アシュハが皇国を掲げるに足る権力を得た背景には教会の存在がある、首都を大聖堂のある地に移したのもその功績と権威にあやかる為だった。
十二聖騎士の伝説は救世の物語として広く語り継がれ、大陸の支配者になるまでは皇帝よりも大司教の影響力が大きかったくらいだ。
勇者は驚いたというよりはあきれたといった様子で問い詰める。
「……大変なことをしてるって自覚はある?」
異世界からの来訪者である彼女にはこれがどれほどの歴史的事件であるのか実感がわきにくいに伝わりに違いない、それでもその凄惨さは理解できる。
分かっていないのは実行犯であるわが妹だけ。
「わ、わたしは自分の命をおびやかす敵を返り討ちにしただけッ!」
勇者の咎め口調に対してマリーは激しく反発した。
われわれ死霊術師にとって教会は理不尽な死神でしかない、その主張には共感できるが他にも見過ごせない行動が散見される。
「教会だけではあきたらず剣闘士たちまでリビングデッド化したのはなぜですか?」
聖堂騎士団をしりぞける術が根絶にちかいダメージを与えるほかになかったということは理解できる。
許容することはできないが、それで身の安全の確保という目的は達成されたはずだ。
「お兄ちゃんにそれとなくわたしの居場所を伝えるためだけど」
「なるほど……」
聖堂騎士団の使いがリビングデッドと看破された場合、騎士団による捜査の手が教会に及ぶ可能性が高まる──。
そこで直近に葬られた剣闘士たちの遺体から顔見知りをチョイスしたということらしい、ずいぶん遠回りをしたが結果としては狙い通りになったということか。
「──バダック氏はあなたからの使者だったのですね」
勇者が言葉をかぶせる。
「死者だけに」
リアクションを待つ間の抜けた真顔からそれがダジャレであることを察することができた。
「どこで韻を踏んだつもりかは分かりませんが、その冗談は倫理的にどうなんです?」
勇者の意図した言葉と実際に発している言葉は違う、ダジャレは無効だ。
クエスチョンマークを浮かべる妹に向き直ると、私は惨状を思い出し「あの伝達方法は見直してください」と苦情を伝えた。
「生きた人間と誤認させたリビングデッドに死んでいることを指摘すると、制御が破綻するみたいなんだよね」
騒ぎに発展したのは想定外だったらしいが、それにしても杜撰な誘導だ。
「お迎えが暴走したせいで世間は大パニックです」
「そうだよ、お迎えはお迎えでも──」
勇者は私の苦情に便乗しかけたが、繰り返しの不謹慎な冗談は流石に「やめよう」と言って取り下げられた。
大司教に乗り移り聖堂騎士団を壊滅させたのは安全確保のため、バダックをリビングデッドにしたのは私と接触するため、私と接触したがったのは【イヌ家の秘宝】を回収するため。
これで全容が解明されたということになる。
──それで、私はどうすればいいのだ?
なにもって事件解決と呼べるのか、どんな結末に導かれるべきなのか、まるで正解が分からない。
「回り道になったけどこうしてお話しもできたし、宝玉を持っていないなら当面お兄ちゃんに用はないかな」
「……それはどうも」
どうやら私たちは用済みらしい、宝玉の手がかりは母次第といったところだ。
教会を手中に収めてなお、さらなる力を求める妹、漠然としたビジョンはあるのかもしれないがここまでも綿密な計画ではなかった、どこまでも行き当たりばったりでまるで子供のゴッコ遊びのようにも見える。
それが不気味で寒気がした。
「とても、君が人間にとって無害な存在とは思えないよ……」
勇者が率直な感想を伝えると、マリーは満更でもなさそうに答える。
「ひひっ、人間を超越しただなんて思い上がったことは言わないけど、人間の体を乗り継いで無限の時を生きるマリーはもう、人間と呼べないことは確かかな」
不死者の王とでも呼ぶべきか、妹はもはや我らとは異なる生物と自認しているようだ。
「──人間の作ったルールに従う言われはないと思わない?」
どうやら害意を否定するつもりもない、それに対して勇者は少し強めに反発して見せる。
「害獣と同じ扱いをされても文句はないってこと?」
「その呼び方はヤだ、だってわたしのほうが先を行ってるもん、生きてるとか死んでるとか、それ自体が私にとってはもはやダサいのは、範疇だ」
妹は自分が人間よりも次元の高い存在であると主張した。
アンタたちってばまだ生きたりとか死んだりとかしてるの、遅れてるーっ! て、そんな塩梅か、なるほど、よく分からん。
「遅れている我々としては、そんな相手とどう接すれば良いのでしょうかね?」
強大な力を持つ不死の生物を相手にどうしたら穏便な関係を築けるだろう。
「しらない、エルフやドワーフとはどう付き合ってるの?」
そうは言うが、自由意志のないリビングデッドや不死の新生物である妹と違い、エルフやドワーフには社会性がある。
「あくまでも異種族を気取るんだね」
「ふひひ、場合によっては戦争だって起こるかも?」
勇者の問いかけをマリーは挑発的に笑った、相変わらず笑い方が気持ち悪い。
会話の節々からにじみでる他者への憎悪、問答無用で大勢に死を与え下僕に変えた冷酷、それを人々は邪悪と認定するだろう。
だが、それを私は妥当と評価する。
われわれ死霊術師は人間社会からいいように利用され、招いた失敗の責任をスケープゴートという形で払わされ続けている。
理不尽なのは、われわれを共生の輪からはじき出し排除してきた人間社会のほうだ。
「では、私たちはこれにておいとまさせてもらいます」
私は妹のような選択はしない、人間を敵に回すことにリスクを感じているからだ。
しかし力を手にしたならば、それは権利を手にしたと言ってもいい、勝てる見込みがある相手に譲歩してやる理由もない。
これは努力の成果だ──。
事件の真相は知れた、死霊術師である私は命を狙われる危険から解放され成果を得たともいえる、これ以上の口論は無意味と判断し私はこの場を去ることにした。
しかし、穏便にこの場に去ろうとした私をマリーが引き留める。
「久々に話題を共有できてとても楽しかったけど、無事に帰すつもりなら手の内をべらべらと喋ったりしないんだよね」
どうやら解放する気はないらしい。
「べつにあなたの邪魔はしませんよ、信じてください家族でしょう!」
それはこの場を逃れるための方便だ、ここで得た情報はもちろん騎士団に持ち帰る。
妹の行動の正当性は認めるがそれを支持したりはしない、私は自分の利益を優先するだけの話だ。
「家族だから信じられないのよ!」
そのやりとりに対して勇者が「確かに」と感慨深くうなずいた。
──くっ、部外者が知った顔で!
事実、わが家で信頼に値する人格の持ち主は誰一人としていない、皆が自分の欲望に忠実に生きているからだ。
他人のために行動を自粛したりしないことは分かりきっている。
「で、ボクたちをどうするつもりなの?」
勇者は不安げにたずねた。
無事に帰す気がないとなるとその処遇は限られる、監禁か処刑あたりが定番だが、相手が死霊術師となればそれ以下の選択肢も想像できる。
「うーん、二人ともリビングデッドにしちゃうのが一番安全だよね」
「この兄あればこの妹ありッ!!」
──私はそこまで狂ってないです。
最悪なコースに勇者は絶叫したが、マリーはすぐにその言葉を撤回する。
「うそうそ、生かしておいてあげる」
「本当に……!」
勇者は安堵したが、どのみちろくな目にはあわない。
「大司教でいる必要を感じなくなったとき次に乗り移る候補なのよ、お兄ちゃんと勇者様はね」
わざわざ確認しなくても分かる、ティアン姫が権力を持ったとき私たちは最高権力者への最短乗り継ぎルートだ。
ティアン姫は指導者不在の皇国で次期当主になることが確定している人物、肉体の鮮度も大司教よりはるかに勝っている。
「国ごと乗っ取るつもりなの?!」
勇者の表情に明らかな怒気が宿った。
「そんな怖い顔しないで、そうするって決めた訳じゃない。必要に駆られたらって話、その場合は二人を押さえておいたほうが便利だなって思っただけだってば」
マリーはそう言っておどけるが弁明の体すらなしていない、この調子でいけば双方の衝突は目に見えている。
妹のしていることはもはやアシュハ皇国に対する侵略行為だ、私個人ならば傍観に徹するという選択もあるが、国家は交戦か降伏かのどちらかを選ばなくてはならない。
「必要に駆られる」その時はすぐにおとずれる確定事項であり、それによってどれほどの悲劇が世界を覆うか予測したくもない。
──この場で妹を始末するのが最善だ。
状況的には密室に敵大将が一人、護衛は睡眠状態だ。手近な調度品を拾い上げ、その頭部に振り下ろせば容易く決着可能に思える。
しかし相手は肉体を持たぬ不死の存在、そこが問題だ。
大司教の肉体を破壊したところで聖騎士ミッチャント・カフェーデや最悪、勇者に乗り移られたりしたら厄介だ。
仲間の肉体を躊躇なく破壊できるほど私は狂ってはいない。
リングマリーは替えの肉体がある限り不死身、兵隊を無尽蔵に増員可能であり、その気になれば一夜で王宮を制圧することだってできるだろう――。
「……分かった、そっちが新興国だって言うなら和平交渉をしよう」
勇者がなんとか糸口を掴もうと時間稼ぎの提案を持ち掛けた、しかしマリーには通じない。
「そんなのぜんっぜん興味ないな、ママから宝玉を取り返したらにしてくれる?」
そう言って突っぱね、どんなに食い下がったところで「うるさいうるさい」と聞く耳を持たない。
「──用件は済んだから二人とも大人しく投獄されてね、ミッチャント!」
マリーが呼びかけると硬直していた聖騎士が動き出す、【睡眠魔術】かと思っていたそれは【死霊魔術】によるリビングデッドの制御だった。
聖騎士ミッチャントは「ハッ」と敬礼のポーズをすると、無抵抗の私たちを速やかに取り押さえた。
「騎士ミッチャント、二人を拘束して幽閉しなさい」
「よろしいのですか、まだなにも聞き出しておりませんが?」
意識が途絶えていたことにすら気づいていない様子はじつに憐れ、聖堂騎士にとってこれほどの屈辱はないだろう。
しかし、この動く死体はきわめて強靭であり私たちでは歯が立たない、大人しく連行されるしかないと諦めた直後、廊下側から戸が激しく打ち鳴らされる。
「失礼致します! 大司教様、騎士ミッチャント!」
その声色からは緊急事態であることが察せられた。
マリーが「なにごとです」と許可すると修道士が倒れこむようにして入室、膝をついて用件を告げる。
「襲撃です! 正面口からの侵入者により戦闘行為が行われています!」
「待て、何者がそのような暴挙を働くというのだ!」
騎士ミッチャントが驚いたのも当然、この大都市を象徴する大聖堂は権威的にも立地的にも争いの舞台にそぐわない、そんなことをしでかすのはウチの妹くらいだ。
「もしかすると、騎士団がボクたちを助けに来たとか?」
希望を見出した勇者が興奮気味に言った。
──そんなことがありえるだろうか?
事件の犯人が大司教に化けていることはおそらくここにいる自分たちしか知らない、聖堂騎士団による拉致が上級騎士ニケたちから伝わった可能性もあるが、重症の人物が自力で帰ってくるには早すぎる。
「騎士団ならばなおさら襲撃なんて乱暴な手段を取るとは思えませんが……」
教会と騎士団の衝突はもはや戦争だ、国家的損失も莫大になる、それゆえにしかるべき方法で交渉を行うことが考えられる。
「敵の数は!」
ミッチャントが修道士に状況を確認する、われわれが騎士団の名を出したことで大規模な襲撃を想像したに違いない。
修道士は息せき切って言葉を詰まらせていた、パニックを起こしている。
「……とり」
「ハッキリ答えろ!! 襲撃者は何人だっ!!」
怒鳴りつけられた修道士が声を張って叫ぶ、それはもはや悲鳴に近い金切り声。
「一人です!! 襲撃者はインガ族の男たった一人!! 騎士アバシリッキ、騎士ヘーメテミス両名が敗北し、われわれの手には負えませんッ!!」
教会で騎士の称号で呼ばれるのは十二名の聖騎士のみ。
「アバシリッキとヘーメテミスが敗北しただと……!?」
神に祝福されし最強の騎士と称される聖騎士敗北の報にミッチャントも衝撃を隠しきれない様子だ。
それは私も同様、このミッチャントと対等の存在を独力で討ち果たし得る武力とはどれほどのものか、すでに二人が撃退されたと言うのだ。
謎の襲撃者に困惑する場に、勇者がつぶやきを投じる。
「ウロマルド・ルガメンテだ──」