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三幕四場「別れ」


わたくし達は駆けた、暗闇の中を手探りで──。


オーヴィルと別れて間もなく、アルフォンスが力尽きた。


何度かの転倒をくりかえしそのつど起き上がってきたけれど、ついにはそれすらも断念し座り込んでしまった。


「アルフォンス!」


これまでのように助け起こそうとイリーナが駆け寄って手を差し伸べた。


しかし、アルフォンスは地面に尻を着いたままそれを払いのける。


「いや、まいりました。もう、一刻の猶予も、無い……」


そう言って、さきに進めとジェスチャーをして見せた。


「おい、へこたれるな! 根性見せろ! 意地汚いおまえらしく、生き汚く足掻け!」


イリーナはアルフォンスのわきの下に腕をとおして強引に引き起こそうとする。


「ショックが少ない……ようにと、まえもって言ってあったはず、です。私が天才だったおかげ……で、例外的に持ちこたえることができた、だけの話……」


ビクともしないアルフォンス、イリーナは引き起こそうとする勢いがあまって転倒する。


「──勇者様、ティアン嬢……。わるあがきで、リビングデッドにまでなったものの、たいしたお役にも立てず申し訳ない……」


わたくしはそれを即座に否定する。


「そんなことはありません。アルフォンス様がいなければ、わたくしは地下遺跡の魔物に殺されていました」


なにより地下迷宮でイリーナと再会できたのは彼のおかげだ。


アルフォンスはとつとつと言葉を発する。


「……ただ、こうして勇者さまに、別れを告げる機会を得られたことだけは、良かった」


イリーナはアルフォンスのまえに膝をついて顔を覗き込む。


「……包帯に、触れないで、ください」


彼女が手を伸ばすのをアルフォンスは拒絶した。


「……最後だ、顔くらい見せろよ」


「見られたく、ない。私は、記憶をもとに状況を判断、対応するだけの人形です。もう、生物じゃない。あなた達を守護するゴーレムなのです」


「だからなんだ! その記憶に従って行動するかぎりおまえはアルフォンスだ!」


イリーナは感情的になっていた。


これまで、アルフォンスが幾度となく別れをほのめかしても彼女の反応は薄かった。


わたくしはそれを、すでに覚悟が決まっているのだと思っていた。


変えられない運命を受け入れているのだと。


けれどそれは間違いだった。


イリーナはアルフォンスの死を消化できずにいた、だからリアクションできずにいただけ。


認めたくなかったからかける言葉を見つけられずにいた、冗談で茶化すしかなかった。


いざ直面して取り乱すイリーナ、わたくしは彼女を見ると熱いものが目頭に集まってきてしまい、とても直視できなくなってしまう。


アルフォンスはイリーナの腕を弱々しく押さえる。


「だから、アナタにとってのアルフォンスであるならば尚更。私の顔を見ないで、生前の美しい私を記憶に止めてください。血の通わない変色した、表情の無い醜い私を知らないで……」


「バカ野郎……ッ!!」


この悲劇の打開案も改善策もない。


イリーナは自分の大腿部を拳でつよく打った、ただどうしようもなく感情が溢れてこぼれる。


「なににだって終わりはきます。違うのは、早いか遅いかだけです――」


終わりはくる、それが早いか遅いかだけ──。


アルフォンスの言葉は私の境遇に突き刺さる。


「さあ、行ってください。貴方の成すべきことに向かって」


その言葉を受けてイリーナは地面に額をついてうずくまった、迷いを振り切ろうと感情を制御しようとしている。


「さようなら、私の勇者さま……」


仕方ない、すでに死んでいるのだ。


どうしようもない、終わったことだ。


「……さようなら、大魔術師」


別れを交わし、イリーナが立ち上がろうと腰を浮かせたときにアルフォンスがつぶやく。


「ああ、楽しかったなぁ……。召喚したのが勇さまで、本当に良かった……」


それでイリーナはへたり込んでしまう。


「そういうの、やめろよっ!!」


振り切ろうとした悲しみがぶり返してしまう。


「申し訳ありません。しかし、どうしようもない。どうしようもなく名残惜しいのです。


この二年、辛いことや悲しいことが、沢山ありましたね。女性の体に召喚したことで、アナタは私を半殺しに……」


アルフォンスは思い出を振り返ると、ククと笑った。


「当たり前だ、セクハラ目的でハンデを背負わされた身にもなってみろ!」


「ひどく根に持ちましたが――」


その言葉にイリーナはあきれた様子で脱力する。


「嘘だろ、こっちのセリフだよ……」


「あんなに痛かったのに、いま思い返せば最高に愉快ですね。奴隷みたいな生活を二ヶ月も強いられたのに。いまはもう、すべてが財産としか思えない……」


その気持ちはよくわかる。


当時どんなに苦しかったことも、どんなに辛かったことも、いまの自分があるから愛おしい。


苦しいは楽しかったで、辛かったは誇らしい。


「キマイラを二人で倒したときの高揚感。コロシアムの大歓声……。革命を成功させたときの、えも言えぬ達成感……。


この二年、私は一生分の大冒険を……。


ああ、先立った私の魂は、クロム氏やジェロイ氏と合流出来ているでしょうか……?


それが叶わなくても、マリーとはおなじ所に行けただろうなぁ……」


イリーナは完全にうつむいて顔を上げることができなくなってしまっていた。


それでも徒然と語り続けるアルフォンスの言葉に強くうなづき返している。


「私は、幾度もあなたに失望し。同時に憧れ。崇拝に近い感情すら抱いていました。


貴方の横にいるとき、私はいつも幸せでしたよ。


ええ、満足です。満足ですとも……。


なのに、何故だろう。


ああ、嫌だな。名残惜しい……。まだまだ、勇者さまを見ていたい。


明日も、明後日も、十年後の未来でも……」


「なにか方法があるんだろう! 言えよ! ボクがなんとかしてやるからッ!」


イリーナがアルフォンスの膝に縋り付いて叫んだ。


なにかしらの方法があるのならば、それは実行されていただろう。


それがされていないということは不可能であるか、あるいは彼がそれを望まないかだ。


素顔を晒したくないという発言から、いまの姿が本意ではないことは察せられる。


誰だって朽ち果てていく自分を許容なんてできはしない、生前の健康だった自分と比較して素顔の開示すら拒絶するのだ。


それほど堪え難いものを私たちのために今日まで堪えたに違いない。


それほどイリーナに会いたかったんだ。


それが二人の関係性、二人は互いにとって唯一無二の特別な相手だ。


だから私は覚悟をしていた、そんな特別な存在が失われるこの場所で、わたくし達の冒険が終わってしまう覚悟を。


わたくしは口出しをせずに成り行きを見守る。



「アルフォンス!! アルフォンス!! アルフォンス!! お願い、死なないでッ!!」


イリーナはすっかり強気の表情が失われてしまっていた。


それで踏ん切りが着いたのだろう、大切な人が自分との別れを惜しんでくれる。それで満たされたのだと、アルフォンスがそう言っているような気がする。


「このまま……、動力を切って、私は活動を停止します。制御を……失うまえ、に機能を停止するのです」


イリーナは彼の膝に埋めていた顔を上げてアルフォンスを注視した。


その泣き濡れた相貌は彼の決断を拒絶していて、その行動を否定するための発言をしようとする。


イリーナの口をアルフォンスが手でふさぎ言葉をさえぎった。


「笑ってお別れしましょう。泣かせてしまった時、気付いたのです。私はアナタの笑顔が大好きなのだと――



――尻の次に」


そしてアルフォンスはその機能を停止し動かなくなってしまった。


もう喋り出すこともない。


最後の言葉は『尻の次に』だった。


私は不謹慎にも吹き出しそうになった口を押さえて顔を逸らした。


「……おいっ!! おい、ざっけんな!! 最後の言葉が最低だっ!!」


そう言いながらもイリーナは涙を止められずにいた。


「いいの?! ねぇ!! 尻が一番好きだったってことでいいんだなっ?!」


掴みかかって揺さぶってもアルフォンスは一切の反応を返さない。


今度こそ帰らぬ人になったのだ。



「……行きましょう、イリーナ」


私は彼女の肩に手を添えて行動を促す。


彼女は「うん」と返事をすると、ごしごしと顔を拭って立ち上がった。


その表情からは弱気が消えている。


「ほんと、アホは死んでもアホだな!」


「あら、私はイリーナの影響だと思うわ」


死者への辛辣な発言に対して私はそう返した。


彼女は心外という表情をしたけれど、それはイリーナ流。


「──死の間際にも『面白い』を優先したのでしょう?」


「いや、ただの本音でしょ……」


どちらにしてもだ、アルフォンスの死によって折れかけた気力を私たちは踏みとどまることができた。


もう少しだけ、この逃走劇をつづける気力を残すことができたのだ。


それが狙ったものかは分からない。でも、確かに効果はあった。


だから、イリーナはまた歩き出せる。



最後に一度振り返ると、わたくしはアルフォンスの亡骸に向かって頭を下げた。


わたくし達を巡り合わせ、すべてのきっかけを作ったはじまりの魔法使いに、込められる限りの感謝を込めて。



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