身の程を知ることは自殺なんだ、それは肉体の死ではなく抗う心の自死だ。
彼女の死を弔うのに私の言葉が正解なのかはわからない、それでもこの事実を伝えたい。
わたくしは思いのままを言葉にしてぶつける。
「あなたの物語は世界を変えるわ!」
おまえになにが分かる! と、逆鱗に触れてしまうことを覚悟していた。
イリーナは利き手で顔をおおってうつむいてしまう、わたくしは死刑宣告でも待つかのような気持ちで彼女のアクションを待った。
無責任な発言だったかもしれない、言葉一つで解消されるような簡単な苦しみのはずがないのだから。
──うう、泣きそう。
やっぱり言うべきじゃなかった。
だって自分に置き換えて考えた場合、女王のおかげで民衆はみんな幸せです。って、慰められても納得できないもの。
気休め言わないで! て、むしろストレスになるもの。
──間違えたぁ、わたくし失敗したぁ……。
わたくしが目尻に涙を光らせたとき、イリーナは肩を震わせたかと思えば天をあおいで大笑いする。
「あははははははっ!」
「わたくし、なにかおかしなこと言いました?!」
──冗談を言ったつもりはないのになんで、なんで笑うの!
「……いや、ごめん。そんなに感情移入してくれなくても、前世の話だから」
いま起きたかのようなテンションで相対してしまったけれど、彼女にとってはむかしの記憶。
とっくに整理がついた話だった。
「わたくし、また見当違いなことを言った?」
「そんなことないよ、やってきたことが無駄にならなかったってだけで充分だよ」
そう言って私を慰めると、次のように褒めた。
「フォメルスのときも思ったけど、ティアンはけっこう演説スキルが高いと思う」
「やめてよもう……」
本心をそのまま相手にぶつけているだけで、演説のつもりはまったくない。
わたくしの語りがどんなにイリーナのお気に召しても、説得に成功した試しはないのだからやはり下手くそとしか言いようがない。
けれどイリーナは確かに元気を取り戻したみたいで、よーし。と、背伸びをして体をほぐしはじめる。
「ボクをその気にさせたのはティアンだから。もう、なにを言っても聞かないよ」
それは悪巧みをしている時のニュアンス、わたくしは不安になって問い質す。
「えっ、こわい、なにをするつもり?」
「女王を誘拐する」と言ってニヤリ。
──ええと、それってつまり私を連れて失踪するということ?
わたくしは青ざめた。
ヴィレオンの方針に従うということで意見の一致をさせに来たのに、わたくしの手でまったく逆の結果へと導いてしまった。
「さあ、ボクと一緒に来て!」
イリーナは手を差し伸べて眩しいくらいに真っ直ぐに言い放った。
牢獄の中からだ。
「無理よ! 二重の意味で!」
精神的にも物理的にも。
しかし、イリーナはポカンとした表情。
「イヤなの?」
「そんな簡単な話じゃない……」
わたくしには何もできない、けれど居ることには大きな意味がある。
いなくなれば楔を失った臣下たちのあいだで権力の奪い合いがはじまってしまう。
そうなれば多くの政務は停滞し、復興は遅れ、民が飢えてしまう。
「イヤなわけないじゃない。でも、駄目なのよ!」
わたくしが残り少ない時間を楽しく生きるために、大勢の未来を破壊するわけにはいかない。
いかないのに。
──なんで私、こんなに嬉しいの!
甘美な誘惑とかしたイリーナの悪巧み、その手を振り払おうと理性を総動員する私。
その背後からとつぜん声をかけられる。
「そろそろ良いですか?」
「き――!!」
悲鳴をあげかけた私の口をイリーナが押さえ付けた。
──ドキドキドキドキなになになになにッ!?
声をかけられてそれだけでも心臓が破裂しかけたのに、振り返れば背後にミイラ男が立っていた。
それは絶叫くらいする。
「しずかに、衛兵が来ちゃうから」
イリーナが小声でたしなめた、解放したその手にはしっかりと私の歯形が残っている。
「アルフォンス様……」
ミイラ男の正体はニコランドならぬアルフォンスだった。
ダンジョンのときと同様に包帯を全身くまなく巻き付けてフードを深く被っている。
「──いつからそこに?」
「他人の色恋ほど退屈なものはありません、とくに相思相愛のカップルほど不快なものはありませんよ」
わたくしたちのやりとりがそう見えていたらしい、羞恥で頭が茹だってしまう。
アルフォンスは力強く付け加える。
「──しかし、百合はOKです!」
「百合?」
彼の言うことはけっこうな頻度でわからない。
アルフォンスは牢屋からイリーナを解放する。
「さっさと脱獄しましょう」
地下牢は現在、罪人の拘留に使われていないため、鍵は簡単に入手できた。
イリーナは躊躇なく牢屋から脱出すると、わたくしの手を引いて歩き出した。
「待って、女王誘拐となればそれはもう大罪だわ! とうぜん庇うけれど、反省程度の軟禁ではすまないかもしれない!」
アルフォンスは動じることなく言い捨てる。
「極刑もまぬがれないでしょうね」
キリリとキメたあとにイリーナと二人で膝を叩きながら笑う。
「ゾンビが、極刑を、まぬがれないとか……!!」
「自虐の極み……っ!!」
わたくしは笑えない。
「悲しいことですからね!」
イリーナがわたくしを誘拐すると言い出し、アルフォンスは当然のようにそれを手助けしている。
どこまで本気かわからない。けれど、許される冗談でないことくらいは分かっているはずだ。
断固としてやめさせなければならない。
なのに、どうしても強く止められない。
「おっ、来たか」
地下牢の入口にはオーヴィルが待機していた。
「あなたまで……」
私が焚き付けたせいで誘拐を実行に移したみたいに言っていたけれど、とっくに準備はされていた。
──本気なの?
「門衛棟まで見張りはなさそうだ、居館をうろつかずに中庭を通れば鉢合わせの可能性も減らせるだろうぜ」
などと冷静を装っているけれど、瞼を腫らしている様子からお涙頂戴ばなしにほだされて協力しているのは明白だ。
「城壁を越えるのは目立ちますよね」
「べつに正面突破できるだろ」
「馬鹿、追っ手がかかるまで猶予がほしいだろうが」
三人はどんどん進んでいく。ダメだ、このままでは誘拐されてしまう。
「お願いイリーナ、どうか思い止まって」
イリーナはそれを聞き流して私の足もとを心配してくれる。
「暗いから気をつけてね」
そんな誘拐犯いる?! と、わたくしは驚いた。
「アルフォンス様、オーヴィル様、今回ばかりはイリーナが間違っています。友人としてどうか彼女を止めてください!」
わたくしは二人にすがった。
冷静になるべきだ、このままでは二人も共犯になってしまう。
「姫さんは間違いって言うけどよ、望んでおかす間違いならそれはべつに良いんじゃねえのか?」
「ダメですよ!」
「聖都における正しいことってのは俺と好みの合わない奴が作ったルールでしかなかったんだよな。だからよ、痛い目にあう覚悟があるなら正しくなんかなくても良いと思うんだ」
その意見を否定するのは私ではなく首謀者のイリーナ。
「いや、ダメでしょ」と、どこか嬉しそう。
「聖都でドラゴンに喧嘩売ってアシュハの騎士団にまで噛み付くとか、人となりを知らない奴からしたらオマエはひどい狂犬野郎だよ」
イリーナの言葉にオーヴィルは頭を掻きながら続ける。
「おまえ達が覚悟を決めてなにかをするとき、黙って見過ごせないってだけだ」
それがたとえ祖国を敵に回す行為だとしても、それを心情的には理解できた。
わたくしもそうありたい。でも、それをできないのが女王という立場なんだ。
イリーナがオーヴィルをからかう。
「仲間はずれにしないでくれって泣きついてもいいぜ?」
「実際、どうかしてるとは思ってるからな!」
二人はすっかりこなれた関係だ。
止まらなくてはと思うのにこの心地良さにあらがえない。
気付けば別棟を抜けて中庭はすぐそこまで迫っている。
「残りの人生を遊んで暮らそう、だなんて思ってないんだよ」
イリーナは言いながらグイグイと私を引っ張って進む。
「──魔力の循環不全の治療法を人間は何百年かけても見つけられなかった、魔術師ギルドに一任しても分が悪い。
だったら長生きしてるエルフに訊いてみたら? それがダメならドラゴンはどうだろう?
ボクはこれから治療法を探して旅に出る。でも行って帰ったら死んでた、ってんじゃあ意味がない。
だから、キミも連れて行く」
泣いてしまいそうだ。
思っているよりもイリーナは私の未来について考えていた、まるで自分ごとのように真剣に。
「もちろん自由意志を阻害はできない。でも分かるんだよ、ティアンがいやなことを我慢してるってことは」
──どうしたら良いの?
こんなにも私を想ってくれる人、その意に添ってあげたい。
せめてあと数年、猶予が確約されていれば……。
「当てはある、いまどこにいるのか定かじゃないけど『次元竜の巫女』と面識があるんだ」
メディティテという人物がエルフとも竜とも縁がある、きっと手がかりを提示してくれるとイリーナは言う。
「アイツにはボクたちの相談に乗る義務くらいあると思うんだ」
展望が明確にされたところで、アルフォンスが恐縮しながら割って入る。
「……勇者様、それに皆さん。これからというところで水を差すことをお許しください」
皆、立ち止まって彼に注目する。
「──皆さんの逃亡を手助けしてさしあげたいのですが、残念ながらもう時間がありません」
その意味を察した。
あまりにいつも通りで、それ以上に辛いからと受け入れられずにいた。
アルフォンスとの別れが迫っている。
「ここまでか?」
イリーナの質問に答える。
「城を抜けるまではお供します。あとは人知れず我が身に決着をつける次第、見て楽しいこともないので皆さんは振り返らずさきに進んでください」
アルフォンスが同行できるのはそこまで、【死霊魔術】の専門家が判断したのだからそうなのだろう。
オーヴィルが「くそっ!」とつぶやいた、イリーナは黙っている。
「それとティアン嬢、体調のことを置いても一度、城を離れることをおすすめします」
「なぜですか?」
不可解だ、魔力欠乏の治療法がないこと以外になにがあると言うのだろう。
「不確定ですが、いやな予感がするのです」
アルフォンスの言葉はあまりにも抽象的で誘拐を了承する決定打としては弱い。
けれど、つづくイリーナの言葉は場の空気を一変させる──。
「黒騎士は本当に死んだのか?」
わたくしは耳を疑った。
「黒騎士はハーデンということで決着したはずですよね?」
場内の情報を熟知し、軍刀の達人であり、捕縛後も騎士団によって解放された。
その目的はアシュハ皇国の乗っ取りだった。
ダーレッドの口から一味であることが白状されていて、調査隊に加わることが不自然な人物。
それは女王暗殺の黒幕だったハーデン・ヴェイル以外に思い当たらない。
イリーナは腕組みをして考える。
「でも、あいつは魔法を使わなかった」
「観念して無駄な抵抗をしなかっただけでは……?」
わたくしたちを制圧するのに魔法は必要なく、ヴィレオンが到着してからは使っても無駄と判断した。
そう考えられるはずだ。
「つまりはそれだよ、ハーデンが黒騎士だったって証拠が証言ですら出ていないんだ」
ハーデンの死後、証拠隠滅されたのか暗殺者がまとっていた甲冑は発見されなかった。
「──古株の騎士団長が魔法を使えたかどうかを誰も知らないなんてことがあるのかな……?」
それは彼の性格上、狡猾にも隠していただけかもしれない。
「彼は黒騎士であることを否定しなかったわ」
「それは当てにならない、相手からしたら教えてやる義理はないんだから」
当人の死亡で確認は不可能となった。
だとしたらハーデンは黒騎士だったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。
そういうことになる。
「なんだか具合が悪くなってきました……」
ダーレッドは黒騎士を、俺たちの差し金。と、そう言っていた、そこに違和感がある。
その正体が父親ならば身内、同士、仲間、それらのように呼んだのではないか。
差し金という呼び方にどこか部外者の匂いがする。
オーヴィルが口をはさむ。
「万が一、黒騎士が別人だったとしても首謀者が死んで計画は頓挫したんだろ?」
「それはまぁ……」
もはや私を殺すことに意味はない──。
そのはずだ。
議論が決着しかけたところで、アルフォンスが突拍子もないことを言いだす。
「もし、その首謀者が死んでいなかったらどうです?」
パニックを起こしそうだ。
首謀者は王座に着く予定だったダーレッドでも、その父親であるハーデンでもない。
──そんなことがありえる?
これらの議論は証拠不十分による憶測だ、可能性がゼロではないというだけ。
「なんか、ボクみたいなこと言いだしたな!」
「こういう飛躍した推理は好きじゃないんですけどねー」
答えは出ない、それはさらなる調査か黒騎士の再登場でしか証明されないように思える。
「しっ」
ふいにオーヴィルが手をかざして会話を止めた。
「どうした?」
闇夜にまぎれているつもりの私たちに、ふたつの人影が近づいていた。