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第一話「彼女の風景」


人間、エルフ、ドワーフ、ホビット、多様な種族がひしめく大陸において、ここは最大勢力である人間が治める国の一つだった。


山岳地帯に位置する都市は森林や断崖に囲まれ外界から孤立した小国家だ


広大な敷地を堅牢な壁で囲い巨大な地下水路を完備した要塞都市は、地形の難解さも手伝い他国からの侵行は皆無だった。


しかし、洗練された都市機能とは裏腹に景観は乱れに乱れている。


その原因は膨れあがってしまった人口のせいだが、人々は統治者に至るまで刹那的に暮らしていてそれを気にする様子は無い。


人間は繁殖力が強く大食なので慢性的な食糧不足に悩まされているが、それは共食いで解消できていた。



早朝、家畜のロッコは今日も主人に連れられて町を徘徊する。


外を歩けばロッコは人目を惹いた。


「うらやましい。ああ、とてもうらやましい。その雌、こっちに譲ってくれよ」


見知らぬ他人が声をかけてくる。


「そうかい。だがコイツは子供を十一人も金に替えて買ったんだ、誰にも譲るつもりはないね」


主人はこれ見よがしにロッコを人目にさらすとその反応を噛み締めた。


つまりは高級品の自慢である。


主人はロッコの首にかけたリードを乱暴に操作する。


「さあ、こっちに来るんだ!」


二足羊は食用の家畜だが一度の出産で少数しか産まれない、成長が非常に遅いことからも稀少な食材とされている。


それゆえ所有欲を満たすため調理する直前までは愛玩用とされるのが一般的だ。


二足羊を飼うことはステータスであり、子供を何人売ってでも手に入れたがるのが普通だった。


とくにロッコは珍しい種類であるのに加えて造形が優れている。


野良の蹂躙により主人を失ったあと、すぐにあたらしい飼い主の手へと渡った。


そして主人の承認欲求を満たすため今日も引き回されている。


ロッコは指示があるまで無心でついて行くだけだ。


主人が「おおっ!」と、声を上げる。


市場に差し掛かると、そこはいつも以上に賑わっていた。


「おいっ、見てみろっ! あの人だかりを!」


主人に従ってロッコは「はい」と答えた。


例えカラ返事でも主人の問いかけには「はい」と答える、そういう躾をされている。


正面には『二足羊の屋台』が出ていて、食べ頃の家畜たちが一列に並べられていた。


列の先頭では二足羊が横に寝転がされ、頭を専用の石板に置かれる。


そして巨漢の男が専用の大金槌を振りかぶると一撃でそれの頭蓋を打ち砕いた。


景気の良い音を響かせて、頭部を平たくされた二足羊が絶命する。


野次馬からは拍手喝采が巻き起こった。


頭部がくだけ散ったそれをどかすと、つぎの家畜が石板にセットされる。


二足羊たちは大人しく自分の順番を待っている。


年齢はどれも十代半ばくらいだ。


国の法律で二足羊は十五歳までにはかならず殺処分しなければならず、違反した者は即刻極刑とされる。


養殖がむずかしく高級品であることから惜しまれるが、最終的にはこうやって食用になる運命だ。


殺処分の屋台は国の管理下にあり、二足羊の所有者は期限までにそれを食用加工するか、国に引き渡して幾ばくかの金銭に変える。


頭を砕いた二足羊は肉切り包丁で関節から切り分け、その場で部位ごとに売買される。


解体ショーを見物にくる野次馬も多いが、主な購入者は食材の調達にきた飲食屋だ。


解体をまつ家畜たちが逃げ出すどころか不平すら漏らさないように、ロッコにとってもそれを疑問視する発想はない。


それは日常の風景──。


ロッコは今年で十歳。


若いほど高く取引きされるけれど、愛玩用としての人気もあることからロッコみたいな希少種が解体されるのは十四の終わり頃だと予想ができた。



「おい、そこのおまえっ!! 止まれっ!!」


往来で見知らぬ男がロッコとその主人を呼び止めた。


「なにか用か?」


無礼に対して主人が不快感をあらわにした。


「得意気に見せびらかしやがって! いい気になってんじゃねえぞ!」


どうやら、愚にもつかない嫉妬だったが男はかなり憤慨している様子。


「──もう我慢できねえ、その雌をここに置いて行きなっ!!」


理不尽な要求に主人は食ってかかる。


「ふざけるな! ぶち殺されてえ――!?」


つぎの瞬間、主人の頭部に鉈がふかく埋め込まれていた。


「ぐぴゅッ!?」


頭を両断された主人は奇妙なうめき声をあげて地面に崩れ落ちた。


痙攣しているがすぐに絶命するだろう。


通行人は一瞥をくれるだけでとくに気にする素振りもない。


主人を殺した男はたずねる。


「おい、雌。名はなんだ?」


「ロッコです」


愚かしくも見せびらかすことで他者を刺激し奪い合いに発展する、いままでもこうやって主人は交代してきた。


「下品な名前しやがって、気に入ったぜ」


高級品を奪取した男は大はしゃぎ。


「いまから俺がおまえの主人だ、いいな!」


「はい」と、ロッコは首を縦にふった。


主人は誰でもかまわない。


どこに行っても待遇に変わりはなく、あと数年のあいだ殺処分されるまでを過ごすだけなのだから。


あたらしい主人が死に、ロッコはまた新たな飼い主の所有物になる。


ある主人は今日と同様に殺され、ある主人は大金で自分を取引した。


──これは何人目だろう。


二足羊からは人間の外見の見分けはつきにくい、ガタイの大小くらいで性別の判断もひと目ではつかないくらいだ。


なにもかも忘却してしまったが、ふたつまえの別れは鮮烈におぼえている。


ふたつまえの主人は首だけになった。


二匹の獣が食い荒らした、闇夜でもわずかな光を反射して煌めくその鋭い牙で――。



ロッコはただ無心に指示を待った。


じっとしている事、賛同する事、指示に従いなるべく失敗をしない事、そうすれば与えられる苦痛が軽減される。


人間の力はつよく、加減を間違えればすぐに二足羊を壊してしまう。


そうなればあとは食卓にならぶしかない。


本来は殺処分の期日まで生きのこることすら困難なのだ。



ロッコは便所に付き従い、主人が用を足し終わるのを眺めて待った。


終わると主人が尻を突き出してきて、ロッコは通例どおり主人の肛門を舌で掃除する。


こびり付いた便を綺麗に舐めとる。


直腸にまで舌を挿し込んで、主人が許すまで念入りに舐め回した。


会話によるコミュニケーションなどはない、一々指図が必要な手際ならロッコは今日まで生きていなかっただろう。


短気な人間たちは思いどおりにならなければすぐに発狂し、その怪力で首を容易にへし折るに違いないからだ。


さいわいロッコは同種のなかでも卓抜した勘の良さと器用さを資質として備えていた。


主人がのぞむ繊細な匙加減を、その反応から見極めることで寵愛された。


主人が立ち去ると木製の器に落とされた便が残される、それが彼女の食事になる。


そのように教育を受けた。


延々とつづく苦味に飽きるだとか、食感が不快だとか、悪臭に咽ぶだとか、そういった感覚はない。


空腹を満たす以外の食事を知らない、それ以外はこれを日常と受け入れたときに忘却してしまった概念だ。


ほかには主人の吐瀉物や、雑草や藁が主食になっている。


野菜の切れはしや肉の脂身、いわゆる残飯をあたえられれば御馳走で、それに不満をおぼえたこともない。


よく腹を壊したし、死にかけることもあったけれどそれも日常の一部。


気にもならない、それ以外の方法は知らない──。



食事を終えて戻ると、そこには主人が殴り殺した妻と子供の死体が転がっていた。


家畜とはいえ二足羊は高級品。その扱いをめぐって家族が対立し、いきおいで殺し合いが起きることも稀にある。


妻の代わりはいくらでもいるし子供もすぐに増える、また調達してくればいいだけの話だ。


翌日はもてあました家族の肉が食卓に並び、豪華な食事にありつける。


腹がへったら家族を食せばいいというのが彼らの習慣だ。


主人は自らが起こしたリビングの惨状に興奮がおさまらず激昂していた。


癇癪を起した彼らは取り返しのつかない事態が起きても止まらない。


主人は腕を振り上げ拳の底面でロッコの顔面を殴打した。


──どうしよう。


この場合の対応はむずかしい。


おおげさに痛がれば溜飲が下がるのか、はたまた火に油をそそぐことになるのか。


ロッコは無反応をつらぬくことにした、そのほうが得意だったからだ。


しかしそれは不正解。


ムキになった主人は反応を引き出そうとロッコを床に組み伏せ、小さな体に圧し掛かる。


二度、三度と顔面を打ったあと打たれて腫れあがったロッコのまぶたに親指を押し当てた。


行動の意図がわからずにロッコはきょとんとする。


そして、それを理解すると急激に血の気が引いた。


絶望の表情はようやく主人の嗜虐心を満たし、親指が力任せに眼球を押し込まれた。


「――!!?」


激痛が襲う、眼球は圧迫から破裂し、太く武骨な指が捩じ込まれた眼底の骨にはヒビが生じた。


痛みに対する反射として、ロッコは激しく絶叫し、手足をばたつかせる。


「ひうっ!!? あああ、いぎぃひぃぃッ!! あああああッッ!!!」


主人は暴れるロッコの腰をしっかりと押さえつけ、眼球を押しつぶした指を抜き取った。


ロッコが痛みの発生源に手を当てがうと、そこからは熱い血が流れ出ている。


手当てなのか追い打ちなのか、主人はあおった酒瓶をさかさにしてロッコの顔面に中身を浴びせた。


強いアルコールが傷口を刺激する痛み、それと呼吸器官から侵入する苦しさに咽び、激しく跳ねる。


よほど愉快だったのだろう、主人は機嫌を直すと立てつづけの苦痛にパニックを起こすロッコを見下ろし、高笑いをあげていた。


怒りはない、悔恨も、憎悪もない。


痛みに対する恐怖はあるが、そうされることを理不尽と感じるための比較対象はなかった。


それが彼女の日常の風景。



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