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一幕三場「魔王」


デーモンを名乗る声は言った、もっとも邪悪な存在をさがしていたと。


それがわたくし──。



肩とひたいをむきだしの岩盤にこすりつけながら壁づたいに前進する、壁は杖のかわりだ。


つっかえ棒としてしか機能しない脚のかわりに体重をささえるのは、最低でも鼻、頬、眼底を骨折しているであろう頭部の役目だ。


ひたいに体重をあずけて足を片方ずつまえに進める、岩盤で裂けた頭部から血が流れおち、肩の皮膚がめくれた。


──大丈夫、あと少し、死ぬまでの辛抱だ。


終わりの見えている苦労なんて、苦痛なんてどうってことない。


――がんばれ。がんばれ。


あと、たったの数百メートル。


終着地を目指すあいだもわたくしは自身と対話をつづけた。


──心外です。わたくしはダーレッド・ヴェイル、あの男よりも悪なのですか?


『そうだよ、彼は損得を計算した結果、得をとっただけ。言うなれば正常な思考回路の人間だ」


ダーレッドは正常。


一方でキミは得をするためではなく純然たる殺意を理由に人を殺そうとしている狂人じゃないか。


わたくしは狂人。


『利益のために殺すより、殺したいがために殺すほうがとうぜん正気をうたがわれるよ』


──人間を襲うグールや強大な悪意の塊であるイービルアイでもなく、わたくしが邪悪なのですか?


『そうだよ。あれらは食欲を満たしたり縄張りの構築にいそしんでいるだけだからね。悪意ではなく習性に従っているだけなんだから』


──害はあっても罪はないのですね。


『深く考えないで、哲学の話をしているわけではないのだから。


私があなたを選ぶのはもっとシンプルな理由だよ、契約を交わしてくれそうな相手でないと意味がないから声をかけるならあなたしかいなかった。


ただ、それだけ。


悪魔と契約を交わしうるのはいまこの場所であなただけ、だからあなたがもっとも邪悪なの。


ダーレッドに契約をせまれば彼はそれをこばむでしょう。


順風満帆でいて、得るものも失えないものも沢山あるのだから。


正常な、健全な人間はみんなそう。悪魔の力を借りるだなんてそんなリスクは背負わない。


でもティアン女王、あなたなら受け入れるでしょう?』


そんなことをするのは狂人か追い詰められた人間だけか。


──失うものがなにもないからですか?


『そうだよ。失うものがなにもないだなんて、人間ばなれも良いところさ。あと、狂っているから』


最後のは悪魔らしい余計なひと言だ。


──そうですね、あなたの声が幻聴で存在しないものとお話しているのだとしたら。たしかにわたくしは狂っていると思います。


『ああ、そんな意地悪を言うんだね』


──意地悪なものですか、わたくしは幻覚を疑っているのです。デーモンは消滅したと聞きましたよ。


『たしかに肉体は消滅した。だから、困っている』


──わたくしの肉体がほしいのですか?


『そうとも言える。けれど正確には魔具に封印された私の力を解放してほしい。


意識だけの私には不可能だけれど、魔具を破壊するときだけ体を貸してくれたら。きっと、力を取り出せる』


これがわたくしの見ている都合のいい夢じゃなければ。


この声が本当に封印されたグレーターデーモンのものならば。


このさきに【聖騎士の遺産】が存在する──。


『力を取り戻せたら、キミののぞみどおりこの場の十二人くらいは皆殺しにできる』


──聖騎士には敗北しているのにですか?


『対策をしてきた専門家の集団と比較してはダメさ』


悪魔は自身の売り込みに余念がない。


「──キミみたいな逸材がここを訪れることはなかった。力は封じられ、肉体は朽ち果て、意識も今日には消滅するはずだった。最後のチャンスなんだ』


それは必死にもなる。


──その後はどうなりますか?


『その後?』


契約内容はしっかり確認しておかなくては落とし穴を見落とすかもしれない。


『──きっちり十二人を皆殺しにする、それは約束するよ。


……ただ、あなたの意識は消滅する。


そして残されたその肉体は私に最適化して再利用させてもらう、それが条件』


聖騎士によって肉体をうしなった悪魔がわたくしの体で復活を果たし、好き勝手できる。


自分は死に悪魔が世に放たれる。たしかに正気ではできない取り引きだ。


ことわる理由がない。


──残されているのはこのまま一人も殺せずに死ぬだけの運命です。だからたとえ一人しか殺せなかったとしても、わたくしはあなたを頼ります。


『なら良かった、私が存在を証明できるかどうかはキミにかかっているよ。


このさきに我々の世界とをつなぐ召喚用の魔法陣があった。いまは破壊されて機能を失っているけれど、残された祭壇に魔具がおさめられている。


扉の封印をといて祭壇の上にある『指輪』を手に入れて、それをあなたの体を使って私が破壊する──』


わたくしは顔面から地面に叩きつけられる。


「ああっ!」


後頭部に物理的な衝撃をうけて倒れた、どうやら騎士に殴られたようだ。


「どうした、デルボルト」


「いや、モタモタしてイラついたもので」


ダーレッド騎士長たちの声だ。


そこからは後悔や罪悪感というものが微塵もないことが感じとれた。


あるよ、純然たる悪意ってのは──。


ニケの言っていたとおり。人にはそれぞれの正義がある、そんなのは戯言だった。


自分を利するためだけに他者を害することが正義なものか。


その過程の憂さ晴らしでうけた仕打ちのどこに正義があったというのか。


確信した。彼らとはけして分かり合える日はこない。


そして、そのための努力も必要ない。


──動いて、わたくしのからだ。もう少し、もう少しでこの無能から解放してあげるから。


失血にしびれゆく手足の先端を、みずからの流血をすすって鼓舞する。


今日までわたくしはアシュハの未来を守るために奮起してきた。


けれど民衆からも臣下からも信心を得ることはできなかった。


結果がすべて──。


正しいだとか間違っているだとか世界はそんなことに興味はなくて、上手くいっているか失敗してしまったか、それだけだ。


そういう意味では、わたくしみたいな半端者よりもダーレッドを君主にすることで国は安定するのかもしれない。


それが民衆の幸福ならばそれが正義なんだと、そう考えることはできる。


でも、できない。


ダーレッドが評価されるということはリヒトゥリオ、アルフォンス、レイクリブ、サンディ、わたくしが尊敬した彼らの価値を否定されることになるからだ。


それが耐えられない。


わたくしは無能、擁護される資格もない。


それで地位を得ているのだから殺されても仕方がないのかもしれない。


だとしても、それだけが我慢できない。


ダーレッド・ヴェイルを讃えてわたくしの愛する人たちが笑われる世界なんていらない。


それがたとえ、わたくしがいなくなったあとの世界だとしても。


そんな世界は許さない。



「……あ」と、思わず声がもれた。


正しくないや、わたし、悪だった──。


そして、そうと気づいても立ち止まらない。


わたくしは勝ちたい。我が身を、この国を滅ぼしてでもエゴをとおしたい。


終着点にたどり着いて、もしこの妄想が現実だと証明されたなら、わたくしは悪魔にからだをあけ渡す。


わたくしはもはや女王ではなく魔王だ、悪しき力で殺意を満たす魔王なのだ――。



そして最後の扉へとたどり着いた。


このさきにある魔具が本当に『指輪』なら、デーモンの存在は信憑性を得る。


わたくしは大きな扉に這いずるようにしてボヤけた焦点で【古代神聖文字】の解読を開始した。


頭がはたらかない、脳が焼けつくように痛い、目がチカチカする。


でも、でも、このさきに逆転の糸口がきっと見つかる。


がんばれ、がんばれ、わたくしのからだ


そして最後の扉の封印を解いた──。



扉が内側へとひらき内部を見わたすいとまもなく、わたくしは室内に転がり込む。


ダーレッドに背を蹴られて転倒したのだ。


「さきに行け、出口に余計なことをされてはたまらん」


そう言ってわたくしを室内へと追い立てた。


扉を封印して調査隊もろとも心中する、それがわたくしにできる最大の報復だと彼は考えたようだ。


察しがいいと言いたいところ、けれどわたくしの注意もはやそこにはなかった。


【聖騎士の遺産】が指輪であるかどうか。


十二人の聖騎士がグレーターデーモンと戦ったという広間に、魔法陣がえがかれた床と祭壇。


わたくしは這って数十メートルさきの祭壇を目指す。


「どうした? 急ぐじゃあないか」


ダーレッドが追ってくる。


──もう少し、もう少しッ!


祭壇までのこり数メートルというところで、わたくしは割れていた足の骨が砕けることもいとわずに立ち上がる。


「あった……、指輪があった!」


祭壇のうえにはたしかに指輪が供えられている。


──本当だ、デーモンの声は本当だったんだ!


数歩、倒れ込むように駆け寄り、それをつかもうと手を伸ばす。


それをダーレッドが横取りした。


「ハハハッ、おまえが最後のぞみを魔具にたくしていることなどお見とおしだよ。これがそうなのか?」


目のまえのそれがわたくしの手にあれば、即座に悪魔に肉体をわたして反撃できるのに。


万全でも歯が立たない相手につかみかかってもうばえる見込みはない、それどころか疑心を生みけして指輪を手放さなくなってしまう。


叫び、殴りかかりたいのを耐え、わたくしは平静をよそおった。


指輪には【古代神聖文字】が刻まれている、文字の解読を任されるのを祈ってまった。


「一見、ただの指輪だな。暗号は刻まれているようだが」


封魔の指輪を観察するダーレッド、わたくしは極力刺激しないように努め、手をさしだした。


「読みます」


わたくし達は【聖騎士の遺産】の正体がどんなものかを知らない、それが共通認識。


ダーレッドの警戒も万が一の域をでないはず、それを知的好奇心が上回ればきっと──。



「……いいだろう、用途を確認しろ」


そう言ってダーレッドはわたくしに指輪を手渡した。


この手に、それを預けた。


「ありがとうございます……」


――勝った。


これで指輪から悪魔の力を解放し、彼らを皆殺しにできる。


わたくしは歓喜にわきあがる興奮をさとられないよう、神妙な面持ちで指輪をにぎりしめる。



イリーナ――。


最後に愛する人の名をこころに反芻する、その名を想うだけで目頭が熱くなってしまう。


ティアン、外に出たいと思わない──。


あの日の言葉を思い出す。


それで、ここを出たらなにがしたいかって言うと、キミと一緒にいたい。


いろんな場所に行って、いろんなものを見て、たくさんの風景と思い出を共有するんだ。


イリーナは笑っていた、辛い時も、苦しい時も。


――わたくしを、さらってくれますか?


ティアンは胸を張って生きて、ボクはそれを応援する。


笑っていた、大切な気持ちを閉じ込めたときも。。


イリーナ。ねえ、イリーナ。


わたくしから見てあなたが英雄でなかったことなんてひと時もないのよ。


いとしい人。どうか、わたくしに勇気を──。


「悪魔よ、すべてを捧げます。どうか、契約の履行を!」


──さあ、殺して!!


悪魔の力をもってやつらを恐怖におとしいれ、苦痛のかぎりをあたえ、無残に殺戮してみせて!!


これですべて決着する、わたくしの意識は消滅して悪魔がすべてを蹂躙する。


ダーレッドたちを千切り殺して無残な死骸へと変え、仲間たちの仇をとってくれる。


──やった! わたしやったよ! がんばったよ!



そのはずなのに……。


「……なに、なんで?!」


なにも起こらない。


わたくしのからだにも、指輪にもなにも変化が起こらない。


「どうしてなにも起こらないの!!」


「……なんの真似だッ!」


わたくし手から指輪を叩き落としてダーレッドがつめよる。


「いま、なにをしようとした? 指輪の力を使って我らを害そうとしたな?」


わたくしは絶望した──。


ここに指輪があることを言い当てたのは偶然で、悪魔の声は幻聴だったのではないか。


『ああ、そうか……』


しかし、デーモンの声は聞こえている。


わたくしはすがるような気持ちでつぎの声をまった。


『どうやら失敗だ、微塵の魔力も通わぬものに宿ることはできないようだ』


「そんな……!」


声は魔力循環不全が原因でわたくしの体を乗っ取れないと言った。


『時間切れだ……。口惜しい』


その言葉を最後に声は途絶えた──。


そして、デーモンの力を封じ、肉体を滅ぼし、いま意識の消滅を果たしたことで、封魔の指輪は瞬時に風化し砂になって消えてしまった。



「どうやら気がふれてしまったようだな」


思考を停止したわたくしをダーレッドが見下ろしている。


地下迷宮の最深部に成果なし、そう判断して剣を抜いた。


「女は状況を打開できる力もなく、それゆえにぎゃあぎゃあとわめき散らすしか脳がない。


泣けば、騒げば、情けをかけられ事態が好転するとでも? 醜悪だ、醜悪の極みだよ。不快が過ぎて殺意すら覚える」


女王に対する敬意もなく、悼みの言葉すらもなく、計画の完了をするべくダーレッドは剣を振り上げる。


わたくしはすべての可能性を失った。


動かないカラダをまえに進ませたかすかな希望さえも。



「あぐぅぅぅぅぅぅ!!?」


ダーレッドが奇声を発した。


痛みにうめくダーレッドの声に反応し、わたくしは緩慢な動作でそちらへと視線をむける。


自らの死をまえに、筋でも痛めたのかな? そんな呑気な心持ちであおぎ見る。


すべてあきらめ、荷をおろした気になっていた。


すると彼の肩口に矢が突き刺さっており、その射線上にはボウガンでダーレッドを射撃した人物の姿があった。


ふたたび火が灯る――。



「隊長!」「隊長!」と、騎士たちがダーレッドの周囲に集まる。


わたくしはそのあいだをくぐり抜け、駆け出していた。


折れた肩も、砕けた足も、痛めた関節のことも、穢された醜悪な風貌さえも忘れて。


光の指す方向へと走った。


すぐに膝が折れて倒れ込んだけれど、わたくしが向かうよりも速くこちらへと駆けつけた腕にすくい上げられた。


その腕のさきにあるカラダにわたくしは抱きついた。


「イリーナ!!」


彼女はわたくしを抱えて頭を撫でつけ「……もう大丈夫」と、くりかえした。


無事か? とも、良かった。とも言わずにただ「もう大丈夫だ」と、そのひと言だけで微睡むほどの安心感を得ることができる。


半年以上もまえ意識の消失から別人になってわたくしのまえから去っていった。


わたくしのイリーナが帰ってきた。



その横にオーヴィル、イバン、アルカカが駆けつけた。


イバンの無事を確認できて良かった。


アルカカは義足が完成したらしく、二足で直立しながら手斧を片手に一本、同様のものを腰にたずさえて周囲ににらみを利かせている。


オーヴィルはとくに怒りをあらわに怒気を放っている。


彼専用の巨大な両手剣を抜きはなって叫ぶ。


「皆殺しでいいんだなッ!!!」


それは敵へのおどしではない、優しいイリーナに対する許可申請。


そして、イリーナはその鎖を解き放つべく冷淡に言い放った。


「当然ッ――!!」



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