「えっ? 将軍の娘の名前、ムスコッスっていうの!」
娘なのに?! と、イリーナが驚きの声を上げた。
『なのに』とはどういう意味だろうか、分からずに私は首をひねる。
ここは散髪屋の地下室──。
ただの散髪屋ではなく、ある盗賊ギルドが経営していた店で、様々な情報の交換がされた場所だと言われている。
ギルド消滅により現在は廃業中とのこと。
地下は密輸、密造、盗品などの倉庫、または逃走中の罪人をかくまうのに使用されたらしい。
イリーナが椅子に腰かける私の背後に立ち、髪の毛にハサミを入れる。
彼女の手が私のうなじや耳をかすめるのがくすぐったくて、過剰なくらいにドキドキしてしまう。
それを誤魔化すように補足する。
「ええ、ムスコッスは慈愛の女神から啓示を受けた聖女に由来する素敵な名前よ」
「ウソだよ、男性器の隠語でしょ?」
そう言って彼女が腰まであった髪を肩の辺りでバッサリと切ったので。
「あっ」と声が出た。
なんてスリリング!
ときめいている最中! 唐突に淫語を浴びせられ度肝を抜かれるや否や! ジョキジョキと毛髪の七割をもっていく!
すごい!? すごいわ!!
三ヶ所の急所を同時に攻撃されたような、得体のしれない興奮に私はおののくしかない。
「あ、ゴメン。イメチェンだって言うから思い切っていこうと思って」
「ううん、良いのよ。間違ってないわ。ただ、心の準備ができてなかったみたい」
そもそもこれは私が頼んだことだ。
この部屋には私たちのほかに三人の人物がいる。
そのうちの一人、イバンがあきれる。
「姉弟子の世界ではあらゆるものが男性器の隠語あつかいですよね」
「失礼なことを言うな!!」
叱りつけたイリーナにイバンは反論する。
「少女の名前を男性器の隠語あつかいするより失礼だとは思わないです」
正論である。
イバンは集団から暴行を受け命からがら逃げ出して来たらしく、まぶたやら唇を腫らした痛々しい姿をしている。
「──で、男性器の話で盛り上がっているところ申し訳ありませんが……」
それを私は慌てて否定する。
「盛り上がっていはいませんッ!!」
そもそも将軍の娘の話しかしていない。
「納得のいく説明をしてください、なんだってお二人は無事なんです?」
説明とはかの『公開処刑』についてである。
とどこおりなく処刑された私たちはこうして一時の休息を得ていた。
わたくし達は処刑された。
しかし、死ななかった。
端的に言えばそれが虚偽の公開処刑であったからだ──。
その詳細な説明をイリーナは求められていた。
「今回の騒ぎは一から十までボクとオッサンの計画だったってことだよ」
イリーナが私の解放を提案しヴィレオンと口論になった、それで彼女は反省をうながされ地下牢へと監禁されていた。
しかしすぐにヴィレオンがたずねてきて、結局なにが最良なのかを二人は話し合った。
その結果、ヴィレオンは断腸の思いで私の解放を承諾してくれたのだ。
一連の公開処刑はイリーナとヴィレオンが結託して行った芝居だった。
事が済むまでそれを知らされなかったのには、さすがの私も激怒したのだった。
具体的にはとても泣いた。
「なんだってそんな大掛かりなことをしたんです? 将軍が許してくれたなら円満に退任すれば良かったのでは?」
イバンの疑問はもっともだ。
当然、二人は酔狂であんな大掛かりな芝居をした訳ではない。
「イリーナ、大丈夫ですか。切りすぎでは?」
イバンの質問に答えるあいだもイリーナはハサミを動かしている。
「必要なのは将軍の許可じゃなくて国民の納得だからね。
この国はもう二回もクーデターでトップが変わっている、そこに来てまた入れ替わりがあればもう国民はついてこれない。
勝手にやってくれと関心を失ってしまう。平和な時代ならともかく、いまはそれが死活問題だ」
わたくしのときは謀殺された皇帝の娘というわかり易い大義名分があった、若い君主をみんなで支えていこうという空気もあった。
それがリビングデッド事件以来、すっかり手の平が返ってしまったというだけ。
「ティアンをすっぱり退場させて、テンションの高い状態でヴィレオン将軍に引き継ぐための儀式ってわけ」
自らが参加しなくてはことの重要さは自覚できない。
民衆をちゃんと当事者たらしめることが必要だと考えて二人はそうした。
それが劇作家である彼女のやり方だった。
イバンは感動を伝える。
「なるほど。いやあ、とてもお芝居には見えませんでした。決闘のレベルも高かったですよね!」
イリーナはジョキジョキとハサミを動かしつづける。
「あの……!」
散髪の終了を催促したけれどイリーナはそれを拒絶する。
「止めないよ」
「なぜです!?」
「計画の種明かしが終わるまで散髪をやめない、というチキンレースがはじまっているから」
罰でもない、なにかしらの抗議でもない、彼女はただおもしろ味を見いだしたからやっているのだ。
「やめてください!!」
このままではオモシロくされてしまう、わたくしは切実な危機感に襲われた。
「で、なんだっけ、決闘がどうかした?」
イリーナが話を戻すとイバンは質問を再開する。
「脚本があるからってあんなスピーディなやり取りが可能なものですか?」
「長引きそうな質問はやめてください!」
わたくしの抗議はなかったかのようにイリーナはスラスラと回答する。
「デルカトラ間に新興国を立ち上げるあいだオッサンに師事して剣を習ってたんだ。
考えながら剣を振っていたら実戦では間に合わない。だから反応を反射に落とし込むための反復練習をするんだけど、連携に対応するための練習を死ぬほどやってたんだ。
相手がこう構えたらこう躱して、こう反撃する。それを染み込ませることで相手の攻撃に対して受けからの反撃を反射でできる。
段取り稽古とか約束組手とか、ダンスみたいなもんだ。それを頭からざっと流しただけ」
事前に体に叩き込んでいた動きだからミスなく立ち回れたと。
「だったらもっとガンガン打ち合ったほうが格好良かったのに、逃げてばかりだったから消極的に見えましたからね」
打ち合ったら力負けするから意図して受け止めていないんだと私は思っていた。
しかし、そうではない。
「だって、小道具が壊れちゃうじゃん」
ヴィレオンの剣は刃が潰れており押し込めば血糊が出る仕掛け付きだった。
剣同士を合わせなかったのは腕力差を警戒しての戦術ではなく、玩具の耐久性を考慮してのことだった。
道具を用意したのは『盗賊ギルド・猫の手』、それどころかヴィレオン以外の兵士に扮していた全員がスタークスの部下たちだった。
彼らが血糊でベタベタになった私たちを死体として運び出し、こうやって隠れ家に連れて来てくれたという顛末。
「昔さ、演者は全員テロリスト役でさ、観客全員の手足を縛って床に転がして、人質視点で犯人たちの関係性をみせる演劇があったんだ。
そういうのやってみたかったんだよねーっ」
と、イリーナは上機嫌。
区切りが良いと判断し、わたくしは話題の終了を宣言した。
「なるほど、合点がいきました。それでは、めでたしめでた――」
「なるほどなぁ! ところでどこまでが計画に加担していたんですか?」
「ちょっ、話をひろげないで頂けます!?」
共犯者の名前を列挙しろと要求するイバンを私はとがめた。
首まわりの風通しのよさには恐怖すらおぼえる。
「オーヴィルは?」
イバンの質問で思い出したのだろう、わたくしとイリーナをのぞいた三人中、二人目の人物にイリーナがたずねた。
二人目は盗賊ギルド『猫の手』のギルドマスターであるスタークスだ。
「昨夜のうちに城からは追い出されているはずだが、どうしているやら」
驚くことにアルフォンスとオーヴィルは作戦とは無関係だった。
彼らはイリーナの投獄を知って独断で救出に来ていたのだ。
時間切れが迫っていたアルフォンスはどうしてもイリーナに別れが言いたかったのだろう。
事情を知ったオーヴィルが友情で不法侵入に手を貸したのは容易に想像ができる。
二人が来たのはイリーナにとってもイレギュラーな事だった。
これは歴史から女王を抹殺する計画──。
処刑が嘘であることを部外者に知られる訳にはいかない。
この時点では黒騎士の正体が明らかでないこともあり、騎士団の誰に知られることもリスクがあった。
女王を完全に抹殺するため捕縛時も演技を徹底する予定だった。
事情を知らないオーヴィルたちが暴れたら、または計画を打ち明けている場面を部外者に押さえられでもしたら困る。
ニケとアルカカは穏便にオーヴィルを引き剥がすため、ヴィレオンが送り込んだ役者だった。
ニケがみんなのまえで『殺した』と言っていたのはそのための配慮。
オーヴィルはなにごともなく城下に放たれたけれど、これから国外へと姿をくらます都合、彼とはここでお別れになるかもしれない。
計画を知っていたのはイリーナ、ヴィレオン、メジェフ、ニケ、アルカカ、そして遺体の回収役として私たちをここまで運んでくれた『盗賊ギルド・猫の手』の構成員たち。
「劇団ねこのて、だな」と、イリーナが笑う。
オーヴィルは健在、アルフォンスとの別れもはたされた。
わたくしは分不相応な役割から解放され自由を獲得し、不満を募らせていた民衆はあらためて一致団結する。
アシュハ四世と英雄イリーナは抹殺された。
今日からは女王でも英雄でもない、まったくの別人として生きることになる──。
「本当にひどい人!」
足もとに山と積まれた毛髪に対しての不満ではない、相談もなしに私ごと世間を騙したことに対しての批判だ。
騙されるのは世間にとどまらない。
アシュハ四世の死は歴史として語り継がれ、世界中の人々を未来永劫、あざむき続ける。
「とんだ無法者よ!」
と、これは縦横無尽に舞うハサミに対する非難である。
「俺なんか、朝起きたらお二人が処刑されるってんで青ざめましたとも! オーヴィルさんもアルフォンスさんも掴まらない、もう単身乗り込んで客席で爆薬を炸裂させようかと思ったくらいで!」
事情を知らなかったイバンは、そうやって処刑から私たちを助け出そうと考えてくれていた。
イリーナが苦笑する。
「危なかった……!」
危うくウソの舞台で大量の死人が出るところだ。
イリーナとヴィレオンは罪悪感にさいなまれる日々を送ることになっていただろう。
それが厚い友情がまねいた結果であるから複雑だ。
「爆薬を調達しようにもスタークスさんが捕まらないもんだから、時間がきて仕方なく客席に行ったんです。
もう気が狂いそうなくらいに悲しくなって。で、姉弟子のことをペテン師よばわりする観客と殴り合いの喧嘩ですよ!
なにがペテン師だ! 知らないくせに! って、実際ペテン師じゃないか! このペテン師!」
無理もない、イバンは結構根に持っている。
「──血ヘドを吐くほど応援したのに!」
「そうか、すまんな……」
これにはイリーナもさすがに謝罪をした。
「さて、この辺でいいかな」
話に夢中で髪を切られていること失念しはじめた頃、ようやくイリーナがハサミを置いてくれた。
「丸刈りにされるかと思いました……」
耳の周りはふわふわと髪に覆われているけれど、うなじは丸出しだ。
こんなのは生まれてはじめてのこと。
「変じゃないですか?」
「よく似合ってると思うよ」
イバンが首を縦に振ってくれる。
「可愛いです、美人はどう料理しても可愛い」
スタークスも大げさな身振りをまじえて褒めてくれる。
「どんな装いでも似合ってしまうのが美女の特権だ、自信を持って胸を張ったらもっと美しくなる」
わたくしはこそばゆくて「えへへ」とニヤけた。
「正体をさとられないための思い切ったイメチェンなのに顔が立ちすぎて、ぜんっぜん隠れてないね。むしろ目立ってる」
イリーナの指摘どおり、つまりは変装失敗である。
「でも、とてもいい気分。生まれ変わったみたいに軽いわ」
まるで体重が半減したかのような錯覚をおぼえた。
髪の毛の分が軽くなったのはわかりやすいけれど、日々の責務も、浴びせられる憎悪も、無力への悔恨も、いまは気にしないでいられる。
もともと髪色が目立って仕方ないのだ、外出時はフードでも被ることにしよう。
「さて、ボクらは晴れて自由人だ」
そう言ってイリーナは私の手を取った。
後ろめたさはある。
わたくし自身、計画のことをなにも知らなかったけれど、ヴィレオンが私を刺したとき『死んだフリを』と耳打ちされて狸寝入りをしたのは確かだ。
人々はこの責任逃れを許してはくれないだろう。
「わたくし、悪いことをしていますよね……」
それに対してイリーナは否定をせず。
「パートナーが無法者だから、仕方ないね」
と、自分を指しておどけて見せた。
それなら良い、あなたと一緒ならそれで良い。
「もう、首都には居られませんね」
イバンが残念そうに言った。
無法者はそれらしく国外に逃亡しなくてはならないだろう。
「いいさ、魔力欠乏症の治療法をさがしに行こう」
監禁生活がながすぎて故郷らしさもない場所だ、ただ仲間たちの集合場所だった庭園はすこし名残り惜しい。
確かにそこは憩いの場だった。
「新しい人生の始まりね!」
わたくしがようやく自分を納得させると、それまで無言でそこにいた三人目が口を開いた。
「なんのために我は呼びだされたのか、説明してもらえるだろうか?」