仲間だと絶大な信頼を寄せていたジェロイがティアンを殺そうとした。
魔獣戦のときには彼抜きでの勝利はありえなかった。ボクがゼランと良い状態で戦えたのも、彼が命懸けでランキング戦を戦ってくれたおかげだし、ウロマルドの情報をえるために駆け回ってくれたりもした。
裏切りの少年は押し黙って床を睨みつけている。
「まず、説明してくれないと……」
こういうときいったいどうしたら良いのだろう。どういった結論にいたればボクらにとって最良なのだろうか――。
困惑しているボクを見かねてアルフォンスが助け舟をだす。
「勇者様。こういう状況ではどこの世界でも拷問で情報を引き出したあと、処刑してしまうのが常識です」
助け舟、か……?
「――殺しておかないと後に自分にとってのアキレス腱になりかねませんからね」
アルフォンスの言うことは分かる。未遂に終わったとは言え殺人は明確な敵対行為だ。
阻止したところで再びティアンの命を脅かさないとは限らない。
「……少なくとも、ボクの世界にはそんな常識なかったよ」
捻った小指が赤黒く変色してズキズキと傷む。
仲間が裏切ったときボクの世界ではどうしただろう、きっと喧嘩別れしたり疎遠になったりするだろう。必要な相手なら関係の修復に努めたりする。
でも、いまのボクにはジェロイに対しての怒りだとか嫌悪だとかはなくて、ただただ動機が気になっている。
彼の事情を知ってこの裏切りに納得を得たい。
ボクは不用心に近づくと尻餅をついたままのジェロイの対面に胡坐をかいて座る。
「誰に頼まれたの?」
彼の瞳を注視した。
「……それは、言わない約束だ」
「ははっ、約束は守るんだ。偉いね」
軽い誘導尋問だった。それだけで私怨による行動ではなく、何者かの指令であったことが分かる。
それが皇女の暗殺となると答えは明白だ。
「全部、台無しじゃないか……」
この瞬間、ボクはこれまでしてきたことのすべてが無駄であったことを悟った。
「どういうことです?」
ジェロイの裏切り以上の含みをアルフォンスは感じ取った。
「フォメルス王が裏切った――」
そもそも裏切ったという感覚すら本人にはないのかもしれない。
ボクがティアンを交渉の机に上げたことで彼女は再びフォメルスの邪魔になってしまった。
フォメルスにとってティアンの処刑は確定事項、見逃す気なんてさらさらないってことだ。
ボクが万が一ウロマルドに勝利してティアンの解放を望んだとき、民衆の前で約束をほごにして人気を損なわないため……違うな、好意的な形でティアンを民衆の前に登場させないために王は暗殺を決定した――。
前みたいに堂々と殺しに来ないでわざわざ人を使ったのは、剣闘士として価値のあるボクとの関係を完璧に断つのを惜しんだから、自分は関与していないとしらばっくれるためだ。
「最悪だ……」
この調子だと、ウロマルドに勝ったところでティアンを見逃してはもらえないだろう。
ボクはうな垂れた。絶望だ、これまでの努力は一体なんだったのか……。
「なんで――?」
黙りこくっていたジェロイが口を開いた。隠していた首謀者の正体が明かされたことにすなおに驚いている。
「分かるよ、ボクが今日まで戦ってきた相手はウロマルド・ルガメンテじゃなくて、ずっとあのフォメルス王だったんだから」
ボクの敵はいつだって最強剣闘士なんかじゃなくて、あの興行師だったんだ。ティアンの仇がボクの宿敵だった。
「ねぇ、ジェロイ。キミはいつからアイツの命令で動いていたの?」
首謀者を言い当てられて観念したのか、底抜けに純粋なゆえかジェロイは容易く白状する。
「みんなが魔獣キマイラに挑戦を申請した時点で呼び出された。お姉ちゃんを手伝ってできるだけ順位を引き上げろって命令されてた……」
なんてことはない、ジェロイは裏切っていなかった。はじめからフォメルスの手下だったんだ。
「……そっか、ボクと出会うまえから」
ボクが勝ち進むことは王にとっては興行の一環。
キマイラ戦でジェロイが必死のサポートをしてくれたのも、無謀な挑戦をしてまでボクを19位に引き上げてくれたのも、それが彼の仕事だったから。
ボクになついていたのは、フォメルスのスパイである役割を果たしやすかったから。
今日、ジェロイがやたらと緊張して見えたのは、有名人だったオッサンを意識していたわけでもティアンにみとれていたわけでもない。
ボクが王様をやり込めたあとアルフォンスと会うまでの間に、フォメルス王からの指令を受けていたから。
ティアンをよく観察していたのは標的の確認だったわけだ。
「ボクは友達だと思っていたのになぁ……」
キミのことを心から信頼していたからここまで招き入れたのに。
「俺だってお姉ちゃんのことは嫌いじゃない。でも、それと王様の命令はべつの話ってだけだ」
命を人質にとられているに等しい囚人が、王の命令に背けるわけがない。
友人だろうと、恋人だろうと、例え家族であろうとその手に掛けることを責められない。
ましてやティアンは赤の他人だ。自分の命と天秤にかけろだなんて酷なことは言えない。
責められないと思った刹那、アルフォンスの蹴りがジェロイに炸裂、軽量のジェロイは床を転がって壁に叩きつけられた。
「アルフォンス!?」
「いや、態度がデカイです。捕虜の癖に!」
――ええっ!?
ともに死線を潜り抜け、同じフロアでボクよりも多くの時間をともに過ごしていたであろうアルフォンスが、まったく感傷的になっていない事実にボクは衝撃を受けた。
――人の心ないの!?
しかし、普段から飄々としていて本気なのか冗談なのかわからないアルフォンスから、珍しく怒りの感情が垣間見える。
「――ジェロイ氏、例えそれが使命だとしても私たちはアナタに随分と助けられました。それに友情を感じるのはこっちの勝手ですから、アナタが後ろめたく思うこともないでしょう」
もしかすると、これは彼なりの気遣いなのかもしれない。傷心のボクに変わってこの場を収めようとしてくれているのだろう。
アルフォンスは語りだす。
「勇者様が甘いからって開き直らないでくださいよ、この裏切り者がっ!」
訂正、ただムカついて蹴り飛ばしただけで特に良いこととかは言わわなかったわ……。
蹴り飛ばされたジェロイはさすがに激昴する。
「仕方ないだろっ!! その女を一人殺せば外に出してくれるって約束してくれたんだ!! 俺だって、標的がお姉ちゃんだったらそんな話にのるもんかっ!!」
ジェロイが大声を出したところをはじめて見た。
アルフォンスはと言えば。
「ああ、外に出れるなら仕方ないですね」
と、納得しかけている。
「おい、コラ……」
でも、死を待つだけのコロシアムで諦めるしかなかった自由を目の前にぶら下げられたりしたら、抗える人間は希少だと思う。
少なくとも、自分の夢を他人のために諦めろなんて言う資格はボクにはない。
「――まあ、ジェロイはなにも悪くないよ。ただ、フォメルス王は約束を守らない」
オッサンがそう言ってた。現にボクとの約束を暗殺という形でほごにしたのだ。
『頂点を取った者のみが自由を与えられる』そう謳っている独裁者が、それを覆してまでジェロイを解放するとは思えない。
希望は人を破滅に導く――。
勝てないと分かっているウロマルドに挑むボクと同じで、破滅の道だと分かっていても突き進ませるのが『希望』だ。
「正直、勇者様は雑魚です」
重苦しい空気を割いてアルフォンスが語りだした。
「……え、なんの話?」
「力も弱いですが、なによりメンタルが弱い、救いがたい臆病者です」
いきなりの誹謗中傷に困惑する。ボク、この状況の被害者なのに。
「ちょっ、待て待て……」
「見てください。あなたに裏切られた程度のことで、半ベソかいてる始末です」
半分、おまえの悪口のせいなんだけど……。
「――本人は勘違いしているようですが、知能もそんなに高くありません」
「おまえな――!」
「馬鹿だから暗殺者を寝室に連れ込むようなことになるんです!」
「…………」
グゥの音も出ない。
反論する権利がないので黙るしかなくなってしまった。
当然、ジェロイも困惑している。
「だからなんだよ!」
緊迫した状況で無関係な話をはじめたアルフォンスに噛みついた。
「――俺は裏切ったんじゃない、仕事をしただけだ!」
しかし、アルフォンスは激昂するジェロイに対して落ち着いた様子で問いかける。
「馬鹿だから、勇者様はいまもアナタをどうやって許すか、そればかりを考えているのです。それに対してジェロイ氏は自己保身以外に発する言葉はないのですか?」
ジェロイは再び黙ってしまい静寂が訪れる。
フォメルスのスパイだと判明した彼をどう扱っていいものか、名案が思いつかない。
今回のことでこちらの内情の多くを知られてしまった。フォメルス王にそれを知られてしまえば、ボクらはただでは済まない。
ティアンを陰ながら支援している血統派のオッサンたちにだって迷惑が及ぶだろう。
監禁するにも無理がある。だからといって自分の手で殺せるわけもない――。
「――!?」
ドンドンドン!! と、突然の騒音に緊張が走った。廊下へと続くドアが乱暴にノックされている。
ジェロイの扱いを解決する間もなく、何者かが部屋を訪ねて来たのだ。