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一幕六場「ただいま。」


ダーレッドは完全に孤立した。


頼りの部下たちは全滅しみずからも死に瀕している、ここまでの窮地に立たされるなどとは思いもしなかっただろう。


イリーナがさきほどの降伏宣言について確認する。


「降伏? ふーん、それってどこまで。パパも降参ってことでいいの?」


問題はそこだ。


一連の暗殺事件の黒幕は騎士団長ハーデン・ヴェイルだ。


ダーレッドが好き勝手やってこれたのはすべて父親のお膳立てがあってのこと。


「それは……」


「それは?!」


イリーナがつよく聞き返すとダーレッドは引き下がる、反論の余地はなくできるのは命乞いだけ。


「わ、わかった、父を説得すると誓う……!」


本心からの言葉ではないだろう。


この国にはもう騎士団に比肩する存在はなく彼の父はその首長、ハーデンは実質この国の支配者だ。


生き残りさえすれば逆転できると考えているに違いない。


「キミの言葉を信じるよ」


「姉弟子! ダメですって!」


みえみえの嘘にうなずいたイリーナをイバンが注意した。


真に受けたわけではないだろう、けれどイリーナなら殺人を嫌って譲歩することはありえると思った。


虫も殺せないような性格だ。


さきほどまでの挑発的な戦い方にも、らしいようでいてどこか違和感をおぼえていた。


わからない、この一年で性格に変化があったのかもしれない。


「じゃあ……」


見逃してくるんだな。と、ダーレッドがふかい安堵の声を発した。


イリーナは「うん!」と元気よくうなずくと取り落としたグラディウスを拾いあげ、それをダーレッドに向けて言い放つ。


「さあ立って、決闘をつづけるよ」


「……はっ?」


ダーレッドは呆然とする。


身動きがとれないほどの深手で、命乞いにもわかった。と、返答された。


決闘をつづける意味がわからない、まるで会話が通じていないよう。


「──だ、だから、父は説得し……」


「それはそれ、これはこれ!」


そう言ってイリーナは地に着いたダーレッドの手を剣で突いた。


「ぐあぁぁぁぁぁ!!!」


痛みにうめく彼に言い聞かせる。


「おまえがどんな好条件をだそうと、たとえ本当に改心しようと、このさきこの世界にどれだけ寄与する人間であろうと、ボクはこの決闘を絶対にやめないッ!」


鬼気迫る表情で続行をダーレッドに宣言した。


オーヴィルが「めずらしいな」とつぶやいた。


まったく、こんな彼女は見たことがない。


仲間たちはおおくを語らずただ成り行きを見守っている。


「イバン、ティアンの容態はどう?」


イリーナはわたくしのカラダを気にかけた。


さきほどまでは憎悪をエネルギーにして動いていたけれど、気が抜けきったいまは指先一つ自覚的には動かせない。


頭もはたらかず二桁の足し算だって難題と思える。


治療されるがままに身をゆだね、傷を縫ってくれる針の痛みも感じないくらいだ。


「打撲、骨折が多数ありますが命にかかわるほどではありません。問題の頭部は裂傷と出血こそ派手ですけど眼底と鼻骨の骨折以外は無事みたいです」


顔面こそ執拗に殴打されたけれど頭部に致命的なダメージはないらしい。


ここまで来たら神殿の最深部を確認したい、そんな騎士たちの好奇心がわたくしを生かしたようだ。


結局、【聖騎士の遺産】は役目を終えて砕け散ってしまった。



「そうか、ありがとう」


イバンに礼を言うとイリーナはふたたびダーレッドをふりかえる。


「さあ、決闘の再開だ!」


「無理だ……! もう、動けないんだよぉッ!」


ダーレッドはべそをかきながら拒否した。


イリーナにえぐられた脇腹の重症で身動ぎひとつできないようだ。


「大丈夫! やればできるって、ほら元気だして!」


ニコリと笑いながらうずくまる背中に刃を二度つきたてた。


「ンゥゥゥゥゥッ!!!」


「ごめんよ、低脳で非力なもんだからなかなかトドメを刺してあげられそうにないな」


それはあきらかに死にいたらない痛めつけるための攻撃だ。


「……もうッ、もう許してくれ。頼むっ! お願いだからぁぁぁ!」


「え、なに? ボク、あほだからなにを言ってるかわかんないよ」


ダーレッドの懇願をイリーナはとぼけて受け流す。


「……様子がおかしくありませんか?」


「そうですか? ティアン様のすがたを見たら怒ってあたりまえだと思いますけど」


イバンは特に疑問を感じていないようだ。


「──それに、あの男は苦しませて自分のしたことを後悔しながら死ぬべきだ」


そう思う、そうでなくてはサンディたちが報われない。


わたくしが案じているのはダーレッドではなくイリーナのことだ。


悪魔と契約してでもそれを果たそうとしたわたくしが言うのもおかしいけれど。


いつもの彼女じゃない──。


あれは怒りなのだろうか、どこか掴みどころがない。


「……イリーナ?」



「痛い! 痛い! 痛いぃぃぃ!」


ダーレッドが地面にうずくまって泣きじゃくりながら助けを乞うている。


皇国の次世代を担う新鋭として祭り上げられ、いつも自信に満ちた言動と佇まいをしていた、あのダーレッド・ヴェイルが──。


「聞こえない! 聞こえない! ぜんっぜん響かないよ! ティアンがなぜあんなすがたなのか、思い返してから発言しようか!」


そう言って何度も負傷した腹部に蹴りを見舞う。


「ぐっ、がっ、死ぬ……、もう……」


ダーレッドはみるみるうちに弱っていく。


「大変だ、この出血じゃあもう助からない。どなたか! どなたか治癒術師の方はいらっしゃいませんか! 残念、治癒術師はいないみたいだ。おまえが惨殺したんだった」


小芝居をはさんでまだまだ苦痛の時間はつづくのだと印象付ける。


「ごめんなさい……。もうしません。もうしません。許して……」


これまでの大言壮語すらなつかしい。


「ん、おかしなことを言うな……。もうしませんじゃないだろ! 死んだ人間はもう帰ってこないんだから!」


怒鳴りつけるとイリーナはグラディウスをダーレッドの背に突き立てた。


ダーレッドは体を痙攣させ、もはや言葉にもならない声でうめくだけだ。


「じゃあ、こうしよう。ティアンの痣の数だけ刺して、それで許すよ。百か? 二百か?」


イリーナは脅迫をつづけた。


見かねたオーヴィルが痺れを切らして発言する。


「……気持ちは分かるけどよ、そろそろ終いにしようぜ」


それをアルカカが制する。


「決めるのは俺たちでも、あいつでもないんじゃないのか?」


決めるのはイリーナじゃない。


──そうか。


その言葉の意味にわたくしは思いいたった、そしてイリーナにあたえる。


終了の合図を――。


「もういいわ、もう充分よイリーナ!」


彼女はこちらを振り返ると安堵の表情をしていた。


ふかく息を吸って、おもく吐きだし、なにかを噛んで含めるような仕草のあと。


ダーレッドの頭部を地面に押さえ付けた。


「て……けて……」


そしてかすかに命乞いをする彼の首をグラディウスをふりおろして一息で絶命させた。


騎士隊長ダーレッド・ヴェイル。今後、彼が世界に直接影響をあたえる可能性を絶った。



処刑を完了させたイリーナを仲間たちがむかえいれる。


「気はすんだか?」


オーヴィルが声をかけるとイリーナは「うん」とうなずいた。


軽くない疲労を感じさせる。


イリーナはそのままわたくしのすぐ横にきてペタリと地面に尻を着くと、うなだれてしまう。


「姉弟子?」「おい、大丈夫か?」


さきほどまで上機嫌で敵を痛めつけていた彼女が黙り込んでしまい、皆が困惑顔でつぎのアクションを待つ。


わたくしはイバンにあずけていた上体を起こし、その表情を隠している前髪を持ちあげた。


「うっ……ひぐっ……」


イリーナは泣いていた。


「──ごべん……怒りを持続するのが下手で、焚き付けながら頑張ったけど、手のふるえが止まらなくて……」


怒りを感じたとき誰しもが暴力衝動に駆られるとはかぎらない。


そういった人間にとっては相手がたとえどんなに憎くても、殴ったり痛めつけたりすることは苦痛に違いない。


「でも、ティアンの無念は、サンディたちの無念はこんなもんじゃ晴れないよね……」


この拷問は望んだ行為ではなく報復という演技だった。


演技だから合図があるまで止めることができなかったのだ。


「イリーナ……」


苦しませて殺すべきだとイバンは言った、わたくしもそう思った。


ダーレッドを殺す。


それは我が身の未来のためだから正当性があるだろう。


しかし、痛めつけることには益もなければ得もない。


苦しめるのはなんのためか、それはひとえにわたくしの納得のためだ。


わたくしが被った被害に対して折り合いがつくまで痛めつける。


そうしないと今後わたくしがこの出来事にさいなまれつづけて苦しむから。


だからイリーナは動けないわたくしに代わってダーレッドを冷酷なまでに痛めつけたりした。


悪魔をしてもっとも邪悪と言わしめたわたくしの殺意を肩代わりしてくれたんだ。


元来、虫だって殺したがらない性質の持ち主なのに。


そして、やる以上。他人にゆだねず自らの手でトドメまで刺した。


「……もう、なんでそんな無理をするのよ。あなたが苦しむくらいなら復讐なんて私、必要ないのよ?」


それは嘘だ。


少なくともイリーナがいま目のまえで泣いていなければ出てこなかった言葉だ。 


それくらい憎しみに囚われていた。


そして、そんな強がりが言えるくらいには、わたくしの心はすでに救われてしまっているのだ。


この泣き虫な勇者によって。


「遅くなってごめん、こんなに大怪我をするまえに追いつきたかった」


イリーナはそれを後悔しているようだった、その感情に近しいものをわたくしはよく知っている。


だってこれまで、わたくしが怪我をすることよりも彼女が怪我をして帰ってくることのほうがはるかに多かったのだから。


「わたくしのためにいつも大怪我をして帰ってきたのはアナタのほうなのよ、これですこしはわたくしの気持ちがわかってもらえたかしら?」


哀しいことが沢山あった。


辛いことが沢山あった。


でも一番待ち望んでいたことがいま叶っている。


わたくしは幸せな気持ちで満たされていくのを隠しきれない。


これからのことに一切の不安はなく、すべてが愛おしい。


「おかえりなさい、イリーナ」


「ただいま、ティアン」


そして思い出した。


いつだって、この言葉をあなたと交わすことがわたくしにとって最高の幸せなんだってことを。



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