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第四話「長」


野良羊たちは地下水路内、物資搬送の中継地点として使用されていた倉庫をアジトにしている。


必要に応じて拡張、改良が施された住居は二十人が窮屈なりに生活できるだけの設備が整えられていた。


必要な物資は地上から略奪することで賄い、今日まで十五年ものあいだ地下に潜んでいる。


「無駄になるかもしれないが――」


イチキはそう前置きすると、オサにうかがいを立てるまえにロッコを医務スペースへと案内した。


眼球は破壊され左目は失明している、止血と鎮痛処置くらいしか手の施しようがなかった。


それでも今日、この出会いがなければ翌朝には命を落としていたたかもしれない。


治療をしたのはその総称を『ジン』とされている名付けのされていない無名の野良だ。


そのジンはとくに小柄で、家畜だった期間に虐待で負った傷を仮面で隠している。


戦闘に不向きな個体で、その自覚から怪我人の看病や炊事などの雑務を積極的におこなった。


しかし人間と争って獲得することでしか認められない野良の世界では、強くなってはじめて個性を認められる。


強くなることを諦めたときから仮面を手放さなくなり、皆から素顔の印象が失われつつあるほどだ。


不名誉ながらも『仮面』と言う呼称はささやかなアイデンティティだった。



野良オサの部屋はアジトの最奥にある。


イチキがロッコを先導し、同行するイツツキが不安を吐露する。


「オサ、許してくれるかな?」


ロッコをアジトに置く許可を得られるかということだが、イチキの反応は芳しくない。


「さぁな」


家畜が野良に貢献できるとはとうてい思えない。


ここでは強さこそがすべて、言葉を話せる程度の雌を優遇する理由もない。


同種ゆえに醜い人間に屈するすがたを嫌悪すらしている。


足でまといはいらない、そういう選択を何度もしてきたのだ。


「──望みは薄そうだ」


それでもイチキの行動はイツツキに対して配慮している。


口頭で伝えるよりも会わせたほうが見込みはあると考えてのことだ。


気休めにしても、


「どうか御機嫌でありますようにぃ……」


オサの居場所にたどり着くなりイツツキが祈りだした。


――彼らが恐れるのも当然。


オサを除けば最年長であるイチキがまだ二十代、多くはまだ子供であり野良羊が百万の人間から逃れて来れたのは野良長の力による。


イチキたちが手練になるまで、獰猛な人間たちからひとりで子供たちを守りきった雄だ。


それは徹底された冷徹さによってなし得たし、子供たちはそれを思い知っている。


イチキは慰めの言葉をかける。


「オサも最近はだいぶ優しくなった」


野良のカシラはイチキのじつの祖父でもある。


戦鬼と恐れられた頭領も、年齢とともに体力、気力は衰えていた。



「イチキです、入ります」


断って戸を開くと、部屋のなかには二人の人物がいる。


安楽椅子に腰をかけて毛布で体をいたわっている老人が野良オサと呼ばれる二足羊だ。


その風体は野良たちの畏怖に反して好々爺といった様子で威圧感は皆無だった。


同時に肩幅はひろく相貌や前腕にきざまれた無数の傷が歴戦の勇士であることを表していた。


その傍らには美しい雌が控えている、名付けが済んだ一人前の戦士であり名はミキといった


イチキに次いで野良オサに近しく、率先して身のまわりの世話を焼いている。



「さわがしいぞ、イツツキはどうした?」


ミキはけわしい面持ちで報告をうながした、戻らないイツツキの捜索をついさっきイチキ達に命じたばかりだ。


「イツツキは戻った、俺たちが出かける直前にだ……」


「なんだ歯切れの悪い」


二の句をまよっているイチキの態度にミキは眉をひそめた。


彼がまわりくどい言いまわしをするときは、かならず誰かの失敗を報告するときだ。


オサの孫であるイチキはミキ以下すべての仲間たちの師であり、体のわるいオサの技術を吸収し皆に伝達したのは実働のリーダーたる彼だった。


そんなイチキが優しすぎるため、次いで年長に当たるミキが厳しくせざるを得ない。


白毛のイチキ、黒毛のジキ、女傑のミキ、ツリ目のヨキ、最年少のイツツキ。


ここまでの五人が皆伝を与えられた者たちだ。


名前持ちの責任は大きい、いつまでも長兄の背後に隠れていては困る。


「イツツキッ!」


ミキが怒鳴りつけると身を潜めていたイツツキがまえに出る。


「ミキ姉、おちついて聞いてほしいんだけど……」


「用件は簡潔に述べろ!」


ミキは言いわけを積み上げようとするイツツキをとがめた。


それまで様子をうかがっていたオサが口をひらく。


「イツツキよ、家畜を連れ込んだな?」


確信の込もった声はイツツキをおどろかせる。


「えっ、なんで!?」


その反応が図星であると判断したミキが激怒する。


「……なんッ、バカなことを?!」


部外者の侵入はアジトの存在を脅かす、あってはならないことだ。


「──いますぐ殺して水路にながしてしまえ!」


家畜は置いても役には立たない、解放すればこの場所を人間に知らせるかもしれない。


暴論に聞こえるかもしれないが、現状を維持するためには殺すしかない。


興奮するミキをオサは「まあまあ」となだめる。


「子供かい、おびえているね」


野良オサは室外で待たせているロッコの気配を感じとって言い当てた。


まずは反応を見ようと外に立たせていたのは無駄だったようだ。


オサにはすべてお見とおし、イツツキは観念して白状する。


「ひとりくらい増えてもいいよね?」


そう言って室内に引き入れるとロッコをオサと対面させた。


そのすがたを見てミキは脱力する、あまりの幼さ、脆弱さに重い溜息をもらす。


「イツツキ、おまえに名付けはまだ早かったようだ……」


「ヨキと同じようなこと言わないでよ……」


彼らがいかに精強な戦士であろうとも敵の数は十万倍にもおよぶ、軽率な行動は許されない。


このまま消費されていけば二足羊はいつかは滅びる。


それでもまだ数千といる家畜たちをかくまう場所も食わせていく余裕もない。


同種が迫害されていることに怒りや同情をおぼえれば墓穴を掘る、精神的対応として関与しないことを徹底してきた。


それはイツツキ自身も理解しているつもりだ。


それでも放っておけなかった、こんなことは初めてだった。


野良たちの視線にさらされてロッコは頭をさげる。


「は、はじめまして、ロッコです……」


オサの言ったようにロッコは怯えていた。


抑圧されることが常である家畜生活において、これまでは痛みによるパニック状態でしか得られなかったものだ。


同時にそれは非日常に対する高揚感が作用したものでもある。


状況に身を任せることに馴れきったロッコにとって、好奇心からくる興奮は未知の感覚だった。


「ほう、自己紹介が出来るのかい。だが、そんなもんは名とは呼ばない、捨てるべきだな」


オサはそう言って、しばし見つめ合った。


地上の二足羊は十五歳で殺処分される都合、成長しきった二足羊をろ目の当たりにするのは初めてだった。


地下の野良たちはそれを逃れて数匹は成人している、それだけで珍しい。


「──不思議だろう、地上にはもう革命以前の人間は残ってないからなあ」


オサが疑問に答えると、それがまたロッコに首をひねらせた。


「……人間なら、たくさんいます」


食料不足を共食いで賄って、それでも減る気配がないくらいに地上は人間であふれ返っている。


残っていない。という言葉を、誤認していなければそのはずだとロッコは思った。


「まずはそこから説明しないといけねえや」


そう言ってオサは頭をかいた。


「オサ?」


部外者への親身な態度にミキが疑問を唱えた。


「まあ、年寄りの気晴らしだ。おまえたちにはもう教えることがなくなっちまったからな」


ものしらぬ相手に昔話を聞かせるのが年寄りの楽しみだと、野良長はロッコに向き合った。


語るのはこの国の成り立ちについてだ──。



「いいかい、お嬢ちゃん? いま、おまえさん達を飼育しているデカブツは人間を名乗っちゃいるが、いやしい畜生よ」


オサは忌々し気にその正体を開示する。


「奴らはオークと呼ばれた亜人の一種だ」


オーク族は数多ある獣人族の一つであり、人と豚とを掛け合わせたような外見の種族である。


獰猛な性質から怪物としての認識が強い。


肉体の成長がはやく数年もあれば成人の体力を得るため他種族と常に争いを起こしており、兵隊の補充に事欠かない強みを持っている。


半面、寿命が短く、知能が鈍感で、言語の習得や知識の活用を苦手としている。


それゆえ膂力によって他種族を屈服させる事に妄執を抱いていた。


「……オーク?」


ロッコは感慨もなくこの国の支配者の名をつぶやいた。


豚が人を飼う世界、それがこの国の実態だ。



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