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三幕七場「さよなら、ボクのお姫様」


左大腿部をえぐり取られてボクは転倒した。


傷は深く、とても立ち上がれそうにない。両手も故障し無傷な四肢は右足だけ、立ち上がるのも困難な状態だ。


無傷のフォメルスが悠然とボクを見下ろす。


「さて、勇者イリーナ。まだなにか逆転の手を隠しているか、それとも頼りになる仲間が助けに参上するのかな?」


残念ながら奥の手のストックはない。


もともと一対一は想定していなかったし、死なば諸共と思えば相打ちくらいには持ち込めると思っていた。

それくらいの重みが、自分の命にはあると錯覚していた。だけど結果は惨めなもので、一撃を与えることすらかなわない。


これが現実、これが付け焼刃の限界、これがボクの実力だ。


あまりのあっけなさにフォメルスは落胆すらにじませる。


「お粗末な最期であったな。さらばだ、目障りな虫けらよ」


トドメだと剣を逆手に持った。それを振り下ろされたときボクは死ぬ。


――ごめんね、ティアン。


観念した刹那、ボクは目を疑った。



「フォメルス! イリーナから離れなさい!」


懺悔をささげた対象である彼女が、いまそこにいる。


最悪のタイミングだ――。敗北が決っすると同時に遅れて追って来ていたティアンが到着した。


その手には弾き飛ばされたボクのレイピアを抱えている。


「ティアン!」


「イリーナ!」


視線を交わすと、彼女は『あとは任せて』とでも言うように薄くほほ笑んだ。

だけど彼女に剣があつかえないことはもちろん、フォメルスを倒す術がないことをボクは知っている。


「ははははははっ、これは滑稽だ!」


それを承知のうえでフォメルスは冷笑する。


「――絶体絶命の危機に現れたのがよりにもよって貴様とは、絶望としか言いようがないではないか! なあ、イリーナ。残念だと言ってやるがいい、期待外れだとな!」


援軍がきて生存の確率が上がるものならボクだってすがって助けを乞いたいところだ。

けれど、ここで彼女を無駄死にさせることだけはできない。


「ティアン、逃げて!」


ボクの指示には従わず、彼女は真っすぐにこちらへと向かって来る。


「逃げないわ。誓ったもの、戦わずに死ぬより戦って死ぬって」


間合いを理解できていないティアンはズカズカとボクらのあいだに割って入った。

とっくに斬り殺されていてもおかしくない距離だ。


「まさか、その剣で余に挑むつもりではあるまいな? 追い詰められて錯乱したか、それとも周囲にそそのかされた結果、欲がでて王座を取り戻したくなったか?」


フォメルスの挑発に臆すことなく、ティアンは真っすぐににらみ返す。


「わたくしには、その欲というものが理解できておりません。王座なんてほしくない、自分に務まるとは到底思えないのですから」


「ならばなにをしに来た、これではまるで自殺志願者ではないか」


面白くもないといったフォメルスの感想は的を射ているのかもしれない。

ティアンは最初からそうだった。鳥籠の生活に飽きていて、かと言って外の世界に希望も抱けないでいた。


「七年前、死ぬ覚悟はとうにできていました。できればお母様について行ってさしあげたかった。だから、この世に未練もありません」


彼女は生に執着していない。言い換えれば、今日までただボクに付き合って生きてくれていただけとも言えた。


「――イリーナと出会えたのも、死を間際に最後の楽しみをと神様が情をかけてくださったのだと、そう思ったくらい」


八歳の時点で死ぬ覚悟ができていた。それを聞かされてボクは胸が苦しくなる。

彼女のその焦燥と絶望にボクは気付いていた。だからこそ、彼女を外に連れ出したかったんだ。


生きることの喜びを知ってほしかった。フォメルスの呪縛から開放された自由な彼女を見たかった。


悲嘆に暮れるボクに気付いたティアンは、屈み込んでボクの頭をなでた。


「でも、自殺志願者ではありません。わたくしはイリーナのために命を使うと決めたのです。だから、逃げずに戦います」


「回りくどい。それが自殺と同義だと言っているのだ、なにも持たぬがゆえに求めることすら忘却してしまったと見える。

真に哀れ、我欲どころか生への執着すらそこなわれた欠陥品、まるで人形よな。なんという無価値、求めずしてなんのための人生か!」


ティアンは立ち上がり、フォメルスを見据える。おびえる様子はなく凛と美しく立っている。


「フォメルス王、わたくしにはあなたの方こそ人形のように見えます」


「なんだと――?」


屈服することしか知らなかった姫が予想外の反撃をしていることにフォメルスはイラつきを覚えた。


「わたくしから両親を奪ってまで手に入れたその強大な権力で、叶えられなかったことなどなかったことでしょう。


コロシアムという壮大なおもちゃ箱まで手に入れて、沢山の命をもてあそび、たたえられ、それでも満ち足りることなく、より多くを求め続けている。


わたくしには理解できません。だって、わたくしはイリーナと二人でいられれば他になにもいらないくらいに満たされることができるのですから。


あなたはまるで欲に取り憑かれている哀れなあやつり人形のよう。食べても食べても満たされない、穴の空いた胃袋みたい」


そうだ、ボクたちは満たされている。お互いがいれば他にはなにもいらない、命だって惜しくないと思っている。


そんなの馬鹿げていると笑ったこともあったけど、君のために命をささげられる自分をいまは誇らしくさえ思える。


ボクにそんなことができるなんて、しらなかったんだから。


「戯言を! それこそが人類を牽引すべく選ばれし者の使命、下等な者には理解の及ばぬ境地であろう!」


フォメルスの怒声に煽られて、ティアンが剣の切っ先をあげる。レイピアの使い方を知らない素人の構え、両手で中段に構えた。


「――ならば望み通り、貴様の無益な人生に終止符を打ってやるぞ!」


フォメルスが剣を無造作に振り上げた。


ティアンを相手に技は必要ない、体力差にものを言わせた暴力であまる。ただ、力任せに叩きつければ確実に命を絶てるだろう。


ボクは最後の力を振り絞って二人の間に割って入る。


「フォメルスッ!!」


その動きに対応してフォメルスが一歩退りながら剣を振り下ろした。ボクが攻撃を仕掛けていたとしても、回避と同時に迎撃できる動作だ。


だけど、両腕を負傷しているボクに満足な攻撃をできるはずもない、ティアンの盾になるので精一杯だ。


死ぬときに見る景色は愛しい彼女の姿がいい、ティアンを視界に入れてフォメルスに背を向けた。


振り下ろされた凶刃がボクの肩口から背を裂いていく。


「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」


ティアンが悲鳴を上げた。


フォメルスの剣は肩甲骨を粉砕し、鎖骨を折って肺まで到達する。


ボクは倒れ込むとティアンの肩に額をあずけ、声を振り絞って伝える。これが最後の言葉――。


「撃って……」


致命傷を与えた手ごたえに高笑いするフォメルス、勝利を確信し勝ち名乗りを上げる。


「さらばだっ!! ペテン師――ッ!?」


弦を弾く音が響き、フォメルスの痙攣が刃越しに伝わってきた。


「――なん、だ? なにが……ッ?!」


フォメルスがうめき、ボクは床の上に崩れ落ちた。


矢がプレートアーマーを貫通し、フォメルスの胸を深く貫いている。それは、すぐ横に転がっているジェロイから回収したボウガンの矢だ。


負傷したボクには構えて狙いを定めることも引き金を引くことも難しい、だから自分の背を壁にしてティアンにボウガンを手渡した。


ボク越しに放たれた矢は左脇を通過し、剣を振り下ろした姿勢でガラ空きになったフォメルスの左胸を貫いたのだ。


死角から放たれた至近距離の射撃には、さしものフォメルスでも反応できなかった。


――ジェロイが教えてくれたんだ。


ボウガンは至近距離なら素人でも簡単に命中させられて、絶大な威力を発揮するって。


さあ、地獄への道連れだぜ。ペテン師同士、仲良くあの世に旅立とう。エセ魔王とエセ勇者の退場だ。


そしたら、あっちでゆっくりおまえの興行にダメ出ししてやるからさ……。


心の声が届いたのか、フォメルスはかすかにほほ笑んだように見えた。


「まあ、良い……、楽しい余興ではあった……ぞ」


そう言って倒れ、ついに娯楽王は絶命した――。



「イリーナ! イリーナ!」


ティアンがボクを抱えて泣きじゃくっている。あんなに肝が座っているのに、この娘はなんでこう泣き虫なのだろう。


彼女の頭をなでてあげたかったけど、指先すら動かない。


ボクはダラリと脱力して、死の足音を聞いていた。もう、痛みも、遠のいて……。


「イリーナ、気をしっかり持って! わたくしが死なせない! 必ず助けるから!」


ティアンが治癒魔法を使ってくれている。だけど、どうかな、裂傷の一つを治すのにあれだけの魔力をようするのだ。


ティアンにボクを蘇生するだけの魔力の貯蓄はないように思える。


けっこうマメに貴重な魔力を使ってくれていたもんな……。


「やだぁっ! 逝かないで! わたくしを置いて逝かないで! イリーナ、一緒にいてよ! 一緒に旅がしたいって言ってくれたじゃない!」


彼女は自由になれたのだろうか、それはまだ分からない。でも、オッサンたちが生きているなら、きっと良くしてくれる。


アルフォンス、オーヴィル、みんな、みんな無事だといいな……。きっと大丈夫、アイツらが死ぬところはちょっと想像できないもんな。


あっちに行ったらクロムやジェロイに会えるといいな……。そしたら、寂しく、ない……。



「……リーナ! ……て! ……!!  ……!?」


いとおしい人の声が遠ざかっていく。


さよなら、ティアン。ボクはまだ君に言えてない言葉があるよ。


だけど、これで上出来さ。愛する人の腕に抱かれてボクは死ぬ。


こんなに幸せな最後はない。こんなに満たされた最期はないんだ。



――さよなら、ボクのお姫様。キミの幸せを願ってる……。


そして、静かに意識が闇に飲まれた。なにも見えない、なにも聞こえない、なにも感じない。


まるで闇の水面に静かに溶けて、消えていくみたいだ……。



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