はどなくして酒場からすこし離れたところに仲間たちが集合した──。
わたくし、イリーナ、オーヴィル、イバン、そして猫の手の構成員とマハルトー率いるインガ族の戦士たち。
「皆、お疲れ様!!」
全員を見渡してイリーナが三ヶ月にわたる計画の終了を告げた。
ここにいるのはもはや女王ではない、ただの私に力を貸してくれた、イリーナが『劇団・猫の手』と呼んでいる仲間たちだ。
「マハルトー、それにインガ族の皆。無知、無力なボクらの旅を助けてくれてありがとう。おかげで危なげなくここまで来れた。
今日も安心して任せられたし、素晴らしい仕事だったよ」
イリーナが感謝を伝えると代表のマハルトーが答える。
「闘争としては物足りなかったな、しかし他民族と行動することは我々にも有意義な体験であった。
今後、我々にも新しい時代の風を取り入れるよい機会になったはずだ」
それを受けてイリーナが「良いこと言った!」と絶賛すると、オーヴィルが「ダジャレだぞ?」と指摘した。
「こっちの言語のききとりが上手くできてないんだってばっ!」
指摘を受けたイリーナが取り乱したので盗賊ギルドの皆がそれを笑った。
まあ、いいや。と、気を取り直して『盗賊ギルド猫の手』の皆を振り返る。
「盗賊ギルドの皆、黒騎士の特定から当日の準備まで裏方のほぼすべてを担ってくれてありがとう」
イリーナが頭を下げるとスタークスが、気にするな。と、手を振る。
「特定まで時間がかかってすまなかったな」
広大な国土、数多ある集落の中から雲隠れしたレンドゥルの隠れ家を見つけ出すのは至難だったはずだ。
黒騎士討伐は彼らの功績が九割といえる。
「君たちがいなかったらボクはなにひとつ実現できなかったよ、結果として国に降りかかるかもしれなかった災厄を未然に防いだと言っていいと思う。
君たちは歴史を変えた。誰も認めないだろうし誰も褒めてくれないだろうけど、君たちは救国の英雄でティアンの命の恩人だ、心から感謝してる」
わたくしが彼女の横に立って頭を下げると、皆は温かい拍手を返してくれた。
「おまえ達にはいまさら礼とか言わないから」
イリーナはイバンとオーヴィルを振り返った。
「姐弟子、お役に立てて光栄です!」
「いらねーよ、今後、除け者にだけはすんな」
これらは全部、イリーナがコロシアムで培った縁が結実したものだ。
女王に即位したとき私は民衆の熱狂につよい味方を得たと安堵した、それは同時に地獄のはじまりでもあった。
味方ができると同時に敵もおなじだけできた、わたくしはそれを抱えきれなかった。
いまはもう味方は数えるほどしかいないけれど、だからこそ全幅の信頼を置くこともできる。
そして、どうしても考えてしまう。
彼が、彼女が、あの人がこの場にいてくれたらと、それはもうけして叶わない願い──。
「笑おう、人生は一期一会だ。二度と同じ面子では仕事ができないかもしれない、だから後悔しないようにそのつど最高を目指すんだよ」
イリーナが私の頭を撫でた。
「ごめんなさい……! 私……!」
涙を止められない自分に取り乱す、せっかくの場を台無しにしてしまいたくはなかった。
「これにて『劇団・猫の手』の解散を宣言します、お疲れ様でしたっ!」
頭を下げたイリーナに拍手が浴びせられる。
スタークスが「さびしくなるな」と声をかけた。
足掛け三ヶ月の仕事を終えて、明日からはちがう毎日がはじまる。
「酒場を貸し切ってる、陽はまだ高いけど存分に飲み明かそう!」
イリーナが打ち上げの開催を提案した。
わたくしは鼻をすすりながら指摘する。
「ぐすっ……、宴会のまえに大掃除をしなくてはなりませんね」
レンドゥルの死体を撤去して血を拭き取って、荒れ放題になった店内の片付けをしなくてはならない。
「なに、あっという間さ」
スタークスの言ったとおりすぐに場は整うだろう、手際のよい盗賊ギルドと超人的な体力を誇るインガ族が揃っている。
ギルドマスターが支持すると皆、一斉に打ち上げ会場へと移動を開始した。
「賃貸で人を殺してしまったけど大丈夫かな……?」
イリーナつぶやきにオーヴィルが答える。
「べつに珍しくないだろ。酒場に喧嘩はつきものだ、酒瓶で殴られてよく人が死んでる」
「酔っ払いは平衡感覚が死んでるからね……」
笑えない話だった。
──死にやすいときに気が大きくなって喧嘩するの危なすぎる。
「これからどうすんだ?」
オーヴィルの質問にイリーナはニヘラと笑って答える。
「なにも考えてない、今日のことで頭がいっぱいだったから」
今日、失敗していたら明日は無かった。
予定はなにもない。
わたくしはイリーナに確認する。
「ヴィレオン達の邪魔にならないようにアシュハを出て行くのよね?」
七歳のころに言い渡された国外追放をいまさら執行されるみたいで妙な話だ。
「いや、その件はもう解決してるよ」
わたくしは「えっ?」と聞き返した。
「こっちは西アシュハ王国、二分割した新興国側だからもう国外だと言える」
アシュハ皇国をハーデンの謀略から守るため、ヴィレオンとイリーナは新王に明け渡すという形で国を分けた。
旧皇国は東アシュハ王国、こちらは西アシュハ王国だ。
「──女王が生きていることを隠し通すのが目的だから、厳密には国を出ていく必要ないでしょ」
わたくしが女王でいたのはたったの一年、首都の人間は顔をしっていても、外に出てしまえば有力貴族くらいしか面識はない。
「そんなことでいいのかしら?!」
まったく未知の外国に行くよりもはるかに気楽だけれど、許されることなのだろうか。
「一緒に世界中の遺跡めぐりとかします?」
イバンの誘いをイリーナは突っぱねる。
「地下とかもぐるのはもう沢山だよ! それに暴力とか怪我とかとは無縁の生活がしたい! 痛いのはイヤなんだ!」
切実な叫びだった。
「わたくしもです……」
殺し合いはもちろん争いとは無縁の生活を送りたい、そうは思っても俗世のことを私はなにも知らない。
「劇団でもやってみるかぁ?」
いささか面倒くさげにイリーナは言った。
「劇団?」と聞き返す。
「吟遊詩人が物語を歌としてのこすだろ、劇団は物語を実演して観客を楽しませる集団だよ」
それはいったいどういったものか、どのような段取りでそれを実現できるのか、まったく想像がつかない。
けれど心配はいらないだろう。
剣士でもない、巫女でもない、もともとそれが彼女の本職だったのだから。
「イリーナがいつもやっていたのと同じことよね」
交渉の時ときも、決闘のときも、革命でさえそれはひとつの演劇だった。
「人類を滅ぼしかけた死霊術師の話とか、邪竜から都を救った巫女の話とか、死刑にされたはずのお姫様が大冒険する話とかさ。
職業病かな、本当はもう面倒臭いんだけど考えだしたら止まらないや」
苦笑いのイリーナにオーヴィルが食いつく。
「楽器の出番はあるのか?!」
「ああ、音楽つかってガンガン盛り上げる」
「いいな!! ぜひッ、やろうぜッ!!」
これぞ待ち焦がれていた理想の展開だと、竜殺しはおおきな拳を握りしめて吠え。
イリーナが水を差す。
「おまえは客席係な」
「客席係?」
語感からして不本意な役職にオーヴィルは首をひねる。
「公演中に騒いだり妨害したりする奴がいたら客席から排除する係」
これ以上ない適任者ではある。
「そりゃねぇぇぇぜぇぇぇ!!!」
オーヴィルが異議を唱えようと身を乗り出したタイミングで、インガ族の大戦士マハルトーが声をかけてくる。
「話は終わったか?」
「終わったよ「終わってないだろう!!」」
イリーナの言葉をオーヴォイルが必死の思いでさえぎった。
しかしマハルトーは聞こえていないという素振りで彼の肩に手をかける。
「では、メインディッシュを頂くとしよう」
「はあ? 乾杯はまだだろ!」
オーヴィルは勘違いをしているけれどインガ族のいうメインディッシュとはまさに彼自身、強い戦士との闘争を指した。
「おい、話はまだ――」
わめくオーヴィルを取り押さえるとどこかへと連れ去ってしまう。
「排除する係に任命した途端、この場から排除されて行きましたね……」
イバンが見送りながら言った。
「イリーナ!」
わたくしは助け舟を求めた、これから彼にふりかかる試練を思うと気が気ではない。
「一応、お祝いの席だから……、腕相撲くらいで勘弁するように伝えてきてくれる?」
イリーナはそのようにイバンへと指示を出した。
巨人たちの喧嘩を仲裁しに飛び出せる者はなかなかいないと思うのだけれど、さすがは七百年もの歴史を持つ大聖堂を全焼させた人物。
イバンは「了解です!」と頼もしい返事をして、躊躇なくオーヴィルたちを追いかけた。
イバンが走り去っていく姿を見送っていると、くるりと振り返り足を止めずに言葉を置いていく。
「姉弟子!! つぎも楽しみにしてますからね!!」
ギクリとした。
それは前世でイリーナを自殺に追い込んだ一言、不安に駆られた私は彼女の表情を振り返る。
イリーナは楽しげに笑っていた。
「あははっ、ボクこのタイミングで翌朝、死んでたんだよ。一生の語り草になるだろ?」
たしかに一生忘れられないだろうけれど。
「一生、恨むわよ!!」
たしかにこの人は半分イタズラ目的で命を絶っていた、本当にどうしようもない人だ。
「大丈夫、もうやらないよ。この出し物には成果を自分で確認できないという致命的な欠陥があることに気づいたからね!」
──今夜は一晩中、見張ってなきゃ。
この状況で置いてきぼりになんてされたら、たまったものではない。
彼女のいない人生なんてもはや考えられないのだから。
「…………」
打ち上げ会場へと向かうイリーナを私は足を止めて眺めた。
すぐに気づいて「どうかした?」と彼女も足を止めて振り返る。
──その資格がわたくしにあるだろうか……。
そんな思いがよぎってしまう。
当たり前みたいに一緒にいるけれど、それは私の希望だ。
地位、財産、生存証明、私はすべてを失ってしまった。
イリーナが頼った人々とはちがう、無能で、今後どれほどの迷惑をかけるか分からない。
「ティアン?」
ついに言葉が漏れてしまう。
「……わたくしは!」
「うん?」とうながす声が優しいので、それを白状してしまう。
「私はもう、きっとあなたが好きになってくれた頃とは大分、その、変わってしまったと思います……。
無垢でもないし、純潔でもありません。悪魔に魂を売り渡そうとすらしました!」
こんな私にどれほどの価値があるだろう。
「……軽蔑してはいませんか?!」
不安だった、イリーナが好きなのはコロシアムにいた頃の私。
いいや、それすらも同情からくる手助けにすぎなかったのもしれない。
本当はいまの私を見てガッカリしていて、優しさからそれを包み隠しているだけなのではないか。
ダーレッド・ヴェイルも言っていた、女は誰でも良いのだと、女王であることに価値があるのだと。
わたくしにはもう愛される資格がないのではないか、少なくとも自分にその価値を見いだすことができずにいる。
イリーナは歩み寄って来ると言った。
「なんの問題もないよ? ボクはキミが同性だろうが、悪魔だろうが、オオサンショウウオだろうが愛するに決まってるんだから」
同性だし、悪魔になりかけたけど、オオサンショウウオではなかった。
わたくしはキョトンとする。
「ティアンは帝国の統治に失敗したくらいで自分の能力を疑っているけど、そんなのは誰にだってできなくて当たり前。
キミは優秀だよ、ボクの心を惹き付けることに関しては天才的さ」
わたくしは不公平な人間だ、だから人の上に立つ資格はない。
同時にそれは人の隣に寄り添うための才能だと、イリーナはそう教えてくれた。
でも、それではまだ不充分。
「ではなぜ、処刑のときに接吻を額にしの? 恋人どうしは唇にするものだと教わったわ!」
サボりがちだった専属女中に。
イリーナは【爆破魔術】で頭を弾かれたみたいに大げさに仰け反る。
「人前でするようなことじゃないんだよ!」
人前に出るのがあれだけ達者なくせに、皇帝にだって、騎士団長にだって、帝国民衆数百万にだって楯突くのに。
接吻一つを怖がるのはなんなの?
「わたくしは不安なのです、自分の気持ちが一方通行なのではないかと」
足でまといなうえに迷惑なのではないかと。
「あのね、ボクはこれでも嬉しいんだよ。これからは気兼ねなくキミのことを独り占めにできるんだからね」
これで満足か? という視線を送ってきたので私は返答する。
「それで?」
「え!? それでって……。分かった! 普段からかわれてるから仕返しのつもりでしょ?!」
察しのとおり、いつの間にか私は精神的優位を楽しんでいた。
イリーナは「勘弁してよぉ」と頭をかく。
「ふふん、わたくしだっていつまでもやられっぱなしじゃないの――」
そう言って両手を腰に胸を反らすと、心の準備を割愛して、イリーナが唇を私のそれに押し付けた。
「?」
一瞬、理解が追いつかず、状況を飲み込めたのは唇が離れたあとだ。
わたくしは頭部へと駆けあがる熱に呆然としてしまい、両手で顔をおおって隠しながら、その場に立ち尽くした。
「!?!?」
これは確かに容易なことではない。
動悸が乱れてあらゆる機能がままならないし、脳ミソが溶けだしているのではないかと錯覚するくらいに思考力が低下してしまう。
──こんなの、バカになっちゃう!
「ほら行くよ、みんなの手伝いしなきゃでしょ」
その場に硬直していた私を置いて、イリーナは先に行ってしまう。
わたくしは抜けそうな足腰を鼓舞しながら、その背中を追いかける。
「待ってイリーナ! わたくしも! わたくしも、あなたが女性でも、ペテン師でも、害虫でも石ころでも愛してるわ!」
「言い過ぎッ!?」
追いつくと私は彼女の腕をとって並んで歩いた。
「ねぇ、イリーナ。接吻が短いわ、やり直しを要求します」
「はいはい、またの機会にね。キスの威力は物語の積み重ねに比例するから大事にしないとね」
なるほど、物語こそは結果がすべてではないことの証明。
出会った直後ではたしかにこれほどの感動は得られなかったに違いない。
──威力半減でもぜんぜん不足はないのだけれど。
「劇団名どうしよっかなー、猫の手にあやかって犬にからめた名前とか?」
平静を装っているイリーナ、しかし一切こちらへと視線を振らなくなってしまった。
「なぜ照れるの! ねぇ、顔色が夕焼けのようよ!」
そして私たちはまた歩き出す。
世界は理不尽で、人生はしんどくて。目を覆いたくなるような出来事ばかり。
これからもたくさんの苦労をするでしょう。
苦痛を感じたり、心を痛めたりするでしょう。
だけど大切なのは人生を楽しもうとする心構えなのだと知ることができた。
あなたはずっと言っていました。
楽しいから好きなのではなくて、好きだから楽しい。
それは不公平でとても愚かなこと。
そして人間らしいこと。
だから私は自分の人生を恨まない。
それまでの人生がどんなにマイナスでも、あなたに逢えたから私の人生はプラスです。
そう思えたように、愛する人のいる世界もきっと同様に愛せるはず。
暗愚の女王ティアンという物語を解散し、愛しのグラディエーターとの新しい舞台が幕を開ける。
明日も、私たちは二人の物語を積み上げていく──。
『Re:Actor・オブ・グラディエーター』終幕。