。
三兄弟が静まりかえった隙をついて、イウが訊ねる。
「……なんの話だったっけ?」
「恋バナです」と、ヤズムートは即答した。
「えっ、恋バナだったの!? イウちゃんに対するセクハラかと思った!」
本来ならば、下ネタ、猥談、お構い無しの彼女だが。
惨状を見かね、話を終息させようと試みていた。
それを穿くロイの絶叫。
「そんなことはない!! 貧乳は巨乳より感度が良いんだ!!
愛撫は自分のためだけにするんじゃない!! 相手を喜ばせたくてするんだ!!
だから、感度が良い相手の方が捗るはずなんだ!!
俺はぁぁ!! そう信じているッ!!」
イウは声を貼りあげる。
「お前はもう立ち上がるなッッ!!」
なにが彼をここまでさせるのだろうか。
ロイは再びヤズムートと対峙する。
負けられない戦いがあるのだ。
男には、負けてはならぬ戦いがあるのだ。
再び、ヤズムートの攻勢が始まる。
「これはあくまで私の乏しい経験からの統計にすぎません。
しかし、先述の理由から貧乳は愛撫時間が短く。逆に巨乳は執拗に揉みしだかれる。
結果として、より開発が進む巨乳の方が敏感であるケースが多いのです」
貧乳、感度良い説を否定する。
「僕は負けない。貧乳を巨乳の倍、摩ればいいだけのことだ!」
「人間とは、慣れ、飽きる生き物なのです! そして面倒臭がりだ!
その上で、単調になりがちな貧乳の愛撫にバリエーションを追求し続ける覚悟が。
そんなイバラの道を行くがごとき覚悟が、貴方にはあるというのですか!」
「ある!!」
「理性でそうすべきだと言い聞かせても、心は自由にはならない。
初めは良いでしょう。しかし、百回、二百回と重ねるうちに。
必ず、失望するときが来るのですよ!」
「……クッ!」
ロイが黙ってしまった為、パトリックが疑問を提示する。
「統計に偏りがあるという根拠は?」
「はい、あくまで私が経験した、たかだか五百人程度の比較でしかありません。
その中には例外も少なからず存在しましたので、絶対とは言いきれないでしょう」
ドゥインが「マジかよ……」と溢す。
十分すぎるサンプルの数に、パトリックも俯くしかできない。
「……例外を掲げて優位性を語るわけにはいかないか」
援軍は敗退し。
もはや武器もない。
ただ認めないだけで、その先に勝利は無い。
――切り札を、切るしかない。
ロイの脳内にその言葉が過ぎる。
それはあまりに非人道的な言葉であるため。
口にする事がはばかられた。
したが最後。全てを失いかねない。
自爆技と言っても過言ではない必殺の一言。
ロイは放つ――。
「歳を取れば、巨乳は垂れてしまうじゃないかっ!!」
次の瞬間。
イウが、兄達が、露骨に表情を歪めた。
軽蔑の眼差しが末弟に突き刺さる。
その一言により、ロイは大切なものを失ったのだ。
この世には、言って良いことと悪いことがある。
だが、構わない。
例え、全てを失うことになっても。
貧乳の地位を高めることができるならば、それで本望――。
ヤズムートだけが、穏やかな表情でロイを見ていた。
そして「はい」と優しく肯定し、言葉を紡ぐ。
「巨乳であれば、垂れてしまった時にお疲れ様でしたと。
労いの気持ちがわくというものですが――」
ですが? ロイの心中に暗雲が立ち込めた。
巨乳は垂れる。残念だ。それ以上に、なにがあると言うのだ。
その先にけして触れてはいけない闇を感じ取る。
ダメだ。この先に踏み込むな。
第六感が警報を発している。
しかし、審判は容赦なく下される。
「――貧乳も垂れるのです」
ハッキリと宣言されたそれは、ロイの耳にしっかりと届いた。
しかし、心がそれを解さない。拒絶する。
「いったい、なんの話をしているんだ……?」
ロイの声は震えていた。
「貧乳も垂れる。等しく垂れる事実から目をそらしてはいけない。
貧乳が垂れた時。かける言葉はありません。
ただ、なんでだよ。という気持ちを噛み締めることになるのです」
「…………!!」
言葉にならない嗚咽を漏らし。ロイの膝が折れた。
力尽きたのだ。それは精神の敗北だ。
ドゥイングリスが駆け寄り、間一髪、弟を抱き支える。
「もうやめてくれ!! これ以上は弟が壊れっちまうよ!!」
ドゥインはヤズムートに懇願する。
「……兄さん……兄さん……ゴメン……」
「謝まることはねえ! お前はよく戦った、勇ましかったぜ!
俺が始めっちまった戦いだ! 相手が悪かったんだよ……ッ!」
道化師イウが一言。
「なんでお前らはその話を、そのトーンで出来るの?」
その横でパトリッケスは涙を拭っていた。
「イウちゃんは思う。
嫁のオッパイが垂れる頃には、お前らのチンポコもポンコツなんだよ、と」
今の自分と相談してもまったく意味が無い。
道化師イウはそう主張した。
そもそもロイがムキになって食ってかからなければ。
こんな事にはなっていないのだが。
「男子の乳房に対する感情は、女子でいう白馬の王子さま願望みたいなものでしょ?
胸の有無で伴侶を選ぶなんてくだらないって教訓じゃないの……?」
乳房に対する思い入れは、幻想込みである。
男性が女性に。女性が男性に同様に夢見るように。
素晴らしいものであって欲しい。
そういう憧れが付加された結果であり。
等身大の評価にはなりえない。
イウの意見にヤズムートが賛同する。
「論じるまでもありません。乳房と結婚するわけじゃない、人物を愛するべきなのです」
「では、一連の論争はいったいなんだったのです!!」
パトリッケスが怒り。
ドウィングリスは混乱し。
ロイは『貧乳こそ至高』と考えていた。
「長男様。結局のところ、答えは相手と向き合うことでしか得られないということです。
頭の中で想像をいくらこねくり回しても無意味。行動がおのずと結果へと導くことでしょう」
最後に、ヤズムートはそう言って締めくくる。
それによって、三兄弟はより結婚を意識するようになった。
道化師の思惑通り、事態の活性化がなされたのである。
◇七話、カリン②