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第十三話「長兄」


大上段から一息で振り下ろされた大剣がオークの頭部を両断し、鮮血と兜の金属片が宙を舞った。


イチキの速度、角度、タイミングすべてが完璧に揃った一撃はフルアーマーのオークを鎧ごと両断できた。


動く相手にそれを成功させるの至難の業だが、イチキはすでに何頭ものオークを兜割りで葬っていた。


彼はかならず仕留められるタイミングで剣を振る、すべての攻撃が防御も回避も許さない一撃必殺だ。


イチキのとくに強い部分をあげろと言われれば誰もが思案する、彼には際立った特徴が無い。


イツツキのように機敏で、ヨキのように豪快で、ミキのように洗練されている。


すべてが備わっているため突出した部分が絞れない、同時に弱い部分が一切見つからない完成した剣士だ。


後輩を指導するには自ら体現する必要がある。


年長とはいえ最年少と十も変わらぬ長兄は、自らも学びながら仲間たちに最適な戦術を試行錯誤するうちに個性がなくなっていた。


イチキは癖の無い、只々強い剣士だ。


イチキが陣取るのは王城につづく一本道、国王直下の騎士団が行き来する大通りで王城から出撃、帰還する部隊を単身壊滅させていた。


とはいえ最前線は本体が配備された中央公園にあり王城はむしろ手薄なぐらいではある。


オークの王は護られない、ただ従わせるだけの存在だ。


なにもかも人間の組織構造を踏襲して組織されてはいるが所詮は動物、国王にはもっとも強い個体が君臨している。


王城に残留しているのは百ていど、しかし百万頭の中からよりすぐられた最強の百頭だ。


王は体長三メートルを超え重量は人間の十倍もある怪物だが、野良オサは単身で王城に乗り込みイチキはあえて送り出した。


最後に交わした言葉は祖父からの「じゃあね」に対して「では」との簡素な挨拶のみだ、死に場所に向かう男に武運も無いと思えたのだ。


そして野良たちの長兄は玉座を目指す祖父と、それぞれの闘いに身を投じる弟たちの両方をサポートできる場所を戦場に選んだ。


祖父の為、仲間たちの為、イチキの人生は常にそうだ。


祖父の妄執を満たすため彼の剣技を修得し、それを子供たちに伝授し年長の役割として組織の参謀役を務めた。


オークの支配する世界で両親の死を体験し、子供たちを奪還する祖父の闘いを見守るあいだに児童だったイチキも自ずと個を殺すしか無かった。


十を過ぎてからは我を張ったことが一度も無く、カラダの動かない祖父の代わりに組織に奉仕した。


イチキという個性や人格は希薄だ、個人の個性に委ねられた多様な剣技を振るう野良のなかにおいて無個性を保っている。


彼らの剣には形が無い、そもそも野良オサが剣士ではなかったからだ。


鍛冶師であるオサが自分の作品をより実践的な形状に仕上げる為、それぞれの達人と交流し吸収してきた技術の転用が彼らの剣術。


剣士が武器に求めるものを理解するために自ら振って試した、宮廷付きであったオサの顧客からは一流の戦闘技術を吸収し放題だった。


それが野良オサの我流。戦術が武器に還元され、武器が戦術に奉仕する剣。


そして祖父の執念に奉仕したイチキの剣は我の無い剣だ、技術の伝達装置たるイチキはあらゆる武器を完璧に使いこなしその性能を完全に引き出した。


そして後輩たち個々人に適した武器を選出しその技術を伝達する。


弟子たちが得意武器を磨き個性が強調されていくなか一人無個性を貫いてきた。


皆の師匠であったがイチキ自身も常に学ぶ側であり共に成長して来た。


その上で今日までどの武器を使っても、ジキ以外の誰もがイチキを超える事は無かった。


すべての野良の師たる彼が豚ごときに後れをとるわけがなく、敗北するのは体力が枯渇したときだろうと考えられていた。



オークの丸太のような腕が一撃のもとに切断され地面に落ちる。


その斬撃は寸分の狂いもない角度、丁度足りる力加減で刃を立てることで継ぎ目を狙う必要もなくガントレットごと腕を切断し、その突きはアーマーごと心臓を貫通した。


恐ろしい精度でミス無くそれをくりかえす。


王国でもっとも武器のあつかいに精通した野良オサ、その血を引くイチキが才に恵まれたのは自然なことであったが、彼はしばらく自分の強さに対して懐疑的だった。


厳しかった祖父は彼を褒めることが無かったし、リーダーである責任から積極的に任務で成果を上げるような無謀もできなかった。


なによりジキの存在が大きい。


強すぎるジキの稽古相手はイチキにしか務まらず、対比で自分の腕を疑問視するようになっていたのだ。


しかし今日すべての柵から解放され存分に力を振るった結果、自分の強さを実感することができる。


これが最後だというのに清々しくすらある。


イチキは自分の倍もあるオークを瞬殺し、囲みをつくる集団に対して揚々と言い放つ。


「感謝する! 改めて自分の強さを確信できた!」


素直な謝辞を挑発と受け取った豚共が一斉に雪崩かかる。


板金鎧の上から次々とオークを切り刻んでいくイチキ。


動く相手にそれを可能とするのは一瞬だ、それをもらさず拾い上げ確実に斬鉄を繰り返す。


高速で、乱れの無い角度で確実に捉え続ける、まさに鬼と呼ぶに相応しい神業の連続。


しかしイチキの快進撃はここまでだった――。


襲い来る群れを打ち落としていく最中、巨体群の隙間から長槍が突き出された。


その一撃が鋭ければなんの問題もない。


たとえ死角からの攻撃だとしてもイチキ相手には不意打ちにするならない筈だった。


しかしあまりにも緩慢で未熟な攻撃はハイペースで動いていたイチキのリズムを逆に乱した。


四方から猪突猛進な攻撃が降り注ぐ速い展開の中、下手くそな長槍が差し込まれることで調子が狂う。


先に処理すべきはそちらだと判断し、イチキはオークを躱してその背後に潜む槍使いに斬りかかった。


その首を跳ねようと刃を振り上げたところでマトの小ささに面食らった。


どうりで武器の扱いに慣れていない、それは子供だった——。


オークではない人間の子供だ。


戸惑わなければ子供の首を落とし、対応も間に合った。


しかしイチキは攻撃を寸止めした、それすらも彼の熟練した技術によって為せる急停止だった。


それは致命的失策。


腕、胴、脚と伸びきった体制、寸止めから生じた力みは回避行動に割り振る余力を奪っていた。


ガラ空きになったイチキの脇腹にスピアの切っ先が突き挿れられ内臓を破壊する。


「うおおッ!!?」


間一髪、否、すでに手遅れだがカラダを捻って槍の穂先を引き抜いた。


その一撃も人間、いや二足羊による攻撃だった。


劣勢のオーク軍は期限切れで近く破棄されるであろう十代半ばに差し掛かる子供たちを戦線に投入してきたのだ。


子供たちはオークの指示に従い長槍を構える。


イチキは痛みを堪え状況の確認に努めた。


「小さい脳ミソに見合った粗末な作戦だな……」


訓練を受けていない弱兵の投入をイチキは鼻で笑った。


しかし効果は絶大だった。


イチキをここで仕留められなかったなら、この先どれだけの損害をオーク達が被ったかは分からない。


家畜の盾が有効と判断したオーク達は次の兵隊を投入する。


十歳に満たない者や赤子などの幼い二足羊を胴体や盾に括りつけて前面に押し出した、人間の盾を装備した兵隊だ。


人間からこの国を強奪するときその主力となった人鎧部隊。


オーク達は民間人を次々と盾にして人間たちを討ち滅ぼしたのだ。


イチキは怪我の具合を確かめ、胴体に空いた穴を止血することは現状不可能と判断した。


イチキはおびただしい血を流しながら剣を構える。


痛みはどうということは無い。


想定より早くて残念だが失血で機能停止するまで、より多くの敵を道連れにする方針に思考を切り替える。


足は踏ん張れているが腰を切ることで稼働時間が大きく減少するだろう。


ここからは肩からさきに頼った戦いになり鉄を切断するような攻撃は限られてくる。


鎧に括りつけられた子供を避けてイチキの剣は豚の首を跳ねた。


とくに数えてはいないが三個中隊くらいは倒しただろうかとイチキは考えた。


無心で戦っていた男が成果を意識し始めたのは終わりが近いという予感からだ。


失血はげしく指先は震え視界は霞んでいる。


──しかしみっともない。


二足羊に肩入れするなと言って聞かせてきた自分が、いざ敵に回せば剣が鈍る。


──それで人間は敗北したというのに。


イチキは自戒していたが、子供たちを一から育ててきた彼だからこそ人間と二足羊を切り離せなかった。


はじめて武器を握らされ戦場に立たされた二足羊の子供たちと、自分が剣術を伝授してきた仲間たちの姿が被る。


強さがすべての集団の中でとくに支配前の平和な記憶のある者は、幼くして戦士へと変わらなくてはならない理不尽に苦しんでいた。


気丈なあのミキもはじめは怯えて泣いてばかりいた。


それが年少の増員に際して奮起し、よく祖父や自分の補佐を務めてくれるようになったのだ。


ヨキもそうだった。


その下、イツツキをふくむ現状の理不尽すら認識できない世代はむしろやり易かったくらいだ。


そのなかでジキだけはすんなりと戦いに身を投じた。


祖父にも自分にも食って掛かり、無力な自分への屈辱をバネに強くなった。


その成長に自分が追いつけなくなったとき、野良オサを憎悪する彼を誰が止められるかと肝を冷やしたこともある。


とにかく全員を育ててきた。


自分だけがやたらと割を食わされ本当に休まらない日々だった。


希望も無い、夢も無い、自分すらも無い、辛いだけの毎日だ。



腰を捻り渾身の力でオークの胴体を上下に両断すると、力みと捻りで傷口が血を吐き出した。


足元が自分の血液で滑るほどに濡れ、末端へと血流が行き渡らなくなってきた。


顔面は蒼白で耳に届く音が遠くなっていく。


──挙句の果てに、この最後か。


イチキは我が身の憐れを自嘲し笑う。


「……まったくここは地獄だったよ」


只、間違いのない事が一つ。


地獄のような日々だったが、この世界で自分は一人じゃなくて良かった。


一人にならない為に自分は理不尽を受け入れて来れたのかもしれない。


苦しかろうと、辛かろうと、一人じゃないなら思い出ができる。


思い出があれば心は満たされる。


ついに限界がむかえたイチキは地面に両膝を着いた。


窮地においても野良の長兄は冷静に思考を巡らせる。


足の踏ん張りが利かず二度と立ち上がれないだろうこの体制で、最後の獲物をどれにするか──。


イチキは顔を上げて道連れにする豚をさがした。


しかし狭まった彼の視界にそれは見当たらない、彼の周囲は二足羊の子供が囲んでいてオークはそれを遠巻きに見ている。


オーク達はこれ以上の犠牲を望まず人間の手で始末を付ける事を決定したのだ。


子供たちがもたもたと武器を構える。


武器を手にしただけの素人の集団、イチキならばこの囲みを皆殺しにすることも不可能ではない。


だが彼は観念した。


力を振り絞ってまでして最後、子供たちを道連れにする気が起きなかった。


それに此処まで負ったのは人間の手による脇腹の不覚傷のみ。


このままオークに触れられることなく逝けるのならば、それで良いかとも思えた。


──もはやここ迄。


イチキは目を閉じてトドメが刺されるのを待った。


子供たちは静かに佇むイチキを取り囲むと、躊躇なく手に持った槍で一斉に串刺しにした。


繰り返し、繰り返し、集団で刃を突き立て続けた。


意思もなく、止め時がわからずに絶命した亡骸を原型が残らないほどに蹂躙し続ける。


それはオーク達が飽き、止めるように指示するまで機械的に続けられた。



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