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第五話「逆転世界」


人間をかたり地上を支配しているのはオークと呼ばれる種族である。


元来は怪物に分類され、人間とは異なる生物なのだと野良羊のオサは言う。


「人間ってのはもともとオイラたちを指す言葉なんだよ」


ぶっきらぼうだが温かみのある口調でロッコに伝えた。


それが真実だとして、どう受け止めて良いのか家畜の少女には分からない。


そのオークが現状の支配者であり、自分たちが家畜であるという事実において正式な名称になんの意味があるだろう。


「昔、この国は現在二足羊と呼称され家畜とされている我々が治める王国だった」


山岳地帯に位置する王国は、周辺にひろがる大樹海もあり他国との交流が途絶えている。


その樹海にはエルフの隠れ里や数多のモンスターが存在し、大規模なオークの巣もあった。


イチキが結論を口にする。


「それが縄張り争いに負けてすべてを奪われてしまった」


人間とオークのあいだで全面戦争が勃発し、最終的に人間はオークに国を乗っ取られた。


イチキの説明にミキが反発する。


「負けてはいない! リーダーのおまえが不用意な発言はつつしめ!」


彼女の反論には過去の認識と未来への願望、ふたつの意味があった。


野良オサは話を続ける。



「ミキの言うとおり戦争には勝った、完全勝利だった。そりゃ、奴らの武器や軍略は未開人のそれだったからね」


人間はオークとの戦争に勝利した、そして戦後処理として敵種族をどうするかという話になった。


「害獣だ、殺しちまえって声もそりゃあった。けどね、豚のなかに人間の言葉をあつかえる個体が発見されちまった」


猿よりは賢い獣、その認識ならばいくらかやりやすかった。


しかし言葉が通じることでオークへの印象は劇的に変わった。


教えれば読み書きすら可能とする種族を根絶やしにするのは、倫理に反するといった意見が優勢になる。


人間はオークの殲滅を思い止まった。


会話ができると同時に、敗北した彼らはとても従順だった。


武器を捨て地にひれ伏す者を絶えるまで殺そうとはしない程度に、人間は理性的だった。



「当時のオイラはまだ子供だったけどね。よく覚えているよ、隣の家に豚が住み始めたんだ。あいつらな、ペコペコへりくだってたっけ」


国はオーク達を二級市民と定めて共存することにした、対等の待遇という訳にはいかなかったが奴隷というほどでもなかった。


しかし抑圧自体は必要だ。


オークの気質は獰猛であったし、出産を制限しなければ数が増えすぎてしまう。


共食いなどの文化を廃止するためには仕方が無かった。


オーク達にとっては理不尽な弾圧に思えたかもしれないが、共存には必要なことだった。



「奴らは従順に従い、人間の文化や技術を学び、努力によっては要職すら与えられる者もいた。


屈強な種族だ、軍部での扱いは良く、オークを配した軍隊が作られ、部隊を指揮する身分の者も現れた」


多くの問題が解消できていなかったが、その頃には偏見も薄れ、双方に良好な関係が結ばれていると思えた。


野良オサは自虐的に笑う。


「オイラたちはね、仲良くやっていけるって思ってたよ。まあ、それは一方的な思い込みだったわけだが」


結果として共存は果たされなかった。


オーク達は従順な態度のしたで着々と準備を進めていたのだ。


「そして、人々にとって豚どもが完全に景色と同化し、気に止めもしなくなった頃、奴らは謀反を起こした」


国の機能を麻痺させる部所に紛れ込み、人間の武器を入手し、人間の言語で統率し、反撃の機を狙っていた。


「そのために奴らは数十年も従順な振りをしていたんだ、心にもない愛想笑いを浮かべてな」


オーク達は人間の何倍もの繁殖力と成長速度を持って膨れ上がり、内側から国を乗っ取った。


革命は熾烈を極めた、人間を根絶やしにせんばかりの大虐殺だった。


「腹の中から食い破られたんだ、ひとたまりも無かったね。奴ら、女だろうが赤ん坊だろうが盾に使いやがるんだもの。どうしようもないってわかってても、オイラたちゃ、手が出せなかったよ」


妻を盾にとって無抵抗の騎士を惨殺した、母親を撲殺しながら、赤ん坊の首をネジ切った。


出口は完全に押さえられ、防衛のために王都をかこむ壁は逃げまどう人々を閉じ込めた。


大人たちは無条件に殲滅され、国は壊滅。


長年にわたる支配に対する復讐を果たす道具として、子供たちだけが残された。


人間は家畜になった──。



それはたった十五年まえの事。 


成人以上は皆殺しに、残りは食用に。


現在残っているのは養殖され教育のされなかった、自我の未発達な個体のみだ。


最長でも十五歳で出荷される地上の元人間たちに家畜以前の記憶や原風景は無く、その境遇を見直す発想すら無い。


ただ食事と性行為、そして主人に媚びることだけは、教える必要もなく自然とするようになる。


敗北が確定したとき、野良オサは無我夢中で孫を地下へとかくまった。


その時にはもはや戦える者は彼一人しかいない状態だ。


それから彼は地下に留まり、命懸けのゲリラ活動により地上から子供たちを回収してまわった。


その成果が地下の三十人である。


当時の凄惨な光景をおぼえているのは現在二十歳を過ぎるイチキ、ジキ、ミキをふくむ数名だけだ。


地下水路を抜ければ王都の外、国外に亡命するという手段もあった。


しかし数十もの幼子を抱えての旅は無謀であったし、子供たちが成長した頃にはオサの体は旅に耐えられなくなっていた。


過酷な戦いの日々と老化で消耗し、野良オサはとうとう満足に歩くことすらできなくなってしまったのだ。


「分かったかい? アイツらは人間なんて言いはってよ、歴史の改変がしてえんだよ。主人なんかじゃあねぇ、裏切り者さ」


ロッコは黙って聞いていた、言っていることも理解はできた。


けれど、どんな感想を抱けば良いかはよく分からない。



「嘘だと思うかい? それならよく周りを見ることだ。アイツらが使っている道具はオイラ達が置いてったもんだ。入らねぇ甲冑、指の通らねぇグローブ、そんなもんが、そこかしこに転がってらぁ」


これまでは気にしたこともなかったが確かにそうだ、地上の支配者の巨体にはなにもかもが窮屈だった。


「新しく作るセンスがねぇのさ、ある物を使い潰すだけ」


野良オサは鍛治職人だった。


その天才的な腕前は当時の国王に高く評価され、作品はどれも名物とされた。


より良い武器を造るため自らが武器術を磨き、道具への理解を深めていた。


鍛治職人にして一流以上の剣士でもある。


「そんな話、この娘には理解できませんよ。部外者と無駄に交流するのに私は反対します」


ミキが憮然とした態度で言った。


「ミキはきびしいね。身体が良くないと、恨み言でも漏らさなきゃあやってらんねぇのさ」


そう言って野良オサはミキの頭を撫でた。



「……オサ、この子を仲間に入れてやれないかな?」


一段落したのを機にイツツキは本題に入る。


「こんなに言葉が分かるし、自分の意思で豚に逆らって俺を助けてくれたんだよ。そんなこと今までなかったろ?」


昔話を延々としていたことに許しがえられるような手応えを感じていたが、それはあっさりと否定される。


「その歳になっちまったら、ここじゃやっていけねぇだろ。地上で上手くすれば数年は生きられる、帰してやんな」


オサは殺せと言わず、帰せと言った。


ミキは確認する。


「かまわないのですか?」


アジトに踏み入った者を外に出せば危険がともなう。


「ああ、いいよ」


ロッコの姿を見ると思い出さずにはいられなかった。


ジキを救助したとき本当はもうひとり子供がいた、ロッコとおなじような背格好の娘で、ジキの姉だった。


状況から一人しか抱えられず、子供の足に合わせていたら全滅する局面だった。


野良オサは弟を取り、姉の方を見捨てた。


小さい弟を抱えた方が速度が落ちなかったという理由もあった。


だが、優秀な戦士に育つ可能性が高いのは男児の方だと言う打算もあった。


敵に捕まり、助けをもとめる少女の声を振り払い、オサはジキだけを連れて帰った。


思惑通り、彼は最強の戦士に成長する。


強くなるモチベーションは姉を見殺しにした野良オサへの反発と憎悪。


オサより強くなって痛めつけてやろうと、その暗い情熱が彼を努力させ最強へと押し上げた。


現在は彼の中で復讐の炎は鎮火している、大人になる過程で思い直すことがあったのだろう。


いまでも二人が言葉を交わすことは珍しいが、ジキは粛々と任務を遂行している。


「――その子を殺しちまったら、アイツとの関係がまた悪くなっちまう気がするからな」


ミキは二人の長い確執をよく理解していたし、野良オサの余名が長くないことを思えば口出しもしない。


オサの様子を見ていると胸が苦しかった。


オークを憎むあまり厳しい試練を課して子供たちを戦士に育て上げた。


あの妄執に駆られたかつての鬼が、ここで静かに朽ち果てていく。



「イツツキよ、怪我の治療で貸し借りなしってことにして、飯でも食わせて帰してやりな。その子のためだよ」


貴族の家に生まれて贅沢な毎日をおくる人間もいれば、家畜として生まれて食卓にならぶ人間もいる。


それは当たり前のことだ。


全部を一律にあつかうことはできないし、家畜が家畜として死ぬことを憐れむこともない。


当人にとっては当たり前のことなのだ。


「……はい」


イツツキもそれ以上は食い下がらない、野良オサの言うとおりだと思ったからだ。


オサの寿命は地下生活の終わりを意味する。


それが明日か明後日か、どのみち新しい仲間を育成している段階ではない。


幼いロッコは地上で飼われていた方が、戦士である彼らよりも長生きできる見込みがある。


「おまえもそれでいいね?」


野良オサがロッコに問い掛けた。


ロッコはそれがなにを意味するのか、よく考えもせずにただ「はい」と返事をした。


たとえ理解できていなくても、不可能でも、間違っていても、そう返事をするように躾られている。



明け方、ロッコは地上にいた──。


まるでそれが一夜の夢であったかのように、もといた家畜小屋の藁にうずくまっていた。



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