魔力欠乏を起こしたら残された時間は二、三年ていど──。
もって一年、わたくしはこの限られた時間をアシュハ国のために捧げる覚悟だ。
フォメルスを討った私にはその責任がある。
そのために今後を担うことになるヴィレオンたちには全面的に従うと決めた。
けれど、大切な仲間たちはそれを認めない。
治療法をもとめて旅に出ようと手を引いた。
そして活動の限界を目前にした大魔術師は、黒騎士の生存を示唆した。
かけがえのない仲間たちの命を奪った暗殺者が生きているとしたら耐えがたい。
同時に黒幕が討たれ、わたくしの余命もいくばくもない現状、刺客はその役目を終えたとも思える。
危険はなくなったはずだ──。
何の因果か、ここはアルフォンスが黒騎士に殺された場所。
闇夜にまぎれて息をひそめている私たちにふたつの人影がせまる。
あちらはすでにこちらの存在を察知していて、隠れることは無意味だ。
見つかればとうぜん連れ戻されてしまうだろう。
オーヴィルが人影の正体を確認する。
「誰だ?」
無言のまま姿をあらわしたのは、ニケとアルカカの二人。
「良かった……」
すくなくとも、この二人が黒騎士や敵に類することはありえない。
逃げ出すつもりはないけれど、イリーナたちと話をする猶予は得られたと思った。
「それはどうだかなぁ……」
わたくしの言葉をうけたニケは浮かない表情で頭をかいた。
「──陛下にゃんを即刻、連れ戻せって命令を受けてるんだよね、ニケたち」
イリーナの行動はヴィレオンに見透かされており、阻止するために二人は差し向けられた。
わたくしは無責任にも落胆し、同時に安堵する。
自ら止めることのできなかった逃走劇は他者の介入によって中断される。
目論見を看破されたことでイリーナが思い止まってくれるなら、女王としてそれを良しとするべきだ。
こんな無茶をしなくても明日、話し合えばいい。
イリーナ二人に懇願する。
「たのむ、見逃してほしい!」
その真摯な姿勢にニケは怯む。
「アルカカ……?」
上級騎士は助けを求め、相方はいつもどおりの冷静な口調で引き継ぐ。
「おまえ達には友情を感じている、それは疑わないでくれ。だが、身内贔屓で使命を放棄することはない」
アルカカの信念が揺るぎないものと確信し、ニケも覚悟を決める。
「これは国家反逆罪、友達ごっこで許せる範疇をとっくに越えてるんだよ」
イリーナの行為に正当性は無く、情に訴えかけるほかに無かった。
それが通じないなら交渉は決裂。
それで引き下がるようなら、イリーナははじめから脱獄なんてしていない。
「押し通ると言ったら?」
引くつもりは無いと意志表示をした。
その様子を見たアルカカが、フゥと気だるげな溜息をつく。
そして、発せられる言葉に私は耳を疑う。
「ヴィレオン将軍からは抵抗するようなら『殺せ』と言い渡されている」
ヴィレオンがイリーナを殺せと命じた――。
「なにかの間違いです!!」
わたくしは強く否定した、そんなことはありえない。
「いや、はっきり言っていたよ。抵抗がなかったとしても可能ならば殺せと。こんなことを許していれば国が滅ぶ、イリーナの存在は十分な脅威になり得るとの判断だ」
事態は私が思うよりも深刻だった。
いつからか、ヴィレオンはイリーナを完全に護国の敵とみなしていた──。
「過大評価に涙を禁じ得ない! オッサンは本当に頼れる男だよ、そうでなくちゃテッペンは務まらないもんね!」
イリーナはあっさりとそれを受け入れた。
まるで自らは自覚的な悪であり、ヴィレオンの行動は正義なのだと言わんばかりに。
わたくしはパニックに陥る、そして思考した結果たどり着く。
イリーナが私を『不公平な人間』だと揶揄した理由に──。
ヴィレオンがイリーナを害することに私はショックを受けた、それを裏切りとすら感じた。
その発想が不公平なんだ。
ヴィレオンがイリーナを断ずることが許せないのは、それが私にとって不利益だから。
ただ、その一点。
本当に公正な人間ならば違反者であるイリーナを罰しなければならない。
身内だからと言って贔屓をしない。それが公平というもの、それができないものに人の上に立つ資格はない。
ヴィレオンはそれを実践しただけなんだ、言うなればそれは正義の執行。
ここにきて私はあの日の夜を思い出した、黒騎士の襲撃に遭ったあの夜だ。
彼はマスクに遮られたくぐもった声で確かに言った。
おまえは女王に相応しくない。と、それはまったくの事実だった。
──だけど、そんな悲しいことをどうやって許容できるの?
わたくしの未来をあきらめられない、そのために命を懸けて罪にまみれたイリーナ。
正しくはなくとも、どうしようもなく優しいのに。
そんな彼女を悪だと断じて罰することなんて、わたくしにはどうしてもできない。
「嘘です!!」
叫んだ、それはただの現実逃避だ。
アルカカは断言する。
「嘘なものか、ヴィレオン将軍は処刑を命じた。オーヴィル・ランカスターが介入しても鎮圧できる、そういう想定じゃなきゃ俺たちは呼ばれていない」
彼らに下された任務は説得ではなく、イリーナの処刑──。
つまり武力による衝突は避けられない。
アルカカ達の装備は儀礼用ではなくバスタードソードやハチェットなどの得意武器、本気ということだ。
なんで、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
なぜ大切な人同士が命の奪い合いをしなくてはならないのだろう。
――わたくしが、女王という勝手を許されない立場だから。
「アルカカ、ニケ、どうか収めてください! イリーナは私が説得して引き返します。そして、ヴィレオンにも私から話しますから!」
女王である義務を守れば権利だって行使できるはずだ。
しかし、アルカカは私の提案を拒否する。
「従えないな」
「女王の命令です!」
これは嫌いな言葉、けれど場を収めるためには仕方がない。
「いや、イリーナが陛下の指示に従う気がない以上、その命令は成立しない」
アルカカの言ったとおり、イリーナは確固たる反抗の意思を示している。
「イリーナッ!!」
わたくしの非難を無視して彼女はオーヴィルに勝算を確認する。
「勝てそう?」
「正直この二人との相性は最悪だ、噛み合わないタイプの剣士だからな。ドラゴンやデーモンを相手にした方がマシってくらいだぜ」
オーヴィルは臆する様子もなくただ分が悪いことを伝えた。
そして付け加える。
「──アルフォンスの出来次第ってとこだ」
相手は二人、そうなれば連携がものをいう。
「ああ、ボクの出来はどうでもいいのか……」
イリーナが戦力外通告をうけた直後、アルフォンスが膝をついてうずくまった。
「アルフォンス様!」
わたくしが駆け寄るとアルフォンスは苦しげにうめきながら、それでも手をかざして接近をこばんだ。
「不用意に……近づかないで、ください……」
それは自我のコントロールを失い危害を加えるかもしれない事を示唆している。
本当に、もう時間が無い。
必死にコントロールを維持しようとする姿が痛々しい。
「アルフォンスの出来なら最悪だけど?」
「………」
イリーナの報告にオーヴィルは途方に暮れた。
「さあ、やるならやろう。オーヴィル・ランカスター、おまえとの勝負に心踊るのも正直な気持ちだ」
ニケとアルカカが臨戦態勢に入った。
二人が一流であることは周知の事実であり、なによりその背景や信頼関係から連携においてはこれ以上にない組み合わせだ。
個別に相手をするよりはるかに手強くなるのは必然、並んでいるだけでとてつもない威圧感に当てられてしまう。
「もうやめて……」
なぜこんなことになってしまったのだろう、なにもかも私の力の及ばないことばかり。
「剣を振るのに邪魔だから可能なかぎり離れてくれるか」
そう言ってオーヴィルがわたくし達のまえに立った。
特注の両手剣を振り回せば半径三メートル、たしかに並んでは戦えない。
「──できれば城の外までいってくれたら戦いやすい」
ここは自分が食い止めると、そう意思表示しているのだ。
ヴィレオンがイリーナを処刑すると判断したならばここにはいられない。
追っ手から逃れるためには姿を眩まさなければならない、場合によっては首都をはなれることになる。
そうなれば再会できる保証はない、それどころかあの二人を相手に生還できるとは限らない。
「オーヴィル様!」
こんなことを望んではいない、誰も危険に晒したくない。
「お姫さんよ、なにを遠慮してるのかしらねえが、俺は自分のやりたいことしかしねえ。いまやりたいことは、数年後に笑ってるあんたの未来に貢献することだ。
そんときは、いま幸せなのはオーヴィル様のおかげですって盛大に感謝してくれ、それが楽しみでここに来たんだからよ」
強面の大男はおどけながらそう言った。
「だけど──!」
「行きなよ」
わたくしの反論をさえぎったのは意外にもニケだった。
アルカカが咎める。
「どういうつもりだ、俺は見逃すつもりはないぞ」
「いまのニケがあるのはアルカカのおかげもあるけど、あの人がこんなふうに手を引いて地獄から連れ出してくれたからなんだよ。
だから逃げたいやつは逃げたらいいじゃん」
それは二人にしか伝わらない会話だったのだろう、アルカカは言い返そうとはしない。
「──職務放棄じゃないよ、アルカカ一人だと手にあまりそうなデカブツを倒してから追いかけるってだけ」
「最悪、オーヴィル・ランカスターの首がとれれば体裁はたもてるか……」
当然、それだけでは任務は失敗とみなされる。
奴隷からいまの地位までのぼりつめた彼らにとってそれは看過できないことだろう。
「そうかい、じゃあ存分に粘らせてもらおう」
オーヴィルが二人と対峙する。
「オーヴィル!」
イリーナが呼びかけると彼は振り返らずに拳を背後に向けてかざした。
巨大なゲンコツをイリーナの小さな拳がつよめに叩く、オーヴィルはビクともしない。
「頼んだ!」
「まかせろ!」
返事を受けたイリーナはふたたび私の手を取って走り出す。
アルカカもニケも追っては来ない。
振り返るとそこには最後の力を振り絞り前進するアルフォンスの姿だけがある。
わたくしは不思議と興奮が覚めていく感覚を味わっていた。
この逃避行の失敗を確信的に予感していた。
オーヴィルはきっとニケ達に敗北する。
アルフォンスはもうすぐ力尽きる。
そして、イリーナが逃亡するさきに安住の地などない。
こんなものは計画とは呼べない、ただ感情に任せただけの無軌道な暴走だ。
ヴィレオンはそれを予測していた。
きっと、私たちに城壁は越えられない。
キラキラと輝いていた景色が気分の高揚による錯覚だと気付く、見渡せばそれはいつもの風景。
わたくしは覚悟を決めた。
奇跡はない。それでもイリーナたちがそれをあきらめられないのならば、それに最後まで付き合おう。
彼女のやりたいようにやらせてやろう。
破滅するときは一緒だ。
それがイリーナのためにできる最低限、そしてすべて。
私たちは走った、さきの見えない暗闇へと向かって突き進んで行く。