老騎士が目にも止まらぬ剣技で騎士団長の側近二人を絶命させたことで、この場にのこる敵はハーデン・ヴェイルただ一人。
メジェフの俊敏な立ち回りは温厚な好々爺といった普段の印象とあまりに落差が激しかった。
ハーデンがサーベルをかまえるとあの黒騎士を彷彿とさせる貫禄がある。
あの夜に剣を合わせたニケも感触からその正体をジジイ、と判別していた。
「形勢逆転だな!」
イリーナは立ち上がってメジェフの横にならぶ、これで二対一。
それでもハーデンは余裕をたもっている。
「老人、女、戦力外のけが人、そんなもので数の優位を語るな」
たしかにわたくしは数に入らない。
けれどイリーナは離れているあいだにかなり腕をあげたように見える。
仮にも騎士長だったダーレッドとそれなりに攻撃を交換できていたし、それは簡単なことではないはずだ。
メジェフにいたっては騎士団長の側近二人をものともせずに斬り倒している。
「おまえなぞ、わし一人で……ヒィ……じゅうぶっ! ゴホッガハッ!」
「ああっ、爺さんの燃料が尽きた!」
しかしメジェフはその老齢ゆえにあっという間にスタミナを切らしていた。
息はあがり、サーベルの重さに剣先は下がっている。
「ゲホオッアッ! ゴホッ、ガハッ!」
老騎士が咳こんだ隙を突いてハーデンが襲いかかる。
「いかんともしがたい体力の差だ、老体!」
「グヌッ!」
一撃をかろうじて弾いたが、メジェフは体制を崩してその場にへたり込んだ。
「目障りだ!」
ハーデンがトドメをくり出した。
辛うじてイリーナが割って入り、グラディウスでハーデンのサーベルを弾く。
しかし騎士団長はビクともしない、矛先をイリーナへと切り替えると強烈な振り下ろしを叩きつける。
間一髪、ランタンシールドでそれをガード、その一撃でガントレットは粉砕、分解したシールドが床を跳ねた。
イリーナが悲鳴をあげる。
「くっそ!! 左腕が死んだッ!!」
その声が大音量だったことに驚いて、ハーデンは攻撃の手を休める。
鼓膜へのダメージに顔をゆがめ忌々しげに頭を振った。
イリーナの左手は腕部の骨折からか小刻みにふるえていて握ることができない様子。
メジェフは立ち上がることすらままならない。
「すまん……。あとは、ゴホッ、頼む……」
「頼りになるかと思わせて、一番ヤバイ奴を怒らせての退場だーっ!?」
気が付けばハーデンと一騎打ちの構図、イリーナはおどけ気味にメジェフの脱落をとがめた。
ハーデンは無傷、一方のイリーナは顔色がわるい。
盾を失いぶらさがった左手、こうなってはニコイチだったグラディウスも頑丈なだけの短剣だ。
体格の不利にくわえて圧倒的なリーチの不利がうまれる。
「さあ勇者イリーナ、舞台は整ったといったところだ」
「なんて魅力的な展開、勝ち目がないということに目をつぶれば……」
勇者と黒幕との一騎打ち、物語は佳境に入ったとでも言いたげだ。
たしかに、あと一手ですべてが決着する。
「さて、腕力、技術、経験値、なにで上回ってくれる?」
「優しさ、あとは、可愛らしさとか……?」
そこに勝利の糸口は見えない──。
イリーナが足もとに放り投げた剣がかわいた音を立てる。
「……どういうつもりかな?」
勝負の放棄としかとれない行動にハーデンが疑問を投げかけた。
イリーナは質問を無視して話しはじめる。
「あんたが裏切り者である情報をボクにあたえたのは、マウ王国の第三王子だ」
とつぜん情報の開示をはじめたイリーナをハーデンは嘲笑した。
それは決闘を投げ出し命乞いをはじめたようにしか見えない。
「敵国と内通しているのはキミのほうではないか、よくも言えたものだ」
付き合う義理はないが、同時にそれはハーデンにとってとても興味をひかれる内容だった。
イリーナはマイペースに話を続ける。
「ボクは騎士団長の謀反をティアンに知らせなければと思い立った」
彼女がどうしてマウの王子と繋がったのか、情報を得たのがいつ頃でなぜ帰還までにこれほどの時間を要したのかなど謎が多い。
「──でも、オーヴィルは重傷を負っていて休養が必要だ。ボクが一人で情報を持ち帰ったところであなた達と戦う術がない」
順序だてての説明はわたくしたちを話へと引き込んだ。
「そこでボクはヴィレオン将軍を頼ることにしたんだ」
理解したとばかりにハーデンが口をはさむ。
「なるほど、援軍の存在をひけらかして交渉の材料にしたいわけだな」
ヴィレオンがこのことを知れば相手が騎士団長といえど黙ってはいない。
アシュハの軍神と名高い彼こそはこの大陸でもっとも恐れられた将軍の一人。
目の上のたんこぶだからこそハーデンは王都から追い出した。
「──残念だが、王都にすら届かぬものが領土をまたいでデルカトラの国境付近まで届くと思うかね。当然、手の者が検閲して処分しているよ」
イリーナの告発文がわたくしに届くことはなかった、ましてやヴィレオンは皇国領をはさんだはるか反対側に配置されている。
スマフラウからアシュハに入った時点で入れ替えられ、彼のもとに届くことはない。
援軍が来るはずもない。
なのに、イリーナは動じていない。
「いや、手紙は書いてない。直接会って来たんだ」
さらりと発せられた言葉を飲み込めず、わたくしは「どうやって?」とたずねた。
「スマフラウは飛竜の産地だろ。デルカトラの戦争介入を阻止するためだって言ったら、アーロック王子はこころよく空の旅をプレゼントしてくれたよ」
この時、はじめてハーデン団長が喉を鳴らす音を聞いた。
「スマフラウはマウ王国に吸収されたのか?」
そうでもなければ貴重な飛竜を自由にできる道理がない。
そしてスマフラウが陥落したという情報をわたくしたちははじめて知った。
「そのほうが都合がよかったからね、マウ側には口裏を合わせて発表をひかえてもらってたんだ」
イリーナは指で空中に弧を描く。
「将軍と会っていろいろ仕込んだあとにボクはスマフラウにとんぼ返り、オーヴィルと合流してアシュハに帰ってきた」
気づけば外が騒がしい。
「……なんだ?」
ハーデンが天をあおいで聞き耳を立てた。
イリーナは無視して話をつづける。
「そして今日、ここで合流することになっている。
――さあ、主役の登場です!」
そう言ってイリーナが扉を開くと、そこにヴィレオン率いる部隊が押し掛けていた。
「絶妙なタイミングだな」
招き入れられたヴィレオンがイリーナと視線を交わす。
「舞台袖の介錯には慣れてるんだ、ついでに念入りに前説をしておいてやった」
十人からの兵士が出口を塞ぐ、その中には上級騎士ニケの姿もある。
唖然とするハーデンを無視してヴィレオンがわたくしのまえに膝まづいた。
忠臣の帰還に安堵してわたくしは「おかえりなさい」と声をかける。
「参上が遅くなり申し訳ありませんでした、あとはわたくしめにお任せください」
ヴィレオンが重症のわたくしをこの場から連れ出すよう指示をだすのを止める。
「待って、結末を見とどけたいの」
彼は「わかりました」と言って願いを聞き入れてくれた。
そしてスっと立ちあがり裏切り者を振り返る。
「久しいなハーデン、おまえが遠征ばかりを命じるせいであやうく会議室の場所を忘れてしまうところだった」
騎士団長はせまってくるヴィレオンの圧力にあとずさりする、その表情には畏怖が浮かんでいた。
「ヴィレオン……」
「団長には謝罪をしなければならないな、国境の警備を放棄してきてしまった」
冗談めかした言い回しの語気には怒りが込められている。
「待て、将軍。このままではアシュハはマウに敗れる。デルカトラとの協調を……」
ハーデンの苦しまぎれの説得をヴィレオンは取り合わない。
「それは物理的に不可能だ」
否定の意味を理解できずにハーデンは聞きかえす。
「……なんだと?」
「アシュハとデルカトラのあいだには今頃、新興国が誕生しているからな。出発を急いでいてまだ名前も聞いていないが」
彼がなにを言っているのか、わたくしが理解するよりもはやくハーデンが食ってかかる。
「まさか、国土の一部を何者かに譲渡したとでも言うつもりか!!」
表情からは完全に血の気が失せている。
「おまえがアシュハの全権を握っていようと、デルカトラの軍隊に他国をまたがせることはできない」
つまりデルカトラに面したアシュハの領土を手放した、そして譲り受けた人物が新たな国として統治する。
「なんの権限があって?!」
「仕事をサボらせてもらった、不本意な移動だったからな」
警備隊の指揮官という意味では権限もあれば責任ある。
彼の部隊が守らなかったから領土を取られたと解釈していいのだろうか?
「──なぁに、統治するのは俺の古い友人の一族だ。実質アシュハを二分割しただけの同盟国といったところか」
イリーナが補足する。
「騎士団長を追い詰めるときデルカトラの軍が邪魔をできないようにとか、アシュハをうばわれたときティアンを逃がせるようにとか、いろいろ考えて準備したんだよ」
帰還が遅れただなんてとんでもない。
知らないところでイリーナとヴィレオンは新興国の設立を根回ししていた。
そして今日、ここでハーデンに引導をわたす手はずも整えていた。
それを踏まえてイリーナはおとなしくここまで連行されてきた。
あとは反逆者をどのように遇するのか──。
わたくしはいつかのような失敗、黒騎士が魔法を使って悪あがきをしないように注意ぶかく観察する。
「わかった、大人しく投降しよう」
騎士団長はそう前置きをして交渉を持ちかける。
「──死罪をまぬがれないのは承知のうえだがよく考えてほしい。
アシュハの機能のほとんどが現在、私の管轄下にあり再編成には多大な時間と労力を要するだろう。
私はデルカトラの機密をいくつも把握していて外交を有利に進めることかできる。
指揮官不足の現状、激化するマウ王国との戦争にも私の能力が有用であることは疑いようもない。
私の死は損失だ。生かし、活用することで大きく貢献、利益をもたらすと断言する」
それは事実の羅列。
国家の未来のために彼は優先度の高い人材に違いなく、アシュハになりふりをかまっている余裕はない。
皆の意識は自然とヴィレオン将軍に集中する。
君主であるわたくしではなく、わたくしをふくめた皆がアシュハの軍神に采配を委ねた。
ヴィレオンはハーデンと向き合う。
「さすがは団長殿、合理的で熟考にあたいする提案だ。しかし、損得が目的ならば俺はここに来てはいまいよ」
わたくしの横でそれを見ていたイリーナが「あっ、待って!」と、一歩を踏み出したときには手遅れ。
「──人間はな、感情で動くのだ!」
つぎの瞬間にはハーデンの頭部は胴体から離れ、地面に転がっていた。
「ちょっ、おっさん! 聞きだしたいことがいろいろあったのに!」
イリーナが近寄ってとがめるとヴィレオンは反論する。
「一度は捕縛した黒騎士にまんまと逃げられたらしいじゃないか、それに発言の真偽も当てにならん」
「勢いあまってやっちゃったって言えよ……」
イリーナは深いため息をついた。
ハーデンのしてきたことを考えれば怒りを抑えられなくて当然だろう。
「陛下の治療を急げ」
ヴィレオンはイリーナを振り払ってメジェフを助け起こす。
「──先生、ご無事ですか?」
ヴィレオンはメジェフの従者を経て騎士になったらしい、彼の師であるならばハーデンの側近たちを斬り伏せた剣の冴えにも納得だ。
「おまえが手柄を吸い上げるせいで奴らに随分と馬鹿にされたぞ」
大戦中、ヴィレオンの活躍が際立ってその影に隠れてしまった騎士長は多い。
逸材を育成した師もその一人だった。
フォメルスの即位による派閥争いがなかったら騎士団長になっていたと思う。
フォメルスが繰り上がり、ヴィレオンたちが抜けたことでハーデンは騎士団長に押し上げられた。
フォメルスのあとで息子を王にできると増長したのもそんな成功体験のせいだろう。
それは今日、阻止された──。
逆臣の血液が円卓を汚し、首はその下に転がっている。
ハーデン・ヴェイルの謀反は凄惨な結果を招いた。
わたくしは信頼を寄せた友人たちを失い、国家の中枢をになう騎士団からは半数が粛清された。
復興が停滞するさなか仲間割れによって多くの人材が失われたのだ。
騎士団は新たにヴィレオンを団長に据え新体制の構築を開始した。
わたくしは休息をあたえられ十九箇所の骨折、そのほか九十箇所におよぶ負傷は治癒術師によって綺麗に完治した。
そして後日、わたくしは最大の試練に見舞われ最後の決断を迫られることになる。