◇◇二話◇◇
ジェスター将軍が訪れてから数日――。
長男ドゥイングリスは機嫌が悪かった。
原因はもちろん、跡継ぎ問題である。
昨日まで、後継者は長男である自分と確信し疑いなかった。
ドゥイングリスは叫ぶ。
「それはそうだろう!」
それが自然な流れであり、誰も異議を唱えないはずだったのだ。
弟達のどちらかが自分よりも高い地位を得るということは穏やかではない。
長兄が後継に選ばれたところで弟達になんの不名誉もないが。
弟のどちらかが選ばれたならば、彼の資質は疑われる。
――長男では不適切だった。との不名誉な烙印を押されることになる。
選ばれなかった理由について。
少なくとも、人々は良からぬ噂を立てるだろう。
それが理不尽に感じられてならない。
長男ドゥイングリスは三兄弟の中で一番大柄で、腕っ節が強い。
その事実も「ひ弱な弟達に負けるなんて屈辱だ!」と、不機嫌に拍車をかけていた。
加えて、彼には特定の恋人が存在しない。
資質うんぬん以前に、参加条件をすら満たしていなかった。
狩りや決闘で他者に格の違いを見せつける。
それこそが彼にとっての至上の楽しみであり。
その場に女性の存在がそぐわなかった為。
今日まで伴侶と出会わずにきたのだ。
行動を共にすれば狩り場までの到着に三倍の時間を要し。
捕れる獲物の数が三分の一に減る。
今日まで、異性はむしろ邪魔なだけの存在だった。
「お前達! 見回りに出かけるぞ!」
朝一番、兵士たちを怒鳴りつけた。
ドゥイングリスは領内における治安維持の責任者だ。
そうやって部下を率いて領地を巡回し、人々に自らの精強さを誇示するのが日課だった。
賊にでも出くわせば、鬱憤ばらしにちょうど良い。
しかしその日は特に平和で、外敵との遭遇はなかった。
それ故、なんでもよかったのだろう。
住民の取るに足らない喧嘩にすら介入する始末だ。
「話を聞かせろ。悪い方をオレサマが制裁してやろう!」
それは八つ当たりによる理不尽。
ドゥイングリスが騎士らしいのは場を選んでのことで。
本来の彼はむしろ粗暴な人物だった。
「よし、くらえ! 選民パンチだ!」
民に対して理不尽な暴力が下される。
振り下ろされた拳が炸裂する直前。
横合いから、誰かがドゥイングリスを突き飛ばした。
「だッ、くっ、このぉ!! 何者だ?!」
不意打ちに派手に転びかけたのを持ち直しながら、ドゥイングリスが振り返る。
彼の部下達がどよめいた。
そこにあるのは予想だにしないシルエット。
「ああん?」と、彼はいささか気性を削がれたような声を漏らす。
その人物は十代半ばか後半か。
ドゥイングリスよりも頭一つも小柄な少女だった。
「そのくらいにしておけ」
少女は、突き飛ばすために伸ばした手をゆっくりと下ろしながら忠告する。
一見して旅人のようだ。腰には剣を下げていた。
「それ以上の暴虐、見てみぬ振りは出来ない。非礼を詫びて立ち去れ無法者」
大勢を従える大男を、強い調子で咎めた。
「なんだ貴様は!! オレサマが誰だかわからんのか!!」
「ああ。しかし、お前が何者であろうと間違いを正当化することは許されない」
彼女が言っていることはもっともだ。
だが、じゃあゴメンなさい。と言って引き下がることは恥ずかしい。
恥をかかされる。そう考えたら、戸惑いは怒りへと転換される。
「許されなければどうする?!」
ドゥイングリスは食ってかかる。
「言って分からなければ、身体に分からせるまでだ」
「はぁぁぁぁぁっ!?」
こともあろうに。このオレサマを格下扱いだと……。
勝てる気でいる相手に対して、ドゥイングリスの心中が煮え滾る。
「我こそは誇り高き帝国騎士、領主マルコライスが長男ドゥイングリスなるぞ!」
ドゥイングリスは名乗りをあげる。
「さっさと剣を抜け、腰抜けめ。私が騎士の何たるかを教授してやろう」
その名乗りは、穏便に済ませてやるための最後の手段だった。
しかし、ここまで言われてはもう引き下がれない。
ドゥイングリスは決闘を受諾した。
「こちらの名乗りは済んだ。名乗れっ!」
「旅の剣士カリン」
カリンと名乗った少女は剣を構えた。
「平民風情が。選ばれし者の、いや、性別の壁を思い知らせてやる」
ドゥイングリスはズカズカと間合いを詰め、どっしりと構える。
利き手側、右足を半歩引き、片手剣を肩に担ぐ。
そして空いた左拳を相手の視線を遮るよう、縦拳にして突き出した。
その威圧感にカリンは身じろぎして緊張を表した。
ドゥインの大きな拳が視線の高さ、最も近い位置に陣取っている。
その存在感は凄まじく、否応なしに視線をひきつける。
反して担いだ剣は一番遠くに位置し。
最も警戒すべき斬撃の間合いを錯覚させた。
拳を前に突き出しただけ――。
それだけで、相手の距離感を麻痺させ集中力を奪うことが出来る。
以前には、その威圧感に酔って失神した者すらいた。
それはそうだろう。
間合いを見謝れば鉄の板が肉体を割くという状況下で。
大男を相手に距離感を麻痺させられるのだ。
加えて、突き出した腕は懐への侵入を阻んでいる。
カリンがドゥインの胴体に攻撃を到達させる為には。
突き出された手、肘、肩を通過する必要がある。
カリンはドゥインの邪魔な腕を排除する必要がある訳だが。
カリンの剣がドゥインの腕に届く距離は。
長身であるドゥインの剣が、カリンの胴体に届く距離だ。
腕をどかさなければ近づけない。
腕を攻撃すれば、一手を要する。
いざ左腕に攻撃を加えようとすれば、ドゥインはスッと腕を引き。
連動した動作で逆腕を振り下ろすだろう。
そのほとんどが一撃で決着する剣の勝負において。
一振りは必殺でありたい――。
そうでなくても、右利きのカリンが左手の縦拳から有効打を取るのは困難だ。
急所の集中する表面が背中越しにあるのだから。
「どうしたチビ女、くそドチビ! 手も足も出ないんだろうが! ワタクシの圧倒的な勝利だ!」
ドゥインはここぞとばかりにカリンに罵声を浴びせる。
だが、この時点で『弱気』だったのは、実はドゥインの方だった。
女を怪我させても仕方がない。ダサい。
そういった先入観から、言葉で引き下がらせようとしているのだ。
そして出た言葉は、初対面の女性に対して精一杯の「チビ!!」である。
カリンはそれらの罵声を甘んじて受け止めていた。
否、敵が怒鳴りきるのを待って即座に動いた。
「――ッ!?」
ドゥインは驚愕する。
間合いの優位をアピールすることで相手の自由を奪ったと信じていた。
そのはずが、何の魔術かドゥイングリスの方こそ全身が石化したかのように動かない。
剣士カリンの前進と同時に『金縛り』が起きた。
人間の体は、息を吐いている時に正しく力が伝達し。
吸っている時には硬直する。
それを見越して、カリンは相手が怒鳴り終えるのを待って踏み込んだ。
「馬鹿なッ!!」
呼吸による硬直などわずか一瞬。
しかし、その間に女剣士カリンはドゥイングリスの視界から姿を消していた。
一瞬のうちに視界から消えたのだ――。
対決の場面で半身に立つことは多くの利点を持つ。
間合いが広くなる。
相手から急所が遠くなる。
攻撃に力が乗る。
前後移動が速くなる。
利き腕側の足を半歩引くだけ。
それだけで素人は喧嘩が倍も強くなると言って良い。
同時に、逆手の視界が狭くなる。
半歩相手が横にズレただけでそこは背後だ。
カリンは与えられた二秒で三歩前進。
ドゥイングリスの背後に回り込んだ。
平時ならば、それを妨害するために突き出した左手だったが。
二秒間。ドゥイングリスの視界を塞ぐ衝立となり。
カリンの姿を隠してしまった。
そして、前方に向かって振り下ろすための剣は。
獲物の姿を見失う。
ドゥインはすぐにカリンの位置に気付いた。
しかし、目まぐるしい展開だ。
頭で考えながら追っていては追い越せない。
二秒差が縮まらない。
カリンは右足でドゥインの左膝裏を押し込み。
同時に左脇に差し込んだ右腕で彼を押し倒す。
派手にひっくり返る。
「……はぁぁぐッ!?」ドゥイングリスが衝撃に呻く。
大男は地面に押さえ付けられ、その喉元に少女が剣を突きつけていた。
戦場ならば躊躇なく、息の根を止めていたはずだ。
――組打ち。素手による格闘も剣技に含まれる。
誰の目から見ても勝者は明らかだった。
「勝負ありだな」
女剣士カリンが決着を宣言した。
ドゥイングリスは放心状態だ。
「…………」
チビに投げられたことに驚いた訳では無い。
体格差は関係ない。人体の構造を利用した技だ。
しかし、彼の女性観には大きな変転があった。
ある種の革命が起きたのだ。
「では、自分はこれで失礼する。あなたも騎士ならば約束は果たされるよう」
立ち去ろうとする女剣士をドゥイングリスは呼び止めた。
「待ってくれ!」
カリンは怪訝な表情で振り返る。
彼女は『旅の剣士』を名乗った。
ここで別れたら最後、二度と遭遇することはないかもしれない。
そうなれば、きっと後悔する。
『お前のことがもっと知りたいんだ!』
彼はその言葉を飲み込んだ。
――ドウィングリスは童貞である。
この場で素直な気持ちを打ち明けるという行為はハードルが高い。
そして、出た言葉はこれだ。
「決闘を申し込むぅぅぅ!!
後日、同じ頃合にこの場所でぇぇぇ!!」
カリンに対する怒りや憎悪はもはや微塵も残っていない。
それでも、再び会う機会を得ることに必死だった。
カリンは立ち去りかけた体制を但し、ドゥイングリスに正対すると。
凛とした態度で応えた。
「良いだろう! 受けて立つ!」
◇三話、候補2・ティータ