「そんなことっ?!」
はい二度目、勇者は私の裏切りを蒸し返すと厳しく追及した。ええい、まったく面倒くさい。
「良いじゃないですか! 無事だったんだから!」
死んでしまったら心も痛んていたけれど、生きていたのだからなにも問題はない。
無事じゃなかったらどうする。だなんて、そんな口論は無意味だ。
結果以外の事実は存在しない、起こらなかった『もしも』の話をするのは時間の無駄でしかない。
「――とにかく、これは由々しき事態なんです!」
「なにがだよっ!」
勇者はふくれっ面、すねてるアピールには取り合わない。まずは、今がいかに危険な状況であるかを理解させる必要がある。
「いいですか? 勇者様の認識するところのゾンビ、いわゆるリビングデッドですが、これらは『死霊魔術』によって生産されます」
勇者が首をかしげる。
「生産……か?」
その表現に違和感があるのは分かる。
死体の生産は矛盾しているように聞こえるだろう。しかし、人間の手で作りだした道具という意味でそれは合っている、もしくは再利用か。
死体の再利用技術は肝試しや戯れのために生み出されたわけではない。
「リビングデッドの普及は軍事利用を目的としたものでした。戦中、兵士を増員するために生きている人間を消費するよりも、死体を戦わせたほうが人道的という考えによるものです」
勇者は眉間にしわを寄せて首をひねる。
「人道的……か?」
宗教的な忌避感でもあるのだろうか?
増員せずに兵力を確保し殺し合いは死体が代わりにやってくれる、それが人道的でなくてなんだと言うのか――。
ウゥ……。
「少なくとも、大切な家族を戦場に送り込まなくてすむ家庭が増えたことで推奨された時代があったのです。いまは廃れていることから察してください」
家族の命を救うために代案を採用するかの選択を迫ったら、ほとんどの人々は死霊魔術の導入を受け入れた。
しかし一時期、戦場の主流であったゾンビ兵は廃止され、いまとなっては死霊魔術の行使は立派な犯罪行為となっている。
私がコロシアムに投獄されたのも自身が死霊術師であることに起因する。
ウァァ……アァァ……。
「で、なにが由々しき事態なのさ?」
私は勇者の疑問に答える。
「リビングデッドはリサイクル可能な兵隊を経て兵器としての開発が進み、ゾンビ兵の方向性は大きく変わっていきました」
隊長! しっかりしてください!
ウゥ……、か、確ホ。た、た、隊列オォ……。
「――後継型に感染、増殖を繰り返す機能が追加されたのです」
隊長! 隊長ぉぉぉッ!
感染機能について解説をしていた矢先、さっそく隊長がリビングデッド化していた。
「アルフォンス! うしろっ、うしろっ!」
「…………」
ついさっき、あれほど苦労して一体を退治できたというのに。私はひきつるコメカミを押さえてため息をついた。
「――なにをやっているのですかっ!!」
間抜けな兵士たちを𠮟りつけた。
「怪物の突進を受けたさいに隊長が負傷したらしく!」「正気に戻ってください! 隊長!」
相手がまったくの他人で指揮官が健在ならば、ここまでの醜態を晒すこともなかっただろう。
だが、無駄に呼びかけるばかりで即座に制圧してしまわない兵士たちに私はイラつきをおぼえる。
「一度感染してしまったらもとには戻りません、覚悟を決めてすみやかに処理してください!」
ゾンビ隊長は意味不明な奇声を発しながら無差別に兵士たちを襲い始めた。兵士たちはパニックに陥り、情けない悲鳴をあげて逃げまどう。
「ばば……ばばばばばばばっ!!」
店内はもはや地獄絵図、この状況を収拾できる自信が私にはない。一般市民が避難を終えていることだけが幸いだ。
「勇者様、感染をここで食い止めなければ大変なことになります!!」
人道的兵器として主流であったリビングデッドが禁止されたのには明確な理由がある。
血液感染で他者を同族化する機能がそなわっている兵器が際限なく投入されたらどうなるか、たやすく想像できるだろう。
人類はリビングデッドにより滅亡しうるし、大惨劇を引き起こし絶えてしまった民族が事実として存在する。
即座に感染源を絶たなければ、翌日この大都市が死の国に変貌してしまったとしてもなんら不思議ではない。
目の前で繰り広げられているように一体が二体、二体が四体、四体が八体とまたたく間に増殖してしまうのだ。
「大変なことなら、もうになっている!!」
勇者は悲鳴をあげた。
眼前には八人の兵士たちがお互いに食らいつき、肉を引き千切り合っている光景が広がっている。
八人いた兵隊は一人残らず全滅し、八体のゾンビに変貌した。
リビングデッドになりかけのいまはまだ目の前の相手を無差別に襲うだけだが、完全に定着すれば狙って人間を襲い始めるだろう。
なんの悪夢か冗談か、勇者、イバン、私の三人はゾンビ化した兵隊に囲まれ逃げ場を失ってしまった。脱出するには位置が悪く出口はゾンビたちの先にある。
「姉弟子!」
「アルフォンス、コイツらの動きを止められるよね?」
イバンが意見を求めると、勇者が逃亡のアイデアを私に提示した。
さきほど勇者をバダックから開放する際、私がその動きを封じたことを言っているのだろう。
「止められますが、いざ逃走を開始した場合、思考をリンクさせたゾンビも一緒になって走り出すでしょうね……」
私ができるのは金縛りなどではなく、リビングデッドが与えられている行動命令への介入だ。
方法は『通信魔法』による思考の直結であり、効力は思考を解いたと同時に切れる。
私が止まれと念じている限りは止まっていてくれるが、逃げようと思考すれば動き出す。
彼らの方が脚と心臓に無理を強いることが可能なので、すぐに追い付かれてしまうだろう。
「それって、アルフォンスさんをおとりにすればオレたちは確実に逃げられるってことですよね?」
「…………」
決定的な意見がでてしまった、イバンの質問に対し私は沈黙した。
私以外の二人が確実に助かる方法はあるのだ。それ以外に全滅を免れる方法がないというほどに一択の選択肢だ。
「――私はいま、勇者様にした裏切りの重みを理解しました……」
私は反省の姿勢を見せた。それは命乞いだ、勇者とイバンに私を見捨てて逃げる選択をさせないための悪あがき。
お人よしの勇者がそんな酷な決断をするわけがないに決まってい――。
「ゾンビの意識をコントロールしたまま、アルフォンスが身投げをすれば釣られて全滅してくれるよね?!」
その発言だけで彼女が完全に冷静さを失っていることが推しはかれた。
私は叫ぶ――。
「どうせ死ぬならアナタ方も道連れですけど!!」
どの道、現時点の魔力量ではとても八体を同時に操作するには足りない。
先祖代々魔力を蓄積してきた『秘宝』が勇者召喚で枯渇を起こしてさえいなければ、そこから賄うこともできたのに。
「ヒッ!? こっち見た!!」
勇者がおびえた声を発した。
ようやくお互いを同族と認識できたらしい、共食いをやめたゾンビたちが首がこちらへと向けている。
私たちは窮地に立たされた。獰猛なリビングデッドがいっせいに襲い掛かってきたら私たちにはなす術もないだろう。
直立してボソボソとうわごとをくりかえすゾンビ、執拗に同僚だった者の血をすするゾンビ、こちらを向いているが微動だにしないゾンビ。
どれを警戒したものかと戸惑っていた刹那、一体が直進して来た。
「オボボ……オロボボ……ボボバーッ!!」
理性を失いなりふりを捨てた突進は止めようがない。
「もう駄目だぁぁぁぁッ!!」
リビングデッドに囲まれ、雑然とした店内に逃げ場はない。観念した勇者は頭を抱えて床に座り込んだ、仮にも救国の英雄である。
「アハハハハッ!!」
イバンはもはや笑うほかにないといった極限状態だ。
私にできるのは二人の背後に隠れ、最初の犠牲者になるのを回避する確率を操作することだけだった。
三者三様に醜態をさらすなかにゾンビ兵が飛び込んだ――。
私は惨劇におびえ闇に逃げ込むようにまぶたで視界を閉ざした。不本意ではあるが、その時点で私は命を手放したといっても過言ではなかった。
しかし、衝撃は来ない――。
私の体が吹き飛ぶことも、ゾンビにかみ付かれた誰かの悲鳴が聞こえることもない。
「…………?」
恐るおそるまぶたを開くと、視界には不思議な光景が映し出された。
飛びかかってきた兵隊ゾンビが落下することなく宙に浮いている。浮遊能力のあるゾンビなど聞いたこともない、宙吊りになっているのだ。
私は目を疑った。
「あなたは――」
目の前に二メートルを超える大男がそびえ立ち、片手でゾンビの首を締め挙げている。
彼こそコロシアムの街と称されたこの都市においてもっとも偉大な人物。
「ウロマルド・ルガメンテ!?」
勇者が漆黒の肌を持つ巨人の名を呼んだ。
ぶら下がったゾンビがタコのように手足を暴れさせるが、ウロマルドはビクともしない、信じられない腕力でゾンビを空中に固定している。
「手伝おう」
「喋ったぁぁぁぁぁぁっ!?」
勇者は大袈裟に驚いた。彼の声を耳にしたのははじめてだが、そりゃ喋るだろう。
ウロマルド・ルガメンテは世界最大の軍事大国アシュハ皇国を象徴する大闘技場で、一度の敗北もなく三度の頂点に立ち人類最強と称される偉大な剣闘士だ。
コロシアムの閉鎖後、その行き先を気にしたこともなかったが、まさかここで再会できるとは。
なんにせよ彼の協力を得られれば、この窮地を脱することが出来るかもしれない。
「助かります! やつらは不死身ですが、頭を破壊すれば活動を停止します。それと、くれぐれも噛まれないように気をつけてください!」
降ってわいた希望に高揚する私と対照的に、ウロマルドは冷静に答える。
「把握」
――最強剣闘士とはいえ人間、リビングデッドを相手にどれくらい戦えるものか。
絶対王者は右手で固定しているゾンビの頭部をおもむろに左手で掴むと、ビンの栓でも抜くような動作でひねった。
すると、元兵士だったそれの太い首がた易く捻じ切れた――。
「「ぎゃああああああっ!!!」」
悲鳴は首を引きちぎられたゾンビのものではない、更なる怪物の登場に度肝を抜かれた我々三人のものだった。