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第十話「退路」


イツツキの武器は片手に一本ずつあわせて二本装備した手斧、ハチェットだ。


刃先を壁に打ち込み縁に刃元を掛けて手スリのない壁面から器用に屋根へと駆け上がった。


「わお、絶景かな絶景かな」


高所から見渡す視線の先にいくつもの火災が発生しているのが見える。


家畜小屋の藁や倉庫の物資、至るところが火元になっていて、放火をしたのは当のイツツキだ。


ここまでの戦闘回数はわずかに四回、放火で押し入った屋内で敵と遭遇した場合だけやむなく武器を振った。


イツツキの戦闘センスは天才的であったし人間相手であればジンの中では群を抜いた柔軟性を誇っていた。


それが対オークとなると分が悪い、彼の未成熟な肉体ではオークの質量に対してあまりにも脆弱だ。


それでもイツツキは的確に豚の特攻を紙一重で躱し、その眉間に斧刃をたたき込めた。


正確な一撃は頭蓋を割って滑り込み、必要最小限の動作で脳を破壊し即死させる。


ハチェットは手回し易い武器だが彼には少々ミスマッチとも言える。


手斧は振り上げて威力を確保して振り下ろす物だ、つまり射程が短く動作が大きい、小兵に適した武器はほかにある筈だった。


それでもイツツキはさして問題にしていない。


わざわざ最高速の武器を使わなくても彼の器用さをもってすれば常にオークの先手がとれる。


オークの速度を一とした場合、五も六も出す必要はない。二、三もあれば十分だ。


剣では速すぎる、手斧くらいがオーク相手にはよく噛み合った。


敵の攻撃はすべて見えている、一々大振りした方がオークが攻撃を外した隙間によく突き刺さる。


そしてハチェットは戦闘以外の用途も広い。


他のジンたちが闘う以外に幅が無いのに対し、ものごとを俯瞰で見て柔軟に対応できるのがイツツキの強みだ。


それが無ければロッコをアジトへ招くような発想も無かった。


ここまで都合四回の戦闘で七頭を討伐した、ペースは上がっていないが火災が原因で死ぬものや引き起こされる混乱は仲間たちの有利に働くだろう。


オークをただ減らすのが目的ならばやりようは他にいくらでもあるが、今回の任務はオークの全滅ではなく野良オサの弔いと地下生活の解散だ。


「解散パーティなら派手な方が良いでしょう」


仲間たちが死を勘定に入れて闘っているなか、イツツキだけは玉砕に対して懐疑的だった。


生きて浮かぶ瀬も在れ。敗走でもなんでもすれば良い、外で新しい幸福を求めたら良い。


その考えは革命以前の記憶がありオークに対して妄執を抱く者や、地下生活がすべてゆえ別の世界に興味をもたなかった者からは共感を得られなかった。


──オサは俺みたいなのに気を使って作戦を立てなかったんだ。


任務にすれば投げ出せないから。


明言されなかった長の意図をイツツキは正確に読み取っていた、そういう聡い子供だった。


「逃げるのは簡単だ地下水路を抜ければ良い、俺なら外壁も普通に越えられるな……」


囲まれるのを避けるため移動を繰り返した、逃げる逃げると考えてはいても一向にそれを行動には移せずにいる。


強力な呪縛のように仲間たちへの未練が足を壁内に縛り付けている。


壁外への逃亡任務を負ったジキがどんな気持ちか容易に想像できた。


頭では決めているのだ、死んだって何もならない。生き残って今後のことはそこで決めると――。


「はぁぁ、駄目だ!」


思考と行動が一致しない、仲間が全滅したのを確認でもしない限りこの場を去れる気がしない。


「この調子だと最後まで生き残るのは俺かイチキ兄あたりじゃないかなぁ」


一度下手を打ってはいるが逃げに徹すれば自分は簡単には捕まらない。


オサはもう身体がもたない。


そうなれば体力が尽きるまで負けないだろうイチキが長持ちするだろう。


ミキは素晴らしい剣士だがイチキと比べて自制が利かない欠点がある。


「ヨキは無謀な特攻ですでに死んでいる可能性があるな……」


そう言って苦笑いを浮かべる。


「あいつ馬鹿だからな!」


口数が増えるのは情緒が不安定だからだ、黙っていたらその症状は手足に波及し技の精度を下げる。


そうなれば死ぬ。


野良のなかで恐らく唯一、死の覚悟をできていない者がこのイツツキだった。


道中もロッコの様子を確認すべく中央広場の付近を偵察してきた。


そこには軍隊が丸々駐留しており周囲には隠れる場所も高い建築も無く、地に足を着けば逃げ場を失うことは必定だ。


とても降りて近づく気になれなかった。


どのみち彼女が処刑されるのは明日の昼。今夜、全滅するかもしれない自分たちが気に掛けることじゃない。


イツツキは走る、逃げるでもなく標的を追うでもなく、なにかを振り払うようにただ走った。



前方で雄叫びが上がる――。


「おらぁぁぁッ!! どんどん来いよぉッ!! ペースが落ちるだろうが!!」


聞き慣れた声の方向には三十からのオークが群がっている。


イツツキは一瞬唖然とし、吐き捨てる。


「……なにやってんだ!? あの、馬鹿ッ!!」


オークの密集地帯、建物の陰にまだどれほどいるかの判断も着かない。


本来ならば絶対に近づかない所だ。



「――二百六十七ッ!!」


ヨキの長柄武器が豪快にオークの首を跳ねた。


一匹を倒せば三方から立て続けに巨体が襲い掛かる。


長身を誇るヨキの振るう長柄武器は相手の攻撃の間合いより数歩早くその喉笛に突き刺さり、貫通させる流れで撫で斬りに首を跳ねた。


人間の胴ほどもある首回り、それを寸断できるのはヨキならではの芸当だ。


刃を振り切ると短く引いて器用に次のオークの甲冑の隙間に差し込んだ。


流れで後方から迫るオークの攻撃を回避し、オークを蹴り倒して突き刺した刃を抜き取る。


その豪快で大きな挙動には非常に華がある。


ヨキの立ち回りには合理性や強さに止まらない魅力があった。


豚を三匹ねじ伏せた隙を突き、更にオークが左右から襲い掛かる。


「ちぃっ!?」


ヨキは一方を叩き斬った。かえす刃が間に合わず、彼の頭部にオークの剣が振り下ろされる。


振り下ろされて、剣はオークの手首ごと地面に落ちた。


「ぷぎぃぃぃぃぃぃ!!」


豚が絶叫した。手首から先が無くなった刹那、ハチェットの一撃に頭蓋を割られそのまま地面に崩れた。


イツツキがヨキに一喝。


「なにやってんだよっ!! そんな声を張り上げてたら集まって来て当前だろっ!!」


屋上から飛び込んだイツツキが二本のハチェットのワンアクションで、オークの手首を落とし頭蓋を砕いていた。


「うるせぇ!! 数が分らなくなるだろうが!!」


ヨキの意味不明な抗議にイツツキは不快感を炸裂させる。


「はあっ?! 何ッ!!」


「……二百七十一だ、たぶん! 撃墜数だよ!」


消極的だったとはいえ七頭に止まる自分と比較して、それは破格すぎる数だった。


「馬鹿言うな! とうとう数もまともに数えられなくなったっての?!」


イツツキは悪態をつきながら正面に迫るオークの剣を右斧・刃底で外に弾き、がら空きになった鎖骨に左斧を打ち込む。


痛みにオークが悶絶するより早く、剣を弾いた右斧が返す勢いで横っ面に叩き込まれる、それはオークの頭部をえぐって脳みそを吐き出させた。


「本当だよ! サバは読んでねぇ!」


右上段から袈裟切りに地面ギリギリを撫でたヨキの鉾がオークの出足を切断し数メートル先まで弾き飛ばす、片足になったオークはその場に転倒した。


見ればヨキの手足は疲労で痙攣をくりかえし全身は土砂降りに打たれたように汗で湿っていた。


イツツキは察した、ヨキは開始からずっとこのやり方で闘い続けているのだ。


ひとり、誰と数を競うでもなくいつか百万の敵を倒せると、それによって仲間の全滅を免れられると信じて──。


「どうりで戦い方が雑なはずだよ……」


イツツキは熱くなる目頭に涙を堪えて吐き捨てた。


「はっ!? 馬鹿にすんな、俺ぁまだ全っ然、余裕だからなぁ!!」


満身創痍を隠して虚勢を張るヨキ。


この頭の悪い男をイツツキは一度だって尊敬したり敬愛したりした試しがない、むしろ上の兄たちと比較して見下してすらいた。


だけれど一番馬が合った。


いつもムカついていたが、それが楽しかったことに今頃、気が付いた。


迫りくるオークの膝を右斧で割り、跪いた頭に左斧でトドメを入れる。左で捌き右で仕留め、右で捌いて左で崩して右で仕留めた。


「ヨキのこと言えないや、俺もどうやら馬鹿なんだわ……」


イツツキはヨキの背後に背中合わせで寄り添う。


「どうやらだぁ? へっ、知ってたわ!」


生意気な弟分の登場にヨキは頼もしさを覚えながら、枯渇しかけた余力が蘇るのを感じていた。


まだまだ行けると雄叫びを上げた。


「ヨキが今ので丁度三百ね? こっから追い上げるわ」


「ああ、他の連中の分も全部とり上げちまおうぜ」


いくら頭で損得を計算しようと、それで自分を説得することなどできない。仲間がいる限りこの場を離れることなどできはしない。


いざという時、いったい自分がどうするのか、なにを選択するのか、それは直面しないと分からない。


イツツキの死に対する恐怖はいつの間にか払拭され、死ぬ覚悟は決まっていた。



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