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二幕六場「鳥籠と将軍」


幼い頃の夢を見た──。


「お母さま! お母さまに会いたい!」


監禁室に囚われたわたくしはつねに涙を枯らしていて、泣いては疲れ果てて眠るをくりかえした。


そのくりかえしが、わたくしの人生。


瞼は腫れ上がり、周辺はただれて切れて血がにじんでいた。


一日に何度かヴィレオンが様子を見に来てくれたけれど、彼に対して笑顔を見せる余裕を得るまでに四、五年を要した。


彼は子供をあやすことを苦手としていたし、わたくしは筋ちがいにも彼を憎んでいたからだ。


理由はなんだったろう――。


父を守ってくれなかったから。

母に会わせてくれないから。

わたくしを閉じ込めているから。


あと、そこにいるから。


理不尽な、愚にもつかない八つ当たりばかり。


でも、ほかに相手がいなかった。


彼の顔を見ればわたくしは罵声を浴びせたものだった。


不敬者、役立たず、無能、母を返して、母に会わせてと。


お母さまはすでに刑に処されてこの世にはいない、そんなことが分からないほど幼くもないくせに。


ただあまりにも寂しくて、どうしようもなく悲しくて、忠臣に対して憎悪をぶつけるばかりだった。


すべてを奪われ存在すら忘却された哀れな娘──。


もはや世話を焼く義務もないのに、それでも彼はわたくしを見限らなかった。


輝かしい経歴にいろどられた地位を捨て、闘技場の看守に身をやつした。


それが英雄ヴィレオンでなければつづく者は遥かに少数であっただろう。


そうなれば、わたくしの身などどうなっていたかも分からない。


わたくしはアシュハの軍神の威光によって守られた。


それを知るのはコロシアムを閉鎖したあとのこと、ごくごく最近まで思い至ることはなかった。


当初から彼は監禁室に本を持ち込んでは寝室の棚に並べるようにしていた。


景色の変化もない、客人も来ない、役割の一つすらもない密室。


あるのは陳列された大量の書物だけ。


意固地になって手を付けずにいるには一分があまりにも長い。


最終的に四百二十万分を過ごしたことを考えると、本に手を付けていなければ気が狂っていたか命を絶っていただろう。


最初は読書目的ですらなかった。


無口な臣下のまえで当てつけに破り捨てたり、それを投げつけたりするのが主な用途だった。


思い返せば後悔と恥辱にのたうち回らずにはいられない、それほど身のほどしらずで最低な子供だった。


いつからか、わたくしはその書物のなかに父や母の姿を探し始めるようになった。


本のなかの父は偉大な人物で、強く、世界中から畏怖されていた。


いつ産まれて、いつ王になって、どれだけの戦争があったか、どんな政策を敷いたか、母との馴れ初めなど興味深く、数多ある本を漁って探した。


次第に歴史に興味を持ち始め、わたくしたちに起こったことを知るに至った。


棚中の書物を二周もした頃、わたくしは得たい知識に関する書物をヴィレオンに催促するようになった。


彼にはわるいけれど態度が軟化したのは反省からではない。物欲、あるいは知的好奇心に対する欲求からだった。


わたくしはいつしか彼の参上が待ち遠しくなっていった。


見知らぬ世界に触れる感動、知識を得ることの満足感。または、書の内容が期待に沿わなかったときの不満。


喜びも怒りも、他者と共有してはじめて完成する──。


それらを原動力にしてわたくしはよく喋るようになった。


彼は相変わらず口数が少なく、まるで案山子かなにかに語りかけているようで不服だったけれど、要望にだけは黙々と答えつづけてくれた。


得た知識を実践し、その成果を得られることでわたくしは笑顔を取り戻すことができた。


外との交流を絶たれて人生を奪われた私が、教養を得ることに果たしてなんの意味があるのか。


知らず、考えず、挫折せず、吸収しつづけて本当によかった。


わたくしは本を読んで自我を保ち、感受性を養った。


そのおかげで数年後、わたくしのまえに現れる運命の人と笑顔で対面することができたのだから。


目的なんてなかった、それ以外に正気をたもつ術がなかっただけ。


けれど暗闇での努力は最高のかたちで実を結んだ。


鳥篭から解放されたとき、わたくしの身長は投獄された頃から四十センチも伸びていた。


その四十センチの時間をあまさず知っているのは世界にたった一人、ヴィレオン将軍ただ一人だけ。




騎士団長親子の野望が阻止された翌々日──。


わたくしは気の抜けた時間を過ごしていた。


一昨日までは一分一秒も惜しんで国政に駆け回っていたというのに、まったく気がはやらない。


ヴィレオンが帰って来たことで任せてしまえば良いと達観してしまったのだろうか。


昨日したことといえば膨大な報告に対して首を縦に振ることだけだった。


今日も療養を理由にのんびりと過ごし、自室での昼食を終えたところだ。



「さて、そろそろ行こうか」


イリーナはそう言って私に手を伸ばした、「ええ」とこたえてその手を取る。


先日から私の代わりにヴィレオンたちが駆け回ってくれている。


国を東西に分けたことで東半分を完全に新王に委ね、西側に注力することができる。


東の王を務めるのシェスパーダ家、もともと地方の領主だった人物だ。


ヴィレオンとは旧知の関係で密な連携が取れている。


一騎士長が女王の知らないところで国を二分割するだなんて、それこそ謀反の一言では済まされない大事件だ。


けれど、それはハーデンとデルカトラの連携を切るための方弁で一時的な処置に過ぎないと聞かされた。


半分を丸投げにすることで負担が減った部分も大きい。


いまから方針のすり合わせのために話し合いをする予定だ。


けれどそれは形式的なもの、わたくしは彼に絶対の信頼を置いている。


昨日と同様にわたくしは首を縦に振るだけだろう。



「今日はとても天気がいいね、気分転換に散策にでも出かけてみない?」


魅力的な申し出だ、なにせイリーナとの散策は楽しいに決まっている。


目についたものをいちいち拾いあげて面白く仕立ててくれるに違いない。


価値はあるものじゃなく与えるもの──。


彼女は取るに足らないようなことにだって面白味を見つけてくれる。


自室から執務室までの道のりすら始めておとずれる観光名所かのように楽しい。


けれど外出は自粛するべきだろう。


わたくしが遊び歩いている姿を見て不快に思う者たちも大勢いるだろうから。



イリーナはつないだ手をキュキュと握ってもてあそぶ、胸のなかにある器があっという間に満たされて溢れ出しそうになる。


──嬉しい。


それだけでこんなにも多幸感に包まれる。


「これだけで充分よ」


そう言って笑いかけた私を、イリーナは不服そうに見返してきた。



執務室ではヴィレオンとメジェフ、それと彼らの側近をまじえての会議が行われた。


彼らの提案はとても建設的で、いかにハーデン達が足を引っ張ることに終始していたかを気付かされる。


それもそのはず、わたくしが破綻して権力を明け渡すことこそが彼らの狙いだったのだから。


彼らは私を孤立させることに終始し、政治を行う気などさらさらなかった。


ヴィレオンたちの意見を聞くことで、わたくしはようやく希望を見いだすことができた。


危機的状況は改善されていないけれど中枢の正常化が成された、これでアシュハはやっと一歩を踏み出すことができる。


そう考えると同時にハーデンの陰謀によって亡くなった優秀な人材が惜しまれてならない、環境さえ整っていれば彼らがどれほど活躍したことだろう。



「ちょっと待って」


ひととおりの確認をおえて解散の空気が漂った頃、それまで一言も口をはさまなかったイリーナがヴィレオンを呼び止めた。


その声は心なしか震えている。


「なんだ、あまり時間は取れんぞ」


ヴィレオンたちは取り決めたことを早急に実行に移さなくてはならない。


「分かってる。でも、時間がないのはこっちだろ……!」


イリーナが焦っている理由は明白、それは私が抱える魔力の循環不全の問題だ。



先日、アルフォンス経由で魔術師ギルドから詳しい人物を紹介してもらえた。


その者の見立てではわたくしの症状は魔術のオーバーフローによるマナ欠乏症。


数年に一人でるかくらいの極めて珍しい症状らしく、再現しようとしてできるものではないことから研究者もいない。


さかのぼれば数百年まえから記録はあるけれど、治療法は見つかっていないというのが結論だ。


そして発症した者は皆、観測されている範囲では二、三年で亡くなってしまったらしい。


わたくしは発症からすでに二年近くが経過している。


「──ティアンはもう、一年後を生きられないかもしれないんだよ!」



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