ダーレッドが長剣をぬいてイリーナに迫る。
「知っているぞエセ勇者、キサマの実力は一発芸にたよった素人剣術だとなあ!」
差を自覚させることで萎縮させる目論見もイリーナには通じない。
「情報ふるくない? 剣闘士時代から二年だよ、二年」
イリーナは本気で騎士長と一騎打ちをやるつもりだ。
彼女はやりたくないことは意地でもやらない、だからこそ挑んだ以上は覚悟ができているということ。
そして、演じはじめたら終了の合図があるまでは決してやめない。
「たかだか二年でうまる差だとでも? 笑わせる!」
体格にまさるダーレッドの圧力にも怯まない、イリーナはそれを飄々とあしらって見せる。
「そんなことより右腕はどうしたんですかぁ? 痛めちゃいましたぁ?」
ダーレッドは利き手である右から左手へと剣を持ち替えている。
イリーナの放った矢が命中し、使えなくなっているのは明白だった。
それでも女子供など栄えある皇国騎士の相手にはならないと踏んでいるのだろうけれど、けして万全とはいえない。
エセ勇者は煽りつづける。
「──キャハッ、わざと急所を外してやった、死因もしらずに死なれたら面白すぎるから」
彼女もたいがいアルカカのことを言えた立場ではない。
「騎士への侮辱、後悔させてやるぞ!!」
計画の完了を目前にしてあらわれた予期せぬ乱入者に、ダーレッドは怒りの感情を叩きつけた。
その雄叫びに、いよいよ開戦とイリーナも緊張を高める。
「笑わせんな、おまえみたいな奴を騎士とは認めない。
ボクのしってる騎士はその身をていして降りそそぐ瓦礫から主君をまもったり、おまえみたいなやつを成敗して牢獄おくりになったりする馬鹿な連中のことだ」
それはレイクリブと、彼女が剣闘士時代に剣術を学んだ師匠クロムのことだ。
「間違っていても、わりを食っていても、そんな馬鹿たちをボクは心底、尊敬してる!」
それを聞けて感無量だった、わたくし以外にもレイクリブを真の騎士だと言ってくれる人がここにいる。
「俺は心底、軽蔑するがねッ!!」
臨戦態勢に入るダーレッド、その先手をイリーナが鋭いふみこみで取った。
──よく見えない。
視界はつぶれ、気力体力の消耗はわたくしの情報処理能力を鈍らせている。
剣術の知識もなく、どちらが優勢かの判断はつかない。
けれど、二年前は受け一辺倒であることを看破されフォメルスに手玉に取られていたイリーナ。
衝突を好まないはずの彼女のほうから積極的に攻勢に出ている。
そしていまさら気付く。
「武器が……」
殺人鬼ゼランとの試合以降、イリーナはレイピアを愛用していた。
それがいつの間にかグラディウスにシールドというグラディエーターの基本スタイルに戻っている。
「戦いを重ねていくうちに、クロム先生から教わったことが馴染んできたんですかね」
イバンがそう考察してくれた。
それもあるのだろう。
先程のボウガンもふくめて仲間たちから得た財産を無駄にしないよう活用を試みた結果にも思える。
「イリーナの戦い方、まるで舞踏のよう……」
技巧的なことはわたくしには分からない、それは朦朧とする意識が見せた幻覚かもしれない。
けれどイリーナの動きは大きくてそして軽やかだ。
「姉弟子が言ってたんですが、カラダを本来の持ち主にかえしたことで可動域への先入観がなくなってずっと動けるようになったとか」
聖都スマフラウの巫女イーリス・マルルム──。
一流のダンサーが本来の使い方をしたことで想定していたよりも高いパフォーマンスを実感できた。
おかげで、彼女のゆたかなイマジネーションを発揮したはやく柔軟な戦い方ができているということらしい。
しかしそれも本職との技術、体格差をくつがえすにはいたらず、ダーレッドの重い一撃をさばくたびに体制を崩している。
「いやっ、あれだけ押し込まれて瞬時に立て直す体幹と柔軟性がすばらしい!」
イバンはそう言ってイリーナの健闘を讃えた。
相手の体制をくずして攻撃を当てる、当たれば勝利それが決闘──。
数度の攻防が交換されて決着がつかないということは、リカバリーが優れているということ。
「イリーナ!?」
強撃に大きくバランスをくずしあわやというところ、イリーナはダッシュで距離をとって呼吸を整える。
「うわっ、追われたらやられてた!」
イバンの見立てでは致命的な局面だったようだ。
慎重派のダーレッドは事故を警戒して深追いを避けた、実力差があるならくりかえすことでいずれは勝てる。
あせってミスをしないことが重要。
イリーナは正直な感想を述べる。
「いやぁ、強い……」
ダーレッドは返答する。
「当然ながらおまえは貧弱だな。ただ、過去最高にやりにくい相手だ。
剣術だか曲芸だか間合いが武器よりも拳二つとおい印象を受けた。腰の引けた臆病者の剣、英雄と呼ぶにはあたわない」
ダーレッドは評価をくだし「降参しろ」と付け加えた。
十中八九、勝利は揺るがない、その上でわずかな危険も排除する。
「──無駄をはぶこうと言っているんだ、理屈が分からんのか?」
「わからないね。ティアンをあんな目にあわせた奴はそれがたとえ格上の戦士でも、国家でも、竜神様でも関係ない。ボクは絶対にそいつを許さない」
――ああ、本物だ。
目のまえでくりひろげられている光景が今際にみる幻覚でないことをようやく実感できた。
懐かしい、そして温かい。
「低脳! 低脳ッ! そうやって感情のおもむくままに行動し命をおとす。それを阿呆と呼ばずになんと呼ぶ。キサマが尊敬した連中の程度の低さがうかがえるよ!」
ダーレッドが声高に罵声をあびせた。
「…………?」
しかしイリーナはそれを聞き流した。
とおくの音に聞き耳でも立てているかのような素振りをしている。
無視だ──。
「ふざけたまねをするなぁ!!」
ダーレッドが怒鳴りつけるとイリーナは「えっ、何?」と、とぼけた返事をした。
──いったい、どうしたのだろう。
その動作の意味がわたくしにもわからない。
さきほどみたいに挑発しているようにも、余計なことをして体力の回復を測っているようにもとれた。
劣勢だったイリーナは一変、まるで勝ち誇ったような表情で剣をかまえる。
「ボクはいま勝利を確信した、なにか言い残すことはあるかい?」
騎士長はため息を漏らす。
「キサマらの言葉は感情にかたよりすぎて論理的な解釈の余地がないな……」
勝利宣言をただの願望ときりすてた。
イリーナは「わからん奴だな」と前置きすると、両手を広げて伝える。
「おまえの未来はボクに殺されるか、ボクの仲間に殺されるか。死ぬか、あるいは死ぬかの二択だってことに危機感もてって言ってんの」
見渡せば十二人いた騎士たちはすでに半数になっていた。
ダーレッドの部下たちは精鋭中の精鋭、ひとりひとりが皇国を代表する手練たち。
オーヴィルとアルカカの強さが想定をはるかにうわ回る事実にダーレッドは動揺をあらわにした。
「ボクがおまえの相手をしてるのは、ただの酔狂なんだよ。最終的におまえが倒さなきゃいけないのはあいつらなんだ」
ダーレッドは言葉を失い、イリーナは追い打ちをかけていく。
「──ああ、帰ればパパは王様。キミは次の王様で、すべての権力を手中におさめられたのに! もう叶わない、ここで死んじゃうんだ! 可哀想っ!」
わたくしたち五名、ダーレッド隊が六名。
こちらは非戦闘員をふくみ状況的には三対六とも取れるけれど、数の上では五分五分だ。
「たしかに想定外の苦戦だよ。だが、まだ敗北を意識するほどじゃあない」
ダーレッドの反論にはもはやさきほどまでの圧力はない。
ただの苦戦ではなく『手にはいりかけた夢』が目前で消滅しかかっている。
焦り、それを払拭するための強がりがふくまれている。
イリーナはスラスラと脅迫をつづける。
「おまえの願望にあわせて現状を五分としようか。でも、あと一つこちらに有利な要素がくわわるとした──うわっと!」
イリーナの演説をダーレッドの一閃がさえぎった、しかしその一撃はあきらかにあせっていて軽々と回避された。
「──したら確実だ。ダーレッド・ヴェイル騎士長、キミは死んでしまう、志しなかばでね!」
その口ぶりからはこの地下迷宮最深部、準備のしようもない場所で決定的な変化が起きるという確信に満ちていた。
ダーレッドが怒鳴る。
「ペテンだ、実力的不利を精神的優位で覆そうとする悪あがき。そうなんだろう!!」
そのとき何者かの悲鳴が響いた――。
ダーレッドがそちらをふりかえり、表情から血の気を引かせた。
「ほらね、たのもしい援軍が到着! 来たよ、地獄からの使者が!」
イリーナがうたった。
わたくしもそちらを注視する、その姿はぼんやりとした輪郭でしか判別できない。
でも、わかる──。
ここまで何度もわたくしのためにがむしゃらに両手の剣を振るってくれたシルエット。
叫びたかったけれど、つぶやくだけで精一杯。
わたくしはその名を口ずさむ。
「ニコランド……」
殺したはずの亡霊剣士の乱入、取り乱した騎士の首をニコランドはいきおいのままに跳ね飛ばした。
「ようやく現実が見えてきたかな?」
イリーナの挑発にダーレッドはみっともなく狼狽、絶叫する。
「バケモノめぇぇぇッ!!!」
ニコランドの加勢に乗じてオーヴィル、アルカカがまた一人ずつ斬り倒した。
これで敵はダーレッドをふくめた三名、こちらは一人の脱落もなくニコランドをくわえた六名。
数の優位が完全に逆転した。
「姉弟子、そいつビビッてますよ! 敗北を確信してつよがる余裕もなくなってるんだ!」
イバンの激励に「クソ雑魚がぁッ!!」とダーレッドが表情を屈辱にゆがませた。
苦悶の相がそれを図星だと語っている。
ここに勝敗は決した──。
ダーレッドは敗北を認めて剣を下ろすしかない。
「……わかった、我々は降伏する。イリーナよ停戦――」
「ヤだ」
降伏勧告を遮ってイリーナは戦闘を再開、ダーレッドにむかって剣ふりおろした。
間一髪、それは彼の鼻をかすめる。
「待て! 負けを認めると言っているんだ!」
回避が遅れていたら鼻がなくなっていた、攻撃が本気度が伝わる。
「待て! 待ってくれ」と逃げまわる騎士長を彼女は「イヤだイヤだ」と言って追いまわす。
平時ならば返り討ちにする力量がある、しかし敗北を認めたダーレッドは弱気になって戦闘に集中できない。
大願成就の手前まで順調に成り上がってきた彼はなんとしても生きて帰りたいだろう。
そのためには交渉か逃走を成功させなければならず、そしてイリーナを殺してしまえばその余地は完全に失われる。
オーヴィルたちを相手にすることを避けられない。
「もうすぐ王様になれたのに。楽しみで浮かれるあまり女子をいたぶる手にも力が入ったのに。わけの分からない連中のせいですべて失ってしまうよ! イヤだイヤだよぉ!」
イリーナはそう言ってダーレッドを煽りながら追撃をつづける。
「──イヤだイヤだ、死にたくない! 王様になりたかったイヤイヤイヤぁぁぁ!」
「止まれ……と、止まれぇぇぇッ!!!」
絶叫とともにダーレッドはイリーナの剣を弾き飛ばした。
イリーナの攻めが無抵抗な相手と油断して雑だったのか、騎士長の高い技術のなせるわざかイリーナは丸腰にされる。
「イリーナ!」「姉弟子!」
ダーレッドの敗北は決定しているが、やぶれかぶれになってイリーナを殺してしまわない保証はない。
「つかまえたぞ!」
この期におよんでもダーレッドは冷静だった。
剣を捨てて左手を自由にするとイリーナの細い腕をつかんだ。
殺してしまっては終わり、しかし人質にできれば逃亡を試みることは可能。
ダーレッドはその可能性に賭けた。
「この女の命が惜しければ──!!」
右腕をひねりあげられながらイリーナはつぶやく
「お遊びはおしまい……」
左手をひらいて伸ばすと小盾がガントレット上をスライドする、小盾だと思っていたそれはガントレットと一体化した『ランタン・シールド』だった。
しかも、小盾の位置が前後する仕掛け付きだ。
「殺す気でかかってこない奴に好き勝手されるほど、ボクは弱くない」
イリーナはダーレッドのガラ空きになった脇腹にガントレットの拳を叩き込んだ
肘をわきからはなさないコンパクトな動作、上体のひねりだけで至近距離から鎧の隙間をとらえた。
「ぎぃゃあああああ!!!」
非力な女性のボディパンチをうけただけにしては大袈裟な悲鳴。
その理由はひきぬかれたイリーナの拳をみて理解した。
ゲンコツの先端から二本のふとい鋲が伸びていて、それが脇腹を貫いき体内をかき混ぜた。
盾が肘側に移動すると手首から拳の先端にかけて隠されていた鋲が突きでる仕掛け。
根元までを真っ赤に染めた針が傷の深さを物語っている。
脇腹をおさえて地面にうずくまるダーレッド・ヴェイル騎士隊長──。
「やめ、やめて。降伏だから。もう、降伏してるから……ッ!」
二十センチちかい鋲に内蔵をえぐられたダメージは深刻で立ち上がることができない。
ダーレッドは地面にひれ伏し、調査隊はオーヴィルたちに全滅させられた。
完全な立場の逆転が起こった。