◇◇五話◇◇
女剣士カリン。読書家ティータ。泉の妖精リアンナ。
三兄弟が、それぞれに出会いを果たしてから数日後――。
「どうしたのですか。朝から場違いな装いをして……」
早朝、パトリッケスは礼装のドゥイングリスに訊ねた。
会議室には。ドゥイン、パトリック、ロイの三兄弟が勢ぞろい。
前日の報告や、今後の方針について語り合うのが日課になっている。
逆に、それ以外のことで三人が顔を突き合わせるのは珍しかった。
「誰がロイヤルゴリラだッ!!」
礼服の着用に指摘をうけたドゥイングリスが、憤慨して机を叩いた。
昔に受けた中傷を根に持っているようだ。
「そうは言ってない……」
うんざりとするパトリッケス。
ロイが二人をフォローする。
「パトリック兄さんは正装の理由を訊いたんだ。
もちろん、ドゥイン兄さんはよく似合っているよ」
「おおっ! イケているか。そうだろう!」
その一言で長兄は上機嫌。
日焼けした野性味に溢れた顔立ちに、豪奢な刺繍のされた礼装とのギャップはあるが。
長い手足を誇る長身は、何を着ても美しいシルエットを描いた。
「ワタクシは今日も神に愛されているなあ!」
家柄に恵まれ、健やかに大きく、強く美しく育った。
ドゥイングリスは自覚的にそれを誇示している。
「質問に答えてくださいよ」
長兄の見飽きれた態度に辟易しながら、次男は服装の理由を求めた。
答えを促されたドゥインは襟元を大袈裟に直す素振りをしながら。
「フッ、すまないな二人とも。
どうやらパパの跡継ぎは、このワタクシに決まってしまったようだぞ」
それは『伴侶が決まった』ことの宣言であると察し。
ロイが祝福の言葉を投げかける。
「おめでとう、兄さん!」
「なっ!? いつの間に!!」
弟の反応からようやく意味を理解し。
パトリッケスが驚愕した。
「そんなこと、有り得るはずがないッ!!」
彼にとっての兄とは。
野山を駆け回り、棒を振り回すことに夢中で。
女性を視界にすら入れていない。そういう存在だった。
ひどい侮辱のようだが。
先日までは実際にそうであったのだ。
「フフン。今日、ワタクシは求婚しようと思っている」
その為の礼装。
「そうかぁ、兄さんが結婚かぁ」
ロイは素直に感心する。
しかし、パトリックは穏やかではない。
今回のことは好機と捉えていた。
何故ならば、引きこもりのロイは論外であるとして。
この三人の中ならば、自分こそが現実的。
容易い競争だと、勝利を確信していたのだから。
しかしそれは、スタートラインが一律だという前提の話。
長兄がすでにパートナーを獲得していたとなると話は違ってくる。
現時点で、自分は童貞。
ゴール前のライバルを尻目に、スタートラインに立ってさえいない状況。
パトリッケスは追い詰められたのだ。
「詳しくおしえてください。相手は誰です!
どこの家の、何をしている、何者かと聞いているんです!」
パトリックは顔面蒼白でドゥインに掴みかかった。
ドゥインはビクともせず。
余裕満面で言うのだ。
「知らんな。これから、知っていく予定だ」
――沈黙。
『こいつは、何か思い違いをしている』
パトリッケスはそう直感した。
「相手の名前は?」
「カリン。美しい名だろう」
「交際期間は?」
「バカ野郎。まだ、一回しか会ったことねぇよ」
頭に駆け上がった血液がスっと引いていくのを感じ。
パトリッケスの表情から興味がこそげ落ちる。
「……バカ野郎はどっちですか。
大方。見ず知らずの他人でも構わないから、結婚してしまおうという浅知恵でしょう?」
パトリックは手を放すと。安堵して、着席した。
我らが長兄は。
勝負を焦るあまりに、素性も知らぬ赤の他人で手を打つつもりなのだ。
常識的に考えて上手くいくはずがない。
「お、思い切ったことをするね……」
兄たちの緩衝材とも呼べるロイでさえ、フォローのしようがない有様だ。
「違うんだ! 確かに、カリンのことはまだ何も知らない。
それでも、俺はパパンの提示した条件を満たせる女だと確信した!
誰でも良かったわけじゃあないんだ! アイツじゃないと!
カリンじゃないとダメなんだぁ――
って、ソコぉ!!」
熱い演説を中断し、ドゥイングリスは入口を指差した。
扉の隙間からは、まるで聞き耳を立てるウサギのように。
二股三角帽子が覗いている。
まさに聞き耳を立て、覗き見している人物がいた。
「なになにぃ、恋バナ? 恋バナ?」
そう言って、道化師イウがチラチラと室内を覗き込んでいた。
「道化師か。ここへの立ち入りは遠慮してくれ」
機密の交換もされる場所だと、パトリッケスが厳格な態度で追い払おうとする。
「なんだよぉ。イウちゃんもまーぜて!」
神出鬼没の彼女だが。ここを訪れたのは始めてだ。
気を利かせていたのかと思えば、道化師は無遠慮に踏み込んで来た。
「いやあ、王様ちゃんから問題発言を引き出してしまった身としては。
ドュフフーッ。進展が気になっちゃってさぁ」
パトリックはあからさまに不快な表情をして見せたが。
イウは解する様子もない。
「問題ないんじゃない? 重要事項について話してる訳でもなし」
「恋バナでしょ?」
ロイとイウに諭され。
パトリックはムキになって追い返す気を削がれる。
実際、たいした話はしていないのだ。
「だいたい、カリンでしたか?
その女性のなにがそんなにも特別だと言うのです」
パトリッケスは兄に話の続きを促した。
わけのわからない女が、財産目当てなどで兄の求婚を受けないとも限らない。
それは家の為にならないだろう。
勝負を差し置いても、しっかりと釘を刺しておく必要がある。
「……えっ、続けるのか? この話を?」
ドゥイングリスは尻込みした。
部外者の乱入でやりづらくなってしまったのだ。
それを察して、パトリックは後押しする。
「所詮は道化。人だと思わず話せば良いのです」
「恋バナ? 恋バナ?」
確かに、同じ言葉を連呼するそれは小動物の鳴き声めいてきたが。
でも、そいつ絶対、よそで喋るじゃん?
腑に落ちない気持ちはあるが。
弟達にさんざんこき下ろされ、運命の女性の汚名を返上する必要はあった。
ドゥイングリスはカリンとの出会いについて。
三人に熱く語って聞かせた――。
「まさか、ドゥイン兄さんを剣の勝負で負かす女性がいるなんて……」
「どうだ、すげぇだろ!!」
「どんな化け物です……。サイクロプスの雌じゃないでしょうね」
「ざけんな、むしろ小柄だったわ。チビだった!
こう、燃え盛るような赤髪を結んで颯爽と――」
カリンのエピソードは弟達を驚かせたが。
少なくとも、今日明日中にどうにかなることはなさそうだと。
パトリッケスを安堵させた。
「だいたい、立場をわきまえてくださいよ。最も重視すべきは家柄でしょうに」
結婚は権力増強の有効手段だ。
権力者の娘と婚姻を結べば、それだけ彼らの地位も盤石になる。
平民相手は勿論。
素性も定かでない相手とだなんて許されない。
それに異を唱えたのは道化師。
「そうかな。正直な気持ちに従うのが一番なんじゃない。
王様ちゃんもボケ始めてるし、案外、許されちゃうかもよ?」
「言葉に気をつけろよ!!」
パトリックが怒鳴りつける。
歯に衣着せぬのが道化だ。指摘するだけ野暮とはいえど。
実際、彼女の言うとおりになりかねない所が恐ろしかった。
最近のマルコライスが何を考えているのか。
息子たちも測りかねているのだから。
「とにかく、旅の剣士? そんな得体の知れない者を受け入れるわけにはいかない」
パトリックは念押しのつもりで言った。
それが薮ヘビか。
道化師から余計な言葉を引き出してしまう。
「次男殿も。図書館で平民女と楽しそうにしている。って、司書が言いふらしていたけど?」
唐突にティータのことを言われ、パトリックは言葉につまる。
ここまで言われたい放題されていたドゥインが、それに食い付かない筈もない。
「おいおい、聞き捨てなりませんなあっ!!」
「あいつッ! 仕事はしないくせに余計なことを! 解雇してやるっ!」
激昴するパトリッケス。
ドゥイングリスはお返しとばかりに質問を開始した。
「人をさんざんつつき倒してくれたんだ。当然、説明してくれるよな! 我が弟よ!」
「……べつに何もありませんよ。
図書館で一度顔を合わせて、話が盛り上がった。それだけです」
次男坊は、何もないと主張するが。
そんなもので追及の手からは逃れられない。
「見た目は?!」と、有無を言わさぬ勢いで質問攻めにあう。
「はっ? 普通ですよ。栗色の髪で、背丈も普通くらいで……。
特別、興味もありはしない――」
「なんだブスか「撤回しろッッ!!」
パトリックの剣幕はドゥインをたじろがせる程だった。
「そんなに怒るなよ……。胸はデカいか?」
「ドゥイン兄さんの質問は、パトリック兄さんの怒りを買いたがっているようにしか思えないね」
などと指摘しながら、ロイは二人のやり取りを見守っていた。
「そんなの、まじまじと見るわけがない。印象にありませんね」
ドゥインとロイはなるほどと頷き、所感を述べる。
「印象にないってことは、デカくはないんだな」
「小さくもないんだろうね」
「下品な勘ぐりをやめろ、汚らわしい……」
「いや、カリンはすげぇ美人なんだ。美人なんだが、胸が物足りないんだよな。美人なんだが、美人美人」
ルックスとバストサイズ。
必要なことはすべて聴いたと、ドゥインが自分の話題に戻る。
人のことを気にしている場合ではない。
なにせ、本日、プロポーズを決行する予定なのだ。
「そうですか……」
パトリッケスは口元を手のひらで覆い。「フフ」と小さく笑った。
それがドゥイングリスの神経を逆撫でする。
「笑ったな! 勝ち誇ったな! コノヤロウ!
手をどけろ! 図書館女の胸を思い出してニヤついた口元を隠すな!」
「ニヤついてない! 嘲笑したんです!」
二人を他人事のように眺めながら。
ロイはリアンナのことを思い出していた。
髪は黒、いやグレーだったか。
胸はだいぶ大きかったな。背も高いけど。
泉の妖精だなんて紹介したら、頭がおかしいと思われるだろうか――。
「三男殿、どうかした?」
道化師イウが、呆としているロイに訊ねた。
「ううん、なんでもないよ」
リアンナのことは黙っていた方が良いだろう。
『正体を明らかにしないこと』それが再会の条件だ。
この場にいない者に、それが伝わる可能性はきわめて低い。
だとしても、兄たちから余計な追及をうけては都合が悪いのは確かだ。
「なんにしてもだ。
――結果は度外視してさ。まず、お互いを理解する為の行動を起こすべきだよ」
三人に向かって道化師イウが述べた。
そうしなくては、何も始まらない。
「どうやら皆、お互いのことを何も分かってないみたいだしね。
もう一度会って、よく話して自分のことをもっと知ってもらいなよ」
それはそうだと、三兄弟はそれぞれに相手のことを思い描いた。
ドゥイングリスとカリン。
パトリッケスとティータ。
ロイとリアンナ。
争奪戦は奇しくも、同時にスタートを切っていたのである。
しかし、三人の恋の裏で。
複数の第三者による陰謀が渦巻いていることを彼らはまだ知らない――。
◇六話、ヤズムート兵士長