勇者が目覚めた――。
とは言っても、力が覚醒した。だとか、そういう意味ではない。文字通り酩酊からの意識の覚醒である。
コロシアムの頂点を制した者に与えられる権利を獲得し投獄された我が身を救うため、私、大天才魔術師アルフォンス・アカデミック・アーサー・フォン・イヌが『異世界より召喚した勇者』は現在――。
「うひぃぃぃ、もう飲めましぇぇぇん……」
自堕落な生活を送っていた。
「勇者様。ほら、水ですよ、気を確かに」
私はテーブルに突っ伏している泥酔状態の少女にコップを差しだした。
ここは大衆酒場、英雄が贅を尽くす場というよりは一市民が安酒を楽しむ憩いの場所といった様相の店だ。二階は宿屋を兼ねていて旅人の出入りが多い。
勇者は連日のようにここに通いつめている。ティアン姫から小遣いをもらっては酒場に入り浸る生活は穀潰しのそれである。
「ブベッ、気管にばびった……」
「許容量を考えてセーブしながら飲んでくださいよ、本当にもう……」
勇者は悪王フォメルスを討伐し正当な後継者に王位を返還させた一大人物だ。
まさかコロシアムで優勝どころか国を革命までしてしまうとは、召喚した私にすら考えがおよぶはずもなかった。
そんな偉人でもあるから通りすがりの誰もが寄って来ては、面白がって酒を振る舞う。
知名度もあるが、少女にして剣闘士というコケティッシュなルックスとエピソードがギャップとなって人を引き付けているのだろう。
やだっ! なにこれ可愛いっ! という愛玩動物的人気が出ている。
連日のようにコロシアム観戦客などが集まり熱く語りあって行く、店も儲かって仕方ないのだろう人手不足に日々スタッフが増員されている。
結果、このザマなのである。
「勇者様、みっともないですよ?」
「ゴメンよぉ、見捨てらいでおくれりょ……?」
大分、ろれつが怪しくなってきた。
勇者は見た目通り、なんの意外性もなく喧嘩は弱いし、魔術も使えないし、頭も良くはない。
彼女は私が想定していた竜殺しの英雄などではなく『劇作家』という吟遊詩人の一種だったからだ。
しかし、どんな愚鈍でも私はけして彼女を見限ったりはしない。
「見捨てるものですか、私たちの仲じゃないですか」
なぜならば、勇者の護衛を務めるという名目で私自身この自堕落な生活を保証されているのだから、私はこの穀潰しの寄生虫なのだから。
「ありゅもんしゅ!!」
勇者が感極まった様子で謎の呪文を唱えた。
「は? 何ですって?」
「あるもんしゅ」
ああ、私の名を呼んだのか。
なにより、勇者の召喚に『一度限りの秘術』を使用した都合、観察してそのデータを取らなければならない。
依り代にしたこちらの住人の肉体に、異世界の人格が完全に定着しているのか。そして、どの程度持続するものなのか――。
勇者がみずからの正体に関する記憶を喪失した原因が、果たして術の不備によるものなのか、勇者自身の精神的な要因によるものなのか。
できる限り知っておいて今後の参考にしなくてはならない、誰も試したことのない魔術ゆえ不確定なことだらけなのだ。
とりあえず、アルコールを大量摂取しても記憶が回復したり依り代の人格が戻ったりはしないようだが――。
「勇者様、コロシアムの絶対王者の名前は?」
「うりょまりょりょうりゃめんれっ!」
これは滑稽だ。
「ハズレです。答えはウロマルド・ルガメン痛ッ――!?」
勇者が突然立ち上がり、その肘が私の額を強打した。
「来たあっ!!」
私は彼女の脇に手を差し込んで、おぼつかないバランスを支える。
「――こっち! こっち!」
勇者は歓喜の声を発し、いましがた入店して来た男に向かって手を振った。男の顔にはかすかに見覚えがあった。
「31番!」
武骨なその男を勇者はそう呼んだ。番号で呼ぶのはコロシアム時代に剣闘士たちがランキング順位を呼称として使われていたからだ。
彼は勇者側に立ちともにフォメルスの近衛兵および、上位剣闘士と戦った仲間の一人に他ならない。
31番と呼ばれた彼はこちらへと歩み寄って来る。
「イリーナ、俺の最終順位は15位だ。それと、名はバダックという」
私の最終順位が30位に満たなかったのだから、15位と言えばかなりの腕前と言える。コロシアムが閉鎖していなければ、上を目指す余地もあっただろう。
バダックと名乗った闘士は勇者と握手を交わす。
勇者が酒場に入り浸る理由は主にこれだった。革命戦争後、コロシアムは閉鎖され奴隷や捕虜、腕試しの戦士等、凶悪犯罪者以外は監獄より開放された。
負傷した勇者は治癒魔術で全快したものの、協力してくれた二百人の剣闘士たちに挨拶をするタイミングを逸してしまったため、こうやって待ち構えていたのだ。
多くは先の戦闘で命を落としていたり故郷に帰っていたりと再会できない者も多いが、こうやって再び縁のあった者には酒を振舞った。
彼らが力を貸してくれたことについて、ティアン姫には『皆、自分の未来を勝ち取るために戦うことを選択したのだから気に病むことはなにもない』と言い含めていたし、私もそれで納得をしている。
皆、己の自由を勝ち取るため、または個々の正義に従って命を賭けた。
だのに、当の発言をした勇者本人が感謝を伝えるための行動を起こしているのは律儀なことだ。
不合理というか、酔狂というか、そんな行動に時間を割くに足る価値があるかどうかは疑問ではあるが……。
「バラック、いっはい、おごられらるれ?」
「はっ?」
すっかり出来上がっている勇者に困惑するバダック。
「勇者様は一杯奢らせてくれと」
私は勇者の言葉をフォローする。
「――こんな調子ですが、私が通訳しますので彼女の気の済むようにさせてやってください。さあ、勇者様?」
なんなりと申し付けるが良い、私が完璧に要望に応えようではないか。
「はらりるりるりれれ、ほろろ……」
「え? なんですって?」
「もるりる、うろるらる……」
「勇者様! しっかり!」
もはや、通訳不能かっ! できもしないことを自信アリげに申し出た自分が恥ずかしいっ!
私は勇者とのコミュニケーションを断念した。
「おい、聞いているのかカスフォンスッ!」
「はっ!? 何故、罵倒だけが鮮明に!?」
そんな勇者は捨て置き、私はバダックを正面席に誘導すると適当な酒を注文した。
「――その節はどうも」
彼と自分の接点はほとんどないが、コロシアム投獄中、精鋭を募る必要に駆られ力を借りようとした際に一度断られた。
その時は呪い殺してやろうかとも思ったけれど、革命を起こす際には真っ先に中位闘士たちの説得に貢献してくれたと勇者から聞かされていた。
革命成功の功労者の一人と言えるだろう。
「イリーナがいると聞きつけて来た。田舎に帰る前に挨拶をしておこうと思い立ち、足を運んだ次第だ」
我々が同じ店に入り浸るのはまさにそれが目的だ、実際にそれなりの成果が上がっている。
今回のように覚えのある人物よりも無関係な野次馬が多く押し寄せ混乱を招くこともあるが、勇者は分けへだてなく友好的に振舞った。
面倒ではあるが私は勇者に習って客人の接待をする。
「田舎にお戻りになるのですね」
最大の闘技場をほこる首都には出稼ぎで訪れる者も多い、彼もその一人ということだろう。
「母と妹を残して来ている、無事を伝えたら新しい仕事をさがさなくてはならない」
コロシアムにいるあいだは最低限の衣食住が保証されていた。釈放されて自由を手に入れたら、今度は生活の心配をしなくてはならない。
私にも母と妹がいるが、円満らしい彼に反して我が家は不仲であったため少々苦い思いが去来する。
できたら、家族には『二度と会いたくない』とまで思う。
「当てはあるのですか?」
私は家族の話題を避けて仕事の方へと舵を切った。
「生憎、剣を振るう他に能がなくてな。前線で国境の見張りでもするか……」
それにしても、終戦後の現在では人手も足りているだろう。
例えば彼は非常に優れた戦士だが、家系や教養の不足で騎士団への入団は叶わないだろう。
その腕は徴兵された時に歩兵として重宝するくらいで、傭兵として身を立てたところで安定した収入を得るのは難しい。
コロシアムが存続していた方が彼にとっては幸せだったかもしれない。
「――とは言え、家族に会えるのは楽しみなんだ。イリーナの手伝いができたことは誇りに思っている」
「だそうですよ、聞いてますか勇者様?」
彼女に話を振ったのは他でもない。私たちが他人行儀な会話を交わしているあいだ、勇者は私の頭髪を一本ずつ毟る作業に没頭していたからだ。
「――やめてください!?」
「……ッ!?」
私が怒鳴りつけると勇者は信じられないといった表情で固まってしまう。その手元には、むしり取られた私の毛髪が等間隔で並べられていた。
「そんな権利はありませんよ?」
なんだその反抗的な眼差しは、被害者気取りか?
「まったく、せっかく恩人が訪ねてくださっているというのに……ねえ?」
私が同意を求めるとバダックは虚ろな表情をして、「ああ」と気のない返事をした。
「それ、で、家族に……会うのは、楽しみ」
「それはもう聞きました」
このバダック、印象にたがわずおしゃべりが得意なほうではないようだ。酔っているのか目の焦点も怪しく挙動もおかしくなってきた。
――もしかして、飲めない人だった?
勇者は腫れぼったい眼でバダックを凝視する。話を理解していたかは怪しいが、本来の目的を果たすつもりらしい。
「バらックふ……、ありがふ――」
感謝の気持ちを口頭に乗せると深々と頭を下げ、た頭を支えられず机に額を打ち付けた。
「ぐっ……!」と呻く。
すると私たちを囲んで飲んでいる客たちが一斉に笑い出した。私はこの醜態すらも、エンターテイナー気質な彼女の計算なんじゃないかと思わなくもない。
買い被りだろうか?
湧き上がる場の外から陽気な声を投げ込み、一人の青年が駆け寄って来る。噂を聞きつけて勇者に会いに来た元剣闘士だ。
「あっ! いたっ! 姉弟子!」
彼の名はイバン、それなりの歳のはずだが瞳には少年の様な輝きを称えている。我々がクロム隊と呼ぶ、剣闘士のなかでも特に親しかったグループの一員だ。
イバンは勇者の手を取り激しく上下に振る。
「――いやぁ、お元気でしたか! なんだか人が集まって楽しそうじゃないですか、俺も混ぜてくださいよ!」
その後のことが気になっていただろうから興奮するのも当然か。
「イバン氏もお元気そうで」
「アルフォンスさん、皆さん、ご無事で本当に良かった! 話したいことが沢山あるんで――――」
大声でまくし立て悪目立ちしていたイバンが言葉を途切れさせた。不自然に固まり、そして「何でだ?」と不可解な言葉をつぶやいた。
視線の先にいるのはバダックだ。
次のリアクションを待っていると、勇者が問いかける。
「……どうした?」
イバンは取り合わず一点を見つめ「いやいや……」とか「ありえない……」などとこぼすと、バダックにむかって異常な剣幕で問い質す。
「どうして、あなたがここにいるんですッ?!」
バダックがこの場にいることのなににそんなにも驚いているのか、別の場所にいるはずだとか、関係が険悪だとか、不都合があるにしても騒がしい。
軽く注意でもしようと思い立ち上がる私を無視して叫ぶイバンの意図は、私の想像のどれとも違っていた。
「――あなたは、死んだはずじゃあないですかッ!!」