ジキに別れを告げてミキは地上へと上がる。
爆発に煽られオーク達は中央付近に集まっているだろう、騒ぎを無視して家屋にこもる豚や火災への対応に追われる豚もいる。
ミキが出た付近は比較的に静かだったがもはや身を隠す必要もない、街道の真ん中を堂々と進み敵がうごめく中央へと向かった。
間もなく、ミキのことを主人とはぐれた家畜と誤解し一頭のオークが無造作に寄ってくる。
「おい、今日から俺がお前の主人だぞ」
見れば身なりや佇まいが家畜などとは明らかに異なり武装もしているが、その短慮ではまさか自分が噂の『野良』に遭遇したとは考え至らなかったようだ。
「……?」
次の瞬間、豚の視界が回転する。掴みかかるや否やその首は地面に落ちていた。
ミキは死体を見下して答える。
「生憎、間に合っている」
彼女はすでにその忠誠を野良長に、人生を剣に捧げていた。
装備は刀身に反りのある片刃の剣、彼女の性質にあつらえた実験的な特注品で強度を犠牲に抜群の切れ味を獲得している。
より刃と呼ぶに相応しい鋭利な形状をした受けを戦術から除外した攻めの剣、軽量なそれを四本帯びていた。
イチキほど多彩でも、ジキのように圧倒的でも、ヨキのように力強くも、イツツキのように柔軟でもない。
必死で鍛えてきたが膂力においては男性と比較して非力ですらある、圧し合いや受けを組み込んだ戦闘では分が悪かった。
だからミキはいっそ防御すらしない、相手より速く剣を抜き、先の先を取り続ける。
彼女の強みは潔さだ。
愚直で、小さく纏まっていて、非力で、頑なで、そして躊躇が無い。
そんな彼女の先を取ることは何者にもできず、その初撃を躱すことは至難の業だ。
大通りを堂々と直進するミキをオークの一団が取り囲んだ。
彼女が通って来た道中にはオークの死体がいくつも転がっていた。
足を肩幅より広く、半身になり上体をやや前形に、視線は敵ではなく虚空を睨み付け八方の気配を全身で感じとっていた。
四本の鞘が彼女の背後に向かって伸びる。構えに応じて鞘が上方へと持ち上がり、まるで野生動物の威嚇のようだ。
両腕は交差し、掌底はわずかに柄に触れている――。
背後のオークが囲いを飛び出しミキへと襲い掛かった。
気配を察知し上体を捻ると、左に差していた剣を右手で虚空に虹を描くように真上から一閃、オークの鼻が縦に割れる。
豚がその一撃に怯み足を止めた刹那、喉、左胸、腹とミキは三度突いた。
切っ先の届くギリギリで彼女の攻撃は必ず相手より先に届く。
同じ間合いの武器であろうと、同じ技であろうと、相手の力が勝っていようと、必ず先にミキの刃が先に届く──。
それは彼女が考えて闘っていないからだ。
考えて技を振るっていないからだ。
ミキは知っている、自分の剣の間合いをミリ単位で把握している。
敵がそこに踏み入る時、切っ先が丁度触れている状態を再現する。
彼女はそのための機械だ。
範囲内の障害を排除する最短の動作を毎日何千回と繰り返しカラダに染み付かせ、反射に身を委ねている。
カラダが自動で技をくりだし敵を迎撃する。
攻撃を外したらどうする? そんな事を思案したりはしない、だからミキが最速なのだ。
相手の出方を見て警戒するロス。自分が出す技の有効性を疑うロス。次の行動を選択するロス。
それらのロスを撤廃した疑問を抱かない一撃が、もっとも速く相手に届く。
彼女の強さは疑わない心、信じる強さだ。
信じる心が力になる――。
そんな気休めか冗談みたいな言葉が偽りで無いことを、彼女の剣は体現する。
成否は関係ない、間違っていても構わない、迷いのない一撃はより遠くに届く。
立て続けに襲い来るオークが襲いかかった順に綺麗に絶命していく、そのほとんどが駆け寄るのみで攻撃をくりだす前に絶命した。
間合いの最大距離で切っ先は喉に触れ、敵の前進で首が飛ぶ。
間合いの最大距離で切っ先は敵の拳骨に触れ、武器を振り上げる動作で自らの指を切断させる。
十三、十四、十五、十六――。
次々とミキの刃の餌食になる同胞を見て小賢しくもフェイントを加える豚、遠間からの牽制を試みる豚も混じる。
それに対応出来ないミキではない。
踏み込んで射程を伸ばすと正面の首を跳ね、刀を反すつらなりで膝を着き低姿勢で攻撃を躱し、突出した敵の軸足を跳ねて転倒する豚の首をまた飛ばす。
十七、十八、十九――。
一連の動作で三匹を仕留めると膝を着いた姿勢のまま、また剣を鞘に納めて次の敵を待ち構えた。
射程内の敵を倒しきる度にミキは剣を収めた。
一見して無駄な動作にも見えるが、剣を抜く動作も接近から敵を斬り倒すまでの時間に含まれている。
同じスタート地点に帰ることで呼吸が整い何度でも同じことができる、一度リセットすることで運動の連続による精度の低下を免れているのだ。
膝を着くことで機動力が削がれ、回避、攻撃の範囲は大幅に制限される、それでもミキは敢えて座していた。
ミキに向かって射出された矢が見当違いの場所に着弾する。
ミキは動じない。
剛力で屈強なオーク族だが人間のほうが勝る点が幾つかある、その一つが手先の器用さだ。
豚が人間の道具を奪うだけで新たに生産できない原因はその不器用さにある。
よほどの事がない限り飛び道具は当たらない、ましてや座して姿勢を低くしていることでマトが小さくなっている。
座っていることにも利は生じる。
振り降ろす攻撃はマトまでの距離が遠のき、突く攻撃は下段に種類を限定される。
座ることで相手の行動を制限、誘導出来る。
攻撃の到達距離が延長されたコンマ数秒、時間的猶予と限定された初動はミキにとって数秒を止める能力にも匹敵するアドバンテージだ。
制空権に踏み込んだ豚の脚を切断、平地での着地に失敗する豚の肘から先を切り上げて切断、転倒前に豚の首を振り下ろしにて断頭、これで二十。
痺れを切らして己の距離を見失い、無駄な一撃を振り下ろした豚の手首を引き切りにて切断、一連の動作でがら空きの喉を突きにて貫通、二十一。
ミキは膝を擦り、尻で転がり、つま先で地面を蹴り、器用に回避し敵の間隙を突いた。
オーク達はミキが座したことで先程までとは異なる距離感に戸惑う。
来ると想定した距離で斬られないことに戸惑い隙を生じさせ、斬られていないことに安堵して隙を生じさせ、座っているマトの小ささ遠さに戸惑い隙を生じさせる。
その隙のすべてにミキの攻撃は突き刺さった。
二十二、二十三、二十四、二十五、二十六――。
ミキは剣を収める、今度は座さずに直立して。
剣を鞘に納める隙を突いた豚の首が飛ぶ。
二十七――。
今収めた剣とは逆に下げていた物を逆手で抜いて斬った。
後続の足が止まる、変化する間合いに対応できずに足踏みしている。
立ち上がったミキの射程距離は膝立ちの間合いを想定した豚には、あまりに広かった。
ミキの剣技は美しい、迷いのない真っ直ぐさが美しい、それはこの場ではあまりにも華美であり不必要な技の数々だ。
一々攻め手を変えるまでもなくオーク達は彼女の攻撃を見切れない、それでも彼女はあらゆる技を披露した。
これが最後だとの覚悟が決まっているからこそ、今まで修得し磨き上げてきた技を一つ一つ確認した。
もはや彼女にとってオークは敵ではない、オーク達の命を奪うことは己との戦いへと変化していた。
戦士として捧げた人生の総決算。
己の技を振るうことは今後ないのだと哀悼を込めながら、技の一つ一つを弔うように慈しみながら、無慈悲に剣を振るった。
三十七、三十八、三十九――。
もう勝利も敗北も無い、ただ自分の完成度を確認して終わるのみ。
そのように納得したのだ。
──納得したのだ。
一滴の涙が頬を伝い、それは彼女を驚かせる。
「……なんだ?」
その跡を人差し指の腹で撫でた。
それは意味不明でミキを戸惑わせる。
四十、四十一。四十二、四十三――。
その由来がなんなのか、涙が彼女の心をかき乱す。
痛みは怖く無い、死への恐怖はとっくに克服した。
心残りは先ほどジキと和解することで解消された。
これまでの人生に悔いも無い、今日という日を待ちわびてすらいたのに。
「アアッ!!」
五十八──。
斬り捨てる時、それまで粛々と技を重ねていたミキが煩わしさに叫んでいた。
敵の一撃を受け止めた剣を地面に捨てる、折れた訳ではないが強力な一撃を受け切るために地面をこすり先端を損傷していた。
それにより突きの威力が損なわれ技の種類が限定される。
また同じようなことがあった時に折れる可能性もあり、それが原因で致命傷を負うことがあるとの判断だ。
剣はまだ三本残っている。
問題は敵の攻撃を剣で受けて防いだ点だ、それはミキに生じた異常を明確に表していた。
理解不能な心のざわめきは雑念だ。
雑念が集中力を乱し、張り詰めた状態ではじめて成立する技の精度を低下させた。
反して増員され続けるオークはミキに対する恐怖を払拭しその獰猛さを発揮した。
「――フッ!」
息を吐いて力みを排除し、ミキは多方から迫るオークに対して前方に駆けることで包囲を逃れる。
すれ違いざま敵の利き腕、武器を掴むその指を二本弾き飛ばした。
武器を落として慌てる豚、その武装の隙間に剣を突き入れて致命傷を与える。
振り返って後続に対応、乱戦は激化しもはや剣を収めて一息つく暇も無くなりつつある。
前方左右からの挟撃に対して左の鼻を飛ばして足を止め、引き気味に右の脛を削り腹を突いた。
人間が相手ならミキはイチキやジキにも劣らぬ成果を上げるだろう、しかしオークが相手となれば彼女の細腕では命を奪うのに数手の段取りを要する。
一匹を倒すのに男たちの倍の運動量を要する。
六十九、七十――。七十八、七十九――。
オークの攻撃がミキの頬をかすめる。
──浅いか!
攻撃を紙一重で躱した動作の連動で、突き入れた剣の柄を蹴って貫通させる。
八十──。
押し込んだ剣を回収している余裕はない。
鼻を失ったオークが激昂して迫るその一撃を回避、同時に新たに逆手で抜いていた剣をそのまま脇腹に突き入れる。
痛みに暴れるオークから剣を手放して離れ、残りの一本に渾身の力を込めて上段から断頭、八十一──。
脇腹に刺した一本を死体から回収、一本を鞘に収納。
「!?」
横合いからのタックルを寸でのところで躱し、べつの方向から振り下ろされた攻撃を剣で受ける。
「――くあっ!!」
衝撃で後方へとたたらを踏んだ、ダメージは無い。
追撃三方。一つ、回避。一つ、防御。三つ、大腿分に被撃、傷は浅い。
閃、回避、斬、突、八十二──。
防御、回避、防御。突、突、八十三──。
被撃、回避、回避、斬、閃、突、八十四──。
正面、斬。それは敵の振り下ろした戦斧と正面衝突する。軽率、冷静さを欠いたがむしゃらな一撃だった。
武骨な鉄の塊に全力で叩きつけた薄く精巧な刃は宙で中ほどから真っ二つに折れた。
剣かそれに類する武器ならば少しは分があったのかもしれない、巨大な戦斧の質量に屈して散った。
刃の弾ける音がキンと響く。
ミキは怯むことなく前方にカラダを捻って懐に潜り込むと、「んんッ!!」と力を込めて先端の無くなった刃を逆手で相手の首に叩き込む。
刃を根元まで首に埋め込むと断末魔を上げてオークは倒れた。
八十五──。
そのまま前方に駆けて、刺しっぱなしになっていた剣を回収。
手元に二本、一本は破壊、もう一本は半壊して放り出してある。
二撃受けたミキの白い肌を鮮血が伝って紅との二色に染めた。
ミキの剣は明らかに精彩を欠き始めていた。
それはダメージのせいではなくほんの一筋の涙が招いた困惑と、それによって本来の力を発揮できなくなった事実に対する苛立ちが原因だった。
この舞台で本領を発揮できずに死ぬ無様な自分に対する怒り、自責の念がさらに技を鈍らせるという悪循環に陥っていた。
九十八、九十九──。
二本目の剣が砕け散る。
体力は過度に消耗され呼吸が激しく乱れる。
怒りからか、または無念からか、最後の一本を握る指先が痙攣する。
まるで剣を覚えたての子供に戻ったかのように錯覚した。
苦しかった修行の日々が脳裏を駆け巡る。
課せられる過酷な試練と身を潜めて生きる屈辱とでひと時の安息すらも無い、辛い日々だった。
同時に血の繋がらない家族たちと過ごした時間がどうしようもなく愛おしい。
──皆が大好きだ。
ミキの前に全身鎧を纏ったオークが立ち塞がる。
オークの軍部導入の際に人間がオークに合わせて用意した物だが、巨体を鉄が完全に包むそれは異形の怪物の様相を呈している。
人間側の戦力として造られたそれは結局、革命時に人間に対して向けられたのみだ。
全身鎧の重量は運動量を大きく制限するが、自重が人間の倍以上もあるオークにとっては大した枷ではない。
金属板は刃の侵入を防ぎ、鎧下の肉厚の皮下脂肪がクッションになって衝撃を吸収する。
有効な白兵装備は無い。
「此処までか……」
微かに虚ろう意識、滴る出血が残り時間が迫っていることを自身に自覚させた。
全身鎧のオークは素手でミキと対峙する。
知っているのだ、ミキの攻撃が鎧を貫通させて自分に打撃を与えることは不可能であることを。
ならば捕まえてしまえばよい。
他のオーク達は周囲を取り囲む。自分たちは壁になって逃走を阻み、制圧は鎧のオークに任せるつもりだ。
「ジンの皆……」
ミキが小さく呟いた。
決死に闘っているだろう仲間たちを想い、自分が退くという選択肢は無かった。
ミキは鎧のオークの正面で残った一本を構える。
対峙するミキと鎧のオーク、豚どもの囲いはまるで円形の闘技場だ。
逃げ場は奪われた──。
「イツツキ……」無邪気な弟の名を。
「ヨキ……」楽観的な乱暴者の名を。
「イチキ……」優しい兄の名を読み上げていく。
最後の時を受け入れ、虚空を仰ぎ脱力する。
鎧のオークはミキに向かって真っ直ぐに駆け出した。
華奢な人間にオークの突進は止められない、触れれば砕けて死ぬ。
それが確定事項だ。
突進する鉄の塊は剣を当てれば砕け散る、手足の出ない非力な人間をその圧倒的な質量で圧し潰すだけ。
雄叫び一つ、鎧のオークは勝利を確信する。
確信すると同時、絶命していた。
ミキの攻撃はどんな状況でも先に相手に届く──。
豚が二歩踏み出した時、兜のブレス、呼吸と視界を確保する狭い隙間からミキは寝かせた剣先を真っ直ぐに侵入させた。
勢いよく前進した豚は眉間下から後頭部へと切っ先を貫通させ、兜の中で脳漿を炸裂させて死んだ。
百──。
鮮やかな一撃だった。
正面から迫る巨大な鉄塊の僅かな隙間に向かって、針の穴に糸を通すかのように剣を挿し込んだ。
数ミリズレれば剣は折れ、ミキは正面衝突を避けられなかった。
しかし迷いなく最速最短の動作で正確に、最大距離で敵を仕留めた。
人生の集大成に相応しい一撃だ。
鎧のオークが地面に崩れ落ち、ミキは力尽きてその場に尻を着いた。
オークの重量に耐えきれずに骨折した両前腕ではこれ以上剣を握ることができない。
手持ちの刃が底をついた。
それ以上に失血で指先一つ動かすことがままならないほど消耗しきっている。
視界は霞み、膝に力は通わず、指先に感触は無い。
もう、頬を伝う涙に不快感も抱くことも無くなっている。
それは周囲のオーク達が動揺していたほんの一瞬のことだが、多くの機能を停止させたミキには静寂にすら感じられた。
次の瞬間にはオーク達が押し寄せ彼女を蹂躙し、四肢を引き千切るだろう。
それでもミキは束の間の安らぎに包まれていた。
「ジキ……」
最後に愛する好敵手の名を呟いた。
彼の前途に自らもそれが一体どういうものかも知らぬ『幸福』を祈って――。