「え、どこに行くのさ?」
アルフォンスが別れを切り出してきたことに困惑した。
ボクたちはこれから下階に降りてオッサンや下位闘士たちと合流する手筈になっている。
この最終局面に、すべての発端であるおまえがボクの横にいなくてどうするってんだ。
「近衛兵たちは皆、クロム氏かそれ以上の使い手です。20番以上の闘士に対して私は戦力の足しにもならないでしょう」
それはアルフォンスに限った話ではない、味方についた下位闘士のほとんどがそうだ。
そのなかで彼は上位に位置するだろうし、もちろんボクよりも遥かに頼りになる。
「ですので、私は勇者様を遠巻きにしてジェロイ氏の狙撃などを警戒したいと思います」
「ああ、そういうことか」
そんなふうにはまったく見えないけど、アルフォンスも本気なんだ。
少しでも勝利に貢献できる立ち回りを考えながら動いている、だったら引き止める理由はない。
「とか言って、どさくさに紛れて一人で脱獄しようとか考えてないよな?」
ボクは緊張をほぐそうと冗談を飛ばすとオーヴィルと二人でワハハと笑う。
しかし、アルフォンスだけが真顔だ――。
「なんで黙るのっ!?」
まさか図星じゃないだろうなっ!!
「ハハ、冗談です。サイレントジョークですよ」
そう言ってにこやかにほほ笑んだ。そんな笑顔もってた?! 爽やかさが逆に胡散臭いよ……。
「それが冗談で通じるキャラしてないだろ、勘弁してよ……」
後日、アルフォンスが一人で脱走していたことを知らされてもボクは、やっぱりね! としか思わない。
「それでは、さらばです」
アルフォンスが握手を求めてきて、ボクはその手を握り返す。
「今生の別れにならないといいね」
これがボクをこの世界に召喚した、なんとも形容しがたい相棒との最後の別れになるかもしれない。
「さよならは言いません。どうか、ご武運を」
そう言ってアルフォンスはボクの前から去って行った。いたらウザイけど、いないのはそれで心細いなと感じる。
まあ、逃げたなら逃げたで良いよ。生き残ることが第一だ。
「ジェロイか……」
たしかに彼の動向は気になる。敵に回った場合、アルフォンスの言った通り広い場所でこそ警戒しなくてはならない相手だ。
――どうか、彼と衝突することがありませんように。
オーヴィルが案じる。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
ボクはティアンの部屋を振り返る。思い返せば三カ月ものあいだ寝起きをしてきたわけで、愛着すらわいた場所だ。
持ち出すものはこのレイピアと、緊張した面持ちで控える囚われのお姫様だけだ。
ティアンの表情は硬く、肩幅も縮こまっている。
監禁されて七年、外にいたころの記憶も曖昧な彼女が、開けた空間に委縮してしまわないかが心配だ。
きっと大丈夫、彼女はボクなんかに比べたらずっと芯の強い子だ。
「行こう、ティアン」
ボクが手を差し出すと、彼女はそれを握り返した。
「行きましょう、イリーナ」
ほら、七年ぶりに部屋から出て、これから大勢の前に立つ娘のまなざしじゃないもん。
ボクは一分おきにだってキミに惚れ直してしまうよ。
この鳥篭に戻ってくることは二度とない、たとえボクたちがどんな結末を迎えたとしてもだ――。
下階に降りてくると看守のオッサンが待ち構えていた。
「準備はできている」
集合場所は闘技場につづく待機場の一つ、そこにオッサンの指揮下にある血統派残党たちが集められている。
ざっと二十人、彼らは戦争経験のある元騎士、兵士をふくむつわものたちだ。
オッサンが手を回してこの一角に味方を集め、それ以外の看守は五つあるゲートの他へと排除した状態になっている。
試合開始直前のいまなら、配置についた看守たちがあちこちをうろついたりもしない。
オッサンが状況の説明をしてくれる。
「外にも三十名を待機させてある。それと昨夜のうちに装備を運び込んでおいた、全員に行き渡るはずだ」
「うん、ありがとう」
事前に打ち合わせた通りだ。さすが元戦場指揮官、段取りは完璧だ。
それと下位剣闘士とクロムの弟子たち、仮にクロム隊と呼ぶとして彼らを中心に闘士たちもやる気に満ちている。
クロム隊の一人に話しかける。
「状況はどう?」
「ここには十五人しかいないが、他の看守たちに気付かれないように散らばっている。開始と同時に百十三人が武器を持って雪崩込む手筈だ」
例によってむちゃな試合があったせいか、今日までにだいぶ数が減ってしまった。
けれど残った全員を味方に付けることができた、クロム隊の功績だ。
「すごいじゃん!」
ボクは彼に肩パンする。
「姉弟子の求心力があってこそだ」
スタッフたちが優秀なおかげで、監督のボクが頼りなくても万全の状態で舞台をスタートできそうだ。
数の利はこちらにある。百で雪崩込んで衛兵五十を押し退け、フォメルスの首を取る。
百人で五十人を倒すのではない、百人でたった一人を倒せればいい。不可能ではないはずだ。
「ヴィレオン将軍、そっちは頼むね」
「ああ、任された」
オッサンたちは別働隊だ。
ボクらが制圧される以外に、軍隊の到着とフォメルスのコロシアム脱出も敗北条件だ。
外と連携して軍隊の接近にたいする時間稼ぎやフォメルス逃亡を防ぐ、それには集団行動のプロであるオッサンたちが適任だ。
ステージにはステージのプロ(剣闘士)、舞台裏には舞台裏のプロ(軍人)の配置だ。
さて、時間がない。すでに観客の入場は始まり、コロシアムは活気づいている。
フォメルスに異変を悟られないよう、いつも通りに試合を組んでいるけれど、そんなことで数を減らすつもりはない。
一試合目開始の号令が突入の合図だ――。
「ここにいるのが全員でなくて残念だけど、集まってくれたことに感謝する」
突入に備えているボクにみんなが注目する。
「――闘場に出たら、全員フォメルス王を目指せ。誰でもいい、誰かが王の首を取ればボクらの勝ちだ。そして、絶対に観客には手を上げるな。ボクらの行為は逆賊フォメルスの断罪であり、これを暴徒による侵略行為にしてはならない」
王の首をただ取っただけではボクらは反乱分子として鎮圧されるだけだ。
革命を成功に導くためには国民の支持を得て、政治的な勝利を掴むことが不可欠。
フォメルスの罪を告発し、ボクらの正当性を示し、民衆の支持を得ることで革命を成功させる。できなければボクらは処断されるだろう。
「ボクから皆に言えることは多くないし、これから流れる多くの血に対して責任を負うつもりもない」
ひどいことを言っているようだけど、この戦いはボクにとってはボクのための戦いであり、皆にとっては皆のための戦いだ。
悪王フォメルスに対して正義の鉄槌をくだす目的で集まった勇者たちではない、黙って死を待つよりも未来を勝ち取ることを選んだ奴隷たち。
烏合の衆もいいところだ。
「でも、もし自由になれたらそのときは、うまい酒を飲もう。美味しいご飯を食べよう」
人間に戻ろう。
「――そして、大切な人に会いに行こう」
ボクのありふれた演説で、皆の瞳にともる光が力を増したのが分かった。
ボクは一人一人と握手を交わしていく。
「よろしくね!」
「おう!」
ボクの小さな手を掴んだ自らの大きな手に、力があるんだと確認して彼らに勇気が宿りますように。
どうかこの熱が彼らを伝わって、いまここにいない参加者たちにも伝染しますように。
「――いくぜ!! 最後の戦いだ!!」
ボクの号令に皆の気合が重なって、コロシアム開幕のドラが鳴り響いた。
フォメルス王の名調子に煽られて客席では歓声が巻き起こる。
入場の時間だ。
「じゃあ、ボクの合図を待って」
仲間たちにそう伝えてボクは深呼吸を一つ、ティアンの手を引いて歩き出す。
そのすぐ後ろにオーヴィルを従え、三人でゲートをくぐると闘場へと足を踏み入れた。
ぱっと世界が明るくなって、視界が開けた。
内容は知らされていないが、第一試合はランク戦ではなくデモンストレーションの予定だ。
闘場の中央には、その対戦相手がすでにスタンバイしている。まずは邪魔なそれを排除しなくてはならない。
「ゲゲっ!? なんだアレ?!」
そこには不自然に巨大な人影が二つあった。
ニメートルを超える巨体に発達しすぎた顎や前歯、野生動物のように盛り上がった背骨と前傾した姿勢、人型の異形が二体。
フォメルスの野郎、またゲテモノ企画で話題作りをしようとしているな! そうじゃないって教えただろうが!
「蛮族の狂戦士だ」
オーヴィルが教えてくれた。
「人間なのっ!?」
ボクは悲鳴をあげた。
ティアンの握る手がこわばっている。外の世界で見る物がいきなりアレじゃあ堪らないよ。
『狂戦士』は獰猛な表情で大ぶりの戦斧を軽々と振り回していて、いまにも襲い掛かって来そうな気配だ。
足首を鎖で拘束されていて、試合の開始と同時に解き放たれる段取りだろう。
人間の扱いじゃないし、人間に見えないし、とても下位闘士の手におえる代物とは思えない。
不測の事態に観客席が困惑する。
イケニエ用の下位闘士が登場する予定が、なぜかメインイベンターである女剣闘士イリーナの登場だ。
どよめきはすぐに歓声へと変わる。
これから戦争が起こることなど知るよしもなく、サプライズな演出だとでも思っていることだろう。
VIP席にフォメルスの姿を確認する。予定外の出来事とはいえひどく狼狽えている様子だ。
フォメルスが側近に指示をだした。声は届いてこないけど、そのしぐさと表情でなんとなく理解した。
『解き放て――!』だ。
案の定、狂戦士の拘束がとかれ二体が一目散にこちらへと襲い掛かってくる。
異常な瞬発力で瞬く間に眼前へと迫る。その速度に対応できずボクはパニックになる。
――だめだ、ティアンを守らなきゃ!
「邪魔だ! どけッ!」
レイピアを構えようとしたボクをオーヴィルが押しのけた。
両手で振り上げた大剣を頭上に降ってきた『狂戦士』に向かって振り下ろし、その巨体を地面へと叩きつける。
その迫力たるや車両の正面衝突かと見まごうほどの迫力だ。
そして、オーヴィルはほぼ同時に飛び掛かってきた二体目の胴体に大剣を滑り込ませ、方向転換の動作に連動させた完璧なスイングで薙ぎ払う。
『狂戦士』の左から入った刀身はすり抜ける様に右へと突き抜けた。
一刀両断、大木のような胴体が上下に分割され地面を転がった。
先に叩き付けられた方は肩から腰までを断裂してすでにこと切れている。
ボクは目の前で起きた大事故にあぜんとしていた。
オーヴィルは息一つ切らさずに「まあ、こんなもんか」と、神業をまずまず及第点くらいに評していた。