宣戦布告を受けたゼランはボクを嘲笑する。
「おいおいおい、おれとの実力差を忘れたのか?」
刻み込まれたトラウマがそう簡単に消えるはずもない、ボクらの戦闘力には大人と子供ほどの差があるだろう。
しかしボクは絶対王者に挑む最弱剣闘士だ。これから熊を素手で倒そうとする子供としては、大人の一人くらいどうとだってしてやるさ。
ボクは言ってやる。
「そんなもん、このランク帯じゃ大差ないと思うぜ」
「なんだと……?」
正直、ゼランの17番はボクの19番と同じく手段先行で手に入れた分不相応な地位にすぎない。
アルフォンスが43番にボコられたように、ゼラン本来の実力もせいぜいが30番台ってところだろう。
「それに人間の調子は一定じゃない、ミスや間違いだって起こる。百回やったら一回くらいは勝てるかもしれないし、その一回を最初に起こせないとは限らないんだぜ」
それを言ったら、月の四分の一は不調な女性である自分のほうがはるかに分が悪いのだけれど、とにかくティアンから意識を逸らそうとボクは柄にもない挑発をくりかえした。
それもゼランには通じない。
「鬱陶しいって言ってんだぜ。おまえの自己満足に付き合う義理はねぇんだ」
「はあっ!?」
驚いた。クロムのことはもう脳の片隅にもないといった態度だ。衝突する理由はそれで十分だと思っているのはボクだけなのだ。
「今日のジェロイもそうだが、例外の7番以外、10番台が2番以下に挑むのは無駄でしかねぇ。なのに、なぜ闘う必要がある?」
この男の動機には相変わらず損得しかないのだろう。それを否定はしないし、むしろ正しいとすら思う。
フォメルス王も言っていた『コロシアムで生き残るためには無傷で敵を倒すことだ』と、そのとおりだ。
試合を増やすことはあまりにもリスクが大きく、けがをすれば次戦でのパフォーマンスが下がり、それが死に結びつくことだってある。
原則として、現状維持にしかならない10番台同士での試合は忌避され、1、2番との絡み以外で順位の変動などは起こらないはずだった。
ところが魔獣戦の期間中、試合を休止されていた反動からか試合数が増え、10番台への挑戦が数試合を行われた。結果、ボクは労ぜず19番になることができた。
だからこそ、ゼランに挑むことができる。
人間は思考を気分に支配されていて、善悪や正否なんてものは二の次にする生き物だ。正しさは気分との歪みに敗れるものだが、ゼランにはそれが理解できない。
「人は理屈どおりになんて動かないのさ、足元すくってやるから覚悟しとけよ」
平日の一桁ランク闘士への挑戦は無効であり、七番との対戦が実現するまでには日数がかかる。
ゼランにとってボクは取るに足らない雑魚かもしれないけど、事前に試合を差し込むことは容易く、避けては通れない相手になった。
「一体なんの得があってそんな自殺まがいのことをやろうってんだ、お友達のためか?」
ティアンを守るため、クロムの仇を討つため、そう置き換えることはできる。だけどそれ以上に、これはボクの精神衛生上の問題だ。
「はっ、ボクがおまえを気に入らねえから、ぶち殺すにきまってんだろ」
ティアンが先に死んでしまってはボクが頂点を目指す意味がなくなるし、そのあとに描く夢だって叶わなくなる。
だからどんなに無謀だとしても挑まなくちゃあならない。一流大学に合格するため苦手な課題も頑張らなきゃいけないように、ボクは受験感覚でおまえをぶち殺す――。
ゼランは心底あきれたといった表情でため息をついた。
「増長しちまったもんだな。いまここで、おれに絞め殺されるかもしれないとは考えねぇのか?」
増長だなんてとんでもない、ボクは臆病者だし実力を過信したりもしていない。本来ならば怯えながらへりくだってしかるべきなのだろう。
けど、引かない。人は理屈どおりになんて動かないから、愚かにも格上相手に噛みつくことだってあるんだ。
かと言って、ここで殺されてしまってはあまりにも間抜けが過ぎる。
「ふぅん、人目がないと思ってるみたいだけど、いまからここで親しい看守と落ち合うことになってるんだ」
おっさんがタイミングよく通りかかる保証はない。けれど、それで十分にわが身を守ることができる。
ゼランは慎重な男だ。そうでなければ三桁も殺す前に捕まっていたに違いない。
「結局のところ、おまえはしょせん小細工のお嬢ちゃんでしかねえってことだな。で、頼りの駆け引きでさえおれに遠く及んでねェんだ」
「余計なお世話、おまえとボクじゃ価値観が根本的に違うんだよ」
確かに、ボクのその場しのぎとゼランの騙し討ちとでは成果が異なるだろう。どちらがより勝者であったかといえば後者かもしれない。
だからといって、ボクはそれを優劣の差だとは思わない。
――次は、それを思い知らせてやるための闘いだ。
「そこで提案があるんだけど?」
ボクの発言に、ゼランは嫌気がさすといった態度を見せる。
「ほうら、小細工が始まった」
「まあ聞けよ、判断するのはおまえなんだから」
ゼランは「ふん」といって腕組みをする、話だけは聞いてやるよのポーズだ。ボクはあらためて提案する。
「ボクとの決闘時には、おまえも『ボクの得意武器』のみで戦うと約束してくれ!」
「……?」
お互いにボクの得意武器しか使っちゃだめ――。
ゼランの頭上に疑問符が浮かぶ。それはそうだ、ボクはいま自分だけに有利な条件を突き付けたのだ。
「――やだね」当然のごとくサラリと拒否。
「それくらいのハンデはくれたっていいだろ! あんなに人を見下したくせに、もしかして自信ないの!」
挑発に乗るタイプじゃない。それでも、ボクは自分がいかにみじめで取るに足らない弱者かを見せつけるように見苦しく、しつこく食い下がった。
「わかったわかったっ! 7番への挑戦は撤回してやるよ。無駄に試合数を増やすのはまったく合理的じゃあねぇからなっ!」
ボクを振りほどきながら、ゼランはティアンへの挑戦を取り下げてくれると断言した。
それによって、良かった、ゼランとの試合を組まなくて済むぞ! とはならない。この場を切り抜けたその足で、しれっと裏切る男だということは学習済みだ。
平日は完全な安全地帯でもある一桁番台。実力的にこれ以上の出世を見込めないどん詰まりに来て、それが素人の小娘をひねるだけで手に入る。
利己的なこいつがそれを見逃すなんてありえない。
「そっちの条件も飲むから! それなら取引するんだろ!」
初対面時、つり合いが取れないという理由で共闘を断られたことを持ち出した。
「じゃあ、当日はお互いに全裸で闘おうぜ」
ゼランはそう言って下品に笑った。
口車には乗らないという意思表示だ。当日、馬鹿正直に裸で出ていったら自分だけが恥をかくことになるだろう。
子供のお遊びには付き合っていられないと、ゼランは話を打ち切ろうとしている。
手段を選んではいられない。ボクは餌を投げ込む。
「ボクの条件で闘ってくれたら、勝負のあとにおまえの部屋に行ってやってもいいぜ」
「ああ?」
現在はゼランも個室持ちだ。百人からの人間を趣味で解体してきた殺人鬼の部屋に丸腰で行ってやる。なんなら、ネギを背負って行ってやる。
「もちろん一人でね。どんな要求にも応えてやるよ、抱くなり、死ぬまでなぶるなり好きにすればいい」
特にゼランみたいなクソ野郎は生意気に突っかかってくる小娘が好物に違いない。その点でボクは下ごしらえに時間を掛けた美味しい御馳走だ。
ぞの証拠に、ゼランは返答に悩んでいる。
「……おまえが約束を守る保証がどこにもねぇ」
こんな口約束が契約になるはずもない。
けれど、ゼランの頭の中では一桁ランクの豪華な部屋にお気に入りの玩具を飾る妄想が捗っており、たとえボクの言葉がウソだったとしても、それを確認しないことには耐えられない。
はじめてボクは交渉でゼランよりも優位に立っている。
「じゃあいいよ。一桁ランクで通用しないおまえは二度と女を抱くこともなく、大好きな趣味にもひたれず、狭い部屋に満足しながら死んでいけ」
体のラインが扇情的に見えるよう、ボクはわざとらしく背伸びをして挑発した。
「武器は、基本装備か?」
――ほら、食いついた。
「片手剣は体格差がですぎる。それに、おまえの得意武器でもあるじゃん」
「じゃあ、なににすればいい?」
「選抜試合で見たろ、戦槌だよ。あれと全く同じ物で勝負してほしい」
一見してボクの思惑通りに進んでいるようにも見えるけど、ゼランにはまだまだ余裕がある。
彼にとってこれはボーナスステージみたいなもので警戒するに値しない取引だ。
同じ武器で闘えばイレギュラーな事態は避けられるし、実力差はより顕著になる。試合後のお楽しみのため、玩具の損傷を最低限で済ますのにも打撃武器は都合がいい。
コチラの要望に沿っているようでいて、むしろ全てにおいてゼラン好みの展開だといえる。
じゃあ、ボクがなにをしているのかと言えば、出し惜しみをしない努力。としか言いようがない――。
「いいぜ、その条件で闘ってやる」
ゼランから了解を得ることができた。それも当然、この時点でボクがしたのは彼へのお膳立てだ。
すべてにおいて彼に有利な条件で、ボクたちの対戦は成立した。そこまでしなければゼランをコントロールすることはできなかっただろう。
決戦は翌日ではなく、次の祭日に決めた。
できるだけ訓練期間がほしいのと、ゼランが裏切ってティアンに挑戦することを防げるギリギリのラインだからだ。
とはいえ、十分な期間を得ることはできなかった。この国は戦争大好き国家らしく、戦勝記念日で暦が溢れ返っており、その日は数日後に迫っていた。
ボクと猟奇殺人鬼ゼラン、一体一の決闘だ。
そして、たいした準備をする間もなく運命の日は訪れる――。