それはまるで舞踏のようだった。人々の群がるその中心で『二足羊』が舞っている。
『二足羊』は食用の家畜だ──。
人間の手により養殖、飼育されるそれは労働力として酷使され、または愛玩され、最後は食用として消費される。
暴れているのでものたうっているのでもなく、それは確かに舞っていた。
家畜が舞うだなんて誰の目にも明らかに異常な光景だ。
そしてその異常さに輪をかけたのは、家畜がクルクルと回るたびそれを取り押さえようと、否、叩き潰そうと群がる人々の手足、頭部、血液、脂肪が躍動的に弾けて飛んでいる事実。
ヒトの部位や内容物がはじけて飛んで雨のように降りそそぐ、まるで嵐のような舞踏。
手のつけようもなく、それでいて流麗に荒れ狂うその獣は、主人の不在から『野良』と呼ばれる野生の二足羊。
大勢の人間がまるで吸い込まれるように飛び掛っては弾けて散った。
怒り狂って我を失った人間たち、対照的に無駄のない動作でそのあいだを縫う野良羊。
野良の手にした刀剣が鋭い牙となって閃いた。
獣がトントンと跳ねては人間がポンポンと弾け、肉片がボタボタと地面に落ちる。
それを遠巻きに眺めている一匹の家畜がいた。
壁際で床に尻を着いているのは十歳の雌、愛玩用の二足羊だ。
雌はロッコと呼ばれていた。
その呼称は人間のあいだでは『便所』だとか『女性器』の隠語として使われる下卑た言葉だ。
名付けなどと言う上等なものではなく、愛玩用の雌に対する蔑称だった。
家畜の雌は人間たちの怒号に委縮して終始その場に硬直している。
その真横をなにかが高速でとおり過ぎた。
「……ンッ!?」
風圧がほおを撫でてロッコは呻き声をもらした。
それは背後の壁に着弾し飛沫を雌へと浴びせると、重い音を立てて地面に落下、ロッコの足もとへと転がった。
「…………?」
そっと視線を落とすと、それが人間の首だと確認できた。
野良が斬り落して誰かが蹴り飛ばしたソレは、さきほどまでロッコの飼い主だった男の首だ。
「……ご主人、さま?」
それのサイズはロッコの頭の倍と巨大で、突き出し反り返った巨大な鼻の下、発達した下顎からは立派な牙が天に向かって二本突き出している。
ロッコはわけもわからず野良が人間を細切れにしていく様を見ていた。
あの刀剣はなぜ人間の分厚い皮膚を叩き落とすでもなく、こうも容易くスライスできるのだろう。そんな素朴な疑問が過ぎった。
ほどなく人間は全滅し死体の山が築かれた。
その場に人間が居なくなって初めてロッコは野良がたったの二匹しか居なかったことを確認する。
あれほどの大乱闘のなかに害獣はたったの二匹。
人間にくらべて明らかに貧弱な二足羊が、たった二匹で十倍もいた屈強な人間たちを皆殺しにした。
──いったい何が起きたのだろう。
頭毛の白い野良と、頭毛の黒い野良、二匹とも雄であった。
ロッコはとくに黒毛の個体に気を取られる。
乱闘中により目を引かれる所作であったというのもあるが、自分と同様の頭毛と肌の色をしていたからだ。
赤みがかった肌と翡翠色の瞳は外来種ということもあり珍しく、ロッコ自身も遭遇するのは初めてだった。
黒毛の野良はロッコに歩み寄ると、地べたに膝をつき視線をまっすぐに合わせた。
──同じ色の瞳。
ロッコはこの暴走した野畜がそこに転がる主人たちと同様、自分の首を落としに来たのだと確信したが、雄はそうしない。
それどころか意思の疎通をもとめてくる。
「俺たちと来るか?」
二足羊が言葉を発すること自体はそう珍しくはない。
とくに愛玩用の家畜ならば人間との接触はつねであり、会話が可能なまでに言語を習得することも珍しくもない。
しかし、雄の言葉はあまりにも流暢でロッコを驚かせた。
「──来るか?」
くりかえし訊ねた。
「あ、あ……あぃぅ。言って、いる、意味が分から、ない……」
言葉は知っているけれど、その意図がロッコには理解できない。
来る? 行く? どこへ何をしに? 分からないから確認する。
「ロッコ、は、その……どうしたら、良いです、か?」
ロッコは普段するように指示を仰いだ。
白毛の雄が「ほう、かなり喋れるな」と感嘆の声を上げる。
「だが放っておけ?連れて帰ったところでどのみち面倒は見きれん」
白毛は黒毛を諭した。
それを押し止めて黒毛はもういちど確認する。
「自分で決めろ! 意思を、言葉にして示せ!」
強い語気とまっすぐな眼差しで迫った。
ロッコは圧倒され押し黙ってしまう。
それは無理な要求だ。この雌は奴隷などという高等な物ではなく、はるかに劣る家畜なのだから。
自分で決めて行動するという習慣はなく、意思という概念を理解していない。
雄の要求に対してパニックを起こすのみだ。
「あの……指示をください。ロッコには、分からない、です……」
ロッコは雄たちに指示を仰いだ。
黒毛の雄は舌打ちをすると未練を断ち切るようにして立ち上がる。
「わるい、時間をとった」
黒毛の謝罪に白毛がやんわりとこたえる。
「かまわんさ。急いでここを離れよう、任務はまだ途中だからな」
二匹の雄はロッコに背を向けて遠ざかっていく、興味を失ったように二度と振り返ることは無かった。
一方、姿が無くなってからもロッコは彼らの去った方角から目を逸らすことができずにいた。
立ち去る後ろ姿、とくに手にした刀剣の輝きに目を奪われていた。
──胸が熱い。
その感動を形容する言葉をロッコはまだ知らない、ただ涙があふれて止まらない。
家畜の雌は自分のなかで燻るはじめての感覚に戸惑っていた。